今世が無理なら、来世で「おじさん」になりたい

例えば、私の乳首から白髪が生えてきたとします。(例えばの話をしています)現在31歳ですが、その話を近況報告として今の担当番組「おいでよ!クリエイティ部」でちらり、ぽろりと話してしまったらどうだろう……。

不快に思う人が少なくないと思うのです。自分がリスナーとして聞いている番組や街なかでちらっと聞こえてきたラジオで、同じ属性の人がこんな話を放送に乗せていたら……やはり、なんだかちょっと居心地が悪くなってしまいます。

 

その不快さを紐解いてみると“女性は奥ゆかしいもの”というある意味では普遍的でもあったイメージを、ふいに覆された気持ち悪さだったり……。あるいは日本の平均寿命から考えるとまだ若い部類に入る人間が老化自慢に無理やり介入してきた浅はかさや、アナウンサーという肩書きを持ちながら人間のパーソナルスペースの描写をあけすけに語ることのあざとさに気がついて、やはり結局良い印象は持てない気がする。兎にも角にも不快に感じる人が多いと思うのです。

 

しかし、この話を「おじさん」がラジオでしていたらどうでしょうか。あまり引っかかりを感じず、日常の小さな気づきエピソードとしてさらりと聞き流されるのではないでしょうか。共感を呼ぶ気配すらある。

ちなみに、乳首に白髪が生えるのに明確な年齢設定はないそうです。身体的な理由があって老化の一言では括れない話でしょうし……きっと白髪の割合も年齢によって変わるのでしょうし……。

 

この例を、私は「おじさん」への羨望に充分な理由と捉えています。

 

ここでは「おじさん」の定義やキャラクター設定は曖昧にしておきたいのですが、文化放送に入社してすぐ、アナウンサー研修というものをしてもらいました。発音・発声練習から声を出すための身体の使い方や原稿の読み方、フリートークのコツまで。その際に「おじさん」の先輩アナウンサーからこんなことを助言していただきました。

「あえて今の西川に伝えておきたいんだけどね。男性と女性でフリートークの話題の幅はある程度違うんだよ。ラジオは特に個人的なことも喋るから、過去の失敗とか家庭の話、下ネタとか。世間からの目を考えるとどうしても制約はあるからね。」

 

あれから8年。思い返してみると、私はスタジオの中のあらゆる場面で「おじさん」を望んだ。

今自分がリスナーだったらおじさんの感想が聞きたいんだよなあ。自分がおじさんだったらここまで踏み込んで質問できるのになあ。おじさんだったらこんな語尾で表現できたのになあ

 

口実かもしれないけれど、自分の価値観や倫理観に当てはめて放送上での会話というものを線引きしてゆくと、どうも「おじさん」が羨ましい。むしろ最強な気さえする。

 

ただ、パーソナリティやコメンテーターの方々など多くの魅力的なおじさんと番組でご一緒させてもらってきたことで知ったのは「おじさん」はそんなに簡単なものではないということ

世にはびこる「おじさん」にはそもそも根拠のないレッテルが張られているので、ベースの「おじさん」から足し算引き算を繰り返しながら各々の個性を重ねなければならない。無欲のおじさん・理知的なおじさん・お父さんではないおじさん等、おじさんはゼロベースではない。そこがまた大変そう。

また、「おじさん」の最強性は様々な苦労や経験に裏付けされているものだとも知った。ラジオブースの中で内緒話のようにぽつりぽつりと話してもらう過去の栄光や失敗は、色んな時代を肌で感じていないと決して出てこないものである。だから、おじさんの昔話が好きだ。大変な苦労や自分の知らない世界の実地経験がある方の昔話は本当に面白い。心から興味深い。

 

ここまで中年・年配男性に対する羨望や尊敬をある程度語ってきたところで取り上げたい1冊がこちら。

著者
三國 清三
出版日

 

“世界のミクニ”とも称されるフレンチの三國清三シェフの半生が綴られる自叙伝。北海道・増毛の漁師の家庭に生まれ、ある時1皿のハンバーグに感銘を受け、北海道グランドホテルや帝国ホテルで働き、スイス大使の専属料理人を経て、ヨーロッパでの数々の名店での修行した様子。自身の店を持つに到るまでの紆余曲折。オテル・ドゥ・ミクニがミシュラン掲載店とならなかった理由や今後の展望などについて語られています。

 

三國さんの岐路には、いつも鍋洗いがある。学歴のせいでホテルの厨房でシェフとしての仕事をさせてもらえない時、気難しいシェフに修行を頼む時。

認められるチャンスがない時、切り口が見つからないとき、みんなの嫌がる雑用にあえて手をつけるのだそう。

 

鍋は僕の幸運の女神だ。おしかける、洗い物をする、休日も働く。

子どもの頃から、同じようなことを繰り返している。行動がワンパターンだ。

当時は、そんなことを思いもしない。夢中でやっただけだ。

何十年も経って、高い山の上から見下ろすように、自分の人生を俯瞰しているから目に入る。

 

10代の頃からのあらゆる選択や行動から、自分の決めたことへの並々ならぬ渇望を感じる。夢を叶えるまでの過程がとんでもない。そこまでの強い気持ちはどこから来るのだろう?

 

すみません。決して三國シェフのことを「おじさん」に簡単に括っている訳ではないのです。ただ、この本を通して壮絶な過程を垣間見ると、やはり「おじさん」は最強だと再認識させられるのです。

現世でおじさんに簡単に憧れてはいけない。みんな気さくだからって火傷する。だからやっぱり来世では、おじさんになりたい。


 

このコラムは、毎月更新予定です。

info:ホンシェルジュTwitter

writer Twitter:西川あやの

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