ベストセラーになった『告白』ほか、『夜行観覧車』『白ゆき姫殺人事件』『母性』など数々の小説が実写化されている湊かなえ。 『Nのために』はイヤミスの女王の名前を欲しいままにする彼女の初期作で、ドラマともども評判を呼びました。 今回は『Nのために』の登場人物やストーリー、見所をネタバレレビューしていきます。
本作の登場人物は皆苗字と名前、どちらかにNのイニシャルを含みます。
1月22日、高級タワーマンション・スカイローズガーデン48階にて殺人事件が発生しました。被害者はエリート会社員の野口貴弘ならびに妻の奈央子。共に頭部を鈍器で殴られ命を落とします。
容疑者として挙げられたのは奈央子と不倫していた自称小説家・西崎真人。事件当日、西崎は同じ野ばら荘に住む安藤望・杉下希美両名と野口宅を訪れていたのです。
安藤・希美は野口夫妻と親しい間柄で、二人が自宅で計画したパーティーに呼ばれていました。
西崎が逮捕後に自供した事で事件は解決したかに思われましたが、現場に居合わせた安藤と希美は、警察の想定外の真実を知っていました。
実は奈央子は貴弘にDVを受けており、花屋の店員に扮し薔薇を届けにきた西崎と示し合わせ、駆け落ちする予定だったのです。
付け加え、希美と野口はある目的を持ち、旅行中の野口夫妻に接触した過去がありました。
希美の高校の同級生で同じ離島出身の成瀬慎司もまた、バイト先のレストランの出張サービスの一環で野口宅を訪れており、それぞれが「Nのために」動く登場人物たちの思惑が複雑に絡み合い、事件は驚愕のラストへ辿り着きます。
- 著者
- 湊 かなえ
- 出版日
湊かなえは現在のイヤミスジャンルを牽引する人気作家。2022年に映画公開された『母性』は毒親をテーマにし、母と娘の長年に亘る確執を描いて注目を集めました。
- 著者
- 湊 かなえ
- 出版日
- 2015-06-26
教え子に娘を殺された女教師が恐るべき手段で復讐を企む『告白』を皮切りに、多くの著作が映画やドラマになっていることから、映像化との相性の良さがうかがえますね。
- 著者
- 湊 かなえ
- 出版日
- 2010-04-08
『Nのために』は2010年に刊行された湊かなえ初期の傑作。ミステリーとヒューマンドラマが融合した作風で、登場人物それぞれの視点からタワーマンションで起きた殺人事件の様相が語り起こされていきます。
以下、全五章の内容です。
第一章 希美・成瀬・西崎・安藤の証言 および野口夫妻殺害事件の全貌を知る「誰か」の十年後の独白
第二章 成瀬視点
第三章 西崎が執筆した小説『灼熱バード』の内容 後半は安藤視点
第四章 希美視点
第五章 西崎視点 および「誰か」の十年後の顛末
注目してほしいのは複雑な人間関係。主要登場人物の名前にはイニシャルNが入っており、それぞれが最愛のNの為に行動していた事実が、ストーリーの進行に伴い明かされていきます。
これは建物も例外ではなく、西崎・安藤・希美が住んでいるボロアパートの名前は野ばら荘。
本作において野ばら荘が果たす役割は大きく、嵐の夜に一階が浸水しお互い助け合った結果、全く接点のなかった三人は部屋を行き来する仲になります。
貴弘・奈央子が住むスカイローズガーデンと野ばら荘の対比も皮肉で、片や贅沢で快適なものの隠蔽性が高いタワマン、片や住民同士の距離が近く温かい交流が生まれるボロアパートと、野口夫妻と西崎たちの断絶を暗示しています。
ローズと野ばらの薔薇繋がりも偶然ではない証拠に、西崎が奈央子に贈るため、パーティーに持参したのは薔薇の花束でした。
2014年にはTBSテレビで連続ドラマ化され、こちらも好評を博しました。
次に挙げる見所は語り手交代により続々と浮かび上がる新事実。
冒頭にて西崎は野口夫妻の殺害を自供するものの、希美・安藤・成瀬、そして西崎自身の視点で事件が語り直される事で、その裏に秘められた残酷すぎる真相が暴かれていきます。
『Nのために』は優れた群像劇でもありますが、中でも主人公といえる存在感を占めているのが希美と西崎。
希美・成瀬パートでは、二人の故郷である愛媛県の青景島で過ごした青春時代が語られます。
希美と成瀬は高校の同級生で、趣味の将棋をきっかけに仲良くなりました。成瀬は希美に淡い想いを抱いていたものの、結局告白することなく、高校卒業と同時に島を離れます。
一方の希美は父が連れ込んだ愛人に実家を追い出され、浪費癖のある母、中学生の弟と共に小屋に移り住みました。この時父の愛人からうけた屈辱的な仕打ちが人格形成に深刻な影響を与えたのは否めません。
『Nのために』の構成の巧妙なところは、それぞれが本当に愛するNが誰か、その人物の視点が回ってくるまで明かされない点。
成瀬パートでは希美を憎からず思っていた過去が明かされるものの、肝心の希美の気持ちには言及されず、矢印が誰に向いてるかわからないまま。故に希美パートで初めて明かされる切実な胸の内、身勝手な大人たちに抑圧されてきた苦しみが、読者の心にストレートに響きます。
西崎パートでは夫に捨てられた母に虐待され、痛みを愛情と覚え込まされた彼の、悲惨な生い立ちが綴られていきます。ここで読者は西崎が希美や安藤に読ませた小説『灼熱バード』が、彼の半生を書いた私小説だと知らされるのです。
希美が一途に慕い続けたNは誰なのか?
西崎が全てを捧げたNは誰なのか?
主要登場人物に限るなら、一人を除いて悪人が登場しないのも『Nのために』の特徴。
いわば野口夫妻の死は善意の掛け違いが生んだ悲劇、献身と紙一重のエゴが招いた惨劇。それぞれがNの為に起こした行動がすれ違い、回り回って最悪の結末に至る展開には胸が痛みました。
序盤で西崎が逮捕されたのち十年後に時間が飛び、黒幕らしい「誰か」の回想が始まるのもミスリードに一役買っていました。この「誰か」は若くして難病を患い、医者に余命を宣告され、自分が死ぬ前に贖罪をしたいと望んでいます。
しかし正体は知らされず、登場人物の誰が余命宣告をうけたのか、読者はドキドキしながらページをめくることになるのです。
「誰か」の家族構成が主要登場人物の一人と故意に同じにされているのも、特定を難しくさせていますね。
『Nのために』で描かれた複雑な人間関係や、過去と現在が錯綜する男女の愛憎劇が気に入った方には、遠田潤子『アンチェルの蝶』をおすすめします。
『アンチェルの蝶』は大阪の港町で労働者向けの居酒屋を経営する中年男が主人公。彼のもとに昔好きだった幼馴染の娘が転がりこんでくるところから、物語が幕を開けます。
『Nのために』同様、主要登場人物3人の関係性や荒んだ家庭環境の描写に比重を割いてるのが特徴。暴力的な父に殴られて育ち、過去の経験から人付き合いにも臆病になった主人公の再生が感動を呼びました。
美しいタイトルが意味する真実、解釈が分かれるラストの余韻も格別です。
- 著者
- 遠田 潤子
- 出版日