いくつになっても、トキメキは訪れる……大人であっても、恋する心は抑えられるものではありません。この記事では、さまざまな人生の経験をした大人にこそおすすめしたい、人気作家たちの恋愛小説を紹介していきます。
37歳の主人公・トオルは、1968年の18年前、学生時代の記憶を辿ります。高校生時代の親友が突然自殺しますが、大学生になって、自殺してしまった親友の恋人だった直子と付き合うようになります。やがて彼女の誕生日に結ばれたのに、彼女は急に姿を消します。そして僕は大学生活の中で緑と知り合い、付き合うようになりますが、彼女もまた父親の病気で悩んでいました。
そして、ある施設にいる直子から手紙が届きます。トオルは、直子を訪問するようになり、同室で直子の世話をしてくれるレイコとの関係も深まります。直子には嘘を吐かないこと、正直であることが必要なのだと教えられます。直子は人生における本当のことをさがしているのだと。
- 著者
- 村上 春樹
- 出版日
- 2004-09-15
草原の風景が、生きることを示唆しているような描写です。そして鋭く突き刺さる言葉、恋愛遍歴、自殺、病気、介護、精神疾患。物語は、常に誰かの死が付きまといます。
そして、村上春樹の作品に欠かせない音楽や絵画たち。ビートルズの同名曲「ノルウェイの森」を聴いてみることで、作品のイメージを膨らませられるでしょう。
また、この作品の時代背景を考慮してから読むことをお勧めします。日本中が、安保条約で世相が揺らいでいた時代、学生紛争の真っ只中に在りながら、登場人物はそれに関わっていません。ただ、排他的な雰囲気の中、自分と他人とが心を触れ合うには、恋愛が媒体として存在していたような印象です。
文章が分かりやすく読みやすいのに、内容が深く、行間が多くを語ってくれています。昭和のあの時代の学生たちの、リアルな生活を描いた小説といえるかもしれません。喪失からの再生へ向かう物語であり、残った人間の生き様を表現した恋愛小説です。
ナタラージュとは、ナレーションとモンタージュを合成した造語です。耳慣れませんが、映画などで人物が、過去を現在の立場から回想し、場面が過去であっても常に現在の立場から語る手法です。
作者の島本理生は大学在学中にこの作品を書きました。著者等身大の恋愛小説と言えるでしょう。それでいて、生々しくなく、文体が爽やかで映画でも見ているようにイメージできる描写です。
冒頭では、既に結婚している主人公が今でも忘れることができない過去を振り返って、その「過去」を踏まえた現在であることを認識しながら、狂おしく純粋だった恋を見つめます。
- 著者
- 島本 理生
- 出版日
この恋愛小説は、大学2年生の泉が、高校の時の演劇部顧問の葉山先生からの電話で動き始めます。葉山は泉にとって特別な人でした。後輩のために出演を依頼された泉は、再び葉山に対する気持ちを膨らませながら会いに行くことになります。
教師と生徒だった最後の日、垣根を越えたキスで終わったはずの恋が再び動き始めます。しかし、葉山を好きで堪らなくなってしまった泉は、彼の真実を知ります。葉山には別れることができない妻がいたのです。
一途にひとりの人を思い、追いかけることができる、ホンの一瞬の青春時代。恋をしている間、泉にとって、世界は葉山を中心に回り、彼のいない世界を考えることさえできません。そういう恋は、大人になっても、心の奥にひっそりと在り続けます。そんな純粋な心が交差する恋愛小説です。
『阪急電車』は、宝塚駅から始まり、西宮北口駅で折り返し、再び宝塚駅へ戻ってきます。スタートは小さな恋の始まりから。図書館でいつも見かけていた彼女と、電車で遭遇するようになり、征志はずっと彼女を意識してきました。ある日、偶然隣になり会話をするようになります。なんと、彼女も征志を認識していたのです。
その成り行きを眺めていた、ウエディングドレスかと見紛うような白いドレスを着ていた翔子は、2作目の宝塚南口駅から逆瀬名川駅までの話。
彼女の物語は衝撃的です。自ら「私、寝とられ女なんです。」という翔子は、5年付き合った婚約者をずっとそばにいた、地味な友人とも呼べない女に奪われてしまいます。高価な白いドレスにプロのメイクを戦闘服にして、結婚式へと挑んだ帰りのことです。
乗り合わせた老女・時江に、「討ち入りは成功したの?」と、突然声をかけられます。翔子は、そこで電車を降りドレスを着替えて捨て去り、新しい自分へと変わっていきます。
- 著者
- 有川 浩
- 出版日
- 2010-08-05
そのドレス姿をみたカップルが、喧嘩をして……。と、話は次々に進んでゆくのです。ほんの十数分間同じ電車に乗り合わせただけの、人と人の関わり合い。言葉を交わさなくても、その人の様子や会話から自分を見つめなおしたり、思いを馳せたりするのです。
様々な形の恋愛模様が、電車の中で展開されてゆきます。人を好きになるってどういうことだっただろう。幸せとはどんなものだっただろう。すれ違う程度の他人の人生に触れたとき、鏡のようにそれは映し出されます。
大変読みやすく、ハッピーエンドに終わるので、楽しくすらすらと読める恋愛小説です。偶然同じ電車やバスに乗り合わせた人たちの人生を想像してみるのも、楽しいかもしれませんね。
冒頭の、「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ上るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした。」(『錦繍』、新潮文庫)によって、秋の紅葉の情景が、10年前の業火のごときある事件が、主人公亜紀にとってどれほどの衝撃であったかを、見事に表現しています。
結婚して2年、突然ある事件によって、二人は離婚し、10年後に蔵王で再会するところから話は始まります。
その後、当時25歳と27歳であった二人には、語れなかったこと、伝えられなかったことを、手紙でやり取りをしていくことになります。あの事件は、いったいどうして起こり、運命が変わってしまったのか。
- 著者
- 宮本 輝
- 出版日
亜紀は自分の10年間を、書き綴っていきます。自分の中で苦い重石になったものを、吐き出すかのように。そして、靖明もまた、茫々とした10年間から立ち直ろうとしていました。
大人の男女が、互いに多くを語らず、思いだけが沈み込むということは、よくあります。対峙するのではなく、文字で感情を表現することの、有用性を考えさせてくれる恋愛小説です。
メールなどの電子化された文字とは違って、送ってしまえば手元には残らない手紙だからこそ「現在」を書き綴ることができ、また感情のまま、訂正することなしにぶつけることができる。大人になってしまったからこそ、そういう形で過去と向き合い、再生してゆく物語といえるでしょう。おすすめの大人向け恋愛小説です。
『東京湾景』は、出会い系サイトで知り合った男女の恋の行方を描く、吉田修一による恋愛小説で、テレビドラマ化もされた作品です。
- 著者
- 吉田 修一
- 出版日
- 2006-06-28
品川埠頭の倉庫に勤めている25歳の和田亮介と、お台場の大手石油会社に勤めている28歳のキャリアウーマン平井美緒は、出会い系サイトで知り合いました。初めて会う約束をしたのは、亮介の誕生日。美緒は、「涼子」という偽名を名乗っています。思いがけず美人の女性が現れたことで、亮介は気をよくしたのですが、モノレールの中で言い合いになってしまい、結局2人はそのまま別れてしまいます。
ですが、その後も「涼子」のことが忘れられずにいた亮介は、ある日彼女にメールを送り、そのことがきっかけで、2人は再び会う約束をしたのでした。
東京湾を隔てた、近いようで遠い品川埠頭とお台場。そんな東京湾岸を舞台に、仕事もライフスタイルも、まったく異る男女が織りなすラブストーリーが進んでいきます。穏やかな文体で淡々と綴られる本作ですが、主人公2人の心理描写が素晴らしく、深く感情移入して読み進めることができるでしょう。
お互いに惹かれあい体を求めあうも、心はどこかすれ違ったままの2人の関係は、いったいどうなっていくのか。鮮明に描かれる東京湾の景色を堪能するとともに、愛とは何か?人を信じるとはどういうことか?ということについて、深く考えてみたくなる一冊です。
大人になりそこねた男女が織りなす、山田詠美の至高の恋愛物語『無銭優雅』。自由気儘でどこか可愛らしい、心がほっこりするような恋愛が描かれている長編小説です。
- 著者
- 山田 詠美
- 出版日
物語の語り手となるのは、友人と一緒に花屋を経営している斎藤慈雨は、両親と兄夫婦が暮らす二世帯住宅に同居している独身女性です。そんな慈雨と同い年の恋人、北村栄は、予備校の講師をしているバツイチで、ボロボロの一軒家に独り住まい。42歳のとき、ジャズ・バーで偶然出会ったことをきっかけに、2人は付き合うようになりました。
慈雨は、栄の暮らす家に頻繁に入り浸り、人生も後半に入ったところで始まったこの恋を、「心中する前の日の心持ち」で自由に優雅に楽しんでいるのです。
「死の気配」をスパイスに、どこまでも盛り上がる2人の恋愛は、まるで子供のように無邪気で微笑ましく、読んでいてとても癒されます。身勝手で幼い恋愛をしているように見えても、やはり42歳。これまでに様々な経験や失敗を重ね、それなりに背負っているものだってあります。そんな2人だからこそ出せるであろう、素敵な空気感に心を奪われ、その世界観にどんどん引き込まれていきます。
文章の合間には、数々の名作小説のフレーズがたびたび挿入され、作品がより魅力的な雰囲気に仕上げられています。作品内で語られる、恋愛小説における「死」の扱い方についての見解も、興味深く読むことができるでしょう。新しい大人の恋愛が描かれているこの作品を、ぜひ1度楽しんでみてくださいね。
別れた恋人からの、19年ぶりの電話をきっかけに、記憶を巡り、過去と現在を交差させていく恋愛小説『パイロットフィッシュ』。大崎善生の小説デビュー作となった本書は、吉川栄治文学新人賞を受賞しました。
- 著者
- 大崎 善生
- 出版日
- 2004-03-25
主人公の山崎隆二は、水換えをしたばかりのキラキラと光る水槽を眺めていました。そんなとき、真夜中だというのに電話のベルが鳴ります。なかなか鳴り止まない電話に気分が滅入りましたが、山崎は諦めて受話器を取りました。
「わかる?」そのたった一言で、山崎の記憶は鮮明に蘇ります。それは、19年ぶりに聞く由希子の声でした。途切れ途切れながら、お互いの近況を報告し合ううち、山崎は、由希子とともに過ごした3年間の日々を回想します。
読みやすくスマートな文体がとても心地よく、すんなりと世界観に入り込めるのではないでしょうか。主人公の職業が、アダルト雑誌の編集者ということもあり、描写が過激な場面もありますが、作品全体には透明感が漂っています。水槽の環境を整え、生態系だけを残して不要とされてしまう悲しい魚、パイロットフィッシュの存在が、物語により一層の切なさを加えています。
冒頭、「人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない。人には記憶があり、その記憶とともに現在を生きているから」という言葉が、印象深く心に残ります。人と人との出会いの大切さを痛感させられ、自分がこれまで出会ってきた人に、想いを馳せたくなる作品です。
映画『恋愛寫眞』の、コラボレーション作品として刊行された、市川拓司による『恋愛寫眞 もうひとつの物語』。映画とは異なったストーリーが展開される本作は、刊行後『ただ、君を愛してる』という題名で、映画化されました。
- 著者
- 市川 拓司
- 出版日
- 2008-10-07
写真を撮ることが好きな大学生、瀬川誠人は、人付き合いが大の苦手。そのため友人もあまりいません。ですが、大学に入学したばかりのころに出会った個性的な女の子、里中静流とは自然に打ち解けることができ、趣味の写真を教えてあげたり、のんびりと鳥を眺めたりしながら過ごすことができました。
そんな中、誠人は大学のマドンナ的存在であるみゆきに恋をします。静流から想いを告げられるも、みゆきのことが好きな誠人は、静流の想いに答えることができませんでした。ですが、子供のように幼い容姿をしている静流の、オリジナリティーあふれる感性や仕草に、誠人は徐々に惹かれ始めていき……。
作品内では、登場人物の誰もが心優しく、それぞれの淡い恋心がとても繊細に表現されています。誠人がみゆきを好きだと知った時の、「好きな人の好きな人を好きになりたい。」という静流の言葉が胸を打ちます。魅力的なキャラクターの静流が抱えているある病気が、物語を美しいファンタジー要素で彩り、その切なすぎる結末を涙なしに読むことはできないでしょう。
「別れはいつだって思いよりも先に来る」。読後、この言葉が頭から離れなくなり、長く心に残る作品です。綺麗な言葉が随所に散りばめられた、市川拓司の感動恋愛小説。ぜひその世界観に浸り、恋の結末を見届けていただければと思います。
唯川恵が直木賞を受賞した作品『肩ごしの恋人』は、タイプの違う2人の女性を主人公に、幸せとは何かを模索していく恋愛小説です。
- 著者
- 唯川 恵
- 出版日
- 2004-10-20
女であることを武器として、これまで積極的な恋愛を繰り返してきた、るり子。男を信用することができず、恋愛にのめり込めない萌。2人は5歳の時からの親友同士です。バツ2のるり子が、3人目の結婚相手として選んだ男は、萌の元彼、信之なのですが、そんなるり子の結婚式に、萌は平気な顔で出席しています。そして萌もまた、式で知り合ったるり子の元彼、柿崎とホテルに行き、関係を持ってしまいます。
ある日、萌は会社でアルバイトとして働いている、秋山崇と知り合いますが、この少年が実は家出してきたのだということが判明。成り行き上、萌が引き取ることになってしまいました。そして、結婚生活がうまくいかないるり子も萌の家に転がり込み、3人の奇妙な同居生活がスタートするのです。
女性2人の等身大の姿がとても魅力的に描かれている作品です。るり子のキャラクターには終始惹きつけられ、その突き抜けたわがままぶりには、清々しささえ感じることでしょう。男性に好かれ、女性を敵に回す典型的なキャラクターなのですが、読み進めるうちに、どこまでもまっすぐな、可愛らしい女性だと感じられるようになります。
様々な経験を通して少しずつ変化していく2人の姿が、非常に読みやすい文体で綴られており、章ごとに語り手を交代させながらテンポ良く進んでいくので、ページをめくる手が止まらなくなります。終盤には意外な展開が待っていますから、幸せを追い求め奮闘する女性たちの物語に、ぜひ触れてみてくださいね。
タイのバンコクを舞台に、惹かれ合う男女の出会い、別れ、再会を描く、辻仁成による恋愛小説『サヨナライツカ』。映画化もされ話題になった本作は、100万部を超える大ヒット作品となりました。
- 著者
- 辻 仁成
- 出版日
東垣内豊は、航空関連会社の広報部としてバンコクに赴任しています。日本には光子という婚約者がおり、容姿も良く、周りからの評判も上々な「好青年」です。そんな豊はある日、酒の席で謎の美女、真中沓子と出会いました。そしてその出会いから1週間後、豊の暮らすマンションに、突然沓子が現れたのです。
結婚を4カ月後に控えている豊でしたが、そのまま沓子と肉体関係を持ってしまい、その後も、沓子が滞在しているホテルのスイートルームで逢瀬を重ねる、濃密な日々が続きました。流されるまま関係を続けていた豊も、ある目的のため豊に近づいた沓子も、次第に本気で惹かれ合うようになります。ですが、豊の結婚とともに、その関係は終わりを迎え、その出来事から、25年の月日が過ぎようとしていました。
たった4カ月ですが、狂おしいほど情熱的な恋を経験し、その想いを胸に秘め生きた男女の物語です。愛し合いながらも、別れを選択した2人の様子には、胸を締めつけられるような切なさを感じます。時折挿入される手紙の文面が、物語を効果的に盛り上げ、感情移入せずにはいられません。
1度きりの人生、様々な選択を迫られるものですが、悩み、葛藤しながら選んだ道を懸命に進んだ彼らの姿に、涙が止まらなくなってしまいます。「人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すのか、愛したことを思い出すのか」。自分だったらどうだろうか、とつい想いを巡らせてしまうことでしょう。切ない別れを経験したことのある方には、胸に響く作品になるのではないでしょうか。
大人女子だから解る、子どもだった私たちのための恋愛小説。と言うと恋愛小説なんてどれだったそうだよ、と言われてしまいそうですね。
でも、この本は思い出させてくれるのです。あの頃の自分の気持ち、学校での出来事、好いた惚れたで一喜一憂していたあの頃。その風景を、小学生から大人に成長していく登場人物たちの言動、そして姫野カオルコ本人とも思える語り手の言葉で、鮮明に脳内に浮かび上がらせます。
- 著者
- 姫野 カオルコ
- 出版日
- 2007-02-24
主人公の女の子の名前は隼子といい、同級生からも、その親兄弟からも、大人っぽい子と称されています。見た目の大人びたところもありますが、それよりも内面の大人っぽさからくるのです。
「雑木林の先の家に、長くひとりでいる隼子は、同級の男子などに関心がない。女をレディとしてエスコートできない男は恋愛対象ではない。」
(『ツ、イ、ラ、ク』より引用)
テレビドラマの主人公と空想でリアルに逢瀬を重ねる隼子は、身体的な成長よりも早く、他の女生徒たちよりも一足先に大人になっていたのです。そして、中学生になった隼子は想いを生身の人間に向けます。その相手が学校の河村先生。河村先生との恋にタイトル通り『ツ、イ、ラ、ク』していくのです。
この墜落具合があまりにも純粋な欲望を描いているようで、読んでいて清々しさすら感じます。特に河村先生の墜落ぶりがよかったです。ムカつく女生徒だと初めは思っていたのに、いつの間にか気にしている、早熟な生徒だ、実の両親と死に別れた過去を持つ生徒だ、綺麗な足の生徒だ、そしてフローレンズが歌うJun-koという曲。それら全てが、河村先生の中にあったであろう栓を壊していきます。決壊シーンとも呼べる部分がこちらです。
「袖をつかまれたまま、河村はためらった。(略)つづきはないんだよ。立場上、よくないではないか。本気でやばいぜ。あのときは、倒れかけたから支えたんだ。そのあとのことは蒸し暑かったのでちょっと血迷ったんだ。こいつ、いったいどういうつもりでいるんだ。ああ、なんでこんなガキの゛つもり“を、俺は気にしてんだよ!」
(『ツ、イ、ラ、ク』より引用)
この墜落っぷりはなかなかですよね。
後半部分は成長し、名実ともに大人になった隼子たちのことが語られます。この章がとてもいいので、ぜひ読んでほしいです。学生時代を思い返し同級生と語り合う時。知らなかったことの判明。今現在の私たちがそこにはいて、きっと、そのリアリティが、この小説を強烈な現実として読ませるのかもしれません。
あの頃と今を魅せる恋愛小説。おすすめです。
ドラマ化、映画化、舞台化、その存在を知る人は多いのではないでしょうか。言わずと知れた名作『センセイの鞄』。
何を説明すればこの作品の良さを伝えられるのだろうかと頭を捻りました。どんな言葉を用いても足りない。そう思わせるほどいいのです。間の抜けた表現ですが、凄く良いのです。
下町の雰囲気。夕焼け空の優しさ。穏やかな喧騒。緩やかな時間の流れ。美味しい肴。ビール。日本酒。大人の付き合い。子ども心。これらが本作の主成分です。
- 著者
- 川上 弘美
- 出版日
- 2004-09-03
この物語は、大町月子37歳OL、通称ツキコさん。と、30ほど年の離れた、松本春綱先生、通称センセイ。の、穏やかで緩やかで、ほっこりとっぷりとした、幼さを有した大人の恋愛を描いています。
くっつくとか、ヤルとか、そういった俗物的な要素そのものが全て稚拙に思えてしまうほど、2人の間には繊細で美しい関係が築かれていき、恋愛関係ではない2人に対して、どうか、どうかこの2人の関係を壊さないで、このままでいいから、この美しくも儚い、絶対的に特別な関係をそっとしておいてください。と作者である川上弘美に訴えたくなる想いです。
ツキコさんの心理描写をご紹介します。
センセイとツキコさんはふたりで、生活のものあれこれを売っている市を見に行きます。雑貨類を売る露店、食料品を売る露店、電化製品、はては猫やひよこを売る露店まであるのです。市を後にし、いつもの飲み屋に行くふたり。その締めくくりの文章が、実に情緒的で美しく、一緒に市へ行ってきたかのように感じます。
「飲み屋の外に出ると、ほとんど日が暮れていた。市で見た親子はもう夕飯を食べ終えただろうか。猫はにゃあにゃあ言っているだろうか。夕焼けが、ほんのわずか、西の空に残っている。」(『センセイの鞄』より引用)
心理描写、情景描写、登場人物の台詞。その全てに情緒があり、読みながら頭の中には映像を思い浮かべることができます。本作の魅力は、そのリアルでしょう。誰もが頭の中に描ける世界、そして愛おしい登場人物。
ラストシーンは切なさと優しさに包まれていて、皆さんは、涙を浮かべながら、それでも笑顔で本を閉じることでしょう。胸の中に、柔らかく温かい、まん丸い月が残るような読後感を、ぜひ楽しんでください。
20歳の大学生のリョウは、何にも興味が持てないままバーテンダーのアルバイトをしていました。
ある晩リョウの働くバーに中学時代の同級生で今はプロのホストをしているシンヤが訪れ、「いい金づる」になりそうな女と待ち合わせをしていると言います。現れたのは御堂静香という40代くらいの美女で、早速シンヤは静香の関心を買おうとしますが、静香はリョウの方に興味を持ち始めました。するとシンヤはリョウが昔から女に興味がないことを話します。それを聞いた静香は、「女性やセックスがつまらないと思うのは問題がある」と言いますが、リョウは「それは僕の問題です」と冷ややかに言い返し、静香が置いていった名刺を握りつぶして捨てるのでした。
1週間後、1人で現れた静香は、リョウに「あなたのセックスに値段をつけてあげる」と言います。それを聞いたリョウは、年配の女である静香に対して残酷な気持ちが沸き上がり、バーの閉店後に静香とデートすることを約束するのですが、静香は自分ではなく、咲良という若い女の子にリョウの相手をさせて自分はそれを観察するのでした。
リョウは途中から無我夢中になってしまい失敗したと思っていたのですが、静香はなぜか「合格」を言い渡し、自分が経営するクラブで働くよう誘います。静香のクラブとは男性の体を女性が買うというものだったのでリョウは、最初は躊躇するのですが、退屈な世界から抜け出せるかも知れないと思い、静香の申し出を受け「娼夫」となるのでした。
- 著者
- 石田 衣良
- 出版日
- 2004-05-20
本作には多くの生々しい性描写がありますが、女性の肉体に無欲なリョウの視線から描くことにより、哲学的な文学小説として仕上がっています。石田衣良はこの作品を通して、道徳的に非難されるような行為によってのみ救われる人たちの存在や、道徳を強要する人たちへの是非を問いかけているのです。激しい性描写の中から人間の哀しさや希望が見えてくる、センセーショナルな作品です。
31歳でフリーデザイナーの乃里子が仕事に恋に、自分らしく生きながら、複数の男性へ気持ちが揺れる様子を絶妙に描いています。色々な“言い寄る”があり共感できる1冊です。
関西で自由に1人暮らしをしている乃里子は、金持ちの色男でやり取りもおもしろいけれど、いつも人を見下していて女性関係が派手な剛に乃里子は言い寄られます。また趣味がよく落ち着いた大人の魅力がある渋い中年男、しかし妻子持ちの水野とも不倫関係を持ってしまいます。
2人に対しては大胆に言い寄ったり甘えたりすることのできる乃里子ですが、痛いくらい愛している昔なじみの五郎にだけはうまく自分の気持ちを伝えることができません。乃里子は五郎と恋愛関係に発展することを強く望むのですが、穏やかでまろやかでマイペースな五郎との仲をなかなか前へ進めることができないでいるのでした。
- 著者
- 田辺 聖子
- 出版日
- 2010-09-15
1973年に初出の作品で、ところどころに時代を感じさせる表現は出てくるのですが、それでもまったく色褪せない男女の恋愛模様がおもしろく驚かされます。
乃里子の本当に好きな人には言い寄れない、思うように気持ちを伝えられない切なさには共感できる人が多いのではないでしょうか。奔放でその場の雰囲気に流されやすい乃里子ですが、気持ちの動きや感情の揺れ、情の深さにだんだんと引き込まれて乃里子のことを応援してしまうでしょう。
また登場人物たちがみんな関西弁でやり取りをするのですが、それぞれの性格によって同じ関西弁でも雰囲気が全然違います。そんな関西弁でユーモアあふれる会話を軽快に繰り広げるので味わい深く楽しいです。物語の最後には本のタイトル『言い寄る』の意味に気付きます。時代を超えても不変な男女の恋愛が感慨深い1冊です。
34歳のフリーで校閲の仕事をしている主人公・冬子。彼女は自分の誕生日に、真夜中の散歩をすることを楽しみにしていました。淡々と日々を送り恋愛も結婚も、遊びもない静かな日常生活を送るだけだった冬子が、三束という58歳の男性に会い、徐々に魅かれ合うことによって、彼女の世界が揺らいでいくという恋愛小説です。
地味で、何も持たないような冬子が、三束と会話をし、恋をするようになって、光の中を歩く心理描写が美しく描かれています。冬子の友人である、聖や同級生の典子など「普通」に幸せな人生を送っている彼女たちが、どこか冬子を羨ましく思っているのも不思議です。
冬子が今までにないほど純粋に、人に思いを寄せ、それを相手にぶつけるという部分には、読者を引き込む勢いがあります。もしかしたら、誰もが一度は経験したことがあるかもしれません。
- 著者
- 川上 未映子
- 出版日
- 2014-10-15
「昼間のおおきな光が去って、残された半分がありったけのちからで光ってみせるから、真夜中の光はとくべつなんですよ。」(『すべて真夜中の恋人たち』より引用)
真夜中の闇があるからこその、昼の光が美しいのだと、冬子は言います。それは、恋愛だけではなく人生においても同じことが言えるでしょう。
全体的に、心理描写が情景を映し出したような表現で、光の表現や真夜中の時間がたゆたうかのように流れてゆきます。そして、冬子も、聖も、典子も、それぞれがどこか、誰かに似ているのです。読んでいて、共感せずにはいられない大人向け恋愛小説です。
2007年に公開され話題となったアニメーション映画の小説版です。小学生3年生のときに転校してきた明里と出会った貴樹は、似た境遇に親近感を持ち、すぐに仲良くなります。じきに2人は「他人にはわからない特別な想い」をお互いに抱くようになります。
同じ中学に通うはずだった2人ですが、明里が栃木に引っ越すことになってしまいます。文通をしながら気持ちを通わせていた2人。しかし貴樹も鹿児島に引っ越すことが決まり、彼は引っ越す前に明里の住む町まで会いに行きます。
学校終りに栃木に向かう電車に乗った貴樹でしたが、大雪のせいで電車が止まってしまい……。
- 著者
- 新海 誠
- 出版日
- 2016-02-25
最後に明里にあった雪降る夜から時間は経ち、高校生、大学生を経て社会人になった貴樹は、それなりに恋愛もしながら日々を送ります。しかし自分の居場所は「ここではない」という感覚が抜けません。
「たったひとりきりでいい、なぜ俺は、誰かをすこしだけでも幸せに近づけることができなかったんだろう」
この一言が物語を表しているともいえるほど切ない言葉です。青春の傷が痛み、うずくような誰もが懐かしい気持ちになる物語です。
大学の後輩である「黒髪の乙女」に恋をした先輩は、乙女を追いかけて夜の京都を彷徨い歩きます。しかし、追いはぎにズボンを盗まれ、酔っ払いに酒を飲まされ泥酔し、乙女の窮地を救うどころか、すれ違いばかりで彼女に気づいてももらえません。
- 著者
- 森見 登美彦
- 出版日
- 2008-12-25
黒髪の乙女はというと、破産寸前のエロ中年男や、人様の宴会に潜り込みタダ酒を飲みまくり、ばれる寸前に逃げてしまうような怪しい男女に誘われるままに飲み歩きます。ふらふらして節操がないように見えますか?いいえ、彼女はどこまでも乙女であります。
決して人を疑わず、一方で他人の借金を帳消しにするために、金貸しの李白という得体の知れない老人と、偽電気ブランという幻のお酒の飲み比べに挑戦するような心意気もあり、まさに真善美を備えた乙女なのです。
そんな放っておけなくてまっすぐな乙女を追いかけるうちに先輩は彼女といっしょに奇妙な事件に巻き込まれていきます。少しすれたキャラクターたちが森見登美彦の美しい日本語で夜の街に繰り出します。現実から浮遊した空気感に流麗な文章がきいた作品です。
本社から、大型ショッピングセンター「タイニー・タイニー・ハッピー」通称タ二ハピにヘルプに来ていた北川徹は、結婚3年目。同店舗で働いている料理上手な美咲の愛妻弁当を毎日持参しています。タ二ハピのシンボルツリーのディスプレイを任され、かなりの好評を得ている同僚の川野、美咲と仲の良い仕事仲間のジュンジュン、ゆいなど、タ二ハピ内で働く人々のかわいらしい日常の物語です。
- 著者
- 飛鳥井 千砂
- 出版日
- 2011-08-25
年下男性と再婚した大原課長、タ二ハピで働いていた川野の妹の同棲相手など、タ二ハピだけでない彼らのそれぞれの事情はちょっと笑えて泣けて…。いろいろな人々の小さな幸せが、タ二ハピを軸にして降り積もっていきます。
恋愛などの人間関係の難しさ、それに関する鋭い視点は「なるほど」と思わせられたり、共感できるものが多くあります。ショッピングセンターという身近な舞台で働く登場人物たちに親近感がわいてくる優しい作品です。
『恋愛中毒』の主人公の水無月は三十路中年女性で離婚歴もあり、特別目を引くようなものもなく、外見的には地味で質素で、好感度の高い女性ではありません。洞察力があり、礼儀正しく、社交性はないけれど空気を読んで対応する社交性も持ち合わせていて、恋愛中毒なんて言葉は似合わない、とても冷静でまじめで慎重な女性の印象。しかし好意を持つ男性に対しては、自分より相手を優先してしまい、さらには相手の気持ちを先回りしてしまい、じわじわと依存していき、自分自身を苦しめていきます。
そんな自分を変えようと振舞いに注意し、慎重に暮らしてきたのに、自己肯定力の低さから、「認めて欲しい」「受け入れて欲しい」という欲望が強まり、自分をコントロールできなくなっていき自分を見失い、避けていた中毒への道へと落ちていきます。
- 著者
- 山本 文緒
- 出版日
日々の積み重ねから冷静さや判断力を見失っていく彼女の危うさに恐怖を感じると共に、「自分も一歩間違えれば……」と自分自身の中にもある要求の強さに恐怖を感じてしまうかもしれません。愛ゆえの怖さの中から「愛するという事」や「人の心の複雑さ」など色々な事を考えさせられる作品となっています。
『恋愛中毒』は構成もとても素晴らしく、作品の中では時間が前後していて話が進行し、読み終えた時に物語の全体像がわかる構成になっています。作品を結末まで読んだ後に全体像をふまえた上でもう一度読み返してみたいと思える作品です。
不倫をする男子高校生に起こる出来事を中心に、登場人物それぞれの苦悩や葛藤を描く、窪水澄による連作短編集『ふがいない僕は空を見た』。5つの短編で構成された本作は、山本周五郎賞を受賞し、短編の中の1つ「ミクマリ」が「R-18文学賞」大賞を受賞したことでも注目された作品です。
『ミクマリ』の主人公・斎藤卓巳は、一見ごく普通の男子高校生ですが、専業主婦のあんずと不倫関係にあります。学校が終わると、あんずが暮らすマンションへ行き、彼女が好きなアニメキャラクターのコスプレをして、愛し合うのが恒例になっていました。
刺激的な日々にのめり込む卓巳でしたが、ずっと気になっていた、クラスメートの女子から告白されたことをきっかけに、一旦はあんずに別れを告げます。ところがある日、ベビー用品売り場で、ベビー服を眺めるあんずを見かけたことで、あんずのことが頭から離れなくなってしまい……。
- 著者
- 窪 美澄
- 出版日
- 2012-09-28
冒頭、激しく濃密な性描写には驚いてしまいますが、物語が進むにつれて、そのストーリー展開から目が離せなくなります。章ごとに、卓巳の不倫相手の女性や友人、助産院を営む母親が主人公となり、様々な登場人物たちの境遇が語られていくのです。
卓巳に降りかかる出来事には本当に胸が痛み、周りの人々も、それぞれに切実な問題を抱えている様子に切なさが込み上げます。助産院で新しい命が産まれる描写に感動し、苦しみ、傷つきながら、それでも生きていく登場人物たちの姿に愛おしさを感じる作品です。暖かい優しさに涙が溢れ、読後、爽やかな気分にさせてくれる素敵な物語ですから、ぜひ結末を見届けていただければと思います。
江戸時代末期の新吉原を舞台に、遊女たちの切ない恋模様を描いた『花宵道中』。全6編で構成された連作短編集で、人気作家である宮木あや子のデビュー作となった作品です。「R-18文学賞」で、大賞及び読者賞を受賞し注目を集めました。
表題作「花宵道中」の主人公・朝霧は、7歳のときに母親を亡くし、吉原の山田屋に拾われて遊女になりました。ある日、妹女郎の八津と縁日に出かけた朝霧は、そこで半次郎という青年と出会います。お気に入りの草履を片方なくし、途方に暮れていたところを助けられたのですが、半次郎が人混みの中から探し出してくれた朝霧の草履の鼻緒は、半次郎がかつて京都で染めたものでした。
運命的な出会いに惹かれ合う2人は、再び会う約束をします。生まれて初めての恋に、朝霧の胸は高鳴るばかり。ところが、そんなとき呼ばれた吉田屋のお座敷に、吉田屋と一緒に半次郎の姿があり……。
- 著者
- あや子, 宮木
- 出版日
物語は章ごとに主人公を変え、遊女であるが故の、叶わぬ悲恋が綴られていきます。章が進んでいく中で、登場人物たちの関係性が徐々に明らかになり、1つ1つの物語が絶妙に繋がっていく構成が絶妙です。
様々な結末を迎える遊女たちの姿は美しく儚く、胸が締めつけられるように切なくなってしまいます。逃れられない定めを背負い、「惚れてはならぬ」とわかりながら、それでも恋焦がれてしまう女たち。妖艶で官能的な場面も多々ありますが、丁寧に描かれた彼女たちの想いや、散っていく哀しさがいつまでも心に残ります。吉原という場所で、この時代を強く生きた女性たちの姿が、鮮やかに浮かび上がってくることでしょう。
どれだけ深く二人が恋愛していたのか、それが余命いくばくもない彼女との関係であるから深くなったのか、そういった死を前にした彼女との関係について、治の思いが余すところなく表現されているのです。
深く恋していたから死に瀕しても関係が保てたのか?あるいは病室で看病しているとき、愛の深さを表現するに不足していることはなかったかのか?どのように表現しても物足りない、そんな思いに溢れているのです。
病床の柿緒はベッド脇で小説を書き続ける治に対し、「私と小説を書くこととどちらが大事?」と問いかけます。生活もあり書くことが生きていく糧である治にとって、小説を捨てることはできません。それでも「柿緒だよ、あたりまえじゃん」と言い切るのです。恋愛小説にありがちな、本音あるいは現実と建前を切り分けた表現ではなく、単純にストレートに「柿緒だよ、あたりまえじゃん」といわせる一途さを徹底的に表現しています。
- 著者
- 舞城 王太郎
- 出版日
- 2008-06-13
『好き好き大好き超愛してる。』のもう一つの特徴は、語り手である主人公が小説家であるという点です。小説家は経験したことをそのまま表現しているわけではありません。しかしその経験や思いは小説家の内側に取り込まれ、そのうえで表現された作品はやはり経験の上に立つ表現であると語っているのです。
上記の表現にたてば、『好き好き大好き超愛してる。』は舞城王太郎の経験がそのまま表現されているわけではありません。本作品が最高の恋愛小説であるのは舞城の経験が内側に取り込まれ、そこから創り出した思いが溢れているからだと思うのです。たまにはこのような激しい恋愛小説に触れてみるのも読書の楽しみだと思います。
寿命を売ってしまった青年の、残された時間に起こった出来事を描くライトノベル『三日間の幸福』。著者の三秋縋が、『寿命を買い取ってもらった。一年につき、一万円で』というタイトルでネット上に投稿し、瞬く間に人気を博して文庫化された作品です。
主人公のクスノキは二十歳。金に困っていた矢先、寿命・健康・時間を買い取ってくれる場所があることを知ります。その場所を訪れ、寿命の査定をしてもらったクスノキは、残りの寿命が30年3ヶ月であることと、査定額が1年につき、たったの1万円であることを知り愕然とします。
自分の人生に価値がないと悲観したクスノキは、30年分の寿命を売ってしまいました。30万円を受け取り、残り3ヶ月となった人生をどうやって生きていこうかと思案します。そんなクスノキには、査定を担当したミヤギという女が、監視員としてつくことになりました。監視員の姿は他の人間には見えません。行動を共にするうち、クスノキはミヤギの意外な真実を知ることになり……。
- 著者
- 三秋縋
- 出版日
- 2013-12-25
「自分の人生にいくら程の価値があるのか?」と、1度は考えたことがある方も多いのではないでしょうか。この作品では、何をやってもうまく行かず、人には裏切られ、すっかりネガティヴになった主人公の感情が、静かに淡々と語られていきます。ですが、価値がないと明確に示された主人公が、1人の女性との出会いをきっかけに変わっていく様子に、強く胸を打たれます。
悲観的な人生を送ってきた主人公が、大切なことに気づき、日々を輝かせていく姿に感動を覚え、同時に残された時間を思い、読んでいてどうしようもなく切なくなってしまうのです。先の展開がわからず、ハラハラしながら読み続け、ラストには思わず涙する素敵な物語です。日々の生活に少し疲れてしまったという方は、本書を読むと勇気をもらえるかもしれません。
『失はれる物語』は日常の生活を舞台に少し不思議な設定が加わった7作の短編集。どの短編も話の設定や構成が巧みで展開が面白いです。その中でも特に心に残る2作品を紹介します。
「手を握る泥棒の物語」は他の短編が少し暗さを感じる中で、コミカルで良いアクセントになっているほっこりする作品です。主人公の俺は友人と2人でデザイン会社をやっていて、昔から時計が大好きな俺は腕時計のデザインを手がけています。しかし最初にデザインした腕時計の売り上げが不調で、自信作の第二弾を生産し売り出す余裕がなくなってしまいます。
そんな中、俺は温泉宿に泊まりに来ている裕福な伯母のネックレスを盗むことを決意し実行するという展開です。人生はなにがきっかけで好転するかわからないから面白いなと思えます。ラストも爽やかで素敵です。
- 著者
- 乙一
- 出版日
「マリアの指」は伏線が張り巡らされた切ないミステリーです。ラストは衝撃的で色々な伏線に気付きぞっとしました。ある夏の終わりの夜に、鳴海マリアが陸橋の線路上に倒れ自殺します。鳴海マリアは主人公僕の姉の友人でとても美しく特別な子でした。自殺から3日後、野良猫が僕の家の庭に鳴海マリアの指を拾ってきます。そして僕はその指の爪から鳴海マリアが殺されたのではないかと疑念を抱き、鳴海マリアの友人に会って真相を明らかにしていきます。
話の展開も驚くことが多くて面白いですが、それだけでなく人に裏切られること、人を信じること、人は変わるのかというテーマも投げかけられていて良質なミステリーです。
『失はれる物語』では絶望したくなるようなことに、どう向き合っていくか短編ごとに描かれています。人に裏切られてつらく悲しく、信じることを拒絶したくなりますが、それでも人を信じて交流していく中で、胸が締め付けられるくらいの素晴らしい幸せも訪れるということを教えてくれます。
暗い背景や過去を持った主人公たちですが、そんな主人公たちに一筋の光が指す希望の持てる短編集です。
二十歳の「わたし」はある夏の日、サイダーを作る工場で、機械に挟まれて薬指の先の肉片をほんのわずか失ってしまいます。それから工場をやめた「わたし」は住宅地にある標本室で、事務員をすることになります。そこで働いているのは、標本技術士の弟子丸氏だけでした。
季節は夏であるはずなのに、どこかひんやりとした静謐な空気がずっと流れていて、セピア色のフィルターを通したようにストーリーが進む中、弟子丸氏がプレゼントしてくれた「わたし」の足にぴったりの黒い革靴の奇妙な存在感を放っています。
- 著者
- 小川 洋子
- 出版日
- 1997-12-24
この話には、好きだとか愛しているなどという言葉は出てきません。ですが、すぐに靴を脱がないと靴からも彼からも逃げられなくなるぞという警告を受けても、「自由になんてなりたくない、このまま標本室で彼に封じ込められていたい」と言った「わたし」の気持ちは、そういう言葉よりも重みを感じられます。
自分の体が消えてしまっても、愛する人に封じ込められていたい、 そう願って標本室に消えていった「わたし」。 あなたはそんな永遠の愛を選べますか?
この作品を恋愛小説のカテゴリに入れるのは、若干抵抗があります。なぜならこの作品は、角川ホラー文庫から出版されているからです。それでも読んでいただければ、確かにこれは恋愛小説だとわかっていただけると思います。
三井は学生時代に一度だけ会話を交わした憧れの存在、千尋のことをふと思い出します。そして彼女の自宅を調べ出し、近くに引っ越し、様子を窺うようになります。
- 著者
- 大石 圭
- 出版日
- 2001-03-09
すでに結婚していて子供もいる千尋は、夫に暴力を振るわれており、昔の面影はありませんでした。そんな千尋を、三井はなんとか助けたいと思い……。
タイトルにある通り三井は家に忍び込み、夫婦のベッドの下に潜みながら、千尋のサポートをします。はっきり言えばストーカーです。ですが、暴力を振るわれて逃げることもできない千尋を救いたいという純粋な三井の思いは、ひどく胸を打ちます。
最初は少し抵抗感を持って読んでいても、いつの間にか三井を応援してしまうのです。千尋への真っ直ぐな想いがだんだんと共感できるように描かれています。この純愛のお話をお楽しみください。
23歳OL・美緒は絵に描いたような「可愛い女」。結婚も秒読みの恋人・健太郎との関係も良好で順風満帆。しかしそんな中、元同僚・早介と関係を持ってしまい、次第に彼へと気持ちが移っていきます。
著者・椰月美智子らしいリアルさが魅力の、これぞ『恋愛小説』と呼ぶにふさわしい作品。あまりにもストレートなタイトルですが、本作にはこれ以上に馴染むタイトルはないでしょう。
- 著者
- 椰月 美智子
- 出版日
主人公の浮気から始まるストーリーですが、恋愛の楽しさや駆け引き、嫉妬や嫌悪感など、夢物語のように綺麗なだけでは語れない人間臭さに注目していただきたい作品です。浮気や不倫など非道徳的な愛に憧れる方は、特に共感する部分も多いのではないでしょうか。「共感できない」という方も本作から自分と異なる「恋愛感」を探ってみるのも良いかもしれません。
自ら邪道の愛に走った主人公、彼女を取り巻く男達や家族、その行く末は……。モテる女のリアルな恋愛小説。結末はぜひご自分の目で見届けてください。
おしゃれや体重の増減に気を使い、テスト前だけ勉強もして高校生活をほどほどに楽しんでいる愛は、クラスメイトの西村たとえに恋をしています。たとえは秀才ですが人と群れず、どこか陰のある存在です。ひょんなことから、たとえが、持病をきっかけにクラスで浮いてしまった美雪と長く付き合っていることを知った愛は、思いがけない行動に出るのでした。
- 著者
- 綿矢 りさ
- 出版日
- 2015-01-28
女子高生のありふれた恋愛ストーリーが始まりそうな印象の冒頭ですが、中盤からは想像を超えた怒涛の展開になっていきます。愛の中には何をしても本気になれない、鬱屈としたものがあります。しかし人知れない激情もまた存在していたのです。女性としてたとえを揺さぶることが出来ないと知った愛は、歪んだ恋情からせめて彼を傷つけたいと願います。そしてそんな愛を、たとえは彼女の本質を突く言葉で罵倒するのでした。
登場する三人にはそれぞれ弱い部分があり、それが徐々に浮き彫りになっていきます。もがき、互いに傷つけあう中で愛の中に浮かんでくる言葉「ひらいて」。これはたとえから愛に向けた言葉なのかもしれません。もしくは美雪に。あるいは美雪からたとえに向けた言葉だったかもしれません。もしくは愛から美雪に。
狂気じみた激情のあとに、愛の中には愛情でも友情でもない、でも存在感のある確実な何かが残ります。
「私は二人と共に行くだろうか。いや、決して行かない。行かなくてもいい、ということを、二人が最大の方法で教えてくれたから」(『ひらいて』より引用)
たとえや美雪の持つ弱さは、環境が変われば克服しやすい種類のものです。しかし、愛が抱えているのは自分の内にあるもの、出て行っても変わらないものなのです。愛は2つの苦い恋を通して、ひらくことが必要だと感じます。
単純な恋愛物を超えた、明確な答えのないラストですが、それだけに深く考えさせられるものがあります。何度も読み返したくなる作品です。
文四郎とふくは3つの歳の差がありますが、隣家同士の幼馴染です。ふくが蛇に噛まれ、文四郎がその毒を吸い出してやるところから物語は始まります。幼い頃は話もし、一緒に祭に行ったりする2人ですが、自らの淡い恋心に気付く前に、藩に起こった事件がそれぞれの道を遠く離してしまうのでした。
- 著者
- 周平, 藤沢
- 出版日
文四郎の父は藩のお世継ぎ問題に巻き込まれ切腹させられてしまいます。罪人の子となった文四郎ですが、父の無実を信じ誇り高く生きていくのです。一方のふくは江戸屋敷に奉公に上がったところ、殿のお手がついて側室になり、言葉を交わすことさえはばかられる遠い存在になってしまうのでした。
少年と少女だった2人は思いがけない運命に翻弄されながらも、淡い気持ちを胸にそれぞれ成長していきます。二十数年を経て再会した2人は互いの想いを確かめ合い、そして別れるのです。2度と会うことはないであろう再会。見なければよかった、記憶が薄らぐまで苦しむかもしれないと思いつつも、文四郎の胸は不思議な満ち足りた気分が満ちているのでした。
美しい情景描写が、淡い恋を胸に秘めつつもそれぞれの行くべき道を進む2人に花を添えます。生死や結婚に至るまで藩や家に翻弄されるという今では考えられない時代ですが、すべてを受け止め、自ら行くべき道を歩みながらも恋を確かめ合う2人に清々しさをもらえます。
2度のドラマ化、映画化、宝塚でのミュージカル化、さらに少女マンガ化もされるなどかなり話題になった作品です。
芸妓染乃の波乱の一生を描いた大作。時は明治38年。日露戦争中の日本の元に捕虜となったロシア兵がやってきます。金沢の芸妓染乃は暴徒に乱暴されそうになったところをロシア仕官イワーノフ少尉に助けてもらい、これが縁で彼の妻となります。
敵国である国の軍人の妻ということで、非難の目にさらされる染乃。さらに芸妓時代彼女に入れあげていた客から恨みを買い、ヤクザに攫われ陵辱を受けた末、娼婦としてヴラジヴォストークに売り飛ばされてしまいます。その苦境を脱し、テロリストとして囚人となったイワーノフとの奇跡の出会いを果たした後も、さらなる戦争の波に巻き込まれていくことに……。
- 著者
- 五木 寛之
- 出版日
- 2010-08-25
次々と襲い掛かる時代の波と過酷な境遇の中でも、生き抜いていく染乃の姿は魅力的です。
また今まで何の縁もなかった異国の人が暖かく助けてくれるシーンが何度となくあり、世の中捨てたもんじゃないと思わせてくれるヒューマンドラマでもあります。
この作品の舞台は、多くの作品の舞台となっている、信州・上田です。主人公の宮武淳蔵は、仕立て屋をしています。昔の親友の高瀬からの誘いにより、淳蔵は久しぶりに上田に訪れました。
上田に行くことに消極的な淳蔵でしたが、そこで昔好きだった女性と出会います。年を重ねた二人を取り巻く関係の物語です。
- 著者
- 藤田 宜永
- 出版日
久しぶりに上田に帰ってきた宮武を待っていたのは、高瀬によって乗っ取られた父親の旅館と、高瀬の妻になった美保子だったのです。
旅館は奪い返すことが出来ず、美保子は病気も抱えていて、どちらも昔の姿は感じられません。しかし、美保子と宮武、二人の気持ちは昔に引き戻されていきます。
そんな中、宮武は若い女性のことが気になってしまいました。関係をもつものの、結局結婚はせず、何となく秘密の関係を築きます。大人の関係、とはまさしくこの事をいうのでしょうか。
この作品の見どころは、田舎でありどこか異質な空間である上田を舞台としていることと、男女の関係がうまくマッチしていることです。
宮武だけでなく、周りの男女も、なんともモヤっとした関係を築いています。狭い人間関係の中で繰り広げられる物語に、田舎である上田の閉鎖的な空間がよく合っているといえるでしょう。
はたして、高瀬はなぜ宮武のもとに会いに来て、上田へ連れ戻したのか、愛の領分とはいったい何なのか。結末にその真相が明かされます。ぜひご一読ください。
イラストレーターとして活躍している木の葉に、かつての恋人でもあるアラシから届いたのは一遍の物語でした。自分が書いた絵本に挿絵を描いてほしいとの依頼から2人の人生が再び交錯していきます。
幾度も出会いと別れを繰り返しながらも、お互いを想い合う2人の恋愛を描いた作品です。2人の創る『泥棒猫と遊牧民』と現実の話がリンクして進んでいき、心にキズを抱えるアラシの想いが作品から伝わります。
最後に2人が出す答えとは……。
- 著者
- 小手鞠 るい
- 出版日
離れていてもどこかでお互いを想い合い、時と距離を超えて物語は進みます。つかず離れずの距離感に、こういう想い方もあるのかと気づかされることでしょう。
作中に登場するもう1つの作品がお話に深みを与え、読み手の心に何かを訴えかけます。読み手によって受け取り方は様々ですが、自分が受け取った思いを大切にしたいと思わせてくれる作品です。
泣ける恋愛ライトノベルといったら必ず名が上がるほど有名になった青春ラブコメ『とらドラ!』です。ライトノベルと聞くと、中高生向けの小説と思われるかもしれませんが、本作は大人が読むに耐える作品となっています。
目付きが悪くヤンキーと勘違いされ「ヤンキー高須」として怖がられている高須竜児と、小さいながら気が強く「手乗りタイガー」として校内では恐れられている逢坂大河。
- 著者
- 竹宮 ゆゆこ
- 出版日
- 2006-03-25
このふたりが高校二年生になり同じクラスになったとき、とあることがきっかけでお互いの好きな人がバレてしまいます。そしてふたりはそれぞれの恋を応援する協力関係を結びます。しかし恋に協力し合ううちに心はお互い惹かれていって……。
恋愛の話のみならず、家族といったテーマが据えられておりそれが物語を更に盛り上げます。家族関係でうまくいかない大河と、自分の将来のことで母親と折り合いがつかない竜児。思春期の複雑な精神状態と家族との関係が描かれています。
お互いが好きな人への恋を成就させるために助け合うといった物語の傑作となっています。好きな人と結ばれるのも幸せですが、一番そばに居た人とに惹かれていくのも当然。そんなことを自然に思えるくらい、ふたりの交流が丁寧に描かれたラブコメライトノベルの傑作です!
横暴な姉たちから逃げ、広島の高校へと進学した松永四郎。寮のルームメイトとなったのは、体は女性であるものの、男として入学してきた性同一性障害の織田未来。四郎は、行動力の高い未来に引っ張られる形で女の子と遊んだりバイトをしたりと楽しく過ごします。
困惑しながらも男として接するように気を付ける四郎ですが、未来と楽しく過ごすうちに未来に対する想いは友情以上のものへと変化をしていきます。男として接してくれる男友達を未来が望んでいることを知っている四郎は、未来を女として意識している自分に気づき……。
- 著者
- ["森橋ビンゴ", "Nardack"]
- 出版日
恋愛小説に留まらず、性同一性障害に正面から向き合っている作品。体は女、心は男である織田未来がヒロインとして描写されず、しっかりと男として描かれています。
恋は心でするのか、体でするのか悩む四郎。友人でいたいと願う未来に気持ちを伝えることはできないとさらに悩みます。四郎の葛藤はもちろん、未来の抱える性同一性障害についての悩みもしっかりと描かれていることを忘れてはいけません。しっかりと男として描かれる未来の葛藤がこの作品を性同一性障害に正面から向き合った作品にしています。
5巻で打ち切られた『この恋と、その未来』ですが、ファンの声により完結巻となる6巻も出版されました。ラブコメで終わらない作品だからこそ、この二人の関係を見届けたいと多くの人が感じたのかもしれません。
江國香織による至高の恋愛小説『神様のボート』は、去っていった「あの人」との再会を信じ、転々と引っ越しを繰り返す女性と、その娘の物語です。著者の江國が「私の書いたもののうち、いちばん危険な小説」だと語る本作は、「骨ごと溶けるような恋」に魅了された女性の、静かで穏やかな狂気が描かれた作品です。
母親の葉子は、昼間は自宅でピアノの講師としてレッスンをおこない、夜はバーでホステスをしています。娘の草子はもうすぐ10歳。葉子が幾度となく住む町を変えるので、そのたびに草子も転校を繰り返してきました。
「かならず戻ってくる。どこにいてもかならず葉子ちゃんを探し出す」。「あの人」はそう約束して去って行きました。その約束を信じ続ける葉子は、1つの場所に留まることを嫌い、町になじむことを嫌っていたのです。葉子は、「あの人」との思い出話を草子にたびたび聞かせ、草子は会ったことのない父親にいつか会えるのだと信じていました。
- 著者
- 江國 香織
- 出版日
- 2002-06-28
物語は、母娘2人の視点を交互に変えながら進んでいきます。何か大きな事件や問題が起きることはなく、町から町へと流れるように移動する母娘の姿が綴られるのですが、その文体がとても心地よく、知らぬ間に物語の世界に引き込まれてしまいます。溶けるような恋をしていた過去の描写は本当に美しく、うっとりと憧れるような素敵な恋が描かれています。
いつまでも愛する人を想い、時間が止まっているかのような母親と、どんどん成長し、少しずつ現実を見るようになる娘との対比が、切なく印象に残り、母娘の幸せを願わずにはいられません。読後、なんとも不思議な余韻に包まれ、物語の先を想像してみたくなる作品です。