産業革命によって、人類はこれまでにないほどの生産力を手に入れました。 機械化された工場と果てしなく堆積する商品…。 資本主義経済に基づき実現した光景は、まさに人類の夢でした。 その一方、街の隅々に今もなお残る貧民街を見るとき、疑問が湧いてきます。 なぜこれほどの生産力を持ちながら、なお貧困は存在するのでしょうか。 こうした疑問を抱き、資本主義経済の矛盾に迫ったのがケインズでした。 今回の記事ではケインズの問題意識と、貧困を解明しようとした理論について解説したいと思います。

私たちの経済活動は、実際はとてもシンプルな「交換」の繰り返しで成り立っています。
しかしシンプルさゆえに、一度歯車が狂うと恐ろしい結末(不況)を招くのです。
ケインズは経済を機械のようなシステムとして捉え直し、そこにある「バグ」を見つけ出しました。彼が解き明かした資本主義の仕組みと、その修理方法について見ていきましょう。
まず経済の基本ルールを確認しましょう。それは「誰かの支出は、誰かの所得になる」という絶対的な真理です。
家計(私たち)と企業の関係で考えてみます。 私たちが企業で働き、労働力を提供して給料を100万円もらったとします。
そして、その100万円を使って企業が作った商品を買います。 すると企業の手元には売上として100万円が戻ってきます。企業はこのお金を使って、再び私たちに翌月の給料100万円を支払うことができます。
このようにお金がグルグルと回っている限り、景気は安定し、みんなが幸せに暮らせます
重要なのはお金の量ではなく、お金が「どれだけ勢いよく回っているか」です。 私たちがパッとお金を使えば、それが企業の売上になり、巡り巡って誰かの給料になる。消費こそが次の生産を生み出すエンジンなのです。
ところが、この完璧に見えるサイクルには落とし穴があります。 ケインズが発見したバグ、それは「貯蓄」です。
わかりやすく「毎月100円のお小遣いをもらう小学生の村」で例えてみましょう。
もし全員がもらった100円をその月のうちに全額使えば、駄菓子屋も文房具屋も大繁盛です。村の経済は安泰でしょう。 しかし、ある子どもが「将来が不安だから」といって、100円のうち20円を貯金箱に入れたらどうなるでしょうか?
お店の売上は80円に減ってしまいます。
「あれ、今月は売上が減ったな。在庫が余ってしまった」と思った店主は、来月の仕入れを減らすでしょう。
するとお菓子工場や文房具工場での仕事が減り、そこで働く人たちの給料(お小遣い)も減らされてしまいます。 給料が減った人たちは、さらに財布の紐を固くして貯金を増やそうとするかもしれません。
一人が将来のために行う「賢い節約」が、みんなで行うと「全体の貧困」を招いてしまう。
これを経済学では「合成の誤謬(ごびゅう)」や「節約のパラドックス」と呼びます。 お金は使わずに止めてしまうと、その瞬間に経済という血液の流れが滞り、社会全体が酸欠(不況)に陥るのです。
では、貯金をしてはいけないのでしょうか?
ケインズは貯金そのものを否定したわけではありません。「貯金されたお金が、そのまま眠っていること」を問題視したのです。
先ほどの話に戻すと、貯金箱に入った20円が「投資」に使われていれば話は別です。
たとえば、その20円を借りて新しい工場を建てたり、新商品を開発したりする場合です。これなら消費に使われなかった20円も、形を変えて市場に戻ってきます。
消費(80円)+投資(20円)=100円。
これなら合計100円の需要が維持されるため、経済は縮小しません。
しかし不況のときは企業も弱気になっています。「新商品を作っても売れないだろう」と考え、誰も投資しようとしないのです
ここにお金が余っているのに使われない「需要不足」の状態が生まれます。
そこでケインズは「民間企業が怖がって投資しないなら、政府が代わりにやるしかない」と結論づけました。
ケインズの提案は「不況期には、政府が借金をしてでも公共事業を行え。道路や橋を作れ」という過激なものでした。
もし作るものがない場合、彼は冗談めかしてこう言っています。
「政府が古い炭鉱に現金を埋めて、それを企業に掘り出させてもいい」。
いわゆる「穴を掘って、また埋める」だけの無意味な事業であっても、何もしないよりはマシだというのです。
なぜなら穴掘り作業員に給料が支払われるからです。 給料をもらった作業員は、パンを買い、ビールを飲みます。するとパン屋と酒屋が儲かり、彼らもまた新しい靴や服を買うでしょう。
政府が最初に投じたお金は、次々と人の手に渡り、何倍もの経済効果(乗数効果)を生み出します。
もちろん本当に無駄な穴掘りをするよりは、ダムや道路など役に立つものを作ったほうが良いに決まっています。
しかしケインズが伝えたかったのは「とにかく眠っているお金を叩き起こして、循環の中に放り込め」という強烈なメッセージだったのです。
こうして政府が市場に介入して景気をコントロールする「修正資本主義」の道が開かれました。
さらにケインズは、税金を使った「所得の再分配」も経済を回すための重要な装置だと考えました。 これは単なる弱者救済の道徳論ではなく、経済効率のためのドライな論理に基づいています。
たとえば大富豪がさらに100万円をもらったとしても、すでに欲しいものは持っているので、その多くは貯金に回るでしょう。
その一方、明日の生活にも困っている人が100万円をもらったらどうでしょうか? おそらく、そのほぼ全額をすぐに使い切るはずです。食料、衣服、家電……。
つまりお金を貯め込みがちな富裕層から、使う意欲の高い低所得層へお金を移転させることで、社会全体の「消費するパワー」を底上げできるのです。
消費が増えれば、企業の売上が伸び、巡り巡って富裕層(企業のオーナーなど)も潤うことになります。
ケインズに従えば再分配とは、経済エンジンをふかして金持ちも含めた全員を豊かにするためのシステムなのです。
ケインズの理論は、当時勢力を拡大していた社会主義(共産主義)への対抗策でもありました。 1920年代、哲学者のバートランド・ラッセルはソ連を訪問した後、「ボリシェヴィキの思想は危険な幻想だ」と見抜きました。
人間を無理やり理想の型にはめようとする社会主義は、やがて自由を窒息させると予言したのです。
同じようにケインズも、完全な自由放任(市場任せ)では失業者が溢れ、かといって完全な計画経済(社会主義)では自由が失われることを理解していました。 だからこそ資本主義のダイナミズムを維持しつつ、政府がブレーキとアクセルを調整する「第三の道(修正資本主義)」を選んだのです。
今日の私たちが当たり前のように享受している「不況対策としての公共事業」や「社会保障システム」。
これらは資本主義という暴れ馬を乗りこなそうとした、ケインズによる「知恵の結晶」といえるでしょう。
伊藤 宣広(2023)『ケインズ − 危機の時代の実践家』岩波書店
- 著者
- 伊藤 宣広
- 出版日
投資家でもあったケインズは、金本位制下では投機が活発化し、不安定な金融市場を冷静に洞察していました。対独賠償問題から大恐慌までの「難問」に直面しながらも「合成の誤謬」を打ち破り、「節約のパラドックス」を克服しました。そこから「有効需要の原理」も生まれます。
利上げによる金融安定第一主義の結果、不況と失業が広がります。ケインズの関心はいつも金融と貨幣にあり、国際決済構想もその一つです。「失業の原因は人々の貨幣愛」と断じたケインズが示唆したのは、財政出動による貨幣の財・サービスへの投入であり、これが『一般理論』の真骨頂です。
時代の状況に闘いながら、思想を完成させたケインズの群像が、著者ならではの視点で浮かび上がってきます。私たち「危機の時代」に生きる者にとって、そのメッセージは小さくありません。
根井 雅弘(2022)『今こそ読みたいケインズ』集英社
- 著者
- 根井 雅弘
- 出版日
ケインズ革命の本質とは資本主義の擁護に他ならない。自由放任を否定しつつ自由主義の再生を目指したケインズが示したのは、国家による経済管理で資本主義を安定化させる方法だ。有効需要の拡大→供給面の刷新→更なる需要拡大の好循環を構想したことが注目すべきポイントである。
ケインズが提唱したのは、単なる一時的な不況対策ではありません。産業育成政策と連動した中長期的な総需要の拡大政策こそが、ケインズ経済学の真の目的でした。
具体的には、公共投資の拡大や低金利政策によって民間設備投資を誘導する「投資の社会化」を通じて、新技術開発と産業高度化を促進しようとしました。これによって経済成長を加速させ、結果としてより高度な資本主義社会の実現を目指したわけです。
したがってケインズの考え方は、単純なマクロ経済学の枠組みを超えており、自由と多様性に満ちた資本主義の再生を構想していたと言えます。
好きなことをやり続けたケインズが資本主義と自由を愛したはずです。危機にある資本主義を前に、今こそケインズから学ぶべき多くのことがあるのではないでしょうか。
永濱利廣(2020)『MMTとケインズ経済学』ビジネス教育出版社
- 著者
- 永濱 利廣
- 出版日
本書を通じて、MMTと呼ばれる「現代貨幣理論」が120分でよく理解できます。MMTとは自国通貨発行国には財政の極端な赤字化を恐れる必要がないとする斬新な理論体系です。 完全雇用を実現する責任は常に財政政策にあり、金融政策は従属的な位置づけに過ぎないとします。
この理論はケインズから続く主流派とは真っ向から対立する見解です。MMTのロジックを「流動性の罠」「政府の予算制約」など、経済学的概念と照らし合わせながら平易に解き明かそうとする本書。新自由主義への有効な批判理論を学びたい読者に、ぜひおすすめの1冊になります。