5分で分かるケインズの哲学|格差是正と経済成長の両立は可能なのか?|元教員が解説

更新:2024.12.27

産業革命によって、人類はこれまでにないほどの生産力を手に入れました。 機械化された工場と果てしなく堆積する商品…。 資本主義経済に基づき実現した光景は、まさに人類の夢でした。 その一方、街の隅々に今もなお残る貧民街を見るとき、疑問が湧いてきます。 なぜこれほどの生産力を持ちながら、なお貧困は存在するのでしょうか。 こうした疑問を抱き、資本主義経済の矛盾に迫ったのがケインズでした。 今回の記事ではケインズの問題意識と、貧困を解明しようとした理論について解説したいと思います。

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家計と企業

ケインズの経済学では、国民経済全体を大きく「企業」と「家計」の2つに分けて考えます。

家計とは、労働者や消費者など国民一人ひとりの経済活動のことです。企業とは、商品やサービスを生産し、売って利潤を上げる全ての事業体のことです。

家計は自分の労働力を企業に提供します。その見返りとして、企業から賃金が支払われます。

例として、家計が持つ賃金収入の総額を100として考えてみましょう。

企業はどうやって利益を上げるのでしょうか。自社が生産した商品やサービスを市場で売ることによってです。つまり企業は家計から提供された労働力を使って商品やサービスを生産し、それを売ることで賃金分である100の資金を獲得しているのです。

その一方、家計は自身の所得である100を使って、企業が提供する商品やサービスを購入します。すると、そのお金がまた企業の収入となり、賃金の形で家計に還元されることになります。

このように「企業」と「家計」の間で、お金がグルグル回ることで全体の経済が動いていると考えるのが、ケインズ流のマクロ経済学的視点なのです。

不況の原因とは?

まずケインズは、家計が所得の全てを消費に回せば、不況にはならないことを説明します。企業は生産した商品やサービスをすべて売り切ることができるためです。

しかし実際には、家計は所得の一部を貯蓄に回します。例えば所得100に対して、消費に80を回し、残り20を貯蓄することが多いです。これが問題なのです。

消費を控える分だけ、企業の商品は売れなくなります。需要が減れば企業は生産を減らさざるを得ません。すると余剰人員が発生し、雇用が削減されていきます。つまり、家計の貯蓄が不況と失業の原因の一つになるのです。

だからこそ、新たな設備投資や事業拡大による「投資」が必要になってきます。貯蓄20に見合う投資20があれば、消費水準は回復します。

しかし十分な投資がなければ、需要や生産水準が低迷したままの「不完全雇用均衡」、つまり失業が存在する均衡がつくられてしまうのです。

この話をもう少し簡単に説明してみます。

  1. 家の中でのお小遣いが100円だったとします。その中から、80円はお菓子(おやつ)に使い、20円は貯金箱にしまうことにしました。
  2. しかし多くの人が20円ずつ貯金すると、貯金した分だけお店の商品が売れなくなってしまいます。
  3. ただし、もし誰かが新しいおもちゃやゲームを作るために、貯金した20円を投資するならば...。80円のお菓子代と、新しいおもちゃやゲームに使う20円を合わせると、100円ちょうどになります。
  4. しかし、新しいおもちゃやゲームに投資するお金が10円しかないと、結果的にお店の商品は90円分しか売れなくなってしまいます。
  5. そうなると、お店は商品を少なくして、店員さんも少なくしないといけません。

 

この状態が「不完全雇用均衡」です。お金自体は十分あるのに貯蓄によって、少しずつお金が循環しなくてなってしまうのです。

ケインズ経済学の骨格とは?

これまでの話をまとめましょう。

ケインズの考えでは、不況が起きる主な理由は、投資が貯蓄よりも少ないからだと言えます。

では、なぜ投資が足りないのでしょうか?

その理由は、民間企業がこれからの景気に対して不安を感じているためです。そのため企業は投資を控えるようになります。

民間企業の投資が足りないとき、ケインズは政府が投資をすべきと考えました。

民間企業の投資が10円だけで景気や雇用の回復には不十分な場合、たとえば政府は公共事業(投資)を行い、新しい道路や橋を建設することが考えられます。公共事業によって、需要の不足は補われ、景気も上向きになることが期待できます。

もし政府の投資が10円だとしたら、国全体の需要は「個人消費80円+民間の投資10円+政府の投資10円」となり、合計で100円となります。

「需要が増えることに伴い、生産も増え、雇用の状況も改善する」とケインズは考えたのです。

簡単に言えば、これがケインズの経済学の要点です。

投資の社会化について

ケインズは、投資の増減が経済成長を左右すると指摘しました。投資が減ると不況になり、投資が増えると景気が良くなる。

しかし民間企業だけでは、投資の変動が大きすぎます。好況の時期に無理な設備投資をして、のちに破綻する企業が続出することも珍しくありません。

そこでケインズは、国が投資をコントロールする「投資の社会化」を提唱しました。具体的には、景気拡大期に企業の設備投資を抑制し、景気後退期に積極的な公共事業を行うことで経済変動を抑えようというアイデアです。

ただし課題もあります。公共事業で生み出されたモノを売る必要が出てきますが、需要を作り出すのは困難です。このジレンマを回避するため、ケインズは「穴掘り埋め戻し」のような事業を提案します。

「穴掘り埋め戻し」とは、無駄な公共事業のことを意味します。

具体的には、政府が失業者を雇い、どこかの土地に大きな穴を掘らせる。掘った穴には何もしないで、また別の失業者を雇って穴を埋め戻させる。こうしたまったく意味のない作業を通じて、失業者に賃金を支払おうというアイデアです。

ケインズがこのアイデアを出したのは、政府主導の公共事業で生み出された成果を売る必要が生じたとき、需要をいかに創出するかというジレンマがあるからです。「穴掘り埋め戻し」なら、生産性がゼロであるためこのジレンマを避けられます。

ただし莫大なコストがかかる無駄な事業であることは明らかです。ケインズの主張には、このような課題もあります。

所得の再分配について

ケインズは「所得の再分配」という政策も提唱しています。ここで言う再分配とは、税制などを通じて所得格差を是正し、全体の消費を刺激することです。

金持ちほど消費性向が低く、貯蓄に回す割合が大きい一方で、貧しい人ほど消費性向が高く、所得のほとんどを消費に充てます。だから所得再分配を行うことで、全体としての消費水準を引き上げられるのです。

こうしてお金がグルグル回ることで、雇用と成長に好影響を与えます。

ただし注意点もあります。

金持ちの貯蓄から民間企業の設備投資などが行われている場合、所得再分配に実益はないという意見があります。

例えば、富豪が100億円の貯蓄をしていて、そこから企業が工場を建設する資金を調達しているとします。

この場合、100億円は単に蓄えられているだけでなく、実際の投資に回されています。新しい工場を建てることで、雇用や成長につながっているからです。

したがって、所得再分配をして富豪の貯蓄を減らすと、むしろ経済にマイナスの影響を及ぼしかねません。

近年では「ベーシックインカム」などの議論が盛んですが、まだまだ議論の余地が多く残されているでしょう。

修正資本主義と社会主義

「所得の再分配」などの主張を見ると、ケインズの中に社会主義的な要素を垣間見ることができます。しかし彼は、ソ連のような社会主義体制には賛成していませんでした。

資本主義に基づく自由主義経済では、失業問題が解決できないことは明らかであり、ある程度の国家による介入は必要不可欠だと考えていました。

ただしボリシェヴィキのような独裁国家は、自由と効率性を過度に犠牲にしてしまう弊害があるとみていました。

そこでケインズが提示したのが、民間企業をベースとしつつ、国家が適度に経済活動を補完する「修正資本主義」でした。効率性を保ちつつ、所得再分配などで福祉を充実させることで、失業という資本主義の病理を治癒しようとする試みです。

この構想が戦後の福祉国家の理念的基盤となり、現代世界の基盤を形作ることになったのです。

ケインズのソ連訪問と淡い期待

1925年の夏、ケインズはロシア革命後のモスクワを訪問しています。

理由は二つありました。一つはケンブリッジ大学代表としてロシア科学アカデミーの式典に参加すること。もう一つは、ロシア人妻の親族に挨拶するためです。

ケインズの奥さんはロシア人のバレリーナでした。別の夫がいましたが、不倫関係の末にケインズと結婚しました。

当時、多くのヨーロッパ知識人が共産主義・ソ連を訪れていました。

資本主義に幻滅していた彼らは、金銭的価値観とは異なる新しい文明であるソ連に期待していたのです。ケインズもまた、自由よりも道義的価値を重視する文明が生まれる可能性を内心期待していたのでした。

ウィトゲンシュタインとラッセル

1935年の夏、当時ケンブリッジ大学で哲学を教えていたウィトゲンシュタインは、突如ロシアへの移住を宣言しました。大学教師を深く恥じていた彼は、共産主義の道徳的価値観に魅かれ、ソ連での労働を夢見ていたのです。

マルクス主義という理論体系自体には否定的でしたが、ソ連の新しい文明がトルストイ的な禁欲主義を体現できる可能性を期待していました。ケインズらとのコネを駆使して渡航したものの、工場や農場での肉体労働への配属要望は叶わず、結局ケンブリッジへ帰国することになりました。

1920年、穏健な社会主義者でもあったバートランド・ラッセルは、1ヶ月にわたってソ連を訪問しました。

レーニンやトロツキーとも面会を果たしています。帰国後、ラッセルはソ連の共産主義体制には未来がないと断言する『ロシアの共産主義』を発表しました。

ラッセルによると、ボリシェヴィキ(マルクス主義)の大きな問題点は経済学ではなく、その根底に潜んでいる哲学にあります。

世界が抱える問題や苦しみを全て解決できるような万能薬など存在しません。人間を無理やり「完全な共産主義者」に変えようとする試み自体が、理想主義的な幻想であり、危険な思想であると警鐘を鳴らしました。

またラッセルは、ボリシェヴィキが築く体制と「プラトンの共和国」に深い類似点を見出します。結果としてボリシェヴィキは破滅するか、理想を捨て去りナポレオン的な帝国体制へと変質する可能性を予言しました。

残念ながら、ラッセルの予言は的中したと言えるでしょう。

ケインズを理解するためのオススメ書籍

伊藤 宣広(2023)『ケインズ − 危機の時代の実践家』岩波書店

著者
伊藤 宣広
出版日

投資家でもあったケインズは、金本位制下では投機が活発化し、不安定な金融市場を冷静に洞察していました。対独賠償問題から大恐慌までの「難問」に直面しながらも「合成の誤謬」を打ち破り、「節約のパラドックス」を克服しました。そこから「有効需要の原理」も生まれます。

利上げによる金融安定第一主義の結果、不況と失業が広がります。ケインズの関心はいつも金融と貨幣にあり、国際決済構想もその一つです。「失業の原因は人々の貨幣愛」と断じたケインズが示唆したのは、財政出動による貨幣の財・サービスへの投入であり、これが『一般理論』の真骨頂です。

時代の状況に闘いながら、思想を完成させたケインズの群像が、著者ならではの視点で浮かび上がってきます。私たち「危機の時代」に生きる者にとって、そのメッセージは小さくありません。

根井 雅弘(2022)『今こそ読みたいケインズ』集英社

著者
根井 雅弘
出版日

ケインズ革命の本質とは資本主義の擁護に他ならない。自由放任を否定しつつ自由主義の再生を目指したケインズが示したのは、国家による経済管理で資本主義を安定化させる方法だ。有効需要の拡大→供給面の刷新→更なる需要拡大の好循環を構想したことが注目すべきポイントである。

ケインズが提唱したのは、単なる一時的な不況対策ではありません。産業育成政策と連動した中長期的な総需要の拡大政策こそが、ケインズ経済学の真の目的でした。

具体的には、公共投資の拡大や低金利政策によって民間設備投資を誘導する「投資の社会化」を通じて、新技術開発と産業高度化を促進しようとしました。これによって経済成長を加速させ、結果としてより高度な資本主義社会の実現を目指したわけです。

したがってケインズの考え方は、単純なマクロ経済学の枠組みを超えており、自由と多様性に満ちた資本主義の再生を構想していたと言えます。

好きなことをやり続けたケインズが資本主義と自由を愛したはずです。危機にある資本主義を前に、今こそケインズから学ぶべき多くのことがあるのではないでしょうか。

永濱利廣(2020)『MMTとケインズ経済学』ビジネス教育出版社

著者
永濱 利廣
出版日

本書を通じて、MMTと呼ばれる「現代貨幣理論」が120分でよく理解できます。MMTとは自国通貨発行国には財政の極端な赤字化を恐れる必要がないとする斬新な理論体系です。 完全雇用を実現する責任は常に財政政策にあり、金融政策は従属的な位置づけに過ぎないとします。

この理論はケインズから続く主流派とは真っ向から対立する見解です。MMTのロジックを「流動性の罠」「政府の予算制約」など、経済学的概念と照らし合わせながら平易に解き明かそうとする本書。新自由主義への有効な批判理論を学びたい読者に、ぜひおすすめの1冊になります。

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