紀元前341年から270年頃、古代ギリシアに哲学者エピクロスが生きていました。 彼が生きた時代は、アレクサンドロス大王による大規模な侵略により、多くの国家が崩壊し、人々が大きな混乱に陥っていた時期でした。 エピクロスが生きた紀元前300年頃、アレクサンドロス大王による大規模な侵略が行われました。 彼の強大な軍隊は、次々と国々を征服し、それまで存在していたほとんどの国家を崩壊させました。 その結果、ヨーロッパからアラブ、アジアにまたがる巨大な帝国が築かれましたが、同時に多くの人々が祖国を失うことになりました。 古代の人々にとって祖国は、アイデンティティや自我を形成する場所になっていました。 そのため祖国が崩壊するということは、精神的な支柱を失うことを意味します。 多くの人々は愛国心と共に自分の存在意義を見失い、深い不安に陥りました。 この混乱した時代を生きた人々は「どうすれば不安に負けず、幸福に生きていけるのか」という問いを抱えることになったのです。 このような混乱の時代に、エピクロスは人々が抱えた不安や苦悩に対する答えを探求した哲学者の一人でした。 当時の人々の精神的な苦悩に寄り添った彼の哲学は、幸福な生き方を模索するものだったのです。
アレクサンドロス大王の侵略によって引き起こされた混乱の時代に、人々は精神的な安定と幸福な生き方を求めていました。そのような中で、幸福に生きるための哲学が求められ、3つの主要な学派が誕生しました。
以下で詳しくみていきましょう。
キュニコス派は、幸福になるための方法として、物質的な豊かさを追い求めることを否定しました。彼らは、お金や地位、名誉などの外的な要因に幸せを依存させるべきではないと考えました。
キュニコス派の哲学者たちは、物質的な幸せを放棄し、自然な生活を送ることで真の幸福を得られると説きました。彼らにとって、真の幸福とは、自分自身の内面から湧き出るものであり、外部の要因に左右されないものでした。
この学派の人々は、欲望を最小限に抑え、質素な生活を送ることを理想としました。彼らは、必要最低限のものだけを所有し、自然と調和した生き方を実践しました。キュニコス派の哲学は、物質的な豊かさよりも、精神的な満足を重視する思想だったのです。
ストア派は、人間の欲望が幸福を妨げる主な要因だと考えました。彼らは、感情に振り回されることなく、理性を使って欲望を抑制し、コントロールすることが大切だと説きました。
ストア派の哲学者たちは、理性的な思考を重視し、感情に流されない生き方を目指しました。彼らは、欲望に従うのではなく、理性に基づいた判断を下すことが幸福につながると考えました。
また、ストア派は禁欲的な生活を理想としました。彼らは、物質的な豊かさや快楽を追い求めるのではなく、必要最小限のものだけで満足し、節度ある生活を送ることを説きました。
ストア派の教えは、自分の感情をコントロールし、理性的に物事を判断することの重要性を説いています。彼らは、禁欲的な生活を通じて、心の平穏を保ち、幸福を得ることができると考えたのです。
エピクロス派は、人間の欲望を否定するのではなく、肯定的に捉える哲学学派です。彼らは、「気持ちいいことをして、楽しく生きよう」という考えを中心に据えました。
エピクロス派の哲学者たちは、人間が幸福になるためには、自然な欲望を満たすことが大切だと考えました。彼らにとって、欲望はそれ自体が悪いものではなく、むしろ幸福な生活を送るための原動力でした。
ただし、エピクロス派が肯定したのは、一時的な快楽ではなく、持続的な喜びをもたらすような欲望です。彼らは、節度を持って欲望を満たすことを説きました。
エピクロス派の教えは、人生を楽しむことの大切さを説いています。彼らは、欲望を抑圧するのではなく、上手にコントロールしながら、喜びに満ちた人生を送ることを目指したのです。
しかしエピクロスは、単に快楽を追求することを勧めたわけではありません。
エピクロスは、欲望をコントロールすることの重要性も説いています。彼は、欲望には上手に付き合う必要があると考えました。つまり、欲望に振り回されるのではなく、欲望をコントロールし、節度を持って満たすことが大切だと説いたのです。
エピクロスによれば、欲望には二種類あります。一つは、食欲や睡眠欲のような生存に必要な自然な欲望です。もう一つは、贅沢な食事や高価な物を求めるような不必要な欲望です。エピクロスは、自然な欲望を適度に満たすことは大切ですが、不必要な欲望に振り回されることは避けるべきだと説きました。
エピクロスの教えは、欲望を適切にコントロールし、バランスの取れた生活を送ることの重要性を説いているのです。欲望に従うことで一時的な快楽を得ることはできるかもしれませんが、長期的な幸福を得るためには、欲望をコントロールすることが不可欠だと考えたのです。
エピクロスの哲学は、同時代の哲学学派と比べると、より素朴で常識的なものが多いのが特徴です。
たとえば、キュニコス派は物欲を捨てることを重視し、極端なまでに質素な生活を送ることを理想としました。彼らは物質的な豊かさを完全に拒絶し、時には裸で生活するなどの過激な行動を取ることもありました。
その一方、ストア派は禁欲的な生き方を説き、厳しい修行を通じて感情をコントロールすることを目指しました。彼らは、欲望を抑制し、理性に基づいた生活を送ることを理想としたのです。
これに対してエピクロスは、そのような極端な考え方や行動を取ることはありませんでした。彼は自然な欲望を適度に満たしながら、普通に生活することを勧めました。エピクロスにとって幸福な人生とは、過度な禁欲や極端な行動ではなく、バランスの取れた穏やかな生活を送ることだったのです。
このようにエピクロスの哲学は、キュニコス派やストア派と比べると、より現実的で実践的な教えが多いと言えるでしょう。彼の哲学は、普通の人々にとっても理解しやすく、日常生活に取り入れやすいものだったのです。
エピクロスの言葉で有名な「隠れて生きよ」という表現は、しばしば誤解を招いています。この言葉だけを見ると、エピクロスが人間関係を避け、孤独に生きることを勧めているように思えるかもしれません。
しかし実際のエピクロスは、決して人間嫌いではありませんでした。むしろ、彼は友愛(友情)を人生における究極の快楽の一つと考えていました。エピクロスにとって、真の友情は人生の喜びを増し、困難な時には支えとなるかけがえのないものだったのです。
では、なぜエピクロスは「隠れて生きよ」と言ったのでしょうか?これは、世間的な面倒ごとや煩わしさから離れ、のんびりと平和に暮らすことを意味していました。エピクロスは、都会の喧騒から離れ、自然の中で穏やかに暮らすことを理想としたのです。
つまり「隠れて生きよ」とは、社会的な義務や競争から身を引き、自分らしい生き方を追求することを表しているのです。そのような環境の中で、エピクロスは真の友情を育み、人生を楽しむことができると考えたのでしょう。
したがってエピクロスの「隠れて生きよ」という言葉は、孤独を勧めているのではなく、むしろ人間関係の本質的な価値を認めた上で、自分らしい生き方を追求することの大切さを説いていると解釈できます。
エピクロスの神に対する見解は、当時の一般的な考え方とは異なっていました。全知全能の神が人間の日常生活に干渉したり、人間の行動を気にかけたりするとは考えませんでした。
エピクロスによれば、神は完全な存在であり、人間の些細な問題に関与するようなことはありません。神が人間に対して特定の行動を要求したり、禁止したりするという考えを否定しました。
さらにエピクロスは、人間が神の存在を想像し、勝手にイメージを押し付けることは良くないと考えました。彼は、人間が神について様々な想像を巡らせ、神の性質を決めつけることは不遜な行為だと考えたのです。
エピクロスの神に対する考え方は「神はいるかもしれないが、人間はそれを気にする必要はない」というものでした。神の存在を完全に否定したわけではありませんが、人間が神を意識し、神の意思を推し量ることは必要ないと説いたのです。
エピクロスは、人間は神の存在にこだわることなく、自分の人生に集中し、現実の世界で幸福を追求するべきだと考えたのです。人間の自由と自律性を重視すべきだと考えたのでしょう。
その哲学的な考えや信仰に対する態度のために、エピクロスは多くの人々から批判を受けました。しかし彼の人格そのものは、批判者からも称賛されるほど立派なものだったそうです。
エピクロスは自らの言葉を実践し、他者を思いやる生き方を貫きました。「真の快楽とは、友愛である」という言葉を単なる理論としてではなく、実際の行動で示したのです。
エピクロスは、友人や弟子たちを深く愛し、彼らの幸福を常に気にかけていました。
エピクロスの素晴らしい人格は、その死に際にも表れています。
エピクロスが生きた時代、多くの人々にとって国家(祖国)は心の拠り所であり、絶対的な価値を持っていました。しかし、アレクサンドロス大王の侵略によって、その絶対的な価値が崩壊してしまったのです。
そのような状況の中で、エピクロスは他者との絆に新たな価値を見出しました。友人や弟子たちとの楽しい思い出が、人生の困難や死の痛みにさえ立ち向かう力になると考えたのです。
エピクロスは最期のときまで、友人や弟子たちに囲まれていました。
エピクロスの哲学は、物質的な豊かさや権力ではなく、人との繋がりと内面の充実こそが真の幸福をもたらすことを示しています。彼の生き方と最期は、現代を生きる私たちにも、人生の「本当の意味」を問いかけているのかもしれません。
堀田彰(2014)『人と思想(83) エピクロスとストア』清水書院
- 著者
- 堀田 彰
- 出版日
古代ギリシャの偉大な二人の哲学者である、エピクロスとストア(派)の考え方が分かりやすく紹介されています。
二人は全く異なる思想を持っていましたが、どちらも「どうすれば幸せに生きられるか」とに関心がありました。
エピクロスは「身体の苦しみがなく、心が穏やかであること」が大切だと言いました。 その一方、ストア派は「感情に振り回されないこと」が大事だと考えました。
本書では二人の考え方の違いを、
・知識とは何か
・自然をどう捉えるか
・どう生きるべきか
という、3つの視点から丁寧に説明しています。
また2人の考え方が、後世の時代にどのような影響を与えたのかについても触れています。
難しそうに見えるかもしれませんが、私たちが日々感じる「どうすれば良い人生を送れるか」という疑問について、古代の知恵者たちがどう考えたのかを知ることができるでしょう。
人生について深く考えてみたい方、昔の哲学者の考え方に興味がある方にオススメです。
きっと新しい発見があるはずです。
岩崎允胤(2007)『ヘレニズムの思想家』講談社
- 著者
- 岩崎 允胤
- 出版日
古代ギリシャ哲学の黄金期からヘレニズム期への移り変わりの中で、新たな思想を切り拓いた哲学者たちを紹介する一冊です。
ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった偉大な哲学者たちが築いた古典期の思想は、アレクサンドロス大王以降のヘレニズム期にどのように発展していったのでしょうか。
本書では、エピクロス、ストア派のゼノン、クレアンテス、セネカ、懐疑派のピュロンなど、この時代を代表する思想家たちにスポットを当てています。
彼らは、激動の時代を生きる中で、人間にとって最も大切なものは何か、どのように生きるべきかを真剣に考え抜きました。運命や人生の意味への問いは、現代を生きる我々にとっても普遍的なテーマです。
古代の知恵者たちが残した思索の軌跡をたどることで、自らの生き方を見つめ直すヒントが得られるでしょう。哲学に馴染みのない方にも、各哲学者の思想のエッセンスがわかりやすく解説されています。
人生の指針を古代の英知に求めたい方、ギリシャ哲学の奥深さを味わいたい方に、ぜひおすすめしたい一冊です。
荻野 弘之、かおり&ゆかり (2019)『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業 ―この生きづらい世の中で「よく生きる」ために』ダイヤモンド社
- 著者
- ["荻野 弘之", "かおり&ゆかり", "かおり&ゆかり"]
- 出版日
エピクテトスとエピクロス、同じような名前ですが、両者とも同じ古代を生きた哲学者です。
古代ローマの哲学者エピクテトスの思想は、マルクス・アウレリウスからニーチェ、夏目漱石まで多くの人々に影響を与えてきました。
エピクテトスは奴隷という過酷な境遇の中で、どのようにして自らの心を自由に保ち、運命に立ち向かったのでしょうか。彼が説いた「我々次第であるもの」と「我々次第でないもの」を見極める思考法は、感情や人間関係、自らの境遇に悩む現代人にこそ必要とされています。
本書では、エピクテトスの言葉を漫画と一緒にわかりやすく解説されています。彼の思想を読み解くことで、感情のコントロール方法、人間関係への向き合い方、自分の境遇の捉え方など、「生きづらさ」を乗り越えるための具体的なヒントが得られるでしょう。
時代や立場を超えて、
・人生に迷いを感じている
・「自由に生きる」とはどういうことかを知りたい
このような方は、ぜひ本書を手に取ってみてください。
エピクテトスの思想を通して、現代を生きる私たちに「真の自由」と「生きる智恵」を授けてくれる一冊です。彼の思想は、今を生きる私たちの人生にも大きなヒントを与えれてくれるでしょう。
古代の知恵から、生き方を見つめ直すための勇気と示唆を得ることができるはずです。