ドラマや映画などの制作に長年携わってきた読書家プロデューサー・藤原 努による、本を主軸としたカルチャーコラム。今回は、半世紀以上も前の翻訳小説にも関わらず、今夏の文庫化が異例のヒットとなっている『百年の孤独』を初めて読んでの所感を新鮮に綴ります。
ガルシア・マルケスの『百年の孤独』が、この夏初めて文庫化され、6月26日に新潮社から発売されました。この記事を読んだ時、へーそんなの出るんだ、さすが新潮社、そんな売れそうもないものでもちゃんと文庫化して出すんだなあ、と僕は直感で思ったことを最初に告白しておきます。しかし、
僕のその予感は大きく外れてしまったのでありました!
何せどこの大型書店でも完売が続出して全く手に入らない事態になったのですから。
- 著者
- ガブリエル・ガルシア=マルケス
- 出版日
ちなみに僕はこれまでこの作家と代表作であるこの作品の名前ぐらいは知っていましたが、正直手を出そうと思ったことは一度もありませんでした。ふだん日本の小説などを中心に読んでる身としては、ラテン文学のそれもここまでの長編となるとなかなか手が出ません。でも村上春樹の小説でもよく登場する「マジックリアリズム」の言わば原点的な小説が『百年の孤独』であると言う情報ぐらいは持っていたので、人生に余裕が出てきたら読むんだろうな、ぐらいには思っていました。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の著者、三宅香帆さんは、幼い頃からずっと本好きだったのに就職したらいつの間にか本が読めなくなって、それに気づいて耐えられなくなって仕事を辞めたと書かれていましたが、大人のサラリーマンで忙しく仕事している人が仮に読書好きであったとしても、マルケスの『百年の孤独』に手を出すのは至難の業であると思います。
でもよく考えたら僕は今61歳だし、『百年の孤独』をいつか読むと思いながら気がついたら死に瀕していると言うこともあり得るのではないかと思い直し、今回2刷でやっと書店に出始めた段階で購入し、このお盆を利用して読了することができました。
一言で言うなら途轍もない小説でした。
極端なまでに自分の欲望に忠実に動いてしまう人間たち、そのためにそこまでやってしまうのかというその言動、近親相姦だって何だってござれ、そういう人物がブエンディア家五代に渡る話の中でいろいろ登場してくる。法も倫理もあったものではありません。一方老いては行くもののなかなか死なない人も多く平気で150歳ぐらいまで生きるし、死んでもたとえば念のようなものだけ残って度々生者のいる場所にふつうに現れたりもする。
果たして脈略があるのかないのかも前段の流れを忘れてしまうとよくわからなくなることもしばしばですが、それぞれのエピソードが濃過ぎてそんなことさえどうでもよくなってしまいそうになる。
コロンビアという国がもともとそうなのかはわからないけど、子々孫々に親と同じ名前をつけたりするので、どのアウレリャノの話なのかわからなくなりそうにもなります。今回の文庫には家系図が冒頭に示されているので、それを何度も見て確認しながら読み進むことになるのですが、1960年代に最初に邦訳された時はそれもなかったらしく、読み始めた人もやがて関係性が掴めなくなって読書中に遭難し投げ出してしまった人も多いのではないかと想像しました。
といろいろ書きましたが、この物語を細部まで理解した上で読み切れた人がどれぐらいいるのか。でも僕は読んでいる最中から、ああこの物語は書かれていることをシャワーのように浴びて、何だか凄い小説を自分は読んでいるんだという空気感を味わえばいいのだと思って読み進むことにしました。
マルケスは生前のインタビューで話の骨格など決めずに言わば筆の赴くままに書いた、と言うようなことを言っていたようだし、村上春樹なども自分が書く作品の登場人物が決まったら勝手にその人たちが動き出して話し始めるみたいなことをよく言ってるのを考えると、同じように言わば憑依型の作家なのかもしれません。
とにかく読了して僕が思ったのは、ああ読んだ、と言う心地よい達成感のようなものでした。
で今回の文庫の筒井康隆の解説を読むとこれがまた面白い。筒井先生自身がのっけから、この解説は多くの読者がそうであるように本文を読む前に解説を読むといった人を対象にする、と書いています。なんてこと書くんだ。でもこれを読んでふと思いました。買ったものの、筒井先生の解説だけ読んで本棚にしまい込んでしまう人がかなりの割合でいるんじゃないかと。
そう言えば、子どもの頃、うちの家にもさまざまな作家の全集とかあったけど、家族の誰もあまりそれを手に取っている形跡はなかったし、先述の三宅香帆さんの本の中にも、かつて円本(※)というものが大ヒットした時代もとにかく安いから買いはするものの読まない人、というのが実は多かったらしいと書いてありました。(※大正末期から昭和初期にかけて日本文学全集などが一冊一円で売り出され、一大ブームとなりました)
となると『百年の孤独』文庫版も、買って家の本棚に置いておくことに意義がある、と思った人が多かったとしてもおかしくない。そうやって考えると数年前、光文社が古典新訳文庫というシリーズをやり始めて、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』などがそこそこ売れたというのも合点が行きます。
ちなみに、筒井先生は先ほどの解説の末尾で、同じマルケスでも実は『族長の秋』のほうが『百年の孤独』よりも面白いと書いていました。
これたまたま柴崎友香さんが最近、自身のADHDで日常の中でどれだけ苦しんできたかを書いた『あらゆることは今起こる』の中で、『族長の秋』が、一般的には時間の流れが掴みにくく読みづらいという評価が多いけど、自分にとってはとても読みやすかった、と書いていました。最も柴崎さんは、ADHDであるがゆえに、自分は時間の捉え方が多くの人々とは少し違う、という文脈で書いてあることではあるのですが。
しかし、信頼する2人の作家が、そんなに推すので、僕は結局『族長の秋』も買ってしまいました。まだ読み始めようという気にはなれないのですが、翻訳は『百年の孤独』と同じく鼓直という人です。故人ですが、この人もスペイン語がいかにできるとは言っても、こう言う長編を最初に原書で読んだ時、めまいを起こすようなことはなかったのか、と真剣に思います。そう言う得体の知れない語学力というのも一体何なのか。
その意味でたとえ英米文学中心と言っても、軽やかに翻訳を続ける柴田元幸さんや岸本佐知子さんもやっぱり凄いんじゃないかと思えてくるのですがそれはまた別の機会に。
- 著者
- ガブリエル・ガルシア=マルケス
- 出版日
- 著者
- 三宅 香帆
- 出版日
- 著者
- ドストエフスキー
- 出版日
- 2006-09-07
- 著者
- ガブリエル ガルシア=マルケス
- 出版日
- 2011-04-20
- 著者
- 柴崎友香
- 出版日
info:ホンシェルジュX(Twitter)
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