人民寺院集団自殺事件がモデル!白井智之の多重解決ミステリー『名探偵のいけにえ』ネタバレレビュー

更新:2024.10.1

皆さんは多重解決ミステリーをご存知ですか? 多重解決ミステリーとは一個の事件に対し、複数の解決が提示される形式の推理小説。アント二イ・バークリーの『毒入りチョコレート事件』や米澤穂信『愚者のエンドロール』、近年では相沢沙呼『medium 霊媒探偵城塚翡翠』や井上真偽『その可能性はすでに考えた』などが有名ですね。 白井智之も多重解決ミステリーを得意とする作家。本作『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』は、その完成度の高さから「2023本格ミステリ・ベスト10」1位、2022年「本格ミステリ大賞 小説部門」、「このミステリーがすごい!2023年版」国内編2位に輝きました。 今回は実際の事件をモデルにした『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』のあらすじと魅力を、ネタバレ込みで徹底レビューしていきます。

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『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』の簡単なあらすじと登場人物紹介(ネタバレあり)

私立探偵の大塒宗(おおとや・たかし)は頭脳明晰な女子大生助手・有森りり子を雇っています。りり子は大塒の補佐役にとどまらず、師を凌ぐクレバーな推理を披露して事件を解決に導く一流の名探偵でした。

ある時コロンビア大学の学会に出席すると言い残し、りり子が突如消息を絶ちます。

大塒は東大の同窓生に聞き込みをし、りり子がアメリカの大富豪クラーク氏の依頼を受け、南米中心に活動するカルト教団「人民教会」に潜入している事実を突き止めました。

予定日が過ぎても帰国しない助手の身を案じた大塒は、友人の新聞記者・乃木野蒜(のぎ・のびる)を頼り、人民教会の本拠地・ジョーデンタウンに飛びます。

ジョーデンタウンは教祖ジム・ジョーデンが束ねる密林奥地の閉鎖的集落だった為、到着時のいざこざがもとで乃木は撃ち殺されてしまいました。

その後無事りり子と合流を果たした大塒はクラーク調査団の面々を紹介されます。人民教会幹部になりすましたアルフレッド・デントは元FBI捜査官の諜報員、イ・ハジュンは亡命中の韓国人青年、ジョディ・ランディはベテラン精神科医でした。

後日アルフレッド・デントが幹部専用ロッジで殺され、これを皮切りにクラーク調査団メンバーが一人また一人と命を落としていって……。

登場人物紹介

  • 大塒宗(おおとや・たかし) 警察にも協力している私立探偵。名探偵の在り方にこだわりを持ち、有能なりり子に対し劣等感と羨望が相半ばする複雑な感情を抱く。
  • 有森りり子(ありもり・りりこ) 東大生。大塒の探偵事務所でアルバイトしている才媛。クラーク調査団に参加しジョーデンタウンに赴く。
  • 乃木野蒜(のぎ・のびる) 大塒の幼馴染で金持ちの息子。あちこちに顔が利く新聞記者。
  • ジム・ジョーデン 奇跡を実践する人民教会教祖。大勢の信者を率いてガイアナ共和国バリマ・ワイニ州に移住しジョーデンタウンを築いた。
  • Q ジョーデンタウンの住人。利発な日系孤児。大塒たちのガイドを申し出る。
著者
白井 智之
出版日

ジム・ジョーンズが起こした世界的事件のオマージュ 名探偵VSカルト教団

『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』は実際の事件のオマージュ。小説のもとになったのは1978年、南米の国ガイアナでジム・ジョーンズが起こした人民寺院集団自殺事件です。

ジョーンズを指導者に戴く人民寺院(ピープルズ・テンプル)が求心力を持った背景には、彼のカリスマ性や巧みな話術はもとより、70年代のアメリカが内患として抱える様々な社会問題が関係していました。

人民寺院の設立は1954年、アメリカ合衆国インディアナ州。

ジョーンズは心霊治療の施術で信者を増やし、俳優のジェーン・フォンダや公民権運動家のヒューイ・P・ニュートン他、著名な活動家の支持を取り付けます。

信者の中核を成すのはアメリカ社会で差別されていた黒人やベトナム戦争を経験した若者たち。彼等はジョーンズが提唱する社会主義の理想に共鳴し、人類皆平等なユートピアの到来を夢見ました。

ほどなく心霊治療のやらせと虐待疑惑が取り沙汰されたジョーンズは、信者を引き連れ南米ガイアナに移住し、自給自足の共同体ジョーンズタウンを築きます。

1978年、ジョーンズタウンは人権侵害の温床であると米メディアが報道。それを受けアメリカ合衆国の下院議員、レオ・ライアン率いる代表団が視察に訪れました。

帰国間際、ライアン議員は飛行機に乗ろうとした所を射殺されます。

直後にジョーンズは演説を行い、青酸カリを入れたグレープ味のフレーバーエイドを配り、信者もろとも集団自殺を決行。900人超えの犠牲者のうち約300人は未成年の子供でした。

『名探偵のいけにえ』は人民寺院集団自殺事件に大胆なアレンジを加えたミステリー小説。国名・地名・人名は史実に寄せており、犠牲者の数まで同じにする徹底ぶり。

ジム・ジョーンズが嘗て君臨したジョーンズタウンと違い、ジョーデンタウンでは日常のサイクルに奇跡が組み込まれていました。車椅子の老人は戦場で吹っ飛ばされた足が再生したと語り、高校時代の事故で隻腕になった女性もそれに追随します。

大塒たちには彼等が証言する「奇跡」が見えず、ジョーデンタウンの住民と認識の齟齬が発生。

イニシエーチョンによる洗脳か、プラシーボ効果に起因する自己暗示か?

教祖以下全員が信用ならざる語り手にして潜在的容疑者、ただでさえ密林の奥地で孤立しているのに輪をかけ絶体絶命危機的状況。

ジム・ジョーデンを崇める者は決して死なぬばかりか大怪我とも無縁、殺されるのは理想郷を脅かすよそ者だけ……。

以上の条件を鑑み、現実世界ではあり得ない設定(超能力や心霊現象など)が存在する前提で書かれた、特殊設定ミステリーの性質を併せ持っているのがポイント。

多重解決ミステリーと特殊設定ミステリーの相乗効果で巨大密室と化したジョーデンタウンでは、どれほどおぞましく歪な奇跡が起きても不思議ではありません。

大塒&りり子のコンビは人民教会の欺瞞を暴けるのか?

ジム・ジョーデンは本物の霊能者なのか、はたまた大掛かりな詐欺師なのか?

名探偵VSカルト教団の戦いの行方に刮目してください。

著者
白井 智之
出版日

ダブルバインドのはてに。名探偵のジレンマが呼んだ悲劇と惨劇

2014年デビューの白井智之は多重解決ミステリーの傑作を数多く生み出してきました。

『お前の彼女は二階で茹で死に』はある人物がレイプしたキャラによって事件の様相が変化する話。主人公の刑事の鬼畜外道な悪逆ぶりも印象深いです。

エログロ炸裂の異色ミステリー!白井智之『お前の彼女は二階で茹で死に』ネタバレあらすじレビュー

エログロ炸裂の異色ミステリー!白井智之『お前の彼女は二階で茹で死に』ネタバレあらすじレビュー

世の中にはたくさんのミステリー小説が存在します。 本作『お前の彼女は二階で茹で死に』の特徴はそのエログロナンセンスぶり。登場人物は一部を除いてほぼ全て狂人と変態、あらゆる意味で度し難く救い難い作品になっています。 今回はミステリーの巨匠・綾辻行人直々に「鬼畜系特殊設定パズラー」の称号を授与された新鋭、白井智之の『お前の彼女は二階で茹で死に』をご紹介します。

本作の主人公の大塒は幼少期に面倒を見てくれた叔父の影響で探偵になった男性。生前の叔父は主に浮気調査を手掛けており、従来の名探偵が取り組むような難事件は避けてきました。

大塒も叔父の教えを守り、分不相応な欲は出さず生きています。助手志願のりり子にも「悪いが雇えない。おれはかくれんぼをやってるんだ。鬼ごっこをやる気はない」「おれは浮気調査がやりたくて探偵になったんだ」ときっぱり言い切りました。

名探偵の素質を開花させたのはむしろりり子の方でした。

彼女の手柄を貰い受ける形で知名度を上げしばしば警察に招聘されるまでになった大塒は、その類い稀な才能を羨む一方で忸怩たるものを感じ、りり子のようにはなれない自分の限界をことあるごと卑下します。

小説に出てくるような名探偵にはなれないしなる気もないと早い段階で悟った大塒にとって、りり子こそ理想の名探偵。

ジョーデンタウンの住人がジム・ジョーデンを慕い、彼が起こす奇跡を盲信していたように、大塒は何もかも過たず解決する名探偵りり子の絶対性と、彼女が起こすロジカルな奇跡に心酔していたのです

奇跡が茶番にすぎないと知らされた狂信者の行動は二択。まやかしに殉じるか、茶番を奇跡に塗り替えるしかありません。

人は理解できない対象を畏れ敬います。

興醒めなカラクリが暴露されぬ限りジョーデンの心霊治療とりり子の推理は等しく神業、不可能を可能にする奇跡の体現。

故にジョーデンタウンの住民は偉大なる指導者ジョーデンを、大塒は自らが成し得ぬ名探偵の正道を行くりり子を、ファナティックな熱狂を以て生ける偶像に祭り上げました。

片や最期の瞬間まで二重に欺かれた犠牲者、片や最悪の大量殺戮を引き起こした黒幕。

名探偵の最期は劇的でなければいけない。三文芝居に堕すなどもってのほか。犯人が小物では報われない。名探偵を名探偵のまま葬るために、悲劇の礎となるいけにえを捧げよ……。

虐殺の引き金を引いたのは私怨を晴らす手段に推理を用いた大塒の利己的復讐心……彼もまた抑止力(=助手)の喪失が招く暴走で身を滅ぼす、名探偵のジレンマに嵌まってしまったのでした。

どんでん返しに次ぐどんでん返しが炸裂する解決編では探偵と犯人の座標がめまぐるしく入れ替わり、亡きりり子を名探偵として神格化する為に大塒が弄した非道なトリックと、1000人近い犠牲者を出した被害規模の甚大さに絶句せざる得ません。

なお『名探偵のいけにえ』と『名探偵のはらわた』は世界線が繋がっており、時系列では『名探偵のいけにえ』の数十年後が『名探偵のはらわた』に当たります。ラストにて大塒を追い詰めたQ少年がりり子の衣鉢を継ぐ名探偵・浦野灸として再登場し、助手を育てているのは感慨深いです。

あなたもぜひ本作を読み、タイトルに込められた悲愴な意味と痛烈な皮肉を噛み締めてください。

著者
白井 智之
出版日
著者
白井 智之
出版日
著者
白井 智之
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読者の反応

『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』を読んだ人におすすめの本

白井智之『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』を読んだ人にはティム・レイターマン、ジョン・ジェーコブズ『人民寺院: ジム・ジョーンズとガイアナの大虐殺』をおすすめします。

本作はジム・ジョーンズ関係者や被害者遺族に取材し、人民寺院集団自殺事件の発生経緯を検証するルポルタージュ。何故一介の牧師にすぎないジョーンズが凄まじい影響力を誇るに至ったか、当時のアメリカの社会情勢を掘り下げ、問題点を浮き彫りにしています。

著者
["ティム レイターマン", "ジョン ジェーコブズ"]
出版日

次に紹介するのは阿津川辰海『紅蓮館の殺人』

本作では資産家の御曹司と高校生ミステリー作家の同級生コンビが、憧れの作家が暮らす山奥の洋館を訪れ、予期せぬ殺人事件に巻き込まれます。

意外な真相はもちろんのこと、注目してほしいのは名探偵の在り方をめぐる問いかけ。名探偵を支える助手の存在意義や、相棒を失った探偵が復讐に駆られて正義を疎かにする危うさが描かれており、『名探偵のいけにえ』に通じる命題が胸に沈みました。

著者
阿津川 辰海
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