一体何がどうしてこうなったのか
歳を取るごとに1年経つのが早くなっていくように感じる。幼い頃にはどんなものにもなれる気がした。漫画家、サッカー選手、ホテルマン……色んな大人に憧れて、そんなカッコいい大人になれると思っていた。身長は178㎝、サラツヤなストレートヘアーに端正なスマイル、週末はスポーツタイプの車で軽やかにレインボーブリッジを走っていると思っていた。小学5年生の時に担任の先生から「あんたの目は死んでいる」と暴言を吐かれても、まだ大丈夫だと信じていた。
時は流れて2017年、今年で27歳。同級生たちは社会人としての脂が乗ってきたり結婚したりしている。私はというと、毎日昼前にもぞもぞと起き上がり安いパスタを茹で(この時間だけは村上春樹的だと思っている)、ライブがあれば煙草臭い地下室で昨日まで存在したはずの無料動画がウェブサイトから消えてしまった悲しみを爆音に乗せて歌ったり、ライブが無ければ髪もひげも整えずに寝巻のままでインドネシアのバンドの曲をネットでディグったりしている。税金のことも保険のことも為替のこともよくわからないし、社会を憂う以前に公共料金の支払いを忘れて水道を止められそうになったりしている。
一体何がどうしてこうなったのか。何か原因があったのではないか。あの時読んだ本、聴いた音楽、観た映画……。というわけで今回は、思い描いていた生き方を捻じ曲げてしまった気がするステキな4冊を紹介しようと思う。品行方正に生きたい方はくれぐれも真似せぬよう。
健全な精神は早くも死んだ
稲中に出会ったのは遡ること20余年。自慢じゃないが平成生まれで稲中をリアルタイムで読んでいた人間は私の他には極めて少ないはずだ。同じマンションに住む幼馴染の友人には歳の離れた兄がいて、その兄の部屋に忍び込んだ時に無造作に転がっている稲中を拾って読んだのが始まり、そして運の尽き。
子供が見てはいけないものであることはなんとなくわかった。エッチな場面が沢山出てくるから(初めて女性の裸を見たのもこれかもしれない)。ドキドキしたし下ネタの意味やものまねの元ネタなども全然わからなかったけれど、勢いのある絵(キクちゃんとか)やナンセンスなギャグなどで意味を超えて面白かった。
その出会い以来バイブルとして何度も読み返しているが、思春期に入って下ネタの意味などがわかるようになった時には妙な感動があった。後期は哲学的な問いなども散りばめられており深みも出てくるので、漫画に面白さプラスアルファの要素を求めている人にもオススメだ。ただ、1巻はトラウマ級に絵が下手なことと、古谷実氏特有のギャグセンスがまだしっかりと打ち出されていないことなどから、3巻以降くらいから読むのもオススメ。
読んだが最後、呪縛のように
バンドをやりたいと思っていたものの、まだ自分で曲を書いたこともなかった中学2年生くらいの頃に読んだ地獄変。鬼気迫る本物の地獄を描くためには本物の地獄を見る必要があると考え、自分の最愛の娘が乗った車が燃えるのを恍惚と眺める絵師の話。芸術至上主義の是非は置いておいて、人の心に強く訴えるものを作るうえでの真理がこの物語にはあると妙に腑に落ちたことを覚えている。
創造物である以上は想像力が不可欠なことも真理であるし、夢を見させるようなものはあふれんばかりの想像力の賜物だと思う。ただ、私の創作のテーマの1つに”グッとくる”という感覚があるのだが、そのグッとくるもの人の心に訴えるものを作るには痛みや悲しみといった自己の経験も大切だ。おふざけの曲も沢山作るけれど、とりわけグッとくるものを作ろうとする時に、自分の痛みや感情にどれだけ肉薄できているだろうか ?と、少し後ろめたい気持ちでこの物語が脳裏をよぎる。呪縛のような一冊。