「だから嫌だったんだよ占いなんか」
帰り道、後輩が今にも泣き出しそうな表情で愚痴っぽく溢す。
自分から行きたいって言い出した癖に。
後輩は視線を宙に泳がし、まるで霊体が自分の元居た体を見失ったみたいにふらふらと夜道を歩く。
俺は別にどっちでもよかったけど、なんとなく聞こえていないフリをして、横並びのまま歩き続けた。
彼女とのことで、にっちもさっちも行かなくなって占いに行った。後輩が。
一人で行くには心許ないから、と後輩は俺に付き添いを求めてきた。
占いになにか偏見めいたものは持ち合わせてはいなかったし、そこは最近SNSで話題になった占い師のサロンだったので俺は興味を惹かれ、冷やかしのつもりでのこのことついて行った。
付き添い当日、実際にそのサロンに足を踏み入れてみると、それぞれが出自不明のけばけばしい装飾で空間はごった返しており、魔除けの類いなのか、むしろ魔を呼び込む為の物なのか、或いはそれらが混在して今まさにここで新しい魔が生み出されようとしているのか、とにかく素人目に見ても良くも悪くもここでこれから何かが起こる、と思わせる気迫に満ちていて気後れした。
後輩と一緒に通された奥の部屋には、マスクをしたおそらく初老の女性占い師が待ち構えており、後輩がその対面に、俺は後輩の斜め後ろ、入り口そばの席に座らされた。
本人の生年月日や名前、後輩の彼女のそれらと、今思い悩んでいる二人のことを彼が話し終えると、マスクの占い師は一間置いて言い放った。
「報じるわよ」
後輩の肩が、少しこわばって持ち上がる。
これがこの占い師の有名な決め台詞なのかも知れない。
「別れないと酷いよ。別れないと。
別れないと四肢が東西南北それぞれの方角に一気に弾け飛んでいくよ。ドラゴンボール揃った後みたいにそれぞれがピュンピューン!だよ。そして四肢が行き着いた先のそれぞれの村でその出来事に勝手な物語が肉付けされて、伝承されて、それぞれの村のお祭りになっていくよ?別れないとあなたお祭りだよ?」
別れないとお祭り。ある種ハッピーエンドにも聞こえたが。
やっぱり彼らは別れるんだろうか。
占いの帰り道、まだ何かを吐き出したいという後輩の思いが横に居るこちら側までありありと伝わってきたので、俺たちは駅前のファミレスに立ち寄った。
後輩は相変わらずの弱音をテーブルの上にショボショボと溢し、合間にため息を吐き、そしてまたショボショボとした弱音でテーブルを浸していった。
俺がそれとなく相槌を打ちながらドリンクバーのアイスコーヒーをストローで啜ったりなどしていると、後輩はおもむろに大学ノートを取り出してページを捲り出した。彼によると、そのノートは彼と彼女の間を行き来していた交換日記だと言う。
交換日記。今時そんなやり方があるのかと驚いたが、日常に楽しみの種を植える事が得意な後輩を思うと、最も彼らしいやり方だとも思えた。
後輩は最初の方のページで手を止め、その中の一節を読み上げ始めた。
『メデューサ。
君がよそ見してる間に君の襟足である蛇が僕の腕を噛む。でも振り返った君の顔が可愛いから僕は自分の腕の噛み跡を隠す。
君と居ると僕はただの石ころみたいだな。』
後輩が彼女と付き合い始めた当初に彼女に送った文だそうだ。
俺はなにか全身毛むくじゃらの生き物の毛むくじゃらの指先で背中をゆっくりと撫でられるような感覚を覚えたが、もう殆ど氷だけになったグラスの底を息が続く限りずるずると吸い上げて堪えた。
こちらの思いとは裏腹に、後輩は更にページをパラパラと捲る。
後輩はいつも自分の欠けた部分を体外の何かで埋めようとしていて、忙しい。
重度の寂しがり屋で、恋人が居ればいつもその恋人と一緒に居たし、恋人が居ない時期は周辺の人間たち、例えば俺などと、とにかく一緒に居ようとした。
夜の影に捕まえられない様に毎晩誰かと酒を飲んでアルコールに脳を浸し、真っ暗な夜からなるべく自分を遠ざけた。
後輩には、一人で過ごす事、特に夜に一人で過ごすという事をみんなが一体どうやっているのかが、全くよくつかめなかった。
後輩のその心の欠けが、生まれながらに欠落した部分なのか、生きてる最中にどこかで欠損した部分なのかはわからなかったが、とにかく彼にはいつも何か足りていない場所があって、自分のそのくぼみに当てがえそうなものが落ちていないか、暇さえあれば辺りを見やっていた。
恋人もおらず周囲の人間も皆つかまらず、どうしても一人の時間を過ごさなければならない時には、ギター、英語、読書、犬、盆栽、ジグソーパズル、指スケ、切手収集etc...
好き嫌いの区分が希薄な後輩は、逆に何にでも手を伸ばす事ができた。
とにかく後輩は自分の隙間を、その場しのぎの何かで代替しようと躍起だった。
後輩の今の彼女は当然だけど元々は後輩の彼女ではなく、友達の友達、程度の存在だった。
二人は二人きりで会った事は無かったが、仲間内何人かで集まった際にはいつも少し離れた場所に彼女が居合わせて、タイミングに応じて言葉を交わす事はあれど、何か特別な印象を抱く相手では無かった。間に別のものを挟まなければ、同じ場所に居る理由のない二人だった。
殆ど関係のなかった二人のそれぞれの星は、しかしある時唐突に接近して、隣り合う。
その日も後輩は大学時代の友人と夜に落ち合って飲む約束をしていたが、その友人の仕事が長引いて夜の予定がぽっかり空いてしまった。後輩は夜の酒に向かってその日をやり過ごしていた訳で、宙ぶらりんになった期待感の行き場を求め、めぼしい知り合い何人かに連絡を取ってみたものの誰もつかまらず、ならばひとつ、遊びをする事にした。
まだ一度も二人きりになった事のない誰かに連絡をして、まだ輪郭のぼやけるその相手の事を、一対一で知る機会にしよう。そしてその場で見聞きしたその人の印象から、極力詳細にその人の人物像を自分の中でまとめ、所有する。何も生まない浅はかなアイデアかも知れないが、一人で夜を過ごさない事にはなる。
後輩は自分の持つ連絡先の中から、深い関わりを持たない、でも二人きりになっても致命的な気まずさにさいなまれない相手を探した。
そこで連絡がつき落ち合う事になったのが、今の彼女だった。
後輩はその夜のことに言及した交換日記のページを開き、俺の方にそのノートごと差し出した。
『Aちゃんと初めて二人で会った日にAちゃんが一体どんな人間なのか俺なりに知ろうとしてて、その日帰ってからAちゃんの印象を俺なりにスマホにまとめたんだって話、覚えてる?
その時のメモ、さかのぼったらあったからまじでハズイけどここにそのまま写すね草
(天音くんとかに話してバズらせんのまじナシね!草)
俺がカフェに着いた時、テーブルで指スケ草
これにはまじでやられた草
指スケやってた事しらねーし!でも嬉しかった!
しかもフツー待ち合わせのいつ相手が来るかもわからないタイミングでやってるのが草
指スケをやり始めたきっかけを聞いたAちゃんの解答↓草
「子供の頃、電車に乗ってる時、窓の外を通り過ぎる家の屋根とか電線の上に想像のキャラクターを走らせて、自分が乗ってる電車と並走させたりしてて、てか今も電車乗っててヒマな時やってるんだけど(草)、指スケとその行為に何か似通った所がある!と思って始めたの」
とのこと草
改めてだいぶ個性強めな子なんだなと思った。
でもなんか、初めてAちゃんの事が少しわかった気がした。
いやその遊びは全然分からないんだけど草
初めてAちゃんと目が合った気がした。
とにかく今日の話はたのしかったなーーー。
あんな風にAちゃんと楽しく話せるのは意外だった。今日が無かったら一生味わうことの無い時間だった。Aちゃんだった。
でもこれはずっとそうだったんだけど、話してる最中のAちゃんはずっとどこか冷静で、場が盛り上がってAちゃん自身も笑ってる時でもまだそこに居るAちゃんは表面で、奥には何かカーテンが掛かってるみたいな感じがして、そのカーテンの奥からAちゃんの声が返ってきてる感じがずっとしてた。
俺は心の底から笑っちゃってる場面でも、そういうAちゃんの雰囲気に気づくとハッとして少し冷静になったりもした。
カーテンをめくったとしたら、そこにはどんなAちゃんが居るんだろうか、、、、
とは言いつつ、Aちゃんとの時間はまじで楽しかった。フツーに全然ふたりっきりとかなった事ないし緊張するなぁ〜とか思ってたんだけど、会ってすぐに緊張忘れた。まぁーAちゃんがいきなり指スケやってたからなんだけど爆
Aちゃんって無理がない感じがするんよなぁー。
そこはまじで憧れるかも。俺は結構あんまり慣れてない人だと正直けっこー疲れるから。
カーテンの話もそうだけど、Aちゃんはなんかカーテン掛かってたら掛かりっぱなしなんだよな。かと言って遠い感じがするわけじゃないし、でも近くもないし、みたいな。
居心地良いんだけど、ドキドキはする!みたいな。恋やん草 キツ草
でもなんかこれはマジな話、Aちゃんに話を聞いてもらってると、なんか自分が何かから許してもらえた、みたいな気になる。なんだろこれ。だからやっぱAちゃんはかっけーヤツってことなのかもなヨイショ〜。
つー事は俺は普段俺を許してないって事なんだろうなヨイショ〜。
とゆー事がわかった夜だった勿忘草』
全身毛むくじゃらがまた俺の背後に近づいてくる気配がしたので俺は咄嗟に顔を上げ、店内が反射する夜の窓に視線を移す。それからひとつ、深呼吸をした。
後輩はこの世で、ただ一人の彼女と、約束を交わすみたいにして交際を始めた。
二人だけの時間というものが連なっていく内、後輩は湿度に満ちた自分のコンプレックスが透明な日差しに蒸発し、消えていく様な不思議な感覚に浸った。自分の歪なでこぼこは見直され、欠けた部分はすべて満たされ、まるで自分がなめらかな新品の「◯」になった様な心地がした。
自分が欲しかった日々が今ここにある事にはたと気づき肌は粟立ち、胸を詰まらせた。
しかし淋しさとは複雑で、誰かと居る時には誰かと居る時にだけ姿を現す類いの淋しさというものもある。
後輩の彼女の奥の奥に掛けられたカーテンは、その後も開かれる事はなかった。
それは特別な誰かの前でだけは開かれて、特別な誰かだけはそこにある何かに触れる事を許される、といった仕掛けのものではそもそもなくて、何においても一枚の布を隔ててしか世界と触れ合わない彼女のその姿勢こそが、彼女が彼女である所以だった。
いつまで経っても遠くから鳴る彼女の声で、ふとしたとき、後輩の周りには淋しさの蕾が開いた。
そしてそれらを含む彼女の個性は、彼女が他の人には無い才能を持って生まれたことの証でもあった。それが何か、をここに具体的に明記する事は避けるが、彼女の日常の中での物事への眼差しや、ましてや仕事においての彼女の在り方を見ると、彼女が何がしかの宝石を抱えて生きている事は、後輩の目にも明白だった。
付き合っていく過程で隣に居続けた後輩は幾度となく彼女のその輝きに魅せられた。
そして後輩しか居なかったはずの彼女の傍には、後輩と同じ様に、彼女の輝きに気付かされた誰かががぽつりぽつりと集い始め、立ち止まっては、その眩さに目を細めた。
彼女の光に吸い寄せられる人々が増えていく程、後輩は自分が自分という独立した存在であるという認識を徐々に見失ってゆき、自分もこの群衆の中の一部分としてここに居る、という様な感覚に見舞われた。その間、後輩の両耳の鼓膜には、彼自身にもはっきりとは言い表せない彼の内側の何かが、密やかにひとつひとつ壊されて行く音が聞こえた。
後輩は自分が彼女を好きになればなった分だけ、孤独という巨大な壁に四方を阻まれる様になる。
その重厚で冷ややかな箱の中で、後輩はどこまで行っても自分は独りなんだ、と思い知らされているような、途方もない気持ちになった。
自分と彼女が別の個体だとゆう当たり前の線引きは二人の心が近づくほどに、より強く後輩にその境界線を意識させ、隣で手を繋いでくれる他者であるはずの彼女が、遠くはぐれてしまった自分、の様に感じられ心は痛んだ。耐えられなかった。
その頃からは後輩のピリピリした緊張感が周りにも伝わって来て、周辺に居た俺たちはそんな友人を気遣いつつ、横目で静観するしかなかった。
『あなたにも触れない所にあるあなたの苦しみを私が殺したんだから、私を愛した分の孤独だけは背負ってよ』
後輩には耐えられない。他の誰かなら、もし自分がもっと彼女と似た誰かなら積もらせなかったかも知れない孤独の澱に、後輩の心は埋まっていった。
遠くに点在していた二つの星は、何かの采配によって、ある時偶然横並びになった。
遠く離れていたからこそ、二人はお互いの中にお互いに無いものを見つけ合って惹かれ合ったけど、それは、
『錯覚、』
二人が付き合い始めて最初の春、二人はお花見に行く約束をした。
でも桜が散るギリギリになっても、同じ日に休みを取れなかった二人はお互いの仕事が終わった夜に、彼女の家のすぐそばの公園で待ち合わせた。
二人がベンチに座って見上げた桜は、夜の闇に色彩を盗まれ、それが桜なのかも分からないほど黒々とした、夜よりも濃い夜の塊にしか見えなかった。
でも二人のお花見に桜の花は必要なかった。
桜を見上げた時の弾けるような感慨が、二人の間にだけは、確かに起こっていた。
まさかこんな事になるとは思わなかった。
後輩は、元々は単なる顔見知りだった今の彼女との関係性を、少し前の過去越しに見つめてみた時、いつも奇妙な感覚に陥る。
心地は良かったが、硬い手触りを持った違和感が確かにそこにはあって、そういう風な人生の数奇さに時折思いを馳せた。
『不思議じゃないよ。類は友を呼ぶだよ。他人は自分を映す鏡だよ。別の場所であなたが少しだけ私になって、私が少しだけあなたになったから、だからきっと私たちは、こういう事になったんだよ』
彼女の優しい声は真っ暗な公園の、正体のわからない夜の塊の下に、ここにしかない温かさを灯した。
後輩は、何かが欠けたこれまでの自分の人生は、彼女からその欠けた場所にピタリと嵌まる、彼女自身の形を当てがってもらう為にあったんだ、と知った。
子供の頃から胸の内でつかえていた黒い鉛の様な重さが、ストンとどこかに落下して、自分の体から、地面からも下へ下へ、消失していくのを見送った。
ありがとう、さようなら。
後輩は閉じた交換日記の表紙を撫でながら、彼女とのこれまでを断片的に喋り、その後には決まって、でもしょうがないよね、と無理矢理句点を打つかの様に付け加える。
でもそのすぐ後からまた彼女との別の断片を取り出してはそれを俺に見せて、でもしょうがないよね、とそれをまた仕舞い、そうやって延々と俺に向けるでもなく、独り言とも言い切れない後輩の話し声の中には、俺も俺で切れ目を見つけられず、二人してファミレスのシートに根を張って、時間だけが素知らぬ顔で素通りしていった。
終電を失くした俺と後輩はファミレスを出ると途中までタクシーで相乗りして、後輩の自宅の前で彼だけを降ろした。
外から車内の俺にここまでの代金を支払おうする後輩の手を制して押し返すと、タクシーのドアは勝手に閉まり、一人、後輩だけを外に残したまま発進して行った。
まだ暗い世界でいつまでも手を振っている後輩の小さくなっていく姿を眺め終え、前に向き直ると、車内には生乾きの洋服みたいな匂いが漂っている事に気がついた。
タクシーは微かな走行音を鳴らしながら、人気のない細い夜道を滑る様に進んで行く。
滑走するタクシーの中で一人、俺の頭の中では今日出会った占い師の最後の言葉が思い出されていた。
「誰かに受け入れられて愛される事でじゃなくて、誰かを受け入れて愛する事で、自分の人間としての形を完成させてみたら。
あなたにはメガファイア級の愛が、元より備わっているわ。
でもそれはきっと隠されている。
あなたの体の内側のどこかに」
あれは、あれも、占いの範疇だったのだろうか?
俺は後輩とその彼女が二人きりで部屋に居て、それぞれがそれぞれに持ち寄った本を少し離れた所で読んでいる風景を眺めていた。
後輩だけが時折本から顔を上げて、彼女の方を見やったりしていた。
あったかも知れないし、なかったかも知れない二人の風景。
「着きましたよ」
タクシーの運転手の声で、俺は自分が自分の夢の中に居た事に気がついた。
重たい意識の中でなんとか財布の中の小銭をまさぐっていると、開け放たれたドアの外から、新しい朝の空気が車内に入り込んで来ていた。
※この岡山天音はフィクションです。
というか、オトノケと頑張り屋さんだから愛しての交互浴最高ですわ。
【#14】※この岡山天音はフィクションです。/足りない時間が足りない
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【#13】※この岡山天音はフィクションです。/証言
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【#12】※この岡山天音はフィクションです。/【緊急】
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※この岡山天音はフィクションです。
俳優・岡山天音、架空の自分を主人公にした「いびつ」なエッセイ×小説連載を開始!