定年後も読書熱冷めやらぬ元TVプロデューサー・藤原 努によるブックレビュー連載、第10回。「いつか読む」は永遠に来ない!還暦で初めて『罪と罰』に挑んだ著者が、若きディレクターとの記憶から古典を読む理由を見つけ出します。異色のネタバレ本やTV番組を駆使し、万全の準備で挑む「邪道(?)」読書術を全公開。大古典を120%楽しむ極意と、作中人物への現代日本人の率直な肉声を綴ります。

62歳になる今にいたるまで、それなりに読書好きの人生を送ってきたつもりの僕ではあるのですが、これまでドストエフスキーに手を出したことはありませんでした。
『罪と罰』にしても『カラマーゾフの兄弟』にしても超有名だし、いつかは読むことになるだろう、との思いはあったのですが、還暦を超えて以前より読書時間が格段に取れるようになったにもかかわらず、読みたい本が次々に登場してくるのもあって、このままでは、「いつか読む」と言うその時期はもしかしたら永遠に来ないのではないかとの思いにある時気づき、愕然となりました。
でまずは『罪と罰』から、と思ったのですが、読書界の巷の噂では、超長編古典小説で登場人物の名前がなかなか覚えられない、などと言うイメージを何となく耳にしており、読む前から物凄く身構えてしまったことを先に告白しておきます。
読了したその感想を言う前に、この本を読むに僕がいたった体験的理由と、ある意味読書家にあるまじきとも思われる読前の準備について、先にお話ししたほうがどうもいいような気がするので今回はそこから始めてみようかと思います。
昨年の1月、僕と一緒に「情熱大陸」などを何本も制作したディレクターのA君が、44歳の若さで希少ガンとの数年の闘病の末、亡くなりました。
でも、末期と言われた時期も彼は比較的元気なようでもあり、何度か複数人や一対一で飲みに行ったりもしていました。
しかし二人で飲んだ時、彼は
「腰にできた大きな瘤のようなガンを切除する手術を受けた時、今まで経験したことのない痛みを覚えたんです。年上の藤原さんに言うのも失礼かもしれないですが、あの痛みは絶対経験されたことないでしょうし、もしあの痛みを経験することになったら藤原さん耐えられないかもしれませんよ。ふっふっふ」
と不敵に話したのです。
その時は僕も冗談めかして応対したのですが、後からこの会話を思い出す度にその痛みは、たとえば僕が若い頃麻酔をかけずに虫歯を削られて激痛にのたうち回ったあの痛みとさえ、比較にならないものなのだろうか、などと漠然とした恐怖を感じるようになりました。
痛さに耐えられずに、自ら死を選んだり、安楽死を希望する人などもいることをつらつらと考えている時、「文学紹介者」を名乗る頭木弘樹と言う人の『痛いところから見えるもの』という本を見つけ読みました。
- 著者
- 頭木 弘樹
- 出版日
この人自身が、他人になかなか説明のできない痛みに苛まれる日々の中、長年の入退院を繰り返したりもしてきた人で、この本もご自身の痛みが持続して堪らない日々を切々と書いており、こっちまで一体どうしたらいいんだろうという気持ちになっていきます。
で、この頭木さんが、雑誌『文學界』で川上未映子と<痛み>をテーマに対談したのを読んだ際、彼は長期入院していた時に、自分より年上の人ばかり5人と同室で、雑談をする中でその5人の患者にドストエフスキーの『罪と罰』を読むことを薦めてみたそうです。すると何とその5人が全員、入院中に『罪と罰』を読了したと言うのです!
入院していて、時間を持て余しているような人を夢中にさせるような古典長編小説とは一体どのようなものなのか?この対談を読んだせいで、僕は『罪と罰』を今読む理由を自分的に見つけた気がしました。
しかし今、読み始めるにあたり、この年齢で初読となると、再読の機会などはまずないと考えたほうがいいし、無手勝流(むてかつりゅう)で挑むのはあまりにリスクが大き過ぎるのではないかとそれでも思ってしまいました。まことに情けない読書人だなと言う自覚はあります。
そこで数年前に広告で見て気になっていた「『罪と罰』を読まない」と言う本を先に読んでみることにしました。三浦しをんさん、岸本佐知子さん、吉田篤弘さん、吉田浩美さんの4人が、いずれも『罪と罰』を読んだことがなくて、その中の数ページをランダムに選んで岸本さんが英語版からそこだけを訳したものを読んで、4人がこの小説全体の内容を想像しながら話をする、と言う、よくそんな本の企画が通ったなと思わせられるような本です。
でも4人ともほんとうの筋を知らないし、こっちも知らないから読んでいるうちにだんだんイライラしてきました。
だがしかし!
この本、4人とも後半は読了してその感想を話し合い、自分たちのどこの予想が当たっててどこが外れてたかなどの答え合わせをするのです。言わばネタバレ章なので、これから原作を読む人は読まないほうがと三浦さんも言ってるのですが、イライラがマックスまで来てたのでもう読まずにはいられませんでした。そして、『罪と罰』の何となくの全体のあらすじが僕にも見えてきました。
この小説は、やはり登場人物たちが執拗に自分の心境を吐露したり、誰かにぶつけ倒す内容が主であることは間違いないと言うことがわかりました。
- 著者
- ["岸本 佐知子", "三浦 しをん", "吉田 篤弘", "吉田 浩美"]
- 出版日
こうなると今度は、NHKEテレの『100分de名著』に『罪と罰』を取り上げた回がないわけはないと思い、探して見てしまいました。これは以前、僕がこの欄でも書いたトーマス・マンの『魔の山』を読んだ時と同じ行動です。
この番組では、有名なロシア文学者の亀山郁夫氏が解説者として出演していたのですが、僕が選んだのは亀山氏が翻訳した光文社古典新訳文庫のほうではなくて、昔からあるスタンダードな新潮文庫版のほうです。これだけはやっぱり新潮文庫が持つ重厚感のほうに僕的には軍配を上げざるを得ませんでした。
光文社のほうはなんかライトな感じで、これから古典を読むぜという気分が盛り上がらないのもありましてー
で、番組を見たおかげで、ほぼあらすじが頭に入りました。あらすじを知ってから読むことの是非はさておき一つだけ言い訳をしておくと、さまざまな登場人物たちがどんな人間なのか、またどんな言動をしていくのかの大枠を知っていることで、この長編小説の中で書かれる内容についてより正確な精読が可能になった気がするのです。
そんなネタバレした状態で読んで楽しいのか!?との批判が来そうですが、結果的に僕の『罪と罰』の読書は、大変楽しいものとなりました。
読んだことがなくても、ラスコーリニコフという主人公が、金貸しの婆あを殺してしまうところから始まる小説、ということぐらいは知っている人も多いのではないでしょうか。
このラスコーリニコフが感じの悪い金貸し婆あを殺す場面は、割と最初のほうに出てくるので、ここまではここでネタバレしても許してもらえるということにしましょう。
この主人公、人間として好きになれない、と思う読者が、6対4ぐらいで多いのではないかと僕は思います。特に前半。お金がなくて、ふるさとの母親に無心して送ってもらうにも関わらず、街で困っている子どもなどにホイホイとその金を恵んでしまったりするので、おまえ、何やっとるんじゃ!と僕と同じように突っ込む人も多いことでしょう。
しかしこの男のこうした行動が、結果的に彼の人生を左右するまでにいたるソーニャという女性との出会いのきっかけになることもまた事実なので、小説的に巧まれた展開のフリに後半気づいて、あっそうだった!くそ、そう言うことだったのか!と主人公に対して冷静な気持ちになったりもするんですけどねこれが。
あとこれは読む人によって意見が別れてくるところかもしれませんが、僕はソーニャよりラスコーリニコフの妹・ドゥーニャのほうにより強い魅力を感じました。この兄妹、めちゃお互いの信頼関係が強くて、ドゥーニャと結婚しようとする年配の男ルージンが、どうも危うい奴だと見抜いて徹底的にその結婚を阻止しようとするのとか、最初はなんで?と思ったりもするのですが、結果これも兄によって結果的に救われたことになるのかドゥーニャ、くそ、そうなのか!となってこっちの展開も作家に一杯食わされた気分になりました。
でもドゥーニャがすごく魅力的な女性であるのは、主要登場人物男性3人にすごく惚れられてしまうことからも、作家自身がより凛々しく聡明で魅力的な女性として描いている感じがします。それに比べるとソーニャはちょっと宗教がかっているところがあるので、そのせいで無宗教の日本人読者であればなおのこと魅力が減殺されてしまうと言うことかもしれません。
そして小説の後半に入って本格的に登場して、結果、主人公と同じぐらいの存在感を示すことになるスヴィドリガイロフという50歳の男。この男のことを三浦しをんさんは、先ほどの本の中で、ラスコーリニコフよりずっと好き、などと言っていましたが、三浦さんは彼女がいわゆるキャラ好きであることを考慮に入れると、好きな人に対して気持ちが悪くなるほど一途、みたいな何とも言えない笑っちゃう感じが好きなのではないかと想像します。でもスヴィドリガイロフ、冷静に客観的に考えるとだいぶやばい男であるのは間違いないし、僕の個人的意見ではあるのですが、もしかしたらこの男、真の意味でのロリコンではないのかとさえ思いました。そのように考えると彼が最後に辿る運命の理由も、その性癖が世間に受け入れられないこともあったのではないかなどと思ったのですが、こんなこと言うと世界中のドストエフスキー評論家が聞いたら馬鹿も休み休みにしろと言われてしまいますかね。それもこれも僕にとって『罪と罰』の精読が可能になったがゆえの気づきの側面もあるのですが、これから読もうという人がいたら、そこに注意して読んでみるのも一興かもしれません。
- 著者
- ドストエフスキー
- 出版日
- 1987-06-09
- 著者
- ["ドストエフスキー", "精一郎, 工藤"]
- 出版日
ちなみにこの『罪と罰』、物語が始まって、エピローグの前までで時制はわずか2週間の間での話です。つまりはラスコーリニコフ初め登場人物たちにとって無茶苦茶濃厚な短期間の話なのです。その間の主人公の心の動きは、率直に言って甘ちゃんの誹りを避けられないのではないかと現代日本人の僕などは思いますが、近代の日本作家は、漱石にしても太宰にしても高等遊民的な立場で身近な人間関係にあーでもないこーでもないと書きがちであることを考えると、洋の東西を隔ててもドストエフスキーも似ているのかもしれません。
これ同じロシアでもトルストイならもっと大きな社会のこと書いてるのではないかとそのタイトルからも想像できるのですが、あまりそちらには惹かれないのですね。僕自身個人が抱える事情を元にしたお話しか基本的には興味がないのだと思います。
話は変わりますが、どんな質問に対してもまずは関心を向けて必ず前向きに対処して参ります、的なことを高市さんは言うけど、人間なら正直全く興味のない分野もあるだろうのに、そんなことは口が裂けても言わない、と言うのはさすがだなと思います。
僕自身はいつまでもラスコーリニコフの甘ちゃんの雰囲気に近く多少そこに毛が生えた程度の大人ぐらいの感じでこれからも生きていけたらなと思います。
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info:ホンシェルジュX(Twitter)
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