松尾芭蕉の知っておきたい7つの逸話!実は忍者だった⁉おすすめの作品も紹介

更新:2017.8.27

自然の風景や旅の儚さを俳句に詠みながら日本中を旅し、今も日本各地に作品が残る俳句の第一人者として有名な松尾芭蕉。今回はそんな彼の生涯と意外と知られていない逸話、さらに人物像をより知ることのできるおすすめの関連本を紹介していきます。

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松尾芭蕉の生涯は。旅を続けた俳句の求道者

 

松尾芭蕉は江戸時代中期の伊賀国(現在の三重県)にて、農民の身分であった両親のもとに生まれ、松尾宗房と名付けられました。

平家の末流という血筋で、身分に関わらず帯刀を許されていた程に恵まれていた松尾家でしたが、芭蕉が13歳の頃に父が亡くなり家計が苦しくなると、芭蕉は若くして伊賀の侍大将の元に仕える事になりました。

料理人という立場での仕官ではありましたが、その生活の中で、当時は身分の高い者の嗜みであった俳句に触れると、芭蕉もまた、松尾宗房の名で俳句を嗜むようになり、その自由さや、言葉の持つ力の面白さにのめり込んでいきます。

1660年頃兄が亡くなると、すでに夢中になっていた俳句の道を極めたいと考えていた松尾芭蕉は、仕官を辞め、俳句研究の最先端であり、多くの名俳人の集まる江戸へ上京する事を決意しました。

江戸に入ってからは、日本橋や深川など居を移しながら多くの俳人達と交流し、多くの知識を学びながら活動を続けていくと、その持ち前の言葉選びや、芭蕉の独特な視点が徐々に評価を受けはじめ、いつしか多くの発表会になくてはならないほどの存在になり、たくさんの弟子を従えるまでになります。

しかし、絶対的な地位を得たにも関わらず、芭蕉は自然の持つ力強さや、世の中の儚さを俳句にする事を好み、俳句で稼いだお金で住居を持ち隠居するような生活を嫌い、日本各地を自らの足で旅しながら俳句を詠むような日々に身を置いていました。

そのような旅路のようすや、旅の先々で詠んだ俳句が『野ざらし紀行』や『奥の細道』といった紀行物語として、生涯で詠んだ1000句ともいわれる俳句とともに、今も多くの人に愛されています。

松尾芭蕉の知っておきたい7つの逸話!忍者だった⁉

 

1:俳句を始めてからしばらくは、俳句だけで生計を立てることはできなかった

故郷を出て俳句で生計を立てるべく江戸へ向かった芭蕉でしたが、始めてからしばらくはなかなか評価されず、水道工事の事務仕事や、肉体労働で生計を立てながら俳句を詠み続けました。

その期間は23歳から35歳までと実に10年以上にわたり、なかなかの苦労人だったことが分かっています。

2:松尾芭蕉は実は忍者であった説

松尾芭蕉の旅の記録として有名な『奥の細道』ですが、その移動距離を現代の数値に換算してみると、実に2400キロもの距離を150日で踏破したことになるのです。

とても困難に思えるその旅路を、当時46歳であった芭蕉が実に1日16キロもの移動を平気で行っていることから、芭蕉は日ごろから何か訓練を受けた人物ではないか。そして、伊賀で松尾家が優遇されていたという点も少々不可解であり、芭蕉は伊賀国を守るための忍者だったのではないかと言われています。

3:何ヶ月も旅をしたが実は一度も野宿をしたことが無かった

自然の中に身を置き、その風情や儚さを全身で感じることのできる旅を愛した芭蕉ですが、実は野宿が嫌いで、大金をはたいてでも宿に泊まったり、支援者の家に押し掛けて無理矢理泊まったりという少々わがままな旅であったことが、弟子の日記により知られています。

4:実は同性愛者であり、旅に恋人を同行させることもあった

実は松尾芭蕉は同性愛者であることが弟子の日記により知られていて、本人もまた、若いころに詠んだ俳句において、自らが同性愛者であることを告白しています。

俳句を詠むための旅に恋人を連れ出したり、恋人とともに住んだり、恋人が亡くなってしまった際には、その恋人を偲んで詠まれた俳句が残されていたりと、芭蕉にとっては俳句とともに、その生活を支える同性の恋人がとても大切なものであったと考えられます。

5:芭蕉は病に伏してもなお、亡くなる前日まで次の旅の計画を立てていた

俳句を金稼ぎの手段としか考えない他の有名な俳人たちを嫌い、あえてそんな俳人の集まりを避けて、自ら険しい旅路に身を置くことを好んだ芭蕉は、何よりも旅を愛していました。

大阪の地で病に伏した際にも、動けない体で旅に思いを馳せる俳句を詠んでいますし、もし、病が全快した際には、次は九州地方へと向かう予定を立てており、亡くなる前日まで、その旅の細かな行程を考えることを日々楽しみにしていました。

6:松尾芭蕉の旅には他に重大な使命があった説

松尾芭蕉は俳句を詠むために日本各地を旅したことで知られていますが、当時は国の境には関所が設置され、そこを行き交う人々を厳しく調べていたので、簡単に他の国へ移動するということは不可能でした。

しかし、芭蕉はそういった問題をものともせずに自由に旅し、俳句を書いています。

そういった理由により、世の中の治安や反政府的な集まりを調査する使命や、何か重大な事柄を隠密に伝令する使命など、何か国を左右するような重大な命令を幕府から受け、その恩恵によって簡単に関所を越えることができたのではないか、と言われています。

7:松尾芭蕉はキリシタンであり、旅行記にその暗号を残した説

これもまた、謎の多い芭蕉の旅の記録について噂されている説の一つです。

その理由も、芭蕉の俳句には聖書の話を彷彿とさせるものがたびたび登場し、雛というキリシタンを指す言葉で俳句を詠み、弾圧されていたキリシタンの悲しみを詠んだと思われる俳句の存在が知られています。

他にも、芭蕉がその旅で目指す目的地は隠れキリシタンに関連する土地が多く、そういった理由により、松尾芭蕉は実は隠れキリシタンであり、旅はキリシタンの巡礼の旅であったのではないか、というような説も多く考えられています。

松尾芭蕉の弟子を紹介

 

数多く弟子がいることでも有名な芭蕉ですが、そのなかでも特に優れた10人のことを「蕉門十哲」といいます。ご紹介しましょう。

向井去来(むかいきょらい)
内藤丈草(ないとうじょうそう)
服部嵐雪(はっとりらんせつ)
宝井其角(たからいきかく)
森川許六(もりかわきょりく)
立花北枝(たちばなほくし)
各務支考(かがみしこう)
杉山杉風(すぎやまさんぷう)
志太野坡(しだやば)
越智越人(おちえつじん)

このほかにも、芭蕉が『おくのほそ道』を書くに至った東北・北陸の旅に随行した河合曾良(かわいそら)や、近江国膳所藩(ぜぜはん)の中老を務めていた菅沼曲翠(すがぬまきょくすい)などがいます。 

地方にも多くの門人がいて、「芭門派」として活躍しました。

松尾芭蕉の入門編。平泉、松島などの風景とともに。

芭蕉は全国を回りながら、旅先の景色から感じた色や音、風情、そして侘しさを俳句で表現し、俳句の道を追求していきました。

しかし、その旅は、自動車や飛行機のような交通手段の発達していない時代の事であり、決して容易なものではありません。

『芭蕉入門』では、そんな芭蕉の旅の苦難や、芭蕉の人物像に触れながら、その長い旅の記録や俳句を残した場所について紹介し、芭蕉が生涯で行ってきた事柄を、分かりやすく知ることが出来るようになっています。

著者
井本 農一
出版日
1977-02-10

例えば「夏草や 兵どもが 夢の跡」という有名な俳句は、芭蕉が平泉を訪れた際に、奥州藤原氏の建てた屋敷や金色堂が荒れ果て、田畑に変わっているのを目撃し、栄華を極めたこの地も、全ては短い夢のようだった、とその儚さを詠っています。

「五月雨を 集めて早し 最上川」という俳句は、場所こそ山形県の最上川であるという事は分かるのですが、実はこの俳句は、最上川を船で渡った際に、その激流に怖い思いをした芭蕉が、「集めて涼し」であった部分を、「集めて早し」に急きょ変更した俳句であるという事はあまり知られていません。

このように、芭蕉の有名な俳句は、今もその響きによって多くの人に愛されていますが、『芭蕉入門』にて、その旅の景色や、彼の感情、言葉の意味を知れば、もっと深く、リアリティを感じ芭蕉の俳句を、旅の風景とともに楽しむことが出来ます。

松尾芭蕉はどんな人だったのか。本当の姿を知る一冊

松尾芭蕉は俳句や、その旅路の事が多く語られ、そればかりが知られていますが、実はその人物像や生涯はあまり知られていません。

その芭蕉の想像もつかないような人物像に迫り、その旅の道中や、残した俳句の本当の意味、人物像を明らかにするとともに、より深く知ることが出来るのが『悪党芭蕉』です。

著者
嵐山 光三郎
出版日
2006-04-22

俳句の道を究めようと過酷な旅を続け、行く先々で俳句を残した彼の功績により、いつしか道を究めようとする求道者として、多くの人々の称賛を浴びた芭蕉ですが、実は彼の素顔はかの芥川龍之介から、「日本の生んだ三百年前の大山師」と呼ばれるほどの粗暴な性格の人物でした。

彼の弟子たちは多くのならず者たちが集まり、その弟子たちと衆道関係を持ち、旅先ではわがままを押し通し、俳句を書くためにはなりふりかまわずに少々悪いことにも手を染める。

横暴で傲慢極まりない芭蕉の旅は、ただ一点、俳句を書く、という事だけに全てが注がれていて、他の事はどうでもよいというほどに俳句に情熱が注がれていました。

そんな彼の本当の素顔に迫った『悪党芭蕉』を読み終えた時、あなたの心に残る松尾芭蕉は、とんでもない大悪党か、それとも、そんなことまでして俳句を残そうとした求道者の鏡であるか、どちらでしょうか。

松尾芭蕉の代表作『奥の細道』を読む

数ある松尾芭蕉の旅の物語の中で、その移動距離や困難の度合い、そしてその旅を通じて得た経験の大きさによって、松尾芭蕉の旅の集大成と言われているのが、『奥の細道』に記した大垣までの旅です。

『「奥の細道」を読む』では、そんな大垣までの旅路に詳しい解説や注釈を加え、『奥の細道』を、それ以降の芭蕉の人生とともに、隅々まで理解できるように書かれています。

著者
長谷川 櫂
出版日

「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」 (『奥の細道』より引用)

『奥の細道』の序文の有名な一節ですが、『奥の細道』は芭蕉が約150日にも渡って全国を旅し、その先々で詠んだ俳句を掲載した松尾芭蕉の作品で最も有名な紀行物語です。

江戸から大垣までの旅路で出会った様々な人々との出会いと別れ、そして日本海沿岸で感じた宇宙への思い、そして出会った新たな人生観。この旅で芭蕉は多くの物を得ることになりました。

本書は、芭蕉がその旅路で出会ったあらたな感情と新しい人生を、筆者による詳しい解説を加えながらその旅路を如実に再現することによって、『奥の細道』をさらに深く理解し、まるで日本中を共に旅しているかのような感覚を与えてくれる一冊です。

芭蕉とともに旅に出よう

『奥の細道』は芭蕉の作品で最も有名な紀行物語ですが、他にも『野ざらし紀行』、『冬の日』といった紀行物語を残しているのはご存知でしょうか。

『芭蕉紀行』では、『奥の細道』に限らず、芭蕉の行ってきた様々な旅路を追いながら、その代表的な日本各地の素晴らしい景色や現在の景色を紹介している、いわば旅行ガイドのような構成になっています。

著者
嵐山 光三郎
出版日
2004-03-28

本書は、芭蕉を心から愛する著者が、自らの目と足でその旅路を辿り、芭蕉の生涯に思いを馳せた、現代の松尾芭蕉紀行物語ともいえるような内容で構成されています。

芭蕉を題材とした旅行記は多く出版されていますが、本書は芭蕉の足跡の全てを辿っているので、あまり扱われることのない『更科紀行』や『かしま紀行』の旅路についても知ることが可能で、著者の芭蕉への愛情が伝わってきます。

旅の先々での名産や、美味しい食べ物についても合わせて紹介している本書を手に取り、旅行の計画を立てたり、まだ見ぬ景色に思いを馳せてみると、きっと芭蕉が旅した広大な景色が頭に広がり、思わず出かけたくなってしまうような気持ちにさせてくれる一冊です。

小説で読む松尾芭蕉

4作品を通じて、松尾芭蕉という人物、そして芭蕉の旅や作品について知ることの出来る書籍をご紹介させていただきましたが、最後にご紹介する『芭蕉魔星陣』は少々趣向の違う作品です。

本書は、その旅の真意や目的について、そしてその正体について今も謎が多く残り、様々な噂が後を絶たない松尾芭蕉という人物を題材にした、いわゆるタイムスリップSF小説と言うような作品になっています。

著者
井沢 元彦
出版日

2人の大学生が江戸時代、徳川綱吉の治める江戸幕府にタイムスリップするところから始まる本書は、そこで出会った松尾芭蕉と共に怨魔皇帝を討伐するまでの物語です。

少々話がかけ離れ、芭蕉を紹介知るための書籍としてふさわしくないように思えますが、実は芭蕉というその人物には未だに多くの謎があり、本書に登場する芭蕉の正体が忍者であるという設定もまた、多く噂されている説の一つです。

少々ファンタジーに寄った内容ではありますが、江戸時代の風景や描写、そして物語の構成や人物像は、ページをめくるごとにハラハラしてしまう程リアリティを持ち、最後の討伐のシーンでは、思わず声をあげてしまうほどの爽快さを味わうことが出来ます。

本書を通じて松尾芭蕉の謎を考えてみると、もしかしてこれが本当の答えなのかもしれない、とまで思ってしまうほどによく構成されたその内容は、ページをめくる手が止まらず、一気に読み終えてしまう程夢中になってしまいます。

以上、松尾芭蕉に関する本をご紹介させていただきました。芭蕉は、俳人、旅人、求道者、そして謎の人物像と、様々な角度から、今でもたくさんの人の注目を集めています。今回ご紹介した書籍は、特に、色々な角度から知ることの出来る書籍を選んでみましたので、一番興味を持った分野から、松尾芭蕉という人物について、触れてみてくれたら幸いに思います。

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