【現代の悩みを哲学で解決】悲しいニュースに心が動かない自分は冷たい人間なのか? 孟子の「惻隠の心」から考える

更新:2026.8.25

現代の悩みを小説形式で考える哲学シリーズ。 今回は、遠くの悲劇に心が動かない自分を疑う悠人の物語です。 「死者は3000人を超えた」と字幕が出ている。 悠人の親指は、その画面を一秒で通り過ぎました。ところが同じ朝、目の前で一人の男性が倒れると、考えるより先に体が動きます。 画面の向こうの三千人には何も感じず、目の前の一人には手を伸ばす。この落差は、人間の冷たさなのでしょうか。 孟子の『孟子』にある「惻隠の心」から考えてみたい。

大学院のときは、ハイデガーを少し。 その後、高校の社会科教員を10年ほど。 身長が高いので、あだ名は“巨人”。 今はライターとして色々と。
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動かない親指

火曜の朝、いつもの各駅停車。悠人は吊り革につかまり、ニュースを流し読みしていた。

海外で大きな地震があった。倒れた集合住宅。土埃のなかで泣き叫ぶ人。死者は3000人を超える見込みだという。

指は止まらなかった。次は野球の結果、その次は新作のスニーカーだった。

会社の最寄り駅で電車を降りたとき、数歩先でスーツ姿の男性が崩れ落ちた。

気づくと、悠人はそばにしゃがみ、男性の肩を叩いていた。

「聞こえますか」

返事はない。近くにいた人に駅員を呼んでくれと頼み、呼吸を確かめた。何をすべきか考えるより先に、声と手が動いていた。

男性はほどなく意識を取り戻した。駆けつけた駅員に任せ、悠人は会社へ向かった。

遅刻の理由を話すと、上司や同僚は「偉いじゃん」と褒めてくれた。

本当に「偉い」のだろうか。

帰りの電車で、朝と同じ地震のニュースを開いた。死者の数は増えていた。悠人は胸の奥に何か起きるのを待った。悲しみでも、痛みでもよかった。

だけど何も起きなかった。

3000人には何も感じないのに、目の前の一人には、考えるより先に体が動いた。

「俺の同情心は、半径数メートルしかないのか」

その晩から、悠人はニュースを読むたびに自分の心を確かめるようになった。

戦争。洪水。飢餓。どれほど悲惨な数字を見ても、心は静かなままだった。

駅の柱に貼られた募金のポスターの前で、足を止めたこともある。写真の子どもと目を合わせ、胸の奥の何かが動くのを待った。

やはり、何も起きなかった。

呼び込みの旗

10日ほどたった土曜の昼、悠人は駅前で「献血にご協力ください」と書かれた旗を見かけた。

「血液が足りません」

若い職員が、通り過ぎる人たちに声を張っていた。いつもなら悠人も、その一人として通り過ぎる。けれど、その日は足が止まった。

誰の血が足りないのかは分からない。顔も名前も見えない。

それでも何も感じられないままでいるよりは、何かしたかった。善意というより、罪滅ぼしに近かった。

悠人は職員から案内の紙を受け取り、献血ルームへ入った。

献血は初めてだった。問診票を書き、医師の質問に答えたあと、リクライニングの椅子に案内された。

針が腕に入り、透明な管を赤い血が流れはじめる。自分の身体から出たものが、知らない誰かの身体へ向かっていく。そう考えてみても、まだ相手の姿は浮かばなかった。

「初めてですか」

針を固定しながら、五十代くらいの看護師が尋ねた。名札には佳代子とあった。

「はい。……なんとなく、来ちゃったんですけど」

「なんとなくで400ミリ。十分ですよ」

佳代子はそう言って笑い、ワゴンの上の器具を片づけはじめた。それ以上、理由を尋ねる様子はなかった。

その沈黙に悠人は少し救われた。立派な動機などない。それでもここにいていいのだと思えた。

「この前、駅で人が倒れたんです」

口に出してから、なぜそんな話を始めたのだろうと思った。佳代子は手を動かしたまま、「そうでしたか」とだけ答えた。

悠人はホームで起きたことを話した。男性の肩を叩いたこと。考えるより先に声と手が動いたこと。そして話しているうちに、誰にも言えずにいた疑問まで口から出ていた。

「変なこと聞いていいですか。ニュースで何千人死んだって見ても、僕、何も感じないんです。目の前で一人倒れたときは体が動いたのに。これって、冷たいんですかね」

佳代子はすぐには答えなかった。器具を一つずつ所定の場所に戻し、少し考えてから言った。

「牛と羊の話、知ってます?」

牛と羊

「看護学校の先生から聞いた話です。授業の途中で、よく中国の古い話を始める人でね」

佳代子はそう前置きしてから、2000年以上前の斉という国の王について話しはじめた。

ある日、王は一頭の牛が引かれていくのを見た。新しい鐘に血を塗る儀式のため、殺される牛だった。縄につながれた牛は、罪もないのに刑場へ連れていかれる人のように震えていた。

王はその姿に耐えられず、牛を放すよう命じた。ただし儀式をやめたわけではない。牛の代わりに羊を使えと言った。

「それを聞いた人たちは、王様は大きな牛を惜しんで、小さな羊に替えただけだと笑ったそうです」

「実際、羊は殺すんですよね」

「ええ。牛はかわいそうで、羊ならいいのか。そう思いますよね」

悠人はうなずいた。助けるなら両方を助ければいい。片方だけでは、かえって王の身勝手さが目立つ。

「でも孟子は、王を笑わなかったんです。牛は目の前で見た。羊はまだ見ていない。その違いだと言いました」

悠人は腕から伸びる管に目を落とした。血は一定の速さで流れつづけている。

「見えたものだけ、かわいそうになる。それって、やっぱり都合がよくないですか」

「都合はいいでしょうね。でも孟子は、そんなのは偽善だと切り捨てなかった。人の心はまず目の前にあるものに動く。その事実から始めたんです」

佳代子は同じ先生から聞いたもう一つの話を続けた。

幼い子どもが井戸に落ちかけている。その姿を見たら、誰でも思わず駆け寄る。子どもの親に気に入られたいからではない。立派な人だと褒められたいからでもない。助ける理由を考える前に、胸がざわつき、身体が動く。

「孟子は、その心を“惻隠”の心と呼びました。人が生まれながらに持っている、小さな始まりです」

「小さな始まり」

「はい。完成した善人の心ではありません。放っておけば、目の前の牛だけで終わる。だから育てて、まだ見えていない羊のほうへも広げていく」

悠人はホームで倒れた男性の顔を思い出した。閉じた目。青ざめた頬。肩に触れたときの布地の感触。細部まで思い出せる。

一方、地震で亡くなった3000人には、顔がなく数字だけがあった。

「じゃあ、僕がホームで動けたのも、その心なんですか」

「たぶん。冷たくないことの証明とまでは言いませんけど、少なくとも、何もないわけではありません」

佳代子はそこで一度言葉を切った。

「孟子は王に対して、こう言ったんです。牛を見て感じた心を、国中の民へ広げなさい、と。だけど遠くの人まで目の前の人と同じように感じろ、ということではないと思うんです」

「心が動く範囲は狭くても、その心を近くに閉じ込めず、行動だけは遠くへ届けることはできる。孟子が言う『推し広げる』って、そういうことじゃないでしょうか」

400ミリリットルの距離

「偉そうに聞こえるかもしれませんけど、私もテレビの向こうを見て、いつも泣けるわけじゃないんですよ」

佳代子がこの仕事を選んだのも、遠くの誰かを救いたいと思ったからではなかった。

20代のころ、父親が大きな手術を受け、大量の輸血が必要になった。手術を終えて病室へ戻った父の手は冷たかった。それでも指先には、ゆっくり握り返す力が残っていた。

「父に血をくれた人たちの顔は見えませんでした。名前も分かりません。でも、その人たちが差し出した血は、父のところまで届いた。そのとき初めて、見えない誰かのために腕を差し出す人がいるんだと気づいたんです」

佳代子は、悠人の腕に留めたテープを指で押さえた。

「ここへ来る人も、初めから会ったことのない誰かを強く思っているとは限りません。家族が輸血を受けた人もいれば、友達に誘われた人もいる。駅前の呼び込みが、たまたま耳に残った人もいます」

「そんなきっかけでも、いいんですか」

「いいんじゃないでしょうか。そのきっかけは近くても。近くで動いた心を、そこで止めなければ」

佳代子は、管の向こうにたまった血液バッグへ目を向けた。

「この血は、あなたの知らない病院へ運ばれます。使われる相手の名前も年齢も、私たちには分かりません。あなたがその人を思い浮かべられなくても、血はちゃんと届きます」

やがて採血が終わり、針が抜かれた。佳代子は小さなガーゼを当て、その上をテープで留めた。

400ミリリットル。学校給食の牛乳瓶なら、二本分だった。

別の職員が血液バッグを持ち上げ、ラベルを確かめる。悠人の目の前にあった赤い袋は、銀色のケースに収められ、奥の扉の向こうへ運ばれていった。

休憩スペースで紙パックのジュースを飲みながら、悠人はその扉を眺めていた。

3000人分の悲しみを感じられる日は、たぶん来ない。画面の前の自分は、明日も静かなままだろう。けれど、その静けさだけを見て、自分のなかには何もないと決めつける必要もないのかもしれない。

目の前の一人に動いた心は、小さいままでも、そこで終わらせずに済む。

悠人には顔も名前も見えない。400ミリリットルの血は、扉の向こうへ運ばれていった。

次の予約

数週間後の昼休み、献血ルームから通知が届いた。

「あなたの血液は検査を終え、医療機関へお届けしました」

届け先の病院も、受け取った人の名前も書かれていない。通知を閉じようとしたところで、悠人の指は止まった。短い文面を、もう一度読む。

思い出したのは患者の顔ではなく、銀色のケースに収められ、扉の向こうへ運ばれていった赤い袋だった。

その先にいる人の顔は、どうしても思い浮かばない。けれど、姿が見えなくても、あの血は誰かのいる場所まで届いた。以前なら、その違いを考えもしなかっただろう。

そのことに胸が熱くなったり、感傷的になったりはしなかった。ただ、短い文面をもう一度読んでから、通知を閉じた。

その夜、ニュースは海外の洪水被害を伝えていた。濁った水のなかを歩く人たち。屋根まで沈んだ家。画面の隅では、死者の数が増えつづけていた。

悠人の心はやはり静かだった。だけどこれ以上、考えることはしなかった。

記事を最後まで読み、献血のアプリを開いた。次に予約できるのは3ヶ月後だった。

悠人が画面を押すと、その日の欄に小さな赤い印がついた。

さらに問いを深めるためのおすすめ書籍

孟子(1968年)『孟子(上)』(小林勝人 訳注)岩波文庫

著者
出版日
1968-02-16

今回取り上げた「惻隠の心」の出典です。佳代子が語った牛と羊の問答も、井戸に落ちかけた子どもの話も、この上巻に収められています。

孟子は人の矛盾をすぐに偽善と切り捨てません。王は目の前の牛を救いながら、見ていない羊を身代わりにしました。人々は牛を惜しんだだけだと笑います。ところが孟子はその不完全な行為のなかに、他者の苦しみを見過ごせない心を見つけました。大切なのは芽生えた心を、まだ見えていない人々へどう広げるか。悠人が献血を通じて向き合ったのも、同じ問いかけです。

岩波文庫版は、短く区切った原文ごとに、読み下し文、現代語訳、注釈を添えた構成です。漢文に慣れていなくても、まず現代語訳で問答の流れをつかみ、気になった箇所だけ原文や注釈へ戻れます。惻隠の心をめぐる二つの逸話は、いずれも上巻の前半に収められているため、今回の物語を入口にして孟子の思想をたどることができます。

フランソワ・ジュリアン(2017年)『道徳を基礎づける──孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ』(中島隆博・志野好伸 訳)講談社学術文庫

著者
["フランソワ・ジュリアン", "中島 隆博", "志野 好伸"]
出版日
2017-10-11

中国思想を研究するフランスの哲学者が、孟子をカント、ルソー、ニーチェと読み比べた一冊です。義務を道徳の基礎に置くカント、あわれみを重んじるルソー、同情に厳しい目を向けるニーチェ。それぞれとの違いをたどりながら、孟子の「惻隠の心」が持つ意味を浮かび上がらせます。

焦点となるのは、井戸に落ちかけた子どもを見て、胸が騒ぎ、思わず手を伸ばす瞬間です。計算より先に生まれるその感情を、道徳の出発点にできるのか。惻隠の心は目の前の一人には動いても、見えない大勢には届かないことがあります。

このような偏りのある感情を、あてにならないものとして退けず、どう育てればよいのか。ジュリアンは感情の不完全さを認めながら、そこから道徳が始まる可能性を考えていきます。

悠人がホームで経験したのも、考えるより先に体が動く瞬間でした。その小さな反応を見えない誰かへどう広げるか。悠人が抱えた悩みを、東洋と西洋の思想を往復しながら掘り下げる一冊です。

ポール・ブルーム(2018年)『反共感論──社会はいかに判断を誤るか』(高橋洋 訳)白揚社

著者
["ポール・ブルーム", "高橋洋"]
出版日
2018-02-02

「共感は善いものだ」という常識を、心理学の側から問い直す一冊です。著者のポール・ブルームは、共感をスポットライトにたとえます。目の前の一人を明るく照らす一方で、その外側にいる人々を見えにくくする。顔の見える一人には強く心を動かされても、統計の中の千人には同じように反応できない。悠人が悩んだ落差も、個人の冷たさではなく、人の心に生じやすい偏りとして捉え直されます。

ただし本書は、何も感じなくてよいと説くものではありません。ブルームが退けるのは、相手の痛みを自分の痛みのように感じることだけを、善い行動の基準にする考え方です。強く感情移入できない相手にも配慮するには、その苦しみを減らそうとする思いやりと、何が本当に役立つかを冷静に見極める理性が必要だと論じます。

目の前にいない3000人と同じ悲しみを感じられなくても、できることはある。悠人が献血を選んだように、感情の強さと行動は必ずしも一致しません。小さな心を育てようとした孟子と、共感の偏りを理性で補おうとするブルーム。二人の答えは異なりますが、それでも目の前にいない人のために何ができるかという、同じ課題に向き合っているといえるでしょう。

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