最近旅をしていますか?旅がもたらす、初めて見るもの、食べるもの、感じる空気。それらをなんとなく避けてはいませんか?今回はもっと旅に出たくなる。女子旅のお供にしたいおすすめ本5選を紹介します。
『降り積もる光の粒』最近の若者は旅をしなくなって来ていると言われています。携帯電話を覗けば世界中の生活を知ることが出来たり、世界中の人々との交流することが可能になったからでしょうか?
- 著者
- 角田 光代
- 出版日
- 2014-08-29
確かに旅をすることは簡単ではないかも知れません。旅の準備には時間がかかるし、旅先では迷子になったり、お腹を壊したり。それでも人々が旅に出るのはどうしてなのだろう。その答えに導いてくれるのがこの『降り積もる光の粒』なのです。
作者は角田光代。小説はもとよりエッセイの名手でもあります。この本は彼女が日本国内や海外の旅の記録を集めたエッセイです。
作者いわく旅をする人には2種類の人がいます。旅先を「褒める」ことでその場所と親しくなろうとする人と、旅先を「けなす」ことでその場所と親しくなろうとする人。
「褒める」タイプの人は、ひたすら旅先の良いところを口にします。一方で「けなす」タイプの人は「なんだこの珍しい食べ物は!」などと言いながらも、それを注文して「まずい!」などと言いながらも楽しんでいます。
また作者は「空港」についても面白い指摘をしています。
「行きの空港」は旅に含まれているけれど「帰りの空港」は含まれていない。
「(行きの)空港にあるカフェのビールは、町で飲むそれとはまったく異なる味がするような気がするし、売店で売られているうどんやカレーすらも、未知の味のもののように思える。」(『降り積もる光の粒』より引用)
しかし、
「(帰りは)我先にと飛行機を降り、徒競走のように入国審査カウンターを目指す。(中略)空港のカフェのビールがおいしそうだなどとは思わない。できるだけ早く家に帰って、家か、家のそばのなじみの店で、ゆっくりビールを飲もうと思う。」(『降り積もる光の粒』より引用)
こんな風に「旅はなんだか面倒臭い。観光地を回って、写真を取って、お土産を買って帰るだけだし。」と、いつもは一方向からだけしか見ていなかった「旅」というボールを、角田光代はコロコロと転がしてみせてくれるのです。旅というものに対して違った側面を見せてくれます。
旅が終わった後に気づけば心に降り積もっている「光の粒」を私たちに少しだけお裾分けしてくれるような素敵な本です。
『私のマトカ』「マトカ」—フィンランド語で「旅」という意味です。この『私のマトカ』の作者は女優の片桐はいり。『あまちやん』『とと姉ちゃん』『かもめ食堂』など数々のドラマや映画に出演する彼女が『かもめ食堂』の撮影で滞在したフィンランドの日々を綴ったのが、この『私のマトカ』です。
- 著者
- 片桐 はいり
- 出版日
フィンランドでの撮影の様子や、フィンランド人との思い出、オフに訪れたフィンランドの田舎町での出来事を独特の比喩表現で魅力的に語っています。
「トマト、ベリー類の暖色系の花たちに、ブロッコリーやぱんぱんに太ったさやえんどうの緑の濃淡。なすや紫たまねぎのすみれ色。」(『私のマトカ』より引用)
これはフィンランドのヘルシンキの青空市場の描写です。目の前に色あざやかな野菜が並べられている様子が浮かんで来るだけでなく、市場で働く人々のお喋りや、ユーロコインのちゃりん、という音まで聞こえてきそうな気がします。
一番オススメなのが片桐はいりが撮影期間の合間に行った「ファームステイ体験」のエピソード。作者は、ずんぐりむっくりな口ひげをたくわえて、つなぎを着た「マルックおじさん」の元でフィンランドの田舎生活を体験します。
牧羊犬や羊と戯れたり、マルックおじさんとバイクを飛ばしてドライブをしたり。無口だけど一度打ち解けると虚心坦懐にお喋りを続ける「ザ・フィンランド人」のマルックおじさんと、好奇心旺盛なくせに、心配性な片桐はいりの二人は、まるで付き合いの長い友人のよう。お互いたどたどしい英語でコミュニケーションをとる様子は、クスクス笑えて、時々ジーン……と心を温めてくれます。
笑えて泣ける大満足のエッセイです。読めばきっとフィンランドに行きたくなること間違いなし!ぜひ手に取ってみてください。
『本は読めないものだから心配するな』菅啓次郎は比較文学者であり詩人。比較文学とは各国の文学作品を比較して、表現・精神性などを対比させて論じる学問のことです。
- 著者
- 管 啓次郎
- 出版日
- 2011-05-31
つまり菅啓次郎は様々な国の本に触れることを職業としています。そんな菅啓次郎が記したのがこの『本は読めないものだから心配するな』。一瞬耳を傾け疑うようなタイトルですが、このタイトルには深い意味が込められているのです。
この本は菅啓次郎が紙誌に書いた様々なテーマの形式の文章が集められて作られています。著者の旅のエピソードや読書に関する考え方などが、独特の語り口で綴られています。それはまるで菅啓次郎が持つ熱い想いが激しく流れる滝のように押し寄せてくるよう。読めば読むほどその勢いに圧倒され、菅啓次郎の思考の深遠さに驚かされます。
例えば著者はこんな言葉を残しています。
「本を買うことは、例えばタンポポの綿毛を吹いて空に飛ばすことにも似ている。(中略)心を外に連れ出してくれる動きがある。(中略)本とは一種のタイムマシンにして空飛ぶ絨毯である。」(『本は読めないものだから心配するな』より引用)
これは正に読書の醍醐味と言えるでしょう。本は私たちを1000年以上昔の平安時代にも、アンドロイドが人類を支配した近未来にも、遥か遠い外国の少数民族の村にも、宇宙の彼方までも、連れ出してくれます。
またあるとき菅啓次郎はこうも記しています。
「(中略)全身の肌が感じる空気の、温度、湿度、動き。この全面的な包囲は、どんなかたちでも置きかえることができないし、媒体に記録することもできない。」(『本は読めないものだから心配するな』より引用)
本の世界は非常に広く、深く、面白いです。しかし、それと同時に他にも大切なものがあるのだとこの本は教えてくれています。自分の身体全体で「感じる」こと。それは心が躍るような歓びであり、忙しい毎日の中で忘れかけていたことかも知れません。日常から離れ、旅に出ることの醍醐味がここにあります。
ぜひ旅のお供にこの一冊を。旅先でゆっくりお楽しみください。
『旅する胃袋』人はなぜ旅をするのでしょうか。気分転換のため?居場所を探すため?それともただの暇つぶし?
- 著者
- 篠藤 ゆり
- 出版日
- 2012-07-06
それぞれ違った理由はあるかと思いますが、世界中を廻る旅に出る人々にズバリ共通する理由は「好奇心を満たすため」ではないでしょうか?
身体が感じる始めての気温、湿度。初めて見る景色。言葉も文化も違う人々との交流。生まれて初めて出逢う味……。「初めて」に出合う度に好奇心が満たされて、またどこかから、ふつふつと湧いて来る。
そんな旅に出た女性の一人が篠藤ゆり。この『旅する胃袋』の著者です。彼女は主に旅と食のエッセイを雑誌などで執筆している小説家で、世界各国の美食を求めて様々な国を旅行しています。
この『旅する胃袋』は、篠藤ゆりが中国、チベット、パキスタン、タイ、香港などを旅行した様子やそこで出合った食べ物について綴ったものです。
さらに「きゅうりとトマトのヨーグルト風味のサラダ」「スルメとレンコン、豚スネ肉のスープ」「薔薇の香りのプディング」など世界各国の料理のレシピも楽しむことが出来ます。
レシピの他にも「バイ・マックルー」(こぶ蜜柑の葉)、ヨモギの根、フンザ・パニー(パキスタンの葡萄酒)など普段は耳にしないような食材や料理が多く記されているので、好奇心を刺激されてページをめくる手が止まらなくなるでしょう。
中でも秘境中の秘境、パキスタン最北端の地「フンザ」を訪れたエピソードは必見です。フンザは1980年代まで一般外国人の入域が禁止されており、まさにこの世の桃源郷。カシミール、中国、パキスタン、ロシアに隣接した国境地帯にあるので、各国の食文化が根付いています。
篠藤ゆりの底知れぬ好奇心が、どんどん彼女と現地の人々を繋いで行く様子が色取り取りの料理と共に綴られています。言葉が通じなくても「おいしい顔」は世界共通なのかも知れません。
彼女の「おいしい!」の気持ちに応える様に現地の人々がミルクたっぷりのチャイや茹でて潰したポテトにスパイスを混ぜて焼いた料理でもてなしていきます。読んでいるだけでお腹が空いてくること間違いなしでしょう。
こんな旅がしたい!と読んでいる人々の気持ちを駆り立てる作品です。
『サザエさん旅あるき』誰もが知っているアニメ『サザエさん』。では、その原作者の長谷川町子については皆さんどれくらい知っているでしょうか?
- 著者
- 長谷川町子
- 出版日
- 2016-03-25
長谷川町子は1920年に佐賀県小城群東多久村(現・多久市)で生まれました。1946年、26歳の時にアルバイトのつもりでフクニチ新聞社(福岡県の地方紙)から創刊された「夕刊フクニチ」で『サザエさん』の連載を始めます。翌年1947年には「夕刊フクニチ」以外の地方紙でも『サザエさん』の連載が開始されました。さらに翌年の1947年には『サザエさん』1巻が出版。ちなみに価格は12円だったそうです。
そんな長谷川町子が「旅」に関する思い出やエピソードを描いたのがこの『サザエさん旅歩き』です。主に長谷川町子の母と長谷川家の三姉妹(長女・毬子、次女・町子、三女・洋子)の旅行記のエピソードが描かれています。萩・広島・富士山・ハワイ・モロッコ・ポルトガル・アメリカ・イラン・スコットランド・ニュージーランド・イスラエルなど。長谷川町子の母親は明治生まれですが、そんな母親を連れて実に世界中さまざまな場所を旅行しています。
さまざまな場所でのエピソードがほのぼのとした絵と軽妙な語り口で語られているのですが、印象深いのがこのエピソード。
たくさんの思い出を積み重ねてきた長谷川家の母と娘たちですが、長谷川町子の母親は晩年長い期間の入院を強いられます。その入院生活中に娘たちの顔をすっかり忘れてしまったのです。楽しい旅行の思い出が語られた後の非常にショッキングなエピソードですが、落ち込む姉を長谷川町子はこんな風に慰めます。
「キミ、なげきたもうな、全てこの世はうたたかだよ。」(『サザエさん旅歩き』より引用)
「絵のてんらん会でも見に行こう!」(『サザエさん旅歩き』より引用)
たくさんの思い出が例えうたたかの如く消え去っても、またうたたかの如く楽しみが湧き上がってくる……長谷川町子の言葉は、私たちの旅に出る足取りを軽くしてくれる気がします。「どうせ忘れてしまう」から行かないのでなく、旅に出てその一瞬一瞬を楽しめばそれで良いのだと。それが全てなのだと。
ぜひこの本を読んで見てください。長谷川町子の様に、軽快にどこかに飛び出したくなること間違いなしです。
いかがでしたでしょうか?ぜひ今回紹介した本を読んで、旅に出てみてください。行きの心はワクワクでいっぱい。帰りの心は栄養でいっぱい。そんな旅になると良いですね!