五十音・文庫の旅 「ア行」  阿川弘之、井伏鱒二、etc.
本を読みたいみたいけど何を読んだらいいかわからない。何より今自分が何を読みたいのかわからない。なんて悩んでるあなたのための「五十音・文庫の旅」。

己の直感・独断・偏見・本能でもって選んだア行からワ行までの作家さんの文庫本を読んでここへご紹介するという寸法だ。なぜ文庫なのかというと安くて軽くて小さいからです。

阿川弘之 春の城

著者
阿川 弘之
出版日
1955-06-01
五十音・文庫の旅、記念すべき一冊目は「あ」で、阿川弘之さんの『春の城』。

時代背景は第二次大戦中。豊かな自然が溢れる穏やかな広島の町に育った主人公・小畑耕二は使命をもって海軍に入隊し、特務諜報科で暗号解読の任をえる。仕事に情熱を注ぐなか戦況は着実に悪化していき、そして、最後にはあの広島の原爆の惨状が待っていた。

処女長編作とはいえ確かな筆致で描かれる物語は胸に迫るものがあった。敗戦必至の海上戦で死にゆく耕二の友人達の最後は俺の胸を暗澹とさせた。随所に散りばめられた洗練された情景描写が物語の悲愴感を煽る。個人的に阿川さんの硬質な文章のリズム感は好きだが、読みやすい小説ではない。エンタメ性は微々たるものなので小説に娯楽だけを求める方にはオススメできない。けれど、日本人なら一度は触れて欲しいと思わせる作品だった。

井伏鱒二 駅前旅館

著者
井伏 鱒二
出版日
1960-12-15
「い」井伏鱒二さん。なぜ井伏鱒二さんを選んだかというと朝起きてからずっと頭の中で「いぶせますじ~、いぶせますじ~」といった具合に「いぶせますじ」がぐるぐるしていたからだ。

俺は書店へ行き井伏鱒二さんといえば山椒魚だよと探したが、驚いたことに売り切れていた。もう他の書店へ行くのは億劫だったので、あるもので手打ちにしようと購入したのが「駅前旅館」。昭和30年代初頭、上野駅前の団体旅館が舞台。女中部屋育ちで腕利き番頭の主人公・生野次平が哀愁たっぷりユーモアたっぷりに語る宿屋稼業の舞台裏。まるで落語を聴いているようだった。

「語り」というスタイルの文章を最大限に活かした、歯切れの良い、読みやすい一冊。肩肘の張っていない感じがとても良い。随所に出てくる宿屋業界独特の符牒の説明なんか、一寸わくわくしてくる。抜群の人物描写で描かれた個性的な登場人物たちのおかげで読み応えも充分。特に女性が色っぽくて良い。昭和の香り好きな人にはオススメ。俺は好き。

内田百閒 第一阿房列車

著者
内田 百けん
出版日
2003-04-24
「う」内田百閒先生。かつて友人が勧めてくれて読みたいと思っていた一冊。大阪滞在中に購入しようと思って探したがなかなか見つからず、六店舗目でやっと発見した。読んでみた。なぜ、こんな名著を置いていない本屋があるのかいらいらする。まったく世の中腹の立つことばかりだ。

「用事がなければどこへも行ってもいけないと云うわけではない」と曰って百閒先生は弟子の「ヒマラヤ山系」を連れ、なんにも用事がないのに汽車で色々なところへ旅をする。しかもわざわざ借金して。どこへ行っても偏屈な文句ばかりたれてどこへ行っても鯨飲する百閒先生。弟子のヒマラヤ山系は「どぶ鼠」と蔑まれながら飄々として我侭な百閒先生の世話をやく。

随所に爆笑どこ
ろがあって、百閒先生の独自の偏屈理論が展開される。偏屈だけど痛快。そんな旅のなかでさっくりとした情景描写が映え、ただの珍道中記たらしめない。まさに名著・名エッセイだ。これは是非「体験」していただきたい一冊。大オススメ。

江國香織 泳ぐのに、安全でも適切でもありません

著者
江國 香織
出版日
「え」江國香織さん。はっきり言って俺は女性作家は苦手だ。ごてごてした装飾と甘ったるい言葉の連続で、大抵目眩がする。とはいえ食わず嫌いの気がないでもない。自ら己の世界を狭めるのも面白くないし、せっかくこういった場所で文章を書かしてもらっているので、久しぶりに思い切って読んでみた。

安全でも適切でもない人生のなかで愛にだけは躊躇わない、あるいは躊躇わなかった女性たちの物語。うおー。これはちょっと臭うぞ。なんて思って読んだ表題作「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」は、俺が常日頃抱いている感情剥き出しで感性が一方的な女性作家の作品とは少し違っていて、静かな情熱の漂うとにかく端正な作品だった。化粧っ気があまりなく、読了後に不思議な小さな爽快感があった。

この短編集、一つひとつのお話のサイズ感がとても良い。かなり好みなサイズ感。これはちょっと臭うな……と思うような作品もあったけれど、俺が持っている偏見の一角が崩れたような気がした。いやー。でもまだ苦手だなあ……。とはいえこれからもいろいろ読んでみようと思う。俺のような偏見がない人にはなかなかオススメの本。

織田作之助 夫婦善哉

著者
織田 作之助
出版日
2013-07-18
「お」織田作之助さん。ずっと読みたかったので読んでみた。衝撃。どうしようもないグルメなクズ男と、そのクズ男が好きで仕方がない女の話。単純じゃないんだよな、人間ていうのは。

物語としてめちゃ面白いのはドラマになったくらいだからみんな知ってるかもしれないが、この小説、凄いのは会話文がほとんどないのに、登場人物たちの人間性が色濃く伝わってくるところだ。訥々と語られる文章の中にあるざっくばらな人物描写が凄い。簡単に書いてそうに見えてこれはセンスの塊だ。

文章のリズム感が違う。ドライブ感が違う。気づくと頁を捲る手が止まらない。短編という数十頁の中で展開される物語の濃度とは考えられない。通俗であり文学。活字のドラマが展開される。天才なんだろうな。悔しい。一読をオススメします。ハマるぜ。

というわけで、ア行の五冊の紹介でした。これからも己の直感・独断・偏見・本能で読んで、遠慮なくベタ褒めしたりこき下ろしたりしていきたいと思ってます。参考になるかわからないけれど。ではまた次回。

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