フランス革命に翻弄され、37年という短い生涯を送ったマリー・アントワネット。今回は、彼女のことを学べるおすすめ本5冊をご紹介します。写真を楽しめるものから、新書や文庫本まで、形態や切り口は様々。ぜひお気に入りの1冊を見つけてみてくださいね。
マリー・アントワネットは1755年11月2日、神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンと、ハプスブルク家=ロートリンゲン家の出身、オーストリア大公マリア・テレジアの十一女としてウィーンで誕生しました。
フランスとの同盟を深めようと外交改革を起こした母マリア・テレジアにより、彼女が14歳の時、フランスのルイ16世と政略結婚をしました。結婚式はヴェルサイユ宮殿にて行われ、この時からフランス王太子妃マリー・アントワネットと呼ばれるようになります。
彼女は、輝くばかりの真っ白な肌と、綺麗な金髪を持つ魅力的な容姿だったそうです。身のこなしの優雅さにも定評があり、王妃としての気品は素晴らしかったのでしょう。
また彼女は、女性たちからファッションリーダーとしても一目置かれていました。特に注目を集めたのが髪型で、草木や花をつけた庭ヘアーや船の模型をつけた船盛りヘアーなど、斬新な髪型を次々生み出し、多くの女性を惹きつけます。
彼女の宮殿での結婚生活は大変華々しく、贅沢を尽くしました。仮面をつけパリのオペラ座で仮面舞踏会に参加し、賭博にも熱中していたと言われ、かなりの浪費家として有名です。この浪費家として有名だったことから、民衆からの怒りの矛先へとなってしまいました。
1789年7月14日フランス革命が起こり、アントワネットは一般庶民に化け国外逃亡を図りますが、見つかり幽閉されてしまいます。彼女は、最後まで革命裁判で自身の無罪を主張しますが、死刑判決を下されました。コンコルド広場にて、ギロチン処刑に処され、38年間の人生に幕を閉じます。
1:少女時代はおてんばだった
マリー・アントワネットは少女時代、平民の子供たちとよく遊び、乗馬や狩りなどを楽しんでいました。のちに彼女が母親に宛てた手紙には、どろんこの服を洗い、ぼさぼさの髪の毛に櫛を入れてくれたことを思い出す、と書かれていたそうです。
2:麻酔なしで歯の矯正をしていた
ルイ16世との結婚交渉の際に、フランス裁判所がマリー・アントワネットの歯がガタガタであることを指摘したため、彼女は麻酔なしで歯列矯正手術を受けることになりました。
3.多才だった
マリー・アントワネットはイタリア語、フランス語、ドイツ語を話すことができました。また、音楽の才能もあり、ハープシコード、スピネット、クラビコード、ハープなどを弾くことができたそうです。ほかに、舞踏、園芸などの才能もありました。
4.マリー・アントワネットの1日
彼女はパーティーを毎晩のように開催し、昼まで寝ているという生活を送っていました。午後は、ヴェルサイユ宮殿の一角に作った小さな農村で小作農の真似事をしたり、牛の乳しぼりをしたりして過ごしたそうです。
5.一晩で6億円を賭博に使った
マリー・アントワネットが処刑される最大の要因になった浪費癖。彼女は毎日のようにドレスを買い、一晩で6億円も賭博に使うことがあったそうです。
6.有名なあのセリフはマリー・アントワネットの言葉ではなかった
「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」というセリフは彼女の言葉ではないことがわかっています。元はルソーの『告白』に書かれていた言葉です。
7.マリー・アントワネットの最後の言葉
マリー・アントワネットの最後の言葉は「申し訳ありません、紳士の方よ、そんなつもりはなかったのです」というもの。これは、彼女が斬首台への階段を上っている際うっかり処刑人の足を踏んでしまったときに処刑人に向かって言った言葉だとされています。
花をこよなく愛したマリー・アントワネットは、庭園だけではなく、寝室、現代の大広間である黄金の間など、ヴェルサイユ宮殿を自分好みに改修していきました。宮殿は、黄金色がベース。美しい装飾が施されたハープや譜面台、王族の数々の肖像画、花の刺繍が施された高級な家具、日本の漆器、家具、壁、食器にいたるまで、繊細で優美で豪華な上にとても上品で華やかなもので埋めつくされていました。14歳で嫁ぎ、18歳でフランス王妃の座についたマリー・アントワネットは、結婚当初、目を見張る美しい装飾品に囲まれて過ごしていたのでした。
- 著者
- 家庭画報特別編集
- 出版日
- 2016-10-21
薔薇を片手に持った美しいマリー・アントワネットの肖像画で表紙を飾る本書。ルイ16世の誕生も含め、マリー・アントワネットに関連する人々の略年表が続きます。
本書はヴェルサイユ宮殿で、もっとも有名で華やかな鏡の回廊と王室礼拝堂、愛の神殿や肖像画の数々、シェーンブルン宮殿などがカラー写真で楽しめる1冊。さらに、マリー・アントワネット親子が交わした実物の手紙の掲載からも当時の様子が伺えます。ビジュアルと文章の両方から、マリー・アントワネットの美のセンスと成長過程に心惹かれる1冊になることでしょう。
「1775年の皇帝一家」と題して掲載された家族写真のなかに、まだ幼いマリー・アントワネットを見ることができます。ヴェルサイユ美術館に保管されている写真とともに、悲劇のヒロインの生涯が、美術品を通して楽しめます。
- 著者
- 中野 京子
- 出版日
- 2016-09-08
「戦争は他の者に任せておくがいい、 幸いなるかなオーストリアよ、汝は結婚すべし」と声を上げ続けた母、マリア・テレジアに一切歯向かうこともせずに、フランスに14歳という若さで嫁いだマリー・アントワネット。37歳で生涯を閉じた怒涛の人生が、どこか冷笑的ではありますが、わかりやすい描写で書かれています。
常にきらびやかに着飾っていたマリー・アントワネットが、カペー未亡人となり、悲しい結末に至るまで、どのような美術品に接して過ごしてきたかが記される本書。文章だけではなく、視覚でも当時の様子が伺える貴重な1冊です。
1755年11月2日、後にフランス国王ルイ16世の王妃となるマリー・アントワネットが誕生しました。本書では、そんなオーストリア大公マリア・テレジアの11番目の娘として誕生した彼女の幼少期時代から、フランス革命によって幽閉され処刑されるまでの数々の画から、37年の人生を読み取っていきます。
- 著者
- アントニア フレイザー
- 出版日
上下巻にわたる本書は、マリー・アントワネットの幼少期時代も含め、彼女に関わる多くの人々の肖像画がカラー写真で掲載されています。14歳という年齢でフランスに嫁いだ王妃の当時の状況が、事細かに書かれていることが印象的です。
成長過程の14歳で嫁ぐことになり、天真爛漫な少女から女性になっていくマリー・アントワネット。精神的な支えとなったといわれているフェルセン伯爵との出会いを通して、彼女の人生と思いを知れる1冊です。
政略結婚のために14歳という若さで嫁いできた名門ハプスブルク家の11女であるマリー・アントワネットは、パリ市民に熱狂的な拍手喝采で迎えられました。それから23年後、そのパリ市民達によって死刑に追い込まれ、37歳でその生涯を終えます。
- 著者
- 安達 正勝
- 出版日
- 2014-09-24
フランスの王妃として自分の信じていることを疑わず、それを貫いたがゆえに訪れる悲劇の結末。当時、フランスはたくさんの借金を抱え、財政難に陥っていました。しかし、王室への出費はその中でも6%しか占めておらず、財政に多大な影響を与えているものでなかったのです。そうであるにも関わらず、なぜ絶対王政は廃止となり、死刑という悲しい結末にいたったのでしょう。ルイ16世の王妃となったマリー・アントワネットが、危機的状況下で、誰を、そして何を信じていれば、悲劇の結末は避けられたのでしょうか。
バラ色の門出、ヴェルサイユ宮殿、トリアノンの女王、その後の革命勃発、そして革命の嵐の後に、囚われの身となった日々が丁寧に書かれる本書。自分の生き様を貫く人生には、どんな意味があったのか、当時のマリー・アントワネットの心に近づける1冊です。
マリー・アントワネットの人生最高の日から、フランスの民衆の怒りによって処刑されるまでが記された1冊です。上下巻にわたる本書は、否定的な表現が多い印象を受けます。「単にこどもらしい陽気な遊び癖であったものが、次第に痙攣的な、病的な、全宮廷から顰蹙を受けるような娯楽慾に昂じ、マリア・テレサも友達も、友達たちも手を焼くようになったのである」と、あらゆる出来事に対して鋭いメスをいれる本書。フランス革命の時代を生きた彼女を、また新たな角度から見ることができることでしょう。
- 著者
- シュテファン・ツワイク
- 出版日
- 1980-06-16
これまでの王妃とは違って美貌にも恵まれていたマリー・アントワネットは、何をするにも目立ちました。それは良いことでもあり、負の材料にもなっていたのでした。絶頂期とどん底から、彼女の人生を覗いてみませんか。
誰もが羨む最高の環境で生まれ育ったマリー・アントワネットの波乱の人生は、自分自身のこれまでの、そして日々の生き様を改めて考える機会になるのではないでしょうか。長い歴史を経てもなお人気を博す彼女を、ぜひいろいろな角度から知ってみてくださいね。