ホンシェルジュが2016年に1巻が発売された男性向け漫画ランキングを作成しました!まだ知られていないブーム間近の作品から、すでに話題になっている人気作品まで10作品をご紹介します。
120年前に新大陸を発見した「人間国」はその新天地で殖民を始めます。しかし入植地の西方には魔族たちが住んでおり、独自の文明を発達させていました。「人間国」と「魔国」はそれ以降100年を超える戦争を始めて……。
- 著者
- 三ツ矢 彰 Rootport(原著)
- 出版日
- 2016-02-24
主人公は流されやすく、ヌけている女騎士のシルヴィア。彼女は金欠が理由で、近寄ることすら恐れられる魔国でクエスト(仕事)をしています。しかしその途中で休憩がてら寝ている隙にオークに捕まってしまうのです。そして捕虜になるかと思いきや、予想外の言葉を言われます。
「今日から貴様はウチの会社の経理のお姉さんだ!!」
1話目から怒涛の展開で引き込まれる本作品。女騎士が魔族に捕虜とされる、と聞くとデュフフな展開を期待されてしまうかもしれませんが、残念ながらこのオーク一族は超健全です。法人化を計画している彼らはベンチャー企業のような忙しさ。人手が足りず、仮眠も取れないオークも出ています。その忙しさに同情した女騎士は経理として働くことを請け負ってしまうのです。
1話目は設定の説明回なので、超駆け足で進みます。魔国で気づけば2ヶ月経ち、女騎士は簿記2級まで取りました。そんな矢先に人間国から勇者がやってきて、会社はめちゃくちゃになってしまいます。彼らの敵を討つために女騎士は勇者のもとへ向かおうとするのですが、手違いで人間国に戻されることに。
本作品はラノベや漫画のあるあるを、愛を持ってデフォルメしています。女騎士の口癖は「くっ……殺せ」。萌えロリメイドの涙目で懇願する「はぅ~…お願いですぅ…」という大ゴマに、ツンデレの王道対応をすべて回収するようなエルフ、悪役のシリアスシーンでの「勘のいい子供(ガキ)は嫌いやで」という発言など……。どこかで見たようなネタがテンポよく出されます。
しかしそれだけではなく、この作品はシリアスシーンもしっかりと描かれているのでここまで人気が出たのでしょう。大きなテーマは数字というものの正しさ。ツンデレエルフ・ルカの「正しい帳簿さえあれば あたしは世界だって救ってみせる」と、帝都銀行幹部の「どんなに正しい帳簿でも世界を救うことはできませんよ」(一重括弧内すべて『女騎士、経理になる。』より引用)という言葉に表される善悪の対比が鮮やかにストーリーを展開させていきます。
1巻は簿記の入門編、2巻は勧善懲悪のストーリーパートと簿記の実践例編、3巻は実践編と、シルヴィアの過去が綴られた叙情編、と続いていきます。1巻の入門編が重く感じられてしまう人もいるかもしれませんが、1話目が面白いと感じたらストーリーだけで読むこともおすすめです。
ストーリーに惹かれると、つい登場人物たちに感情移入して簿記についても興味が出てくるはず。簿記漫画としても、ストーリー漫画としても優秀な作品です。
物語は主人公の架橋明日(かけはしみらい)が中学校の卒業式を終え、自殺をしようとしている場面から始まります。「幸せになりたかった」という言葉をつぶやき、マンションの屋上から飛び降りる少年。真っ暗になった視界から目をさますと、そこにはなんと天使がいました。
- 著者
- 小畑 健
- 出版日
- 2016-02-04
死んだから天使が見えるのではなく、地面のすれすれで救ってくれたという天使のナッセに、明日は余計なことをするなと言います。しかし彼女は「私は明日くんを幸せにしにきたんだもん!」と言い、彼から離れません。そしてその出会いから神の後継者を決める999日間、13人の戦いの火蓋が切って落とされるのです……。
『DEATH NOTE』、『バクマン。』で一斉を風靡した大場つぐみ、小畑健がタッグを組んで作成した本作品。作風でいうと『DEATH NOTE』に近い、ダークファンタジーです。しかし今回は設定と作画の雰囲気がかなり異なります。
『DEATH NOTE』、『バクマン。』では比較的設定やストーリーが分かりやすいものでしたが今回の設定は少し複雑に。後継者候補の使える能力は3つあり、それは天使の階級によって制限されます。
候補者の使える能力は翼と2種類の天使の矢。翼は高速飛行が可能で、対象を定めた場合外れることのない天使の矢を躱せる唯一の逃げる手段です。そして2種類の天使の矢は赤の矢と白の矢という2種類があります。
赤の矢は刺された者を33日間虜にすることができますが、1人につき1回しか使えません。同時に14本まで使用可能で、刺された人間が亡くなると再使用できるようになるもの。相手が後悔すべき行動をしていた場合、実際にその気持ちがなくとも自害させることも可能です。
白の矢は本来は死期が近い人間の安楽死に使われるもので、射られた人間を苦しませずに即死させることができる、特級天使しか所持していない能力です。また、これらの能力は神候補が死んだ場合、憑いていた天使に回収されますが、生前の譲渡の約束や回収した天使への要求などの手段で他の候補者に所有権が移ります。
そして更に物語を複雑にするのが天使たちの事情。彼らは13人おり、能力の制限と関わる階級も変化する可能性があるのです。彼らの階級は特級、1級、2級とあり、特級は何かに卓越した天使に与えられます。物語の中ではそれぞれの天使に枕詞で使われ、ナッセは「純真無垢(ピュア)」の天使です。天使達は「天使憑き」の人間にだけその姿が見えます。
数的にも、能力の制限に変化があるということでもストーリーの展開が無数に想像されるものとなっています。
また、担当編集者によると『DEATH NOTE』のテーマが「悪」、「死」だとすれば、『プラチナエンド』は「幸せ」。そのテーマによって描かれた作画は全体的に白を基調とした画面が印象的です。作中にはもともと安定感のあった作画がさらに上達したことが感じられる見せ場が多くあります。特に明日が「翼」の能力を手に入れたシーンや、宿敵となるメトロポリマンのドームでのシーンなどは迫力と美しさがあります。
「人は誰しも幸せになるために生まれ 人は誰しもより幸せになるために生きている」(一重括弧内すべて『プラチナエンド』より引用)
この言葉から始まる本作品。その言葉が果たして神となる候補者たちの考えとどう絡んでくるのか。複雑に絡み合う予測不可能なストーリーと、安定感ある画力のコンビが紡ぎ出すグレードアップした作品をお楽しみください。
主人公はブラック企業の社員である背山。彼は残業がデフォになり、暗い社内でひとり今日も作業を続けます。ある日、背筋に何か寒気を感じます。「やっぱ夜は冷えるな」と言ってスーツを着る背山。しかしそれは気温的な寒さではなく、彼の背後には髪の長い真っ黒の顔をした女がヒヒヒ、と笑っていて……。
- 著者
- 日日 ねるこ
- 出版日
- 2016-09-16
その声を聞いた背山。聞いたはずなのに作っている資料のモレの方が気になり、手を加えます。あれ、声聞こえてたよね……?幽霊は押しが弱かったのかと肩に手をかけようとします。しかしまるでそれを感じたかのように、急にバンッと机を叩いてトイレにいく背山。幽霊の方が驚き、身をかばうように呆然としています。
更に押しが弱いのかと幽霊は資料に書き込み。
「おまえおおおおまえのウシロニ 後ろ後ろ後ろ 四肢四肢四肢四肢四肢死死死……」
「うわっ 何だ…これ…」
声を出して驚く背山。後ろでニヤリとする幽霊。しかし背山は「マジかよ これオレか?? っふざけんなクッソ〜〜〜」と言いながら何事も無かったかのようにキーボードを打ち、修正します。
「…よし データは残ってる マジで疲れてんな…」いやいや、ちゃうって、それわたしわたし、と自分を指差す幽霊。……しかしそれすらも全く気づかれません。「んじゃお疲れさん」退社する背山。幽霊はおきまりのうらめしやポーズをしたままひとり取り残されるのです。
この作品は何と言ってもめげない幽霊が可愛すぎる!かつてこのタッチの画風でここまで可愛かった幽霊はいないのではないでしょうか。そしてオチの煽り文も秀逸。作家と編集の見事なチームワークで作品を終わらせます。
めげない幽霊は2話でもう背山の前に姿を表してしまいます。もう少し自分の特性を大事にして、幽霊……。自分の席に戻った背山の前に天井から逆さになって登場します。さすがに驚く背山ですが、使えない部下の原田と忙しさに修羅場ってる状況です。一瞬驚く背山ですが、すぐに通常モードへ。「今は幽霊どころじゃないんだよ」青筋を立てて睨みをきかせます。ゆっくりと逆さまのままフェードアウトする幽霊。可愛いよ、幽霊……。
不自然に開け閉めされるドアに立ち上がる背山。脅かすのに成功かと思いきやコピーされた悪霊退散の紙で閉じ込められてしまう幽霊。弱すぎです。可愛い、可愛いよ幽霊……。
布団の中や体の上に立たれて睡眠を邪魔される背山。あまりにも反応が悪いので首を絞め始めるが、それはやっちゃいかんと説教され、こくんと頷くしかない幽霊。可愛い、可愛い、頑張れ幽霊……。
背山は完成資料を恐ろしいフォントで文字化けさせられ、さすがに驚きます。ニヤリとしたのもつかの間、音声検索で「幽霊消す方法」を調べられ、逃げるしかない幽霊。可愛いよ、可愛いよ幽霊……。幽霊頑張れ!お前ほんとすっごく可愛いぞ!あれ、なぜ幽霊をこんなに愛でて応援しているのでしょう?
恐怖にめげない社畜の背山に、怖がってくれない人間をどうにか脅かそうとめげない幽霊。新しい角度から描かれたホラーギャグ漫画です。仕事でお疲れ気味の方におすすめの、気軽にどんどん読んでしまう本作品。疲れて猫の手も借りたいあなたのために、そのうち幽霊が助けてくれるかもしれません。書類のサインや入力を手伝ってくれるようになるでしょうが……。その仕上がりは作品でご覧ください。
生まれつき何らかの能力を持ったものを「祝福者」と呼ぶ世界。ある時から「氷の魔女」と呼ばれる祝福者によって世界中が雪に覆われ、人々は飢餓と狂気に支配されていました。その厳しい寒さから祈りの言葉が「慈悲の炎を」という決まり文句になるほど、人々は暖かさに飢えていました。
- 著者
- 藤本 タツキ
- 出版日
- 2016-07-04
主人公のアグニは「再生」の祝福者。物語は彼の腕が妹、ルナによって切り落とされるシーンから始まります。彼は再生能力が高く、腕を切り落とされてもまた一瞬で生えてくるのです。彼らが住む村では、人々は彼の肉によって命を繋いでいました。
しかしある日ベヘムドルグ王国の兵士たちのリーダー格の男、ドマがやって来て、「人喰い村を見逃せない」と村を焼き尽くしてしまいます。彼は炎の祝福者で、その火は物体を焼き尽くすまで消えません。
再生の祝福によってアグニは想像を絶する終わらない痛みに悶絶します。肉が焼き尽くされ塵に変わると同時に再生、また炎に焼かれる、その繰り返しです。その中で彼はあることに気がつきます。頭で腕の再生を拒否し続けると塵になった腕は戻らない、つまり死ぬことができるのです。そのことに気づいた時にルナとやっと再会します。彼より再生能力が弱いルナはほとんど塵になっていました。アグニがどうにか手をのばし、彼女の手に触れると、彼女はこう言うのです。
「生きて」
アグニはその言葉を胸に1年目、3年目、5年目と生きながらえ、ついには8年目にしてようやく炎に覆われた体の使い方を学びます。そしてドマへの復讐を決意して進むのです。
「ヤツを… 殺す…
できるだけ残酷に…
殺して… 燃やす…
この拳で塵にしてやる…!!」
物語の始まりは復讐を誓った男のファンタジー冒険譚です。これだけ聞くと王道作品の予感がするでしょうか?この作品はそれだけでは終わりません。
1巻の最後で消えそうになる復讐の炎。しかしそこから物語は予想外の方向へ動き出すのです。ようやく再会したドマにアグニが炎の拳を上げた瞬間、物語の場面は切り替わり、トガタという女がカメラの前で話すシーンに変わります。アグニの容貌に惚れ込み、映画を作ろうとしたと語る彼女。それから物語はどんどん予想外の方向へと変化していくのです。
2巻でトガタがルナに似た再生の祝福者・ユダの頭を切り落とし、追うアグニから逃げ回るシーンがあります。アグニはルナが生き延びていたのではないかという希望から、ユダから離れられずにいるのでした。
ユダの頭を無造作に川に落とし、炎に覆われた手から拾い上げることのできないアグニを脅すようにトガタはこう言います。
「ドマを君の拳で殺せるように私がセッティングする
だからそれまでを撮影させて」
迷いながらも、アグニはユダの為にこう言うのです。
「俺は主人公になる」
この契約こそがアグニの復讐の旅を左右する展開の始まりでした。
そしてこのシーンの中に、この作品をよく表した言葉があります。上記のアグニとトガタが追いかけっこしている様子を、ネネトという少女が見ています。心底楽しそうに追いかけっこをするトガタ、寒さの中彼女を追って必死の形相で追いかけていくアグニ、ユダの生首。なぜか青春の1コマのような爽やかさが画面に溢れています。でも、振り回される生首、そして極寒の中の川への入水というありえない状況。ネネトはこう言います。
「あの人達…まともじゃないんだ」(一重括弧内すべて『ファイアパンチ』より引用)
切り落とされる腕の描写から始まり、復讐劇かと思いきや映画撮影が始まる。そして更に物語は暴走したトガタによってアベンジャーズのようなヒーロー万博的展開になっていきます。まともじゃない。でもなぜか面白い。予測不可能な少年漫画です。カテゴリ分けもできない新しい展開で読む者を楽しませてくれるおすすめ漫画です。
- 著者
- 新川 直司
- 出版日
- 2016-08-17
曽志崎緑と周防すみれ、ふたりのサッカー女子は高校入学を目前に控えた中学3年生。すみれの圧倒的な負け越しではありましたが、彼女たちは中学3年間を良きライバルとして過ごしていました。
「と思っているのは曽志崎だけだった(中略)
周防すみれにとっては目の上のたんこぶ
単なる邪魔者
道端の石コロ同然なのである
『どのツラ下げて来た』(石コロめ……)」
モノローグと最後のすみれのセリフからも分かるように、ふたりの意識には少し違いがあるのでしょうか?すみれは無表情で緑を突っぱねます。最初から新川直司のギャグが光って始まるストーリー。このほかにも作者の新川直司ならではのギャグ満載、アクセル全開の展開という盛りだくさんの内容で物語は進んでいきます。ふたりはなんやかんや言いながらも強豪高校・浦和邦成が練習試合をしているという蕨青南高校へ見学に行きます。
7-0で浦和の勝利となった試合。蕨のチームでは負けた後にチームメイトたちが揉めています。部員の3年生たちがやる気のない現コーチに見切りをつけ、クラブチームにいくと言うのです。蕨の2年生のひとりが必死に止めますが、その願いは聞き入れられず彼女は泣きながら居残り練習をしていました。それを見て緑はすみれにこう言います。
「あの人あんたと似てるわ(中略)
あんたと同じ ひとりぼっちだ」
実はすみれは実力がありながらもチームメイトに実力差から疎んじられ、そのせいで緑にも負け続けていたのです。突出した才能がありながらも、その環境のせいで注目を浴びることもありませんでした。さらに緑はこう続けます。
「一緒のチームに行こうよ
一緒の高校でも クラブチームでもいい
私があんたにパスを出すよ
私と一緒にやろう
1人になんてさせないから」
そしてふたりは高校入学。その舞台は蕨青南高校です。そう、なんとすみれは緑の言葉から蕨の7番に共感し、強豪の浦和ではなく、斜陽の蕨を選んだのです。競馬雑誌を読むコーチ 、3年が全員やめてしまったチーム、ミニゲームでは人数不足でマネージャーしかやったことのない部員もいれる始末。当初は不安に思っていた緑ですが、やはりすみれとプレイするサッカーの面白さに魅了され、高校ではなく彼女を選んだことを正解だと確信しました。
また、すみれもこの高校でサッカー人生を大きく変えます。その能力の高さからミニゲームでマークされた彼女はディフェンスにねらわれ、転倒。その時彼女の頭をかすめたのはひとりぼっちだという孤独感でした。しかしそこにチームメイトの恩田希が現れます。彼女はシザースを使った巧みなフェイントでボールをつなぎ、チームは1点を獲得したのです。
恩田希のシザーズのシーンは迫力満載。ドリブル中に左右の足でボールをまたぐというそのテクニックは、巧みな足さばきと躍動感が感じられる大ゴマで表現されています。実は彼女もまた才能がありながらも蕨で埋もれようとしていた少女だったのです。
「部員17人
ボンクラ監督
周防すみれ 15歳
彼女はピッチの中で
もう1人の自分を見つけた」
『四月は君の嘘』で一躍有名となった新川直司の待望作。既刊『さよならフットボール』の恩田希も登場します。『さよならフットボール』は2巻完結ですぐ読めますし、内容も申し分なし。そして本作品に入り込む為にも一読もそちらの過去作もおすすめです。
この作品は新川直司の得意な要素がこれでもかと詰まった作品です。冒頭からノンストップのギャグに、少女たちの青い名言で緩急をつけたストーリー。そして迫力あるプレイシーンには、芸術でもスポーツでも表現者の描写がうまいのだなと感じさせられるものがあります。更に全員が主人公と言ってもいいほど登場人物たちみんなにしっかりとされたキャラ付け。彼の特筆すべき点が盛りだくさんとなった作品に仕上がっています。
また、この作品は女子サッカー界への愛を感じる作品でもあります。すみれの中学時代の才能の埋没とともに物語冒頭に描かれているのは女子サッカーの過酷な状況。過去に世界王者となった日本の女子サッカーチームですが、継続的な人気、業界の体制見直しとはならなかったようです。少ないプロチームの数、年収、協会の体力・姿勢など、その将来性は男子サッカーとは比べ物にならないほど良くありません。
顧問の深津はコーチに就任した能見にこう言います
「女子サッカーに未来はあるのか?」(一重括弧内すべて『さよなら私のクラマー』より引用)
ボールと夢を追いかける可能性に溢れた少女たちと、女子サッカー界の先が見えない苦しい状況を描いた本作品。果たして作品の中の彼らはどんな答えを出すのでしょうか?ただのスポーツ漫画では終わらない疑問を私たちにも投げかけてきます。スポーツの格差やブームに対する疑問、それを新川直司が過去に積み重ねてきた技術を注ぎ込んで描いた意欲作と言えるのではないでしょうか。
主人公の道間慎は殺人犯の父を持つ売れない小説家。素性を詳しく知らない5人の女たちとの同居生活を送っています。彼は毎月女たちそれぞれから100万円を家賃としてもらい、そのかわりに女たちの身の回りの世話をしています。
- 著者
- 青野 春秋
- 出版日
- 2016-03-30
本作品は「100万円の女たち」と主人公が織りなすミステリーラブストーリーです。自伝的漫画『スラップスティック』や『俺はまだ本気出してないだけ』が人気の青野春秋の作品。どこか荒廃した人物を描くのが上手い青野春秋らしい、だらしない主人公が美女たちに囲まれて生活を送ります。
1巻ではまだサスペンス要素は少なめ。女たちと主人公の、ちょっと毒がありつつもほのぼのとしたやりとりが良い味を出しています。そして謎の要素が濃くなっていく2巻から物語が動き始めるのです。女たちがここで暮らすようになった経緯、そして素顔が少しずつ見えてきます。
本作品は女たちのキャラクターが秀逸。単調にも見えてしまうかもしれない青野春秋の絵ですが、特徴が際立った性格によって女たちが物語の中でいきいきと動くのです。1巻では特に高級コールガールクラブの経営者である白川美波の魅力がクローズアップされています。
美波は慎のことを「小説」と呼びます。彼がスランプで書けない様子を見て、自分の経営するクラブの待機所に連れていきました。
「いい?『小説』、世の中には人間の数だけ価値観の違いがあるの。 私がそれをあんたに教えてあげるわ」
そして人気アイドルグループのメンバーの女の子がホテルに派遣された後、彼女の一晩の値段を明かします。600万という金額を出せるかと聞かれた時、慎は出さないと答えます。美波はアイドルと寝たい人間が多くいるという事実についてこう言うのです。
「質より人気という付加価値に弱い人間がくさるほどいるのよ……」(一重括弧内すべて『100万円の女たち』より引用)
本作品では表現の質と人気についてや、「殺人」について、人の生きる理由など、様々な重要なテーマが物語に出てきます。しかし、そのどれが一番本作品では描きたいのか、ということは強調されていません。
「強調する」ということはテーマをストーリーに絡めて、その正当性を理屈付けし、感情を揺さぶるように脚色するということです。本作品ではその表現方法について疑問を投げかけているのです。
そしてその疑問の提示こそがこの作品のテーマなのではないでしょうか。慎の書く小説の特徴と、最終話で彼に投げかけられるある女からの言葉には作者のメッセージを感じます。
果たして、あなたはそのメッセージをどう感じるでしょうか。自分の価値観や感受性について違う角度から見る機会をくれる作品です。
季節は初夏。主人公の青蛙(せいあ)は早朝や夕方の涼しい時に見る景色のスケッチや写真を撮ることを日課としています。実は彼は15歳から18歳まで原因の分からない意識不明に陥っていました。しかし最近になってその深い眠りから目を覚まし、やっと外を歩けるようになったのです。
- 著者
- 椎橋 寛
- 出版日
- 2016-12-02
リハビリとしてその散策をしていたある日、青蛙は廃墟で和装の麗人と出会います。廃墟の暗闇と初夏の強い光のコントラスト。目を晦ませながらも謎の男と話していたはずが、気づくと彼は消えていていました。それから彼は「季節」を感じた時に、その季節の要素、季語が人として見えるようになり……。
季節の変化が豊かな日本に住んでいると、誰しも季節を感じる瞬間というのはあるでしょう。しかしその時の微妙な感情の動きを人にそのまま伝えるのはとても難しいですよね。そんな時に季語は共通言語として優秀に機能します。
ただの自然現象や状態を表した言葉が、なぜかその風景を見た時の感情の動きまで共有できるツールとして働き、微細な心の揺れをそのまま他人とシェアできるのです。実際に見たことがなくてもどこか懐かしい季節のシーンには、漫画ならではの、絵と言葉のハーモニーの美しさを感じられます。
青蛙が一番好きなのが夏。彼は眠りにつく前からよく自転車で知らない街にこぎだして遊んでいました。何でもない住宅地の草や石、雑木林に季節を感じ、その季節の発見の中で冒険していたのです。
「緑の下に出来る深い闇 初夏の汗……」(『東京季語譚訪』より引用)
その言葉と画には、汗ばんだ背中や少しの熱気を含んだ爽やかな空気のイメージが喚起されるようです。この作品は少年漫画の構成と物語の特性を活かしたテーマが魅力です。
漫画は小説と異なり、絵がある分、より特定したイメージを読者に与えます。特に少年漫画は画面の書き込みが徹底しています。少女漫画が余白で雰囲気や心情を伝えることを主にしているのに対し、少年漫画は絵の書き込みによって読むものを覆い囲み、異世界に引き込むようなストーリー展開を主とします。
本作品では作者、椎橋寛の細密な絵が私たちをその季節で取り囲むように迫ってきます。太陽の光で照らされた夏の路上に立たされたり、土砂降りのにわか雨で濡らされたりと物語が読むものを様々な季節のシチュエーションに連れ出します。
そもそも物語の世界では時空は歪んで作者によって決められます。空間は「ファンタジー」などというジャンルで意識することが多いかもしれませんが、時間の進み方を意識して読んでいることは少ないのではないでしょうか。現実と同時進行で進んでいくストーリーもありますが、多くは縮んだり、伸びたり、時間も作品独自の進み方をします。
この作品はテーマを季節にし、物語のその作用をうまく活かしたものとなっています。一瞬の時間を切り取り、仔細に描き、季節のエッセンスの美しさだけを私たちに伝えてくるのです。物語には余分で、現実には確かにある、日常の些事やとるにたりない気持ちを入れないことができるのは物語ならでは。そしてその抽出が非常に上手くいっている作品なのです。だからテーマの美しさを純粋に楽しめる。季節と言葉の蜜月な関係を切り取った、新しい少年漫画です。
舞台は1963年ロサンゼルス郊外。ダイナーのマスターの娘であるシェリーはある日、100年の刑期を終えて刑務所から出た老人と出会います。生き延びて刑務所から出たところで景色も様変わりし、身寄りもない彼は1時間ずっと刑務所の門を出たところで立ち尽くしているとのこと。シェリーはそれを聞き、彼を家に連れて帰ることにします。
- 著者
- オノ・ナツメ
- 出版日
- 2016-06-17
ひどい身なりの男のボサボサの髪を切ってみると、その下の素顔はなんと若い男のそれでした。100年生きながらえたという彼に一体何があったのでしょう?
田舎町に住み続けるには好奇心が旺盛すぎるシェリーは今の生活に疑問を持ちます
「ハイスクールを出ても ウィークエンドを女の子グループで集まって 男の子たちと連れ立って飲んだり ビーチに行ったり」
「日中はダイナーで元ゴロツキたちにおしり撫でられて」(『レディ&オールドマン』より引用)
みんなで盛り上がっている時でもこんな風にひとり物思いにふけるような彼女は、ふと父のバイクに興味を持ちます。今の生活から抜け出せる、遠くへ連れていってくれるバイクに。
そんな時、かつて父が運び屋の仕事をやっていた時の依頼をしに来た女性がやってきます。過去の依頼を断る父を見て、シェリーは代役を名乗り出るのです。そして現代に慣れるというリハビリを兼ねて「老人」ロブとともに運び屋の仕事を始めることになります。
通り名はそれぞれの見た目とは真逆の「レディ&オールドマン」。バイクを運転するのはシェリー、サイドカーにロブを乗せてストーリーが始まります。
ふたがしらで正反対の悪党コンビを描いたオノ・ナツメが、本作では男女コンビの西部劇に挑戦しています。本作品はロードムービーのような「旅の途中」を愉しむもの。ロブの不老不死の謎を解くというミステリー要素もありますが、特筆すべきはそのクールな雰囲気でしょう。
その魅力を象徴しているのが、カクテル「ホット・オールドマン」。カクテル・ホット・カウボーイを、酒が苦手なロブ専用のレシピでつくったもの。ほんの少しのバーボンとカカオクリームを加えたそれは、様々な場面で登場します。それはダイナーにやってきた「100年前の男」ロブに、常連客が出したウェルカムドリンクが始まりでした。
ある時は半信半疑だったマスターがロブを認めた時に登場します。眠れない夜にシェリーとロブ、マスターの3人でナイトキャップとして飲むホットカクテルは夜の中で暖かな湯気を漂わせています。
またある時は依頼がひと段落して運び屋「レディ&オールドマン」から日常の「シェリー&ロブ」に戻った朝に。長かった夜の後に、そのホットカクテルはバーボンの香りをさせながらふたりを温めます。
「ホット・オールドマン」はストーリーに出てくるただの飲み物、で終わらせるには勿体無い佇まいと作品を象徴したモチーフです。旅というのは2種類あります。帰る場所がある旅と、そうでない旅。前者は多かれ少なかれ寂しい印象を抱かせるものではないでしょうか。
その理由は帰るべき場所の記憶をあなたが持っているから。旅と帰るべき場所はふたつあって初めて存在するのです。例えば遊牧民などの移動は旅ではなく生活。非日常のものではないのです。
この作品ではストーリー展開のメインは非日常の「運び屋」のスリルを味わうというものですが、どこか全体にあたたかい雰囲気が漂っています。それはまさに「ホット・オールドマン」の甘美な湯気のよう。日曜の夕方に見る国民的アニメのように心にするりと安心感を忍ばせます。
父親がいる帰るべき場所、ダイナー。田舎町で刺激が足りないと感じていたシェリーも、そんなホームがあるから多少の無茶ができるのです。それに対して100年の時を超えて様変わりした世界にひとり放り出されたロブ。彼のホームはどこにあるのでしょう?読んでいると安心できる場所に帰りたくなるような、旅の道の上を描いた漫画です。
舞台の時代は大正時代。主人公の炭治郎(たんじろう)が町で炭を売って家に帰ると一家が皆殺しにされ、家の中は惨状となっていました。優しい母親に5人の兄弟たち。彼らがみんな血みどろになって倒れています。
かろうじてまだ体にぬくもりがあった妹の禰豆子(ねずこ)を背負って駆けていると突然その様子が豹変。その時炭治郎は祖母や近所のおじいさんに聞いた話を思い出します。それは「人喰い鬼」の話。
- 著者
- 吾峠 呼世晴
- 出版日
- 2016-06-03
襲いかかってくる禰豆子をどうにかいなしながら、鬼になるなと叱咤すると、彼女は両目から涙をこぼしました。その表情を見て、炭治郎 は 禰豆子 を人間に戻せるのではないかと希望を持ちます。そしてそこから炭治郎は平和だった日常から離れ、「鬼殺の剣士」としての道を歩み始めるのです。禰豆子を人間に戻す方法を探るため、そして一家を襲った復讐すべき相手、鬼舞辻(きぶつじ)を倒すために。
この作品はぜひ多くの人に読んでほしい作品。王道ストーリーの大手少年誌であるジャンプらしい良さが際立った、久々の「素直に面白い」少年漫画です。
近年では「差別化」を意識した新しい少年漫画が数多く出版されています。凝った設定や作者の独特な作画などで違いを出さなければ、物理的に競合が多く、漫画の手法は出し尽くされてしまったように思えるからではないでしょうか。幼い頃から選択肢が多く、娯楽に慣れている私たちも目が肥えています。
そこにきて、少年漫画の王道を網羅したこの漫画が面白いというのは驚くべきことです。バトルもの、復讐劇、可愛いヒロイン、主人公が心優しく強い、サブキャラも魅力的、名言のようなセリフやモノローグ、適度なギャグ要素、同情すべき敵……。書いて挙げることは簡単ですが、この要素はおそらくどの漫画家でもそれらが面白くなるように苦労している点であり、成功させるのは容易ではありません。
ではなぜそれらが成功しているのか。それはひとえにこの漫画が「荒削り」なことにあります。この作品の絵を見た第一印象が独特、荒削りという人は多いのではないでしょうか。ストーリーなどもそのような部分は多少感じられます。特に設定が凝っていたり、斬新な試みがある訳でもありません。しかし、ストーリー上重要なポイントは全ておさえられており、読者が感動したいところ、スッキリしたいところでしっかりとそれを消化する展開がなされるのです。だから読んでいて気持ちがいい。
そしてその読者サービスが過度でないところが万人におすすめしたい理由。読者への歩み寄りは他者に何かを伝えるという表現においてなくてはならないものかと思いますが、ありすぎると読んでいてくどく感じてしまう時もあります。そのバランス感覚が「荒削り」という言葉で表した、この作品のバランス感覚です。
作者の吾峠呼世晴は本作品が初連載だそう。その荒削りさと、どこか作品のエネルギー値が高い印象はそのような経歴からもきているのかもしれません。2017年1月現在、既刊4巻。今後も読み続けたい、名作少年漫画を予感させる作品です。
1970年代初頭に実在の物理学者フリーマン・ダイソンがある考えを提唱しました。それは人類の宇宙移民計画。資源的価値の高い小惑星に遺伝子構造された植物を繁殖させ、人が移住可能な環境を整備しようというものです。それに必要なのは地球外でも爆発的に繁殖可能な植物、そしてそれを開発する技術を持つ者でした。
- 著者
- 五十嵐 大介
- 出版日
- 2016-02-23
その机上の空論だった考えを可能にしたのが天才学者オクダ。そしていち早くその才能に気づいたのが農薬会社のサンモントでした。オクダが登場したことから計画は具体化し、砂漠に最初に根をはる植物の名前から「ナラ・プラント計画」と名付けられました。
その計画の根元がグループの子会社である太陽化学株式会社の生物科学研究所。そこではゲノム編集によって造られた多くの畜産種がいます 。そして創業者の「宇宙開発に必要な条件と戦争に必要な人化した条件は同じだ」という考えから、軍事部門にも力を入れており、ゲノム編集の応用によって人化動物「HA(ヒューマナイズド・アニマル)」をデザインしました。
本作品は徐々に明かされていくサンモント社の計画の全貌というストーリー展開と、 HAを含む艶かしい世界観が魅力的です。特に後者は難しく考えて読まずとも誰しもその美しさをすぐに感じることができるでしょう。
「晴れているのに雨が降っていた
その時僕ははじめて
はじめて世界は美しい と感じた」
この作品は読者を引き込む独特の力が強いものとなっています。1ページ目から感じられる、音や風景の描き方、細部まで描きこまれた、大きな完成した世界は読む者を圧倒します。
美しいものを美しいと、人間の印象に形づくる要因は何でしょう?物理的にいうとそれは五感で、心理的にいうとその個体の経験や記憶によって生まれる「好み」でしょうか。
「例えば犬はニオイで構成された世界を生きている
イルカは音によって世界をみている
カエルは音で世界をさわる」
モンサント創業者の場合は孫にこう語ります。
「みえるのだ わたしの環世界だよ(中略)
人は光で世界を認識するわけだが それぞれ個体差も大きい
わたしには世がどの方向に向かうのかが見えるのだ
その流れがな」(一重括弧内すべて『ディザインズ』より引用)
「環世界」とは実在の生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した生物学の概念。生物がそれぞれ種特有にもっている知覚世界のことを指します。
本作品はそんな、世界との感応とも言えるテーマが、どこか気持ち悪いほどに艶かしく形取られています。彼らが戦いによって他者と交流する時、それぞれの特徴は引き立ち、気味悪い造形ですら気にならないほど美しく見えます。
技術が発達すればするほど、命のかたちが浮き彫りになってくるのは意外と何の不思議もないのかもしれません。技術はツールであり、理解するということはカテゴリに分けられるようになるということ。人間を人間たらしめるものが何かが浮き彫りになり、理解に近づいていくのは自然な流れでしょう。
本作品は人間を含む動物たちそれぞれの視点から「美しい世界」を見ることによって、その形を明らかにしようとしている作品なのではないでしょうか。私たちの住む美しい世界を新鮮な視点で見られるようになる作品です。