「わからないもの」を受け入れる
自分のこれまでの本紹介を振り返ると、色々テーマは設けてあるにせよ結局いつも言ってること一緒というか、「自分をどこか違うところに連れていってくれるようなものっていいよね。向こう側にいきたいしトキメキが欲しいよね」みたいなことばっかりなんだな、と感じる。まあでも普通にしてたらそうなってたんでしょうがないんですが、それでもちょっと付け加えるなら、「ぶっ飛びたい」みたいなそういう感覚って、今の場所から逃避したいとかファンタジーとかそういうこととは違って、「自分の思いもよらないようなことに出会いたい」みたいなことなのかなとは思います。僕にとって。
他人とか世界とか、究極絶対に違うしわからないものだと思うんですが、わからないものをわからないとして受け入れるっていうのはすごく面白いことじゃない? 結果受け止めても受け止めなくてもいいんだけど、一回そこに自分の身を浸すっていうこと。SFでも本でもそういう体験ができるものであったらいいなと自分は思ってます。現実がビジネスのみの元も子もなさすぎる世界になったら、滅びるでしょ。
本っていいと思う。かっこいいじゃん。紙とか。
公園で一人で読んだ一冊
中学のころに東京に引っ越してきて、東京のノリが最初はよくわかんなくてなんとなくキツくて、公園で一人で読んでました。これは現実逃避か。しょうがない昔の自分! てきとうにがんばれ!
めっちゃかっこいいよねー。
宇宙の中心
レールを敷設しながら年に36.5マイルずつ移動していく、「地球市」と呼ばれる要塞都市。成人の歳とされる650マイルを迎えたヘルワードは、都市の運行に従事するギルドの見習員として、初めて都市の外に出ることを許される。そこで彼が見た異常な世界とは……。
〈「(略)わたしが当然だと思っていたすべてのことが、この都市ではちがっている。日常のことじゃなくて、もっと別の大きなこと。存在理由のようなものがね。ここではそれに対する思いこみが強すぎるわ。まるで、都市こそ全人類が存在できる焦点みたいになってるじゃないの。そうじゃないと思うわ。世の中にはほかにすることがそれこそ何百万とあるし、(中略)あなたがどう考えているか知らないけれど、ここは宇宙の中心じゃないわ」
「中心なんだ」彼は告げた。「われわれがそう信じなくなったら、みんな死んでしまうんだ」〉(P.376~P.377)