一番幸せな状態が長続きする小説
こんにちは。藍坊主のヴォーカルhozzyです。すっかり気温も下がり陰りも増えて、冬の存在感が強くなって参りました。電車やバスを駅で待つ時や、待ち合わせ時間に早めに着いてしまった時、風なんか吹こうものならじっとしているのが辛くなってきていますが、そんな時でも本を一冊持ってると、寒さも多少は和らぎます。本って、持ってるだけで結構あったかいですしね。紙っていいです。手袋しているとページ捲(めく)りにくいけど。
そんなほんの数分、数十分の間でもちょうど読み切れないくらい長さの「短編」というのは、起承転結の展開も早いので、面白くなってきたところで待ち時間が終わる! というちょっと悩ましい事態に出会ったりもしますが、「続きが気になる」という、本を読んでいて一番幸せな状態が長続きするというのもいいものです。
今回は、数ある短編集の中でも大好きな短編が収録されている3冊を紹介させていただきます。短編には、中編や長編小説とは違った刺さり方や印象の残り方があって、ふと何かの拍子に頭の中に流れてくるイメージやストーリー、一節が、自分でも読んだことを忘れていた短編小説の1シーン、ということが今まで結構ありました。何でだろう? と、考えてみた事もありましたが、結局理由ははっきりわからず。なんとなくですが、作家さんの素の部分や意図せずに起きた実験的なものが、短編小説には宿りやすいのかな?と思ったり。リラックスして表現しているような話が多い気がします。なんとなくですけどね。
長編小説ってやはり読むのに少し気合いが必要なので、読み手側も読了後は「読んだぞー!」と肩に力が入ったままなことも多いと思うのですが、短編だと書き手も読み手もリラックスしているので、意識の奥の方にするっとイメージがたまっていく要素があるのかもしれないですね。全部なんとなくですけど。そんな気がします。それでは個人的にすごく印象に残っている短編のご紹介を。
町田康初の短編集はミュージシャンならではのリズミカルな文体
読めば読むほど、文体がこちら側に乗り移りそうになってしまう恐るべき中毒性のある文章をいつも見せつけられる町田康さんの本。ミュージシャンだからこそなのか、文章も凄くリズミカルで文字にビートが宿っています(笑)。あと、文体がロックです。すごく絶妙な崩れ具合が憎い。読み始めるとあっという間に時間がすぎてしまいます。
この短編集の最後に収録されている「逆水戸」という一編が絶品です。今読み返してもやばい。人目も憚(はばか)らず、喫茶店で声を出して笑ってしまいました。「プー、クスクス」じゃなくて「ぶはっはあ」って感じです。今はもう放送されていないのかな、昔お昼とか夕方くらいにテレビでよく再放送されていた水戸黄門のパロディー小説なんですが、なんとなくでも元ネタを知っている方ならこの小説のくだらなさに悶絶するんじゃないか、と思っております。こんだけ書いといてあれですが、笑いのツボが合わなかったらすみません。電車では読まない方が良いかも。
若き日の辻仁成はなにを思う
たぶん、生まれて始めて買ったエッセイだと思います。エッセイというのがどういうものなのかもわからないまま、中学生の自分にはとてもタイトルが輝いて見えて、すっと手を伸ばし、当時ミリオンを飛ばしていたCDと一緒にレジに持っていったのでした。辻さんの本もこれが始めて読んだ本。自分ももうギターとか弾いていた頃だったけど、この作家さんが有名なミュージシャンだと言うことも知らず、ただタイトルが気に入って手にした本でした。そしてこの本を読み始めてから、今も辻さんの本を読んでいます。文章の書き方が丁寧で優しくてすごく好き。
このエッセイの中で特にお気に入りなのが「カレーパン」と「大きなタマネギ」という話です。侘しさと透明感ともどかしさが伝わってくるのに、「こんなんいいなあ」ってなるんですよね。青春だなあ。明るい内容じゃないのにグッとくるんですよねえ。ずっと印象に残り続けている短い話。茹でたタマネギがほんとにおいしそう。