上杉謙信の影に埋もれがちな上杉景勝。その知略で景勝を助け上杉家を守り抜いた直江兼続。ふたりの関係、考え方、上杉家の在り方が詳しく分かる本を集めましたので、ぜひ読んでみてください。
上杉景勝は1555年、上杉謙信の姉と上田長尾家当主の長尾政景との間に次男として生まれました。1564年に父親が亡くなり、叔父である謙信の養子となります。
一方直江兼続は1560年生まれ。父親は景勝の父親に仕えていたと言われていますが、はっきりしたことは分かっていません。この頃は樋口与六と名乗っています。景勝が謙信の養子となると同時に春日山城に入り、小姓として仕えていたようです。そこで謙信から大きな影響を受け、また景勝との絆も深まることとなります。
1578年に謙信が亡くなると、謙信が跡継ぎを定めていなかったためにもう一人の養子である上杉景虎との家督争いが始まりました。御館の乱と呼ばれ、兼続も景勝を当主とするために力を尽くします。そして1580年、景勝は勝利を収め上杉家当主となりました。1581年兼続は跡継ぎのいなくなってしまった直江家を継ぎ、与板城主となっています。
景勝は信長とは敵対していましたが、秀吉の時代になってからは秀吉の味方となって戦います。1595年には豊臣家の大老となり、豊臣家五大老の一人となりました。秀吉の死後は、兼続と石田三成が懇意にしていたこともあり、家康に敵対します。
家康から謀反の申し開きのために上洛するように、と言われたものの上洛せず、いわゆる直江状を送りつけ会津征伐を引き起こしました。そこから関ヶ原の戦いが始まりますが、結局負けてしまい、家康に従うこととなります。
米沢30万石に減封された後は、景勝も兼続も米沢藩の藩政に尽力します。治水事業、新田開発、町の整備を積極的に行いました。そして1620年兼続は60歳で病死。景勝は1623年に69歳で亡くなっています。ふたりで共に上杉家を支えた人生でした。
1:天下統一を志せなかったのは、越後の内乱があったから
信長や秀吉のように、天下統一などの壮大な目標を掲げていた大名がよく注目されますが、他の大名に関しては「ただ自分の支配地を広げて国を豊かにしたい」という目先の利益のために動いていました。景勝もその一人で、豊臣秀吉が台頭すると「領地の安全さえ保証されれば逆らう必要はない」とし、秀吉に敵対する佐々成政の討伐に協力しています。
それに豊臣の権威を借りるのはもう一つ重要な意味がありました。越後はずっと前の祖先の時代から守護の権力が強く、各地の豪族が割拠する状態が続いていました。景勝の家督相続後、恩賞が少ないと言って反乱を起こした新発田重家の反乱は特に重要で、東北の伊達や蘆名の支援を受けても8年もの間反乱が続いていたのです。
彼はこうした事情から、天下へと進みたくても進めないという事情を抱えていました。これは主に東北・北陸・九州といった織田・豊臣による天下統一の範囲が及んでいない地域に顕著で、これらの地域は江戸時代になってもまだ戦国時代のような群雄割拠の雰囲気が続いていました。
2:人前で笑わなかった
景勝は、家臣の前では絶対に笑わないという厳しくプライドの高い一面がありました。越後という反乱だらけの不安定な地域に生まれ若くして家督争いという命の危機を経験した景勝は、妄りに自分の威厳を落とすようなことをしたくなかったのでしょう。
3:実子の世話を直江家に頼んだ
景勝は生涯を通じて、女性との関係をあまり多く持っていませんでした。そのため側室との間に実子・定勝が生まれ時には、その養育を兼続・お船夫妻に任せています。生母も、正室の菊姫も亡くなっていたため、景勝には実子を育ててくれるような女性がいなかったのです。
このエピソードから、景勝がいかに兼続を信頼していたのかがわかります。
1:伊達政宗の確執について
直江兼続は本来は上杉家の一家臣に過ぎませんが、秀吉自身が気に入っていたことから秀吉の元に出仕したことがあります。この頃、後の関ヶ原の戦いにも通じる確執エピソードが生まれます。
伊達政宗が治める会津では純金が取れることで有名でした。この時政宗は諸将に純金自慢がしたくて、小判を持ってきては披露していました。この席には兼続もその場に同席しています。
他の大名が手にとって小判を観察したのに対し、兼続は扇子で小判をひっくり返してみるだけでした。そのことに対し政宗が「自分が大名じゃないからって遠慮するなよ!」と自慢半分で彼をからかいますが、兼続は「これは失礼、私は若い頃から謙信公の薫陶を受けて軍配を握った誇りがあります。こんな汚いものには触れたくありません。」 というと、さっさと帰ってしまいました。
後になって景勝がそのことを叱ると「あいつは殿下(秀吉)さえ恐れるゆえに態度が鼻につくから懲らしめてやった。」と得意満々だったといいます。
2:「愛の兜」には殺戮という意味も含まれていた?
直江兼続といえば「愛」という字がモチーフの兜で有名ですが、その由来は一般的に「愛染明王」からきていると言われています。 まず、明王とは密教の中で信じられている仏神で、悪を討つ力を持った怒りの表情が特徴です。
愛染明王もその一つです。怒りによって煩悩や情欲を鎮めて悟りに変える仏だと信じられている他、恋愛や縁結び、家庭円満を司るという、恋愛を肯定する神ともされています。 しかし当時の愛染明王には、数々の武器を手にしており怒りによってあの世に人々を送るという意味も込められていたと噂されています。
3:日本最古の『史記』『漢書』『後漢書』は兼続の所蔵品だった
兼続は朝鮮出兵の際に朝鮮の将からその読書量を評価されるほどの愛読家で、京都・妙心寺の南化和尚から中国・南宋時代の版本である『史記』『漢書』『後漢書』を譲られていました。 これらが本格的に評価されるのは彼の死後からであり、会津米沢藩の興譲館という学問所で保管されています。
また兼続は南朝梁の『文選』と自ら木版にて出版しており、これも一緒に保管されています。
『上杉謙信・景勝・直江兼続 軍神の系譜 』は、上杉景勝と景虎という謙信の養子ふたりを中心に書かれた作品です。織田信長との戦いである手取川の戦いと、景勝、景虎の家督争いの御館の乱について心理描写を丁寧に描きます。
- 著者
- 坂上 天陽
- 出版日
- 2008-08-12
カリスマ性があり軍神と言われる、謙信の息子となった景勝と景虎。お互い経緯は違いますが、養子として謙信として迎えられたことで絆を深めます。本作では謙信が聖人として書かれていないところが新鮮です。上杉の世を守る、上杉家の膿を出し切るだめには戦わなければならないと、ふたりは御館の乱を起こすのでした。
景勝のために、また自分の上杉での存在意義のために兵を起こす景虎に胸が痛みます。そして戦いのシーン、景虎の死には涙がとまりません。フィクションも多い話ですが、謙信と景勝、景虎、そして景勝を跡目にしようとする直江兼続の心の葛藤が手に取るように分かる読みごたえのある一冊です。
上杉景勝がどれほど名将であったか、ということに言及する『守りの名将・上杉景勝の戦歴』。景勝時代の話では直江兼続を主役とした話が多い中、景勝について詳しく知ることができる貴重な本です。
- 著者
- 三池 純正
- 出版日
- 2009-05-02
上杉景勝は謙信と直江兼続という偉大な人物の影に隠れ、なかなかその人物像が見えてきません。家康が背後を見せても戦いに行かなかったというエピソードもあり、愚直なイメージも作られています。しかし本当にそうなのでしょうか。上杉を守るためにはどうすればよいのかということを考えると、攻めるだけではない戦い方にも納得がいくもの。
しっかり資料を読み解き、新たな解釈を展開してくれるので、景勝にどんどん興味がわいてくることでしょう。運もあり、実力もあった名将であったと実感でき、また上杉目線での関が原前後の歴史が面白く読み取れる作品です。
2009年大河ドラマ原作『天地人』は、義を貫き、愛を掲げた兼続の生涯を描いています。謙信に大きな影響をうけることになる小姓時代から、景勝と共に上杉を支えた時代。創作された人物も交えながらの激動の歴史を、あっという間に読み進めてしまうことでしょう。
- 著者
- 火坂 雅志
- 出版日
- 2010-04-09
兼続の正妻であるお船がとても魅力にあふれています。このような女性に支えられることで、兼続のように活躍できるのだなと納得することでしょう。彼の周りに登場してくる女性はみな生き生きと人生を過ごし、小説に深みを与えています。
知だけではなく行動力も政治力もあり、さらには義や愛という心も持ち合わせる兼続。この戦国時代にこんな人物はなかなかいないのではないでしょうか。その才能をすべて景勝のため、上杉のために使った彼の生き方は、現代の私たちも見習いたい精神だといえます。
直江兼続を主人公とし、関ヶ原前後を描いた本が『密謀』です。秀吉が天下をとり徳川の世に移るまで、その時代の移り変わりを兼続の目を通して見つめます。関ヶ原では負け組となった上杉家。どのように考え、なぜそのように動いたのかかが、すっきりと腑に落ちることでしょう。
- 著者
- 藤沢 周平
- 出版日
- 1985-09-27
上杉謙信の意志を継ぎ、義を貫く上杉景勝と直江兼続。幼い頃から一緒に育ち、戦ってきたふたりですが、秀吉と出会うことでその主従関係は少し変化していきます。生涯義を重んじ、自分は天下人の器はないと上杉家を守ることを重視した景勝でしたが、兼続は景勝に天下を目指して欲しいと思ってしまうのです。そして豊臣家のために家康を排除しようとする石田三成。この3人を中心として話は進みます。
兼続と三成は共に家康を討つ密約を交わします。しかし三成は挙兵してしまいその密約は反故になるのですが、景勝は参戦することはありませんでした。なぜ景勝は動かなかったのでしょうか。義に生きる景勝と兼続、多くの武将たちの心情が生き生きと描かれ、また忍者も登場し、物語に厚みを加えています。違った面の関ヶ原を知ることができる作品です。
景勝と兼続の主従関係をより深く追求している本書は、心理描写が上手いのでぐいぐい引き込まれてしまいます。景勝がどれだけ兼続を信頼していたか、そしてその思いに応える兼続はどう行動していくのか。秀吉も認める才能で上杉を守る様子を、楽しく読み進めることができます。
- 著者
- 童門 冬二
- 出版日
亡き上杉謙信と交信してみたり、人物描写が作者独特だったりと驚くこともあるのですが、それもまたこの物語の魅力となっています。文章も読みやすく、作者の考えや説明も豊富なので知識を増やしながら読み進められるはずです。
兼続は米沢で農業を主体とした国を作ることを考えます。天下を取ろうとする武将ばかりの中、地に足を付けて国づくりをしようとする姿、そのような政策を思いつく彼に感銘を受けることでしょう。景勝と兼続の、失敗しても常にこれからのことを考える前向きな姿勢は、真似していきたいものです。
実はかなりの名将であったと考えられる上杉景勝を見直すきっかけになればと思います。直江兼続に関してもいろいろな逸話が残っていて面白いもの。彼らの実像はどこにあるのか、いろいろ考えてみてください。