ピンチョン翻訳者による手引き『実験する小説たち』とオススメ作品

更新:2021.12.16

「実験的な小説」という表現がありきたりに思えるようになった今、『逆光』や『これは小説ではない』の翻訳者でもある英文学者の木原善彦氏が「小説の実験」の様々な実例を紹介する1冊です。

ブックカルテ リンク

世界の実験小説を概観できる1冊

本書には、目次に挙げられているジョイス、ナボコフ、コルタサル、カルヴィーノ、円城塔といった日本でよく知られている作家の作品や、ダナエレブスキー『紙葉の家』やフォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』、デヴィッド・ミッチェル『クラウド・アトラス』などといった最近の話題書のほか、それぞれの章の扉部分に本文で触れられる作家と作品名がまとめられており、くわえて各章末には「こちらもオススメ!」として更に何冊もの作品が挙げられています。

著者
木原 善彦
出版日
2017-01-23

変わった小説が好きな人ならば、名前くらいは聞いたことのある「名作」ぞろいですが、どれも実験的な作風なので、全部を読んでます、という人がいたらなかなかの変態さんだと自負してもらっていいでしょう。

大学の人気講義のような「わかりやすく」「勉強になる」内容で、1章ごとのボリュームも軽く、小説がどのような実験をしてきたのかを知りたいという読者にはオススメの1冊です。自分が読んだことのある作品を探して、その作品と同じ章で紹介されている他の作品に手を出してみたり、別の手法で書かれている作品も読んでみたりと、読書の幅が広がること間違いなしです。最近では、「実験的!」というだけではあまり騒がれなくなりましたが、たまたま読んでいる作品にちょっと変わった書き方がされているときに、それが過去にどんな作者がどんな作品で、どういう背景で使ったことのある手法なのかを思い出したり、関連付けて考えたりするというのは、なかなか楽しい読書体験ですよ。

18世紀の古典的実験小説

著者
ロレンス・スターン
出版日
1969-08-16

18世紀イギリスで、それまであった様々な「物語」とは別の形式の「斬新(novel)」なものとして定着したのが「小説(novel)」でした。語源的には、小説はそもそも実験的であることを運命づけられていたのかも知れません。

この『トリストラム・シャンディ』は、ある紳士が自分が生まれてからのことを可能な限り真摯に書き記そうとした結果、いわば筆が追いつかないという事態に陥ったり、その後に現れる様々な「実験的小説」の先駆けのような作品です。

『実験する小説たち』で紹介される書籍は主に比較的現代の作品ですが、第1章ではこの『トリストラム・シャンディ』のような古典的実験小説を紹介しています。

読むのが面倒臭いが世界的な成功をおさめた意欲作

著者
["コルタサル", "土岐 恒二"]
出版日

最近、話題になることの多い南米文学。その代表的な書き手の1人でありながら、ガルシア・マルケスや、バルガス・ジョサ(バルガス・リョサ)、あるいはボルヘスともまた違った位置を占めているのがコルタサル。

この『石蹴り遊び』は、アルゼンチン文学の形而上学的探求と読書行為の刷新という2つの特徴を継承しつつ、パリのシュルレアリスムやコクトーの前衛志向を受け継いだ意欲作。

短編集が高く評価されているコルタサルですが、本作は章の読む順番を指定するという実験的な方法を採用しました。面倒臭い。

しかしその手法の導入によって、まるで「レコードの針飛び」のように同じ章を読者に繰り返し読ませることが可能になります。この作品は『実験する小説たち』で序盤の章を割いてとりあげられたジェイムス・ジョイスにも例えられていますが、当時コルタサルが住んでいたパリや、彼の本国であるアルゼンチンのみならず、アメリカ合衆国でも高く評価されました。

なおラテンアメリカ文学研究者でコルタサルらの著作の翻訳も手掛けている寺尾隆吉氏によると、1966年に『ニューヨークタイムズブックレビュー』に載った書評はコルタサル本人にまで賞賛されましたが、これを書いたのは日本文学研究者としてお馴染みのドナルド・キーン氏でした。

「リポグラム」という実験小説の方法

著者
筒井 康隆
出版日
1995-04-18

『実験する小説たち』の本文で取り上げられているのはウォルター・アビッシュ『アルファベット式のアフリカ』や、ジョルジュ・ペレック『湮滅』ですが、日本の大御所・筒井康隆の傑作である『残像に口紅を』も、章末の「こちらもオススメ!」で筆頭に挙げられています。

文字で世界を表現する小説が、その表現手段である文字を減らして書かれたら、どんな世界を作ることができるのか?この手法はリポグラムあるいは「字忌み」「除字体」と呼ばれています。

「こちらもオススメ!」には『残像に口紅を』の他に、『湮滅』の元ネタになった『ギャズビー Eの文字を使わない5万語以上の物語』という未訳作品まで紹介されています。

『残像に口紅を』は、日本語の五十音からひと文字ずつ字が消えていき、使える単語が減り、その文字を含むものも消えていく(今では否定されている言語学の「サピア・ウォーフ仮説」を思わせるこの世界で、「あ」が消えると「愛」も「あなた」も消えてしまう)。

『湮滅』は、原書で使われたフランス語に最も頻繁に使われる文字「e」を使わずに書かれており、邦訳にあたっては訳者は日本語の「い段(いきしちに…)」を用いないことで対応しました。なぜこんな曲芸のようなことをしたのか、『実験する小説たち』では、「eの削除」をナチスによるホロコーストを暗示しているという説が紹介されています。

実験文学集団ウリポ発

著者
ハリー マシューズ
出版日
2013-06-13

「フランスに基盤を置く文学集団ウリポは途方もない言語実験をしており、過去から現在に至るまで人気が高い。しかし、その多岐にわたる活動はざっと紹介するだけでも1冊の本になってしまう」と『実験する小説たち』第1章では断り書きをされています。この『シガレット』の作者マシューズも所属している文学集団「ウリポ」は、『文体練習』のレーモン・クノー、美術の分野でも革命的な活躍で知られるマルセル・デュシャン、上のリポグラム小説『湮滅』のジョルジュ・ペレックら錚々たる面々をメンバーに擁しています。

この『シガレット』は、様々な時代を行ったり来たりしながら、夫婦、愛人、父娘、画商と画家、姉弟、のようなそれぞれ異なる関係を結ぶ2人ずつの登場人物たちの物語が語られていきます。章と章とのあいだは時間的には断絶して時間の壁は飛び越えられるのですが、登場人物たちのうち片方は共通しており、『実験する小説たち』では「尻取りのように連続している」と表現しています。

普通に面白い小説なのですが『実験する小説たち』によれば、作者のマシューズはこの『シガレット』のプロットを考えるにあたって「ある種のアルゴリズム」を使ったと述べており、登場人物の関係をまとめるとまるで曼荼羅のような洗練された図(中心1名を共有する縦5名横5名の十字と、その十字のうち中心5名を共有する縦3名ずつ横3名ずつの正方形/あるいは3名ずつ×3名ずつの正方形の中に、2名ずつ×名ずつの正方を含み、さらにその中心にもう1名がいる)が描けることがわかります。

『シガレット』の冒頭には「ジョルジュ・ペレックに捧ぐ」と献辞が記されているのですが、ペレックには、各階10部屋ずつ10階建て合計100部屋ある集合住宅での物語『人生 使用法』があり、中心部の第1章からチェスの「ナイト」の動きでほぼ全てのマスを辿っていきます。なお、ペレックは「クリナメン」と呼ぶ欠陥原理を導入しているのですが、これはこれで哲学に詳しい人にはなかなか興味深い要素です(クリナメンは、古代ギリシャでデモクリトスによって提唱された原子論的唯物論の不完全性を補うためにエピキュロスが導入した概念で、若き日のカール・マルクスが注目したことで知られています)。
 

ゴシック文学の一角に立つ不気味な実験小説の金字塔

著者
マーク・Z. ダニエレブスキー
出版日

『実験する小説たち』第1章で『トリストラム・シャンディ』が取り上げられたときに、実験小説にしばしばみられる傾向として「メタフィクション」「マルチメディア性」とともに挙げられていたのが「多感覚性(マルチモーダル)」。『トリストラム・シャンディ』では「死を悼む印」としての真っ黒なページ、「各読者が最も美しい人を自由に想像する」ための真っ白なページ、作品自体の「ごちゃごちゃした象徴」としてのマーブル模様のページが挟まっていて、さらには各巻の物語の流れを表すという「折れ曲がった線」が描かれていたりします。このように文字以外の図版や写真を組み込む作品が「多感覚性」の作品に数えられ、この『紙葉の家』や、最近映画化もされた『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』はこの手法を採用した作品の例として挙げられています。

『紙葉の家』は、

・奇妙な幽霊屋敷を撮影した『ネイヴィッドソン記録』と題された謎のフィルム
・謎のフィルム『ネイヴィッドソン記録』に関するメモが記された大量の紙束
・その紙束を発見者が注釈を添えたもの
・発見者から受け取ったものに編集者が手を入れたもの

という四重の「語り」の層があります、この多層性の表現に「多感覚性」の手法が用いられているのですが、文字でまるで絵を描くような手法は「タイポグラフィー」と呼ばれます。タイポグラフィーの定義を厳密にやろうとするとこれまた奥が深く、また小説に止まらない長い長い歴史がありますが、すごく簡単に言うとスマホでも使える顔文字や、俗に入力ミスを「タイポ」というのもタイポグラフィーに関係しています。『紙葉の家』は、このタイポグラフィーを大いに活用することによって、アメリカ文学のひとつの大きな潮流であるゴシック文学の一角に不気味な金字塔を打ち立てたということになるでしょう。

『実験する小説たち』でも触れられている通り、興味深いのは『紙葉の家』でのあまりに過激な多層性の導入は、読者による読み飛ばしをかなり想定していると思われるという点です。実験、という一見すると知的に積極的な態度が、かえって読み飛ばしという読者の怠惰を誘発し、むしろそれを許容あるいは想定しているということ。『紙葉の家』の作者の次回作がまた読破困難な超ド級にページ数の多い複数巻での刊行が企画されているということなので、この「作者と読者の戦い」は今後もまた続きそうです。

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