愛とはなにか、恋とはなにか
愛という単語を和英辞典で引いてみる。その訳は“love”とある。同じように恋という単語を和英辞典で引いてみる。その訳は“love”とある。愛と恋って違うものじゃないかしらん? と不思議に思う。そして愛と恋ってどう違うんだっけと改めて考える。
愛という性質は人間以外にも本能的に備わっているようだ。なぜなら子孫の繁栄のためには子を守ろうとする仕組みが必要だからだ。ん? てことは、それはあくまでプログラムであって心の動きではない、つまり愛ではないのか? というか心はどのレベルの生物から持ち得るものなのか? そもそも心とは? 仮に愛が本能とはいえ心の働きであるとして、恋はさらに複雑かつ生殖という目的に対してはやや回りくどい仕組みだと思うのだが、これは人間だけに許された行為なのだろうか?
これから深イイことを言いそうな伏線をばんばん張ったわけだが、一切回収できるような答えは持ち合わせておりません。不器用なので広げた風呂敷を畳むことすらできなくてすみません。季節柄、恋愛にまつわる本でも紹介しようと思い上手いこと言おうとして失敗した次第。「音楽と私どっちが大事なの?! 」と言わないまでもその空気感(バイブスとも言う)を今まで幾度となく発せられ感じてきたくらい恋愛の機微に疎い私が紹介することからもわかる通り、今回はあまり女性ホルモンがドバドバ分泌されないタイプの本が多めです。とはいえ愛や恋をあらゆる角度から眺めるきっかけになるような素敵な本も紹介するつもりなので悪しからず。
人それぞれのいびつな愛の形に不思議と安心感を覚える
- 著者
- 三浦 しをん
- 出版日
- 2011-02-26
「言葉で明確に定義できるものでも、形としてこれがそうだと示せるものでもないのに、ひとは生まれながらにして恋を恋だと知っている。とても不思議だ。」(「私たちがしたこと」より)
そう。言葉で定義できないものだけど誰しもが感覚としてある程度は共有できてしまう性質だからこそ、言葉でなんとか説明したくなるし、その曖昧なはずの定義から外れた愛や恋を見ると未知への恐怖から排斥しようとしてしまう人もいる。なんでだろう、共感覚であると錯覚してしまっているがゆえの勝手な裏切られた感なのだろうか。言葉とか常識っていうのは時々とても窮屈だ。
ありふれた男と女のラブストーリーではないけれど、愛という普遍性は全体に通いつつも様々な形で描かれた恋愛短編集。強いてホルモン分泌ポイントを挙げるなら、手先や骨といった部分の肉体の描写が多いことや、どの短編にも共通して「秘密」という隠し味を持つことが、作品にほのかに色気を与え、一つとして同じものはない愛の形を時に生々しく見せつけられることで、自分の持つ愛への考え方や嗜好は別に間違っているわけじゃないんだと安心感をも覚える。
元祖童貞小説
- 著者
- 武者小路 実篤
- 出版日
- 1947-12-29
「二十三歳にしてまだ女を知らない野島は、女を見るとすぐに結婚を連想してしまう。…」
(文庫紹介文より)
なかなかのパンチライン。香ばしいと笑いつつも、このバランス感覚の無さにはどこか既視感がある……。そう、童貞時代だ。『友情』は大正時代に武者小路実篤によって書かれた“失恋”小説だが、いつの時代も恋する人の気持ちの動き、殊に童貞期の女性に対する感情などはあまり変わらないのだなとわかる貴重な資料とも言える。
主人公の野島は作家の卵で、友人の妹である杉子に一目惚れをし、その片思いをいかんともしがたく別の友人である大宮に思いを打ち明け、何かと便宜を図ってもらうものの野島の気持ちとは裏腹に……という具合に話が進んでいく今ではよくありそうなストーリーだが、野島の揺れ動く心の機微を微笑ましく思ったり昔の自分を省みて恥ずかしくなったり、この発言というか思想は確実に女性から嫌われるぞと注意したくなったりしてなかなか頁をめくる手が止まらない。
フェミニズムがある程度浸透し、男女平等を目指して神経質になりすぎた結果男性の地位が低下した昨今においても、童貞期の脳内というのはけっこう古風なところがあり、自分に従順な女性を理想としたり(最低ですね)、とはいえ女性というものをあらゆる面で知らないわけで異様に神聖なもののように崇めてしまう二面性もある。勝手に相手に期待してその期待が裏切られると勝手に憤慨し、もうあんな女知らんと心に決めたところで杉子と偶然話す機会があったりすると打って変わってこの人は天使だなどと舞い上がってしまう野島くんは、危なっかしくもキュートだと思う。すごくわかるよ野島くん。悪く言えば自家中毒だけど、こういうバランス感覚の無い時期に何を考え何を自分の中に蓄えるかって、後の人生にけっこう大きな影響を与える気がする。
純文学という括りには入りそうだが、文体も非常に読みやすいので入門にもおすすめ。ラストはショックやら自責やら恥ずかしさやらで、自分のことのように死にたくなりました。