山本五十六の名言、生き様、歴史を学ぶ本。おすすめ5冊

更新:2021.12.16

太平洋戦争時、日本海軍の連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃やミッドウェー海戦を指揮した山本五十六。数々の実績を残して大戦中に戦死した山本は、後世も語りつがれる名言をたくさん残しました。そんな彼の歴史を学べる5冊を紹介します。

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世界情勢を見据え開戦に反対した侍軍人、山本五十六とは

山本五十六とは、太平洋戦争時の、連合艦隊司令長官で、日本で最も優れた司令官と言われた人物です。

彼は、新潟県長岡市の旧長岡藩士、高野家で1884年(明治17年)に生まれます。旧長岡藩は明治維新時、新政府に最期まで抵抗した幕臣で、武士道精神の強い土地柄です。その環境は後の彼の行動にも影響を与えています。

海軍兵学校へ進み、軍人としての教育を受けた後、旧長岡藩の家老職にあった山本家を継ぐことになり山本五十六へと姓が変わりました。また海軍大学校を卒業すると、アメリカへ留学。ハーバード大学などで学びながらアメリカの軍需を目の当たりにすることになります。

帰国後は、日本海軍で艦隊勤務を積み、軍人として出世していきます。山本は海外で学んだ世界情勢から、日本が戦争に踏み切れば勝算はないと思い、ファシズムが進んで行く日本政府へ異を唱えるようになります。

しかし山本の思惑通りにはいかず、日本は日米開戦に向かって行きます。山本は唯一勝てる方法として奇襲攻撃によるアメリカ軍備の縮小を目標として、真珠湾攻撃を献策。山本の案の通り日本は太平洋戦争へ突き進んでいきます。

しかし、予想の上を行くアメリカの国力に、徐々に日本は押されていきます。ミッドウェー海戦などで日本海軍も大きな打撃を受け、敗戦の色が濃くなっていきます。そんな中、太平洋のラバウル基地から、前線視察に向かった山本は、ブーゲンビル島の上空でアメリカ機に撃墜され墜落します。

彼の死は、日本の敗戦という形で、太平洋戦争に終わりを告げる序章になりました。アメリカ司令官も山本を討てば、日本でそれ以上の司令官は出てこないだろうとの目論見があったと伝えられます。戦争に最期まで反対した山本五十六が開戦の火ぶたを切る真珠湾攻撃を立案することになり、自らの死が戦争を終結に向かわせるという数奇な運命を辿った人物です。

山本五十六にまつわる8つの逸話

1:五十六(いそろく)の由来

彼の「五十六」という名前の由来は彼の父親の年齢が由来していて、 五十六が生まれた当時の父親の年齢が56歳であったことから、 そのまま名づけられました。 ちなみに母親も当時45歳というご高齢だった模様。

2:意外と小さい、でもがっしり

山本の身長は160cm、体重は65kgと若干小太り気味。 彼の容姿については当時の陸・海軍からも「五尺二寸ばかりの小男」、 「はちきれそうな身体」、「全身鋼鉄のような」と形容されています。

3:趣味は将棋

彼の趣味は将棋で、アメリカに留学しているときも、 26時間連続で75試合も将棋を指すほど好きだったご様子です。 その将棋好きはお偉いさんになってもおさまらず、 真珠湾攻撃の前日も指し、ミッドウェー海戦の際も味方の艦隊が、 攻撃を受けているという連絡を将棋の対局中に受けたそうです。

4:甘いものが大好きだった

山本は甘党だったようで、柿やパパイヤのような果物から、 水饅頭やようかんといった和菓子も好物としていました。 おしるこがお夜食に出たときは喜んでいたそうです。

5:後の総理大臣と旧知の仲

実は山本が海軍次官として活躍していた頃の海軍大将、 後に内閣総理大臣に就任する米内光政(よないみつまさ)とは、 海軍の学校の教官の頃からの盟友だったそうです。 1336年に起こった2・26事件における当時の内閣総理大臣救出の際も、 2人は関与しており、米内の対応を見た山本は後に次の海軍大臣に彼を推しています。

6:やりすぎたいたずら

山本が海軍次官という職に就いていた頃、休日も働いている海軍の元に芸者が訪れ、 芸者が作ったお弁当を山本の仕事部屋で食べていたという事実が山本にばれてしまい、 山本と米内が激怒して全員クビにしようとした事件が起こりました。

しかし後に2人はなんと「いたずら」であったということを明かします。 後に「いたずらにも程がある」と部下の自伝に書かれたり、 山本と米内の共謀ではなく実は山本の発案であったとも記されてあったそうです。 ちなみに「いたずら」したその日は芸者達に追い掛け回されたとか。

7:真珠湾攻撃・ミッドウェー海戦中、戦場にはいなかった

上述のような一見楽しげなエピソードや後の総理大臣との、 交友関係など持っている山本ですが、中にはこんな逸話も。 彼自身が画策した真珠湾攻撃の際なんと彼は戦線に赴いておらず、 瀬戸内海に停泊していた戦艦「長門」の中にいたそうです。 また、有名なミッドウェー海戦のときも戦線から遠く離れた戦艦「大和」の中に いたそうです。

8:「やってみせ」ていなかった

彼の名言に「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ」というものがあります。 聞えはいいですが上述の真珠湾攻撃において、攻撃すべきところに攻撃せず 戦闘機が帰還したのは山本が「やってみせ」てなかったからでは? という意見があるようです。

激動の昭和史に名を残す異端児、山本五十六

本書は、太平洋戦争で真珠湾攻撃を考案した、連合艦隊司令長官山本五十六の半生をつづった記録小説です。上下巻の2冊構成で、彼を中心に周囲の人物たちが克明に記述され、日本がどのようにして戦争へ進んで行ったのかが浮き彫りになる名作です。

彼は、軍略に長けている人物ですが、人間的にも魅力のある人物として描かれています。ギャンブル好きだったり、女性関係も派手だったりする記述は、これまでの堅苦しい軍人らしい面影だけではない人間像が浮かび上がります。

著者
阿川 弘之
出版日
1973-03-01


上巻は戦争に反対していた山本五十六が、政治的に好戦派と相対していく姿を通して、日本が無謀とも言える大戦にどのようにして向かって行ったかが描き出されています。下巻は、彼が司令長官として指揮した真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発し、撃墜されて最期を迎えるまでの物語です。

作品は終始、彼を中心に据え、太平洋戦争の愚かさと、死を覚悟しても任務を遂行する武士道が描かれています。山本の最期は、無線が傍受されている危険をしりつつも、わずかな護衛機だけで前線視察に向かいます。自殺行為ともとれる行動で、危険視された通りに撃墜された山本五十六の本当の意思は何だったのでしょうか。

敗戦の責任をとったのか、戦争を止められなかったことへの自責の念なのか。読む人により感じるものは違うと思いますが、彼を知るためには必読の本だと、間違いなく言える作品です。

現代の日本人が学ぶべき山本精神

本書は、山本五十六と同郷で、歴史研究家の著者、稲川明雄がまとめた名言集です。漢語や古文には解説が付いているので、読みやすい内容になっています。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」(『山本五十六のことば』より引用)

これはあまりにも有名な彼の言葉でしょう。現在のビジネスシーンでも人材教育に欠かせない言葉として語り継がれています。また、この言葉には続きがあります。

著者
稲川明雄
出版日
2011-08-04


 

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」(『山本五十六のことば』より引用)


 

彼の教育論とも言えるこれらの言葉は、部下を持つ上司や教育者にとって座右の銘にしている人も多いのではないでしょうか。

他にも時代ごとに章を分けてまとめられていますが、どの言葉にも、何かを成し遂げようとするバイタリティーと部下や同志を思いやる愛情が見えてきます。稀薄な人間関係になりつつある現代社会には、今こそ必要なのは山本精神なのではないでしょうか。

また、戦略家として優れていた山本五十六の考え方は、旧長岡藩(現在の新潟県長岡市)出身で、江戸時代から続く藩教育がベースにあったのではないかと想像できます。劣勢を如何にして挽回するか。いざという時の備えとブレない向上心は、現在のリスクマネージメントの考えにも通じるものがあり、ビジネスマンの必読の書ではないでしょうか。

戦争に反対していた司令長官、山本五十六の男気

本書は、2011年に公開された山本五十六の映画のために書き下ろされた本です。著者の半藤一利は、同郷出身者でもある五十六に傾倒し、これまでも関連作品を数多く執筆しています。映画化にあたり、真珠湾攻撃に踏み切る直前からの半生を再編集してまとめました。

五十六は、真珠湾攻撃の立案者として、軍人のイメージが強いかもしれませんが、本書でも書かれているのは誰よりも戦争に反対していた山本五十六の姿でした。戦術家としての卓越した眼をもち、世界情勢を知る五十六は、当時の日本では数少ない、冷静な分析が出来る人物だったのでしょう。

著者
半藤 一利
出版日
2014-05-09


甘党で博打好きな面なども紹介されていて、堅苦しいだけの軍人ではない面も持ち合わせていたことがわかります。また、そんな人間臭いところが、人望が集まる所以なのかもしれません。開戦直前まで戦争反対を訴える山本と、その腹心の部下たちの好戦派との主導権争いは、この本の見所の一つです。

自分たちの意見が通らず、開戦に踏み切った日本を、如何にして最小限の損害で終戦に向かわせるかが、後半の山本五十六の目標になりました。現状が思い通りいかなくても腐らず、常に次を見据えて行動し、最後は自分が責任を持つ姿は、理想の上司像であり、映画で主人公を演じた役所広司の姿と重なって、見事な生き様だと思わせる作品です。

家族だけが知る司令長官、山本五十六の素顔

本書は、太平洋戦争時、連合艦隊司令長官だった山本五十六の、長男義正からみた人物像を記録したノンフィクション作品です。家族だからこそ知り得る葛藤や家族への愛情など人間味あふれる偉人の素顔が読める作品となっています。

著者
山本義正
出版日
2011-12-07


著者は本の中で、父・山本五十六の名誉を挽回したい意図があったのか、誰よりも戦争に反対していたことと、真珠湾攻撃は奇襲ではなく、アメリカに対して宣戦布告してからの突撃だったと記録しています。アメリカのルーズベルト大統領がその通告を知っていて隠したとされる陰謀説などもあり、真珠湾の真実は未だに明確にされてはいませんが、五十六の騙し討ちを嫌う精神は納得させられるもの。

五十六の正々堂々と真義を貫く精神は、旧長岡藩出身で藩の教育が根強く残っていたのだと思われます。幕末に朝敵とされながらも最後まで徳川幕府に義を貫いた旧長岡藩の精神が、五十六にも流れていたのでしょう。

また、この本の特徴的な記述は、家族をテーマにしていることです。妻への愛情、息子への慈しみが、言葉ではない態度から溢れてきます。厳格ながら愛情深い昭和の父親像がそこにあるのです。軍人としてだけではない人間としての五十六に触れることが出来る作品となっています。

太平洋戦争の裏側を解き明かす

本書は、NHKが放送した山本五十六のドキュメンタリーを書籍化したものです。彼の盟友が秘匿していた書簡が見つかり、新たな真実が浮かび上がります。本書はこの書簡から太平洋戦争へ向かって行った日米の政治的真実を取材し、山本五十六の実像を探ったノンフィクション作品です。

彼の盟友で海軍中将だった堀悌吉は、激動の時代を山本と歩んだ足跡を克明に記録していました。2014年に初めて公開されたその書簡は、隠されていた歴史に光を当てる貴重な史料となります。

著者
["NHK取材班", "渡邊 裕鴻"]
出版日
2015-06-09


本作では、この書簡を基にして、当時、誰が、どのような思惑で政治を行って行ったのか、日本とアメリカ両面から取材を行い、読み解いていきます。ワシントン条約とロンドン条約、三国同盟締結から日米開戦へ至った背景が堀悌吉を通して見えてくる内容です。

富国主義からファシズム思想へと移行し開戦を主張する政治家や陸軍将校たちと、国力を冷静に分析して開戦に反対する山本五十六派との、政治上の戦いは、昭和の歴史を知るうえで貴重な史料です。戦争へと進んで行った日本国の背景を学ぶことは、現在の平和への願いへと繋がります。未だ争いが無くならない現在だからこそ必読の本です。

誰よりも戦争に反対していたにもかかわらず、真珠湾攻撃を立案した山本五十六。その相反した行動は、激動の昭和史を語るうえで知らなければいけない政治的背景があります。山本五十六の真実を知ることは、誰もが願う平和のためには必要な事ではないでしょうか。

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