突然ですが、東京ディズニーシーにあるアトラクション「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」をご存知ですか? 『千夜一夜物語』に登場するシンドバッドの冒険を題材にしたボートライドです。私はそこで流れる曲『コンパス・オブ・ユア・ハート』がとても大好きなのですが、生きていくうえで見失いがちな「心のコンパス(=自分の進むべき道)」をどうやって自分は取り戻しているかな、とふと思ったときに、この曲と、とある3冊の本を思い出しました。今回はそんな「心のコンパス」となった異ジャンルの本を3冊ご紹介します。
ちょうど和装から洋装に変わっていく移行期の時代(戦後)に、日本人、とりわけ日本人女性のライフスタイルに一大美的変革をもたらしたクリエイター・中原淳一。
一般的によく知られているのは、イラストレーターとしての側面です。雑誌『少女の友』の挿絵を手がけたことで人気を博し、一世を風靡しました。同雑誌で表紙を手がけたのち、終戦後『それいゆ』、『ジュニアそれいゆ』を創刊し、編集長として女性誌の基礎を作り上げました。
他にもファッションデザイナー、人形作家、ヘアメイクアーティスト、スタイリスト、インテリアデザイナーなど多岐にわたる分野で活躍していた彼は、人、とりわけ女性が「美しく生きる」ことを最大の目的としていました。それを言葉としてまとめたものがこの『美しく生きる言葉』です。
- 著者
- 中原 淳一
- 出版日
- 2004-04-28
クリスチャンの家庭に育った彼は、父の死により7歳から13歳までを外国人宣教師のもとで暮らしていました。幼少時代から実生活で西洋の生活様式を身につけ、この当時の日本男児としてはきわめて珍しい生活体験が生来の美的センスと相まって、独自の美意識と稀有な才能を培いました。そのためか、彼の手がけた作品は「和洋折衷の美」と表現されることがしばしばあります。
この本でもそうした「和洋折衷の美」を感じられる言葉がたくさんしたためてあります。ちょっとした身なりや立ち居振る舞い、心遣いといった普通に考えれば些細なことが実は「美しく生きる」ために必要な要素であると再認識させられます。
特に好きな言葉は
“『美しい人』は、その美しさですべてが許されるのだなどとは、ゆめゆめ考えないでください。あなたに内面の美しさが加わってこそ、はじめて『美しい人』なのです。”(8ページ)
“いつでも自分を大切にするのが、自分自身へのエチケット。”(42ページ)
“幸福というものは、すべて自分の努力によって見いだすもので、他人が他人の幸せを規定することはできない。”(53ページ)
“幸福は一度手に取れば、一生逃げてゆかないというようなものではなく、毎日の心懸けで少しずつ積み重ねてゆかねばならない。”(71ページ)
“『女性だから許してもらえる』という、甘ったれた考えは、美しい女性なら、なおさら無くしてほしいものです。”(120ページ)
です。
女性に限定しているか、と言われるとそんなことはありません。「美しさ」に性別は関係ありませんからね。ぜひお気に入りの言葉を見つけてみてください。
自分がやりたいことを実際におこなおうとしたさい、なんとなく怖くなってしまうことってありますよね。それは自分のやる気が足りないとかではなく、単純に「今ある自分から別の自分に変わってしまうことへの恐怖」が先行してしまうからだと思います。そんな恐怖を少しずつ解きほぐしてくれる本が『アルケミスト 夢を旅した少年』です。
- 著者
- パウロ コエーリョ
- 出版日
父親から神父になることを望まれて育つものの、狭い世界にとどまろうとはせず自由に世界を旅したいと考えた結果、羊飼いになった少年。あるとき全く同じ内容の夢を二度見たことで、大切にしていた羊をすべて売り払い、体一つでヨーロッパからアフリカへ旅に出ます。
旅先で出会った泥棒、クリスタル店の店主、本ばかり読んでいるイギリス人、らくだ使い、オアシスの少女、そして錬金術士といった人種も職業もなにもかも違う人々との交流を通して少年はたくさんのことを学んでいきます。
この本に登場する人物たちのほとんどがとても前向きな性格で、気づかぬうちに少年のみならず読者である我々も鼓舞されているような感覚に陥ることもしばしばあります。
例えば前述したような前へ進むことへの恐怖にたいして、こんなセリフがあります。
“傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがいい。夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ。”(154ページ)
何かをしようとしてまず行動よりも、行動することへの言い訳やデメリットばかりを挙げて自ら諦めさせてしまうことがなんとなく空気として蔓延している現代、このセリフはそんな周りからの空気で諦めてしまった人の背中をポンと押してくれるものではないでしょうか?
唐突ですが、私は「愛は無条件降伏」だと思っています。「無償の愛」とも言い換えることが可能ですね。これは恋愛のみならず、友情、親子といった愛情というものにも適応できる考えです。「この人のためならなんだってできる」と思えるのは、本当にごくわずかだと思います。そんなことを考えさせられる本が絵本『おおきな木』です。
- 著者
- ["シェル・シルヴァスタイン", "Shel Silverstein"]
- 出版日
- 2010-09-02
幼い男の子が成長し、老人になるまで、温かく見守り続ける1本の木のお話。たったそれだけのお話なのですが、心にとても深く染みこんでいきます。木はその男の子を惜しむことなく自分のすべてを与えてしまいます。まさに「無償の愛」です。でもそれは果たして幸せなのか否か、実際に経験してみなければわからないことなのかもしれません。
この絵本は本田錦一郎訳(旧訳、篠崎書林、1976年)と今回紹介した村上春樹訳(新訳)の2冊があります。旧訳から新訳になって特に変わったところは以下の3点です。
①木の言葉遣いが女性らしくなった
②「happy」の訳が「うれしい」から「しあわせ」へ
③この絵本の要になる「And tree was happy.... but not really.」が問いかけから否定形に
翻訳されたものとなると、その翻訳者のセンスが作品の印象をガラリと変えてしまいます。特に③は(せっかくなので実際に読んで確かめてみてください)は、読者それぞれの解釈に委ねる訳から書き手が誘導するかたちに変更され、それだけでかなり印象が変わります。
どちらが優れているかどうかはここでは議論としてあげません。時代とともに表現の受け止められ方や嗜好も変化していくものですし、それが翻訳のある意味醍醐味なのかもしれませんね。気になる方は2冊を読み比べてみるといいかもですね。
いかがでしたか? 今回紹介した本はいずれも過去に贈り物としていただいた本たちです。これらは今でも自分の糧となっているので、私からも親しい友人などに贈ったこともあります。アフォリズム的なものから小説、そして絵本とジャンルを変えて紹介してみましたが、どれも性別や年齢を問わない作品だと勝手ながら思っております。クリスマスも近づいているので、大切な人への贈り物にいかがでしょうか?