平清盛について知る。人物像、政治、日宋貿易などの本5選。

更新:2021.12.16

平清盛についてどういうイメージをお持ちですか?平家物語では、暴君で傲慢、非常といった様子が描かれており、悪い印象も多いようです。しかし本当にそうなのでしょうか。彼への新たな認識を持つことができるおすすめの本を集めてみました。

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栄華を極めたものの、志半ばで倒れた平清盛

平清盛は1118年に伊勢平氏の棟梁、平忠盛の長男として生まれました。白河法王から寵愛されていた祇園女御が母親ではないかともいわれ、白河法王が実父であるという説もあります。小さい頃は祇園女御の庇護のもと育ったといわれています。

1129年に12歳で従五位下、左兵衛佐、1137年には肥後守となり、1153年に忠盛が亡くなった後は平氏の棟梁となりました。1156年の保元の乱では後白河天皇に付き、勝利を収めます。そして続いて起こった1159年の平治の乱でも勝利。平氏が貴族に変わって政治に参加するようになります。

そしてそこからは平氏全盛期の時代です。中納言となり天皇に近くなっていく清盛は、後白河上皇への配慮も忘れることなく、大納言、太政大臣へと出世します。その後清盛は病を原因に出家し、日宋貿易や福原の整備を行いました。これまでは後白河法皇とも協調していましたが、だんだん清盛の勢力拡大を良く思わなくなった院政側は清盛と対立し始めます。

1177年に起こった鹿ヶ谷事件は、平氏を倒そうとする陰謀でしたが、それは露見し、清盛は逆に院政側の臣下たちを排除します。1179年には嫡男の重盛が病気で死亡し、清盛の後継者がいなくなってしまいました。同年清盛は、治承3年の政変を起こし、後白河法皇を幽閉。後白河院政を停止させます。1180年安徳天皇が即位することによって清盛は天皇の祖父となり、さらに大きな実権を持ちました。

平氏の勢いに反発する後白河法皇の第3皇子、以仁王が挙兵するものの討ち取られます。源頼朝もその後挙兵し、富士川の戦いでは平氏が撤退、あちこちで平氏反発の声が上がるようになりました。興福寺を始め寺社勢力の反発の動きが大きかったため、清盛は興福寺や東大寺を焼き討ちします。

そして1181年、清盛は志半ばのまま64歳で病死。1185年に壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平氏は滅亡しました。貴族社会から武士社会への基礎を作り上げた人物で、短い間でしたが平氏の栄華を極めた時代を築いたのでした。
 

平清盛にまつわる逸話3選

1:幼い頃から傲慢さは健在していた

平清盛は、若いころからなかなかのきかん坊でした。

平家は財力で清盛の祖父や父の代の頃から勢いを増し、父親はついに昇殿、御所に上がることを許されるようになりましたが、当然公家たちは成り上がりが気に入りません。少年の清盛が高下駄を履いて、無遠慮に御所をうろちょろする姿を、京の人々は「高平太(たかへいた)」と呼び、あざ笑ったそうです。これは高下駄を履いた平家の総領息子、という意味でした。お公家さんは下駄など履きませんから、 成り上がりの傍若無人ぶりをさげすんだのです。

彼の傲慢さ、剛胆さは、少年時代からその片鱗を覗かせていたのです。

2:女性たちを翻弄した

清盛は太政大臣にまでなり、天皇の外戚となった平家一門、まさに怖いものは何もありません。平家、とりわけ清盛にとっては思うがままの世の中です。

都に有名な白拍子の祇王(ぎおう)、祇女(ぎにょ)という姉妹がいました。この2人は清盛の寵愛を受けていましたが、ここへ新たに仏御前(ほとけごぜん)という若い白拍子が自分の舞を 見てくれとやってきます。門前払いしようとした清盛ですが、祇王のとりなしで舞を見たところたいそう気に入ってしまい、 仏御前を傍に置くことを決め、祇王と祇女を追い出してしまったそうです。

わが身をはかなんだ姉妹は出家し、嵯峨野に庵を結んで母とともに念仏三昧の日々を送っていましたが、 そこへ仏御前が訪ねてきます。やさしくとりなしてくれた祇王たちが追い出されたことへの申し訳なさと、清盛のようなものに仕えることで 明日の我が身はどうなるか分からないという無常を感じ、彼女も出家することに決めたのでした。21世紀の現在も彼女たちの庵は祇王寺として、嵯峨野の竹林に、清盛に翻弄された運命の名残を留めています。

3:平治の乱で、優れた家臣に救われた

平家は「伊勢平氏」と呼ばれ、その財力は伊勢を中心にした商売で築かれたものです。そのためか、清盛は同じ紀伊半島にある熊野権現をとても信仰しており、盛んに熊野詣でをしていました。

藤原信西と源義朝が結託した平治の乱が勃発した時、清盛はまさに熊野詣の真っ最中でした。戦支度など何もしていない丸腰で途方に暮れていると、家臣の平家貞が差し出した長櫃(ひつ)が、なんと その数50もあり、その中には鎧など武具が入っていたのです。一大事を予想して準備していたとのことで、まさに武士の鑑ともいえますね。

これを身に着け京へ取って返し、清盛一行は信西、義朝を討ち取ることができたのが平治の乱です。清盛はよい家臣のおかげで、窮地を切り抜けたのでした。

4:体でお湯を沸かした

栄華を極めた清盛ですが、原因不明の熱病で最期を迎えます。なんと、熱で苦しむ清盛の体を冷やそうと水をかけると、身体の熱さで水がお湯になってしまったといわれています。そのさまを平家物語では「あつち死に」と表しています。苦しみに跳びはねるという意味です。

地獄のような苦しみのなかでも、清盛は、死後の供養などいらぬから、すでに反逆ののろしを上げていた源頼朝の首をはねて供えよ、と遺言しています。最後の最後まで、憎まれ役の清盛らしいですね。

平家の人物にまつわるエピソード2つ

 

1:平家一門の良心
 

出世の階段を瞬く間に駆け上がり、みかどにさえ傍若無人のふるまいをもってはばらかない清盛ですが、長男の重盛(しげもり)はこれに似つかず心やさしい、道理をわきまえた人物でした。いわば、平家一門の良心といえます。

ともすれば道理にはずれた行動を取る父、清盛をいさめ、一門の者たちをたしなめる立場にあった重盛は、何かと嫌われる平家一族の中にあって、京の人たちに慕われた稀有な存在でした。

清盛の悪行に歯止めをかけることができるは息子である彼だけでしたが、父親より先にこの世を去ってしまいます。ブレーキ役を失ったことで清盛の暴挙はエスカレートし、せっかく築いた栄華も、ここから終焉に向かっていくことになります。

2:驕り、ここに極まれり

平家が繁栄した大きな理由は海上の覇権を握ったことでしょう。父の忠盛は海賊討伐などで着実に功績を上げ、清盛自身も安芸守(今の広島県の国守)に任じられ、瀬戸内の覇権を手中にしました。

清盛の中国地方での大事業は、厳島神社の整備と音戸の瀬戸の開通ですが、音戸の瀬戸の工事中、潮の流れなどを考慮して、日があるうちに工事を終了しなければいけないのに、日没を迎えそうになりました。 清盛が扇で太陽をさし招くと、なんと沈もうとしていた日輪が戻ってきて、無事日中に工事を終えることができたといわれています。

並ぶことなき権力者の清盛にかかると、天の太陽さえ思いのままにできるというエピソードですが、このあたりから平家の凋落の足音が聞こえてきます。恐れ多くも天の太陽を意のままにするという驕り高ぶりの罰があたったともいわれているのです。

 

平家興亡の全体像を図解で学ぶ

平氏の興亡について分かりやすく述べられている本書を読めば、平安末期の全体像を捉えることができます。平正盛から平忠盛、平清盛という平家三代の華々しくも哀しい物語。史実に沿って、多くの図表を使いながら語られていくので、すんなりと頭に入ってきます。

著者
武光誠
出版日
2011-11-16


清盛がどのように実権を握り、太政大臣まで上り詰めたのか、後白河天皇との関係はどうだったのかなどについて詳しく読み取れます。貴族でありながら武士でもあった清盛は、多くの人に慕われていました。源氏に負けたというイメージの大きい平氏ですが、時代の過渡期にあって安定した社会を作っていたのです。

天皇家や貴族同士など、身内での争いが絶えなかった時代でした。そんな中、ある程度公平に生きていた清盛ですが、結局は力をつけすぎたことがきっかけで天皇から捨てられてしまいます。複雑に思惑が絡み合った難しい時代を読み解くのにぴったりの簡潔にまとめられた本です。

新たな平清盛像と時代背景を考える

平清盛は2012年大河ドラマの主人公となりました。本書は、そのときのドラマの時代考証を担当していた著者によって書かれました。ドラマに関わった人にしか書けないような興味深い話に引き付けられてしまいます。

著者
本郷 和人
出版日


始めに書かれているのは、ドラマ作成にあたって、史実とフィクションの折り合いをどうつけていくかというような裏話です。ドラマを見ていた人はもちろん、そうでない人も歴史もののドラマの作り方を面白く知ることができるでしょう。

その後は清盛を中心とした時代背景を詳しく検証していきます。清盛は貴族ではなく武士である、平家幕府ともいえる武家社会を最初に作ったのは清盛である、源平の争いは単なる派閥争いではなかったなど著者ならではの見解に、新たな気付きを得ることができそうです。

平家滅亡の原因を経済面から探る

歴史の動きを経済から考えるという面白い試みをおこなっている作品です。謎解きミステリーのような書き方で進んでいくので、どんどん引き込まれてしまい、いつのまにか歴史も経済も学べてしまいます。

特に宋銭については詳しく書かれています。今までは物々交換が主流だった時代に、あっという間に通貨という概念を根付かせた平清盛は、本当に素晴らしい経営者だったのでしょう。しかしその後はデフレやハイパーインフレが起こってしまいます。そこまでの予測ができなかった清盛は、結果的に滅びてしまうのです。

著者
山田 真哉
出版日
2011-12-16


平家が滅亡したのは宋銭が原因だったという話は、説得力があります。外国通貨を利用したがために、通貨が入ってこなくなり貨幣量を調整できなくなったのです。また米の不作により、食料の状態も不安定になりました。貨幣と食料の安定は社会の安定そのものです。これは現代社会でも起こりうる問題で、その後進む道は経済破綻となってしまいます。

経済という新たな面から時代を知り、また清盛についても今まで知ることのなかった姿を発見することができるはずです。清盛の経済政策の成功と失敗をしっかり読み解いていきましょう。

悩み苦悩する若き平清盛

さわやかな若かりし頃の平清盛が描かれている本書。清盛が実は白河天皇の落胤であるという物語です。そしてそれを知った清盛は、苦悩しながらも、恋愛に友情にと充実した日々を送るのでした。

著者
瀬川 貴次
出版日
2011-10-20


佐藤則清や四の宮との関係性はとても面白く、二人と清盛が今後どうなっていくのかも楽しんで読み進められることでしょう。女性の存在感が大きく、ドロドロとした愛憎劇も描かれる中、清盛と時子の可愛らしい恋愛にホッとさせられます。イケメンで性格もよい好青年に描かれている清盛に、読者も惹かれること間違いなしです。

史実を取り入れつつも、この著者独特の怪異や物の怪も登場し、読みやすく展開される物語です。天皇家や貴族、平家、源氏と複雑に思惑が絡み合い、親子や肉親での争いも多かった平安末期。似通った名前も多く、なかなか関係性が分かりにくいこの時代に入り込む一歩におすすめします。

平清盛が作り上げようとした社会とは?

政治家、平清盛について考察している本書では、清盛の行動の裏側にあった政治的戦略を知ることができます。福原(神戸)遷都を推し進めた理由や日宋貿易についてなど、実はとても先進的であった清盛。今までの貴族社会を打ち崩そうとするその姿に、社会のあり方を考えさせられます。

著者
元木 泰雄
出版日
2011-11-25


そして何となく悪いイメージの多い清盛を、素晴らしい政治家として見直してしまうことでしょう。もし彼が長く生き、後継者が育っていれば、今の日本はどんな社会だったのか。そんな疑問が心に浮かびます。

平安末期の院政の様子、天皇家のことなどについても詳しく述べられており、とても勉強になる本です。結局は負けてしまう平氏なのですが、壮大な目線を持ち日本の政治を考えていた清盛について、認識を改めるきっかけになることでしょう。

公平で政治的にも優れており、皆に慕われる格好いい清盛というイメージで書かれた本がたくさんあります。つまり悪いイメージは、勝者の源氏によって作られたのかもしれません。実像を知ることができるといいですね。

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