鎌倉幕府を開いたとしてほとんどの人が名前を知っている源頼朝。彼は一体どんな人物だったのでしょうか。その魅力、能力をより深く知ることができるおすすめの本を集めましたので、ぜひ頼朝の新たな一面を発見してみてください。
源頼朝は、1147年源義朝の三男として生まれました。義朝は1156年保元の乱では平家と共に戦い勝利を収めますが、1159年の平治の乱では平氏と敵対し負けてしまいます。その結果義朝は殺され、父に従っていた頼朝は伊豆へ流刑となりました。死刑が当然と思われていましたが、清盛の継母の嘆願により死は免れています。
流刑になってから20年。1180年に後白河法皇の皇子、以仁王が平家を倒すように命令を出します。初めは様子をうかがっていた頼朝ですが、流刑中に婚姻関係を結んだ北条政子の父である北条時政らと共に挙兵しました。源氏の味方は次々に増え、伊豆から鎌倉まで進み、大倉御所を構えます。
その後源義経も参戦して頼朝に反発する勢力を倒し、1185年壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしました。しかし頼朝は、義経の権限を越えた勝手な行動に怒り、義経を鎌倉から追放します。義経は頼朝に対し挙兵しようとしますが上手くいかず、結局京を落ち行方をくらましました。頼朝は「守護・地頭の設置」を朝廷に認められて実質的に日本を支配することとなり、この時をもって現在は鎌倉幕府成立としています。
奥州征伐を行っているときに、義経が潜伏していることを知り自害へと追い込みます。そして奥州合戦も終結させ、1192年には征夷大将軍を任命されました。1999年53歳で死去しますが、その原因は詳しく分かっていません。
容姿に優れており家族を大切にした源頼朝。しかし裏切りには容赦なく、自身はあまり戦いに出向かなかったことから冷血な政治家というイメージもあります。実際政治力は素晴らしいものであったようです。
1159年平治の乱から始まり、伊豆での流刑生活、平氏討伐後木曽義仲を討つ1184年までの歴史が描かれる山岡荘八作『源頼朝』。頼朝といえば、義経との確執や征夷大将軍に絡んだ話が多い中、それ以前の頼朝を知れる面白い作品です。作者も、他の人が書いている話は書かなくていいだろうと考えての内容だとあとがきで述べています。
- 著者
- 山岡 荘八
- 出版日
- 1987-07-01
全3巻となり、1巻はほとんど義朝を中心とした話で、平治の乱での敗北が悲しみと共に描かれます。逃げ落ちる父と兄とはぐれてしまったおかげで、命拾いすることとなった頼朝。
2巻では伊豆に流刑された頼朝の恋愛話へと移っていきます。監視役の伊東祐親の娘、八重姫との恋とその子千鶴丸の悲劇の結末。落ち込んでいた頼朝に訪れる北条政子との恋愛はどのようなものだったのでしょうか。3巻ではついに挙兵し平氏討伐へと向かいます。
文章が読みやすく、特に心理描写に優れているので、物語の中に入っていきやすいです。義朝の死の無念さ、伊豆での伊東祐親と北条時政の気持ちなど胸に迫ってくるものがあります。
また、義経に対して頼朝はクールで悪のイメージも強いのですが、この本では公平に頼朝を見ており、幼く若い頼朝にそのイメージを覆されるはずです。そしてトップは頼朝一人という鎌倉幕府のシステムを作り上げたことは、その後の武家社会の形成に大きな影響を与えた画期的なことだといえるでしょう。
『河合源氏‐頼朝を生んだ武士本流』は、200年にも及ぶ河内源氏の流れを詳しく知ることができる貴重な1冊です。清和源氏の源経基から始まり、河内源氏の祖である頼信、頼義、義家、義親、為義、義朝、頼朝とひとりひとりについて細かくエピソードを紹介してあります。
八幡太郎として有名な義家は、武力に優れ、河内源氏の絶頂期を築きました。しかし、義家は東北の反乱で苦労し、義親や為義は出来が悪かったこと、さらには肉親での争いも多く、源氏はいつのまにかどんどん落ちぶれていったのです。
- 著者
- 元木 泰雄
- 出版日
- 2011-09-22
そして義朝の時代が来て、一旦盛り返すかと思いきや、平治の乱で再び沈んでしまいます。親兄弟も殺すことになり、自身も息子も殺される壮絶な義朝の人生は、読んでいて辛いものがあるものの興味深く読み進められることでしょう。
河内源氏は東国武士の棟梁というイメージを持っている方もいらっしゃるかもしれませんが、それは間違いであると著者は主張します。実際に東国武士を動員できるようになったのは頼朝の時代からだそうです。教科書では知ることのない頼朝以前の源氏について、本書では多くの知識を得ることができることでしょう。
源頼朝から三代将軍実朝、そしてその後の執権政治5代目北条時頼までを読み解く『頼朝の天下草創』。鎌倉前期の特に政治について、詳しく述べられています。ひとりひとりについてのエピソードや政策が豊富で、今まで知らなかった人物についての発見もあることでしょう。「天下草創」とは頼朝自身が鎌倉幕府を開いたときに言った言葉で、武家社会の始まりという意味を持つと考えられます。
- 著者
- 山本 幸司
- 出版日
- 2009-04-13
まずは頼朝の人物像と幕府の組織解説が書かれています。貴族社会を打ちこわし、軍事的な機能性を重視した仕組みを作った頼朝は、指導者向きの優れた政治家でした。北条政子もまた、この頃から一緒に政治に関わっていたと考えられます。
頼朝の死後は北条政子が権力を持ち、北条家の地位が拡大します。この時代の女性の地位はどのようになっていたのか、どうやって執権政治へと移行していったのかといったことも分かりやすく知ることができるでしょう。将軍家と北条家、朝廷が権力を争う鎌倉前期について全体を見渡せる良本です。
『源頼朝の世界』は源頼朝、北条政子を中心に、その息子たち、乳母、東国武者、天皇家、貴族について著者の思いを綴ったエッセイです。この本の面白いところは乳母に注目しているところ。今までにない視点で歴史と政治を考えているので、興味深く読み進められます。
- 著者
- 永井 路子
- 出版日
将軍になるほどの人であれば必ず乳母がいます。しかも複数存在することもあり、乳母の夫や子供たちとの関係が、疑似家庭となるのです。そしてこれは信頼に値する家族ともいえます。頼朝の乳母で有名な人物に比企尼がおり、彼女は頼朝が流刑中もずっと物資や情報を送り続け、娘婿たちには現地での世話をさせました。2代将軍頼家時代まで比企一族は将軍家に関わり続けます。
一方3代将軍実朝の乳母は阿波局という北条時政の娘です。ここで比企対北条という構図が起こり、北条家の勝利で幕を閉じることになります。乳母の勢力図が政治にも影響しているのです。歴史の表舞台には表れてこない乳母という存在の重要性についてが、著者の分かりやすく読みやすい文体によりすっと身に入ってきます。また、後半では東国武士や後鳥羽上皇と藤原定家の話も初めて知る逸話も多く、そちらも楽しめるものです。
鎌倉殿とは、鎌倉幕府のトップに立つ人のことです。平家物語の中では頼朝のことを鎌倉殿としていたので、鎌倉殿=頼朝と言われることもありますし、鎌倉幕府自体を鎌倉殿と呼んでいたという話もあります。
- 著者
- 関 幸彦
- 出版日
『源頼朝―鎌倉殿誕生』では、頼朝が鎌倉幕府を成立させる様子がいきいきと描かれています。今までになかったものを作り上げるというのは相当な労力が必要です。貴族に主導を握られていた中から、軍事政権を打ち立てて自らが主導する国づくりを行った頼朝には素晴らしい政治能力があったのでしょう。頼朝が迷いつつも一番いいポジションを確立するまでの手腕は、読んでいてわくわくさせられます。
日本の歴史の中でも幕府成立というのは今まで例のなかった画期的なことです。そして鎌倉殿になったからには、天皇家を滅ぼしてもいいはずですがそうはしなかった頼朝。王朝も取り入れることで得たものと、失くしたものがあったことでしょう。そういった点にも迫りつつ、頼朝の実像を明らかにする読みごたえのある1冊です。
源頼朝といえば義経との争いばかりがクローズアップされていることが多い人物。しかし頼朝の功績をしっかりと知ることで、魅力あふれる人物であったのだと再認識できることでしょう。