つげ義春のおすすめ漫画5作品!シュールでアングラな作風が魅力!

更新:2017.3.6

知る人ぞ知る、前衛漫画家。生み出す作品は日常を描くものの、いつもどこか不条理で不可解で、読む者を日常の扉から異世界へと誘い出すかのようです。今回は日常を描きながらシュールな作風で人を惹きつけてやまない、彼の作品の魅力に迫ります。

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つげ義春とは?稀代のカルト漫画家

 

日本初の青年漫画誌『ガロ』を中心に活躍。リスペクトする漫画家は多く、代表作『ねじ式』は作中の場面やキャラクターが幾つもの漫画にパロディで取り入れられるなど、特に有名です。

また芸能界にも佐野史郎、竹中直人など熱烈なファンが多いです。竹中にいたっては、作品の1つである『無能の人』を1991年に映画化したほど。つげ義春はカルトな人気を誇る、ガロ系作家の筆頭といえるでしょう。

少年時代に読んだ手塚治虫の漫画に惹かれたつげは、紆余曲折を経てプロとして漫画を描くことを決意します。貸本全盛の頃にデビュー。そして『ガロ』を経て、1970年代には他誌に作品を寄稿するようになりました。

先に述べたように、彼の作品の人気はカルトなものです。発表時は一般の読者には「暗い」などと言われて不評でした。しかし一部のマニアックな読者から非常に高い評価を得て、「知る人ぞ知る」存在となっていったのです。

『李さん一家』、『長八の宿』、『ゲンセンカン主人』など誉れ高い名作が『ガロ』で生み出されました。そして、それら作品を描くことで積み重ねられた経験が、後に代表作『ねじ式』として実を結んだのです。

『ねじ式』は1960年代後半の世相を反映した内容で、かつ漫画として初めて表現の領域を超越した作品であると大絶賛され、社会現象を巻き起こします。後世の漫画家たちにも、絶大な影響を与えることになりました。

しかし、そうしたブームのために彼は印税収入を得るようになり、また『ねじ式』があまりに高い評価を受けて「芸術漫画家」などとレッテルを貼られてしまったため、彼は自由に作品を描くことができなくなり、しだいに寡作になっていきます。

彼は不安神経症を患い、強い発作に悩まされて仕事が一切できなくなります。そして1987年発表の『別離』を最後に、漫画からは遠ざかってしまいました。その後、自己否定の念から乞食になることや山奥への隠遁を夢想するようになり、ついには身体の各所に不調が生じるようになってきます。

現在はすっかり休筆状態で新作は発表されていませんが、それでもつげ義春の価値が変わるわけではありません。すでに発表されている作品たちは映像化され、作品全集や外国語版が発売され、電子書籍化され、引き続き多くの愛好家を増やしています。

彼の作品にこれから触れてみたいとお考えのみなさんに、まずはおすすめの5作品を紹介いたします。

見も知らぬ花は少女の身から生まれて『紅い花』

 

山に住む少女は旅の青年に釣場を訊ねられて、同級生の少年を案内人として紹介します。青年は少年に連れられて釣場へ行き、そこで見知らぬ紅い花を見つけます。少年もその花の名を知りませんでしたが、青年と別れた後に見かけた少女の身体から、あの花が現れ出て……。

著者
つげ 義春
出版日
2013-07-20

 

『紅い花』は旅行好きのつげ義春が経験した旅の印象をもとに描いたといわれる、一連の「旅もの」の1作です。旅の青年が少女と出会うことから、物語は始まります。山の中で生活する少女・キクチサヨコや同級生の少年・シンデンのマサジは、どこのものとも知れない方言を話します。

つげは旅先で耳にする方言にたびたび興味を持ち、作品なかでも方言を話す人物を描くことがよくあります。本作に登場する黒髪に着物姿の少女・サヨコは、別項で紹介する『もっきり屋の少女』に登場するコバヤシチヨジと同じ姿、同じ年頃の「大人になる寸前の少女」です。

しかし作中でその存在が表現するのは、まったく別のものと見えます。チヨジが肉感的な艶めかしさを内包する一方で、サヨコは作品の叙情性に準じた情緒的な存在。作中の台詞によるとサヨコは小学6年生、まさに大人への変化が始まる寸前の少女です。

そのサヨコをマサジは「毎日いじめに来る」と言いますが、登場時には長い竿でサヨコの着物の裾をめくり上げるといういたずらをし、さらには「この頃毛がはえておるじゃろ」などと言い放ちます。ほのかに性の匂いをさせてしまうのは、この年頃の特性なのでしょうか。

物語の始めの方と中程でサヨコは「腹がつっぱる」と言って、つらそうな様子を見せます。着物をたくし上げて川の水に尻をつけてしゃがみ込むと、そこから紅い花が現れ出て、流れに乗って過ぎていきます。これは、少女が大人になる瞬間なのです。旅の途中で垣間見えた一瞬の奇跡、といっていいかもしれません。

川で倒れたサヨコを介抱してマサジは山を下りようと提案しますが、具合が芳しくなく横たわったサヨコは押し黙ったままです。なぜ黙ったままなのか判らないとマサジは俯きますが、やがてサヨコを背に負って山を下ります。

言葉を口にできないサヨコと、不平を口にしながらも彼女を捨て置けなかったマサジ。2人の不器用な感情と夏の山に繁る緑が、鮮烈ですらあります。

夏の日の旅と、少女と少年の間に表れるエロスと叙情が、一篇の抒情詩として完成された本作をぜひお楽しみください。

つげ義春の異色作。嬉しくて眠れぬ夜に聞こえるは『初茸がり』

 

本作の主人公・正太は、祖父と初茸狩りに行くことが楽しみでなかなか寝付けないでいました。やがて大きな柱時計の音を聞くうちに、なぜこの時計があるのか気になった正太。祖父にその理由を尋ねますが、眠っているために返事がありません。翌朝祖父が目覚めると、正太の姿が見当たらず……。

著者
つげ 義春
出版日

 

かわいい絵柄で8ページの小品、『初茸がり』。つげが水木しげるのアシスタントをしていたときに、水木が16ページの予定で描いていた作品が8ページで終わってしまったため、残り8ページの穴埋めに急遽描いたのが本作です。彼にしては異色のかわいい絵柄に似合った、かわいらしいお話です。

彼の作家性が強く出た作品は、内容が難解であったり陰鬱であったりで、掲載誌の読者からもあまり評価されませんでした。しかし本作は、童話的な内容と郷愁を感じさせる作風で好評を得ました。

彼の作品に対して批判的だった水木も、この作品には肯定的であったといいます。その点で、読者を選ぶと言われる彼の作品において、本作は数少ない「万人向け」のものであるといえましょう。

つげ義春の単純な言葉に隠された真意とは『もっきり屋の少女』

 

旅の途中で青年は、チヨジという「もっきり屋」なる居酒屋を切り盛りする少女と出会います。青年はそこで、自らの境遇をみじめだと言う少女と話しながら酒を飲み、悪酔いして店の奥で寝ることになります。

騒々しさに目を覚ますと、チヨジは常連客に賭けをさせられて負けていました。青年は土地の方言に興味を持っただけだと言い、立ち去ります。その背中に再び賭けを始めた客の「頑張れチヨジ」という声が聞こえてきて、青年は……。

著者
つげ 義春
出版日

 

本作『もっきり屋の少女』には、先に紹介した『紅い花』にも登場した黒髪の少女が、名を変えて登場します。このコバヤシチヨジなる未成熟な少女が、日常の薄いベールを1枚剥がしたところにある生々しいエロスと叙情性を表現しています。『紅い花』のサヨコとは違い現実的なもの、肉感的なものとして描かれているのです。

つげは旅行先で見かけた会津地方の方言に着想を得て、本作を描いたといわれています。しかし方言そのものではなく、言葉とそれを発する者の意識との間にあるものに、何らかのかたちを与えようとしているかのようにも読めます。

たとえば作中で、チヨジは自らの「一銭五厘で買われてきた」という境遇を、何度訊ねられてもただ「みじめです」とだけ答えます。つらそうでも嘆くようでもなく、ただ「みじめです」と繰り返すのです。果たして本当にチヨジは自らの境遇を、みじめだと思っているのでしょうか。

これは人の気持ちという複雑なものを単純な言葉で表してしまうという「言葉と意識の関係性」、つまり言葉が表すものと、その言葉を発した者が思っていること、考えていることとは本当に同一であるのか否か、ということが焦点にあるものと考えることができます。

言葉と裏腹な気持ちや感情は、確かに存在します。しかし、それはなんだか切ないことではないでしょうか。この要素が、本作に叙情性を付加しているのです。

イラストとしての美しさも、本作の見どころです。背景の細かな筆致、明暗で表される陰と陽、丁寧に構成され描かれたイラストは「旅もの」としての本作の味わいを、さらに深くしています。構成・絵・物語・人物、各要素が巧く組み合わされて、見応えのある1作に仕上がっています。

魂の放浪者は何の役にも立たぬことを怖れて『無能の人』

 

助川助三は、かつて作品を「芸術だ」と評価された漫画家です。しかしこの頃は漫画の仕事もなく、たまに依頼があっても自分から断ってしまうので、貧しい日が続いていました。幼い息子は父親として慕ってくれるものの、妻が時折「漫画を描け」と詰ったり泣いたりしながら、しだいに愛想を尽かしていきます。

そんななかで助三は、川原で拾った石を売ったり古物商から買った壊れたカメラを修理して転売したり、漫画以外の生きる道を模索していくのですが……。

著者
つげ 義春
出版日
1998-03-02

 

読切短編が多いつげ義春作品のなかでは珍しい連作ものである『無能の人』は、1985年6月号から1986年12月号の間、季刊誌『COMICばく』に掲載されたもので、「石を売る」、「無能の人」、「鳥師」、「採石行」、「カメラを売る」、「蒸発」という6つの短編から成り立っています。

この作品の後に2作の短編を描いたのみで、彼は長い長い休筆期間に入ります。『無能の人』はつげ義春作品随一にして最後の大作でありましょう。

高い評価を得ながら、その評価のために漫画が描けなくなってしまった主人公・助川助三。彼は、作者であるつげ自身がそうであったように、漫画から逃れようとします。漫画家の他に職を求め、川原で拾った石を売るなど、まともな職に就かない変わり者です。

助三も変わり者ですが、周囲の人たちはさらに輪をかけて奇人変人たちです。変わり者が奇人たちとの間で体験する出来事が、まるでありふれた日常であるかのように、時折ユーモアを交えて描かれています。

貧くて社会に溶け込めない者の苦労、身に合った職に巡り会えない不運……。そういったものを描いていながら『無能の人』という連作がまったく鬱屈した話にならないのは、物語に挟み込まれたユーモアのおかげでしょう。

また、どこか世捨て人のような奇人たちと関わるのなかで助三は、ときどき自分の存在や価値についての言葉に怯えます。

「世の中の何の役にも立たぬ」(『石を売る』から引用)

「役立たずの無能の人」(『採石行』から引用)

「存在価値がない」(『蒸発』から引用)

これに憤慨することもありましたが、実は助三は自分に自信がなく、それすらも自覚的であるのです。だからこそ、妻が自分を「虫けら」だと言ったのを聞いたという息子にこう答えるのです。

「うんそうだ。虫けらとは父ちゃんみたいなものだ」(『石を売る』から引用)

そのように言う助三を「自分を役立たずの無能の者として社会から捨てる」「だけどおたくの場合はいずれ帰るのでしょ」(『蒸発』から引用)と評する者もいます。助三は、ただ逃げているだけだと。

実はそうなのです。彼は自信を持てないために自分を無能・無価値だという声を拾ってしまい、それを認めてしまうのです。しかし実際は、彼が描く漫画を求める人がまだいました。彼は価値を失くしてしまった訳ではありません。

何が助三に自分自身の価値を見失わせたのか。それを考えながら読むのも、面白いかもしれません。

つげ義春の代表作!「医者はどこだ」シリツを求めて彷徨う『ねじ式』

 

海辺でメメクラゲに腕を噛まれ静脈を切断されてしまった少年が、他方の手で傷をかばいながら治療してくれる医者を探して彷徨い歩きます。不案内な漁村を「医者はどこだ」と問いながら歩きまわりますが、村人たちはまともな返答を寄越しません。

さらにこの村では真ん中に突然汽車が現れたり、不条理が押し寄せてくるばかりです。少年が求める医者は、果たしてどこに……?

著者
つげ 義春
出版日

 

最大の問題作であり代表作でもある『ねじ式』は、シュールで不条理なつげ作品の代名詞ともいえる作品です。発表された1968年にあって、その作風のあまりの斬新さに世の中は彼を異端として扱い、それがのちの寡作、休筆に繋がってしまいます。

良くも悪くも、彼の行方を定めてしまった作品です。

大変難解で、発表当時は多くの文化人や評論家、詩人、学者などから多種多様の評論、解釈がなされました。心理学の観点からの読解を試みた学者などもいて、「つげ義春ブーム」が巻き起こります。

宮澤賢治研究で有名な詩人・天沢退二郎は「つげ作品を読むことは、夢を見ることなのだ」と言い、漫画評論家の先駆け・石子順造は「つげ作品を読むことは恍惚とした恐怖の体験をすることだ」と述べています。

現実と虚構の狭間にある、得体のしれないものを感じる経験――そのようなものと捉えればいいでしょうか。

明らかに異様な場所で「メメクラゲ」なる謎の生物に襲われて、切れた静脈が身体の外に飛び出している少年が、死の恐怖に怯えながら治療してくれる医者を探して彷徨います。その途上で出会う人たちも、みな悉(ことごと)く奇妙な言動をします。

もはや読者は主人公の少年の生命が助かるか否かなど、気にしてはいられなくなります。

この世界は何?登場する人たちは何者?この人たちはなぜ、このような奇妙なことを言うの?判らないことがたくさんあります。いえ、『ねじ式』には判らないことしかないのです。

つげ作品は丁寧に描かれた細かな筆致が特徴ですが、本作は特に、コマの1つひとつがアートです。絵画のように描かれて、明暗の対比や空間の演出によって、他者には表現し得ない画面・雰囲気・世界を構築しています。判る・判らない、おもしろい・つまらない、そういったことに囚われず、1度は体験していただきたい作品です。

陰鬱な印象で敬遠されがちなつげ義春の漫画ですが、一読してみればシュールとエロスを湛えた不可思議さに引き込まれてしまうでしょう。ご紹介した作品はいずれも彼の作風が強く出ているものばかりです。気になるものがあれば、ぜひこの機会にお読みください。

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