キャラクターの心理描写に重きをおいた作風が魅力の海野つなみ。他の少女漫画には見られないような独特の視点から描かれている作品が多く、個性をしっかりと持っている希少な漫画家の1人といえるでしょう。今回はそんな海野作品から、5作品ご紹介します。
海野つなみは、1970年8月9日生まれ、兵庫県出身の漫画家です。1989年、「なかよしデラックス」に掲載された「お月様にお願い」でデビューしました。同作は第8回なかよし新人まんが賞に入選しています。少女漫画雑誌「なかよし」で活躍後、1997年からは「Kiss」、「Kiss PLUS」に活躍の場を移します。
ドラマ化され、社会現象を巻き起こす程の人気となった海野の代表作『逃げるは恥だが役に立つ』(通称「逃げ恥」)では、講談社漫画賞を受賞しました。
「逃げ恥」は、契約結婚という大胆なテーマを扱った作品となっていますが、もともと「愛がないと結婚してはいけないのか」という海野自身の素朴な疑問から発想された作品です。ちなみに本人は未婚で、だからこそ客観的に結婚といものを見られるのかもしれませんね。
「逃げ恥」同様、海野の作品は、彼女自身の突飛な発想から生まれるものが多く、その発想は、漫画家としての個性を表しています。またギャグセンスも高く、読んでいると思わずクスッと笑ってしまうような台詞やシーンが登場する点も海野作品の面白さのひとつといえるでしょう。
一見、気楽に読める作風でありながら、読者に深く考えさせるようなテーマを堂々と扱う海野。彼女の作品は個性的なものがおおいですが、本人いわく、自分は王道を描いているつもりとのこと。そんな世間とのギャップの大きさが読者に問題提起ができる秘訣なのかもしれません。
今回はそんな海野つなみのおすすめ5作品をご紹介します!
小学校の同級生である仲良し4人組が主人公の『デイジー・ラック』。4人全員が30歳を迎え、人生のターニングポイントに立った女性です。
それぞれが抱える悩みや幸せ、ときめきを探しながら生きる日常をコミカルに描いています。
ちなみに本作は当時海外で「SEX AND THE CITY」が流行っており、観たことはなかったものの、30代女性4人という設定が面白そう、と思ったところから始まったのだとか。
しかし残念なことに海野は早すぎたそう。日本で流行る前にいわゆる女子会の様子を描いてしまったので、放映後に連載していたらまた違ったかもしれないと語っています。
今回はそんな本作の魅力を2名の登場人物からご紹介しましょう。
- 著者
- 海野 つなみ
- 出版日
- 2001-03-09
まずご紹介したい人物は、4人の中で唯一の既婚者である岩代えみ。彼女の日常は、多くの主婦がそうであるように、夫中心に世界が回っています。夫の誕生日という2人にとって特別な日を楽しみに待っていたえみですが、夫は当日、今ハマっているエアロビの合宿をするため仲間と出かけてしまいます。
そんな夫の様子を見てえみが言った一言がリアルです。
「結婚して8年 子供もいなくて幸せだけど
変化の少ない 穏やかな日々
だから せめて こういう小さな『特別』は
大切にしていきたいのに――」(『デイジー・ラック』より引用)
世の中の子供がいない主婦の方は、特にこのえみのつぶやきに共感できるのではないでしょうか。結婚していても正社員でバリバリ働いている方は、こういうことで悩む時間は物理的に少なくなるかと思われます。
子供がいたら子供の世話でいっぱいいっぱいになって、また別の悩みがあったりするものなのでしょうが……。子供がおらず、新たに築いた家族としては相手しかいないという夫婦の難しいところなのかもしれません。
もちろん他の独身者の3人にとっては、既婚者であるえみは、ある意味で羨ましい存在。古い考え方ですが、「勝ち組」にも見えるかもしれません。
しかし結婚していたらしていたで、親から「子供はまだなのか」というプレッシャーが与えられるなど、人生、悩みが尽きないものなのかもしれないと考えさせられます。
続いて2人目にご紹介する人物は、高級エステの企画・営業アシスタントをしている周防薫。美人で仕事もできる彼女は、男性にモテモテです。しかしなぜか付き合う男性は、いつも訳あり。
「男運 悪いとか言われてるけど
実際 失敗も多いけど
新しい彼氏も ちょっぴり謎だし
だけど やっぱり ときめきが欲しいわけで」
(『デイジー・ラック』より引用)
学生時代は、ヤンキーくずれのタカギという男に、つい最近までは今年29歳になるのに、いつまでたっても大学を卒業できないでいるしんちゃんが彼女の彼氏でした。
さらに、そんなしんちゃんと別れてすぐ付き合い出した現在の彼は、ライバル会社に勤務するバツイチの大和。なかなか事情を抱えた男性にしかいかないようですね。
現実世界にも「いるいる!」と思われる、薫のような女性。結局悩んでいながらも、少し訳ありな男が好きな趣向なのでしょう。彼女のスペックを持ってすれば、世間一般でいう、所謂マトモな男ともお付き合いすることはできるはずなのに……。
「幸せ=ときめき」も、感じ方は人それぞれ。えみにとっての幸せは、薫にとっては全然幸せじゃないことかもしれないし、逆もまた然りです。彼女からは女性それぞれの幸せが多様であることを実感させられます。
果たして、30歳の4人の女性たちは、それぞれの「幸せ=ときめき」を手に入れることができるのでしょうか? 本作は2巻完結でサクッと読めるので、海野つなみ初挑戦という方にもピッタリの作品ですよ。
童話『豚飼い王子』を大人向けにアレンジしたというファンタジー作品『豚飼い王子と100回のキス』。本作の主人公は、小さな国の貧乏な王子様です。
恋する相手は、身分が桁違いに高い皇帝陛下の姫君。プレゼントを渡してプロポーズするも、あえなく撃沈した王子は、豚飼いとして皇帝の宮殿に潜り込むのですが……。
- 著者
- 海野 つなみ
- 出版日
- 2012-10-12
本作でも、海野つなみ得意のギャグが所々に盛り込まれています。召使いのハンセンと王子のやりとりがまるでボケとツッコミのようで絶妙です。
「世界の王族専用SNS『ロイヤルズ』にのめり込んでると思ったら
お后探しでしたか」
「のめり込んでないし 相手はとうに決めてある」
(『豚飼い王子と100回のキス』より引用)
いつの時代?思わず突っ込みたくなる会話です。
時代設定はかなり昔であると推測されますが、色々な場面で現代科学の産物が登場してきてます。このちぐはぐ感にどんどん引き込まれていくことでしょう。
また本作は、大人のファンタジーであることから、性的な描写もあります。しかしそこはさすが海野つなみ!まったく下品さを感じさせないのです。
目を逸らしたくなるような過激な描写は一切出てこないので、そういった表現が苦手な方でも読み進めやすい作品となっていますよ。そしてこの描写があることで、おとぎ話がベースでありながらも、どこかリアルに感じられるのです。
また、王子がどれほど姫に恋をしているのかが、伝わってくる心理描写も魅力的。人が人に恋をして、「好きな人を手に入れたい」という気持ちは、今も昔も変わらないのだとしみじみ感じるはずですよ。
たとえば、王子は姫にプロポーズをしたとき、美しい薔薇と鳥をプレゼントとして贈りました。しかし姫はそれらが偽物ではなく本物であることに嫌悪感を抱き、王子を拒絶。王子にはその理由が全く理解できません。そして心の中で一人、つぶやくのです。
「芳しい薔薇の花も 美しい声の鳥も
いらないとおっしゃる
それでは あなたの心を捉えるものは
一体 何なのでしょう」(『豚飼い王子と100回のキス』より引用)
ポエムちっくにその純情な気持ちを心で語ります。
姫はなぜ、本物に対して拒絶するのか、姫が本当に欲しいと思っているものは何なのか、そして王子は、姫を手に入れることができるのか……。海野つなみが描く大人のファンタジー、じっくりとご覧ください。
同じ高校を舞台に、キスにまつわる5つのラブストーリーが展開される『Kissの事情』。まず、おすすめしたい作品は、本作収録作品「the kiss of life」です。
主人公は、交通事故で半記憶喪失になった女子高生の夏目。記憶が完全に戻らないまま教室に行くと、なんと3人の男子から「夏目とつきあっている」と宣言されてしまいます。
まさかの3股をかけていたかもしれない、記憶にない自分。付き合っていたとされる3人の中でも、学年10位以内の成績を誇る優等生関口の存在に、夏目は違和感を感じています。しかし関口は1年分の授業を教えてくれると言い……。
「……ありがとう。親切なんだね」
「——誰にでもってわけじゃないけど」
(「the kiss of life」より引用)
果たして夏目が最終的に選ぶのは誰なのでしょうか……?
- 著者
- 海野 つなみ
- 出版日
- 2011-07-13
漫画だからこその世界を表現している本作。現実にも、複数の人と同時にお付き合いをするやり手な女子高生も存在すると思いますが、その人が半記憶喪失となって、一体自分は誰のことを好きだったのかわからなくなってしまうという状況は、なかなかないですよね。
しかしそんなありえない設定だからこそ面白い本作は、海野らしい斬新な作品づくりに対する視点が生きているといえます。
また、本作に収録されている「少年人魚」もおすすめです。主人公は、先生を好きになってしまった女子高生の和弥。
「目の前が真っ暗になった
その人は 去年の
ワタシの担任の先生で
初めて 好きになった人」(「少年人魚」より引用)
生徒が先生を好きになるという、所謂禁断の恋を描いた作品は今までにも数えきれないほど発表されてきました。
しかし侮ることなかれ。そこは独特な視点の持ち主である海野。一捻りも二捻りもストーリーにクセのある設定を盛り込んでいるのです。本作は、読者によってはっきりと好き嫌いが分かれる問題作ともいえるでしょう。
というのは、和弥が恋をした先生がずっと前から想いを寄せている女性は、なんと和弥の母親。和弥の母親は小説家であり、18歳で和弥を生んでいるため、まだ女盛りの36歳です。
それでも先生は24歳なので12歳も年上の女性に恋をしているということになります。「愛に年の差なんて関係ない」と言われて久しい昨今ではありえないようでありえる話しなのかもしれませんが、それでも王道とは言えないストーリーです。
「自分が好きになった人がもしも自分の母親を好きだとしたら……?」なんて考えただけでその困難が容易に想像できますが、だからこそ、どんな終焉を迎えるのか気になって仕方なくなってしまうことでしょう。
他にも魅力的なテーマを扱った作品が収録された本作。お時間あるときに、是非手に取ってみてくださいね。あなたのちょっと変わった恋がきっと見つかるはずですよ。
姉弟間での禁断の恋愛を描き、何度も掲載見送りとなった問題作『回転銀河』。1つ目にご紹介する作品は、1話目に収録されている「イノセント・インセスト」です。
主人公は、喘息が原因で2年間入院していた女子高生の樫本衿子。2年ぶりに家に帰ると、そこにはすっかり成長して一人の男になっている弟晴明の姿がありました。
衿子は、ひとりの男として魅力的に成長した晴明に、姉弟としてあるまじき感情を抱いてしまいます。しかし弟である晴明は、衿子よりずっと前から姉に対して特別な感情を抱いていたのです。
「なんだか胸の奥がムズムズした
思い出すと恥ずかしくてどこかに逃げてしまいたくなる
罪悪感で目の前が真っ暗になる
だってそれはとても
トテモ気持チヨカッタカラ」(イノセント・インセスト」より引用)
まだ幼かった晴明は、保健体育の授業で女子だけが習う内容について、クラスメイトの男子が盛り上がっていたことをキッカケに、眠っている姉の胸を触り、キスをするのでした。
ある程度成長した男子が、自分とは違う、柔らかそうな女性の身体に興味を持つことはごく自然なことでしょう。しかしその興味の対象が他人ではなく、家族に向けられたとしたら……。
その想いの苦しさ、切実さがこのストーリーから強く感じられ、「ありえない」の一言では片付けられないものを感じさせられます。
誰しも恋愛で苦しい思いをしたことはあるはず。生まれてしまった環境という本人の力ではどうしようもない制約にとらわれたふたりの恋愛は、その辛さを知っている人ならば誰しも共感できるところのあるストーリーとなっています。
- 著者
- 海野 つなみ
- 出版日
- 2003-08-08
2つ目におすすめしたい作品は、同作に収録されている「空を飛んだ日」です。主人公は入学早々、知らない上級生にすれ違いざま胸を触られ、走って逃げたら派手に転んでしまい、膝から出血してしまった高校1年生の恭子。
「光の中から現れたその人は
スカートをはいたわたしの王子様」
(「空を飛んだ日」より引用)
泣いている恭子に優しく声をかけ、手を差し伸べてくれたのは同級生の須磨でした。女子でありながら、イケメンの須磨は中学時代から女子にモテる女子です。
親友として須磨の側にいる恭子ですが、須磨に対する恭子の気持ちは、決して親友に対するそれではなく、特別なものだったのです。毎日、須磨のことばかり目で追う恭子。しかし須磨の視線の先には、須磨と同じバスケ部の男子生徒池上の姿があって……。
胸が大きいという理由で、男性からのいやらしい視線や言動に苦しんでいる恭子が、男性嫌いになり、いつも側にいてくれる須磨に恋心を抱くという流れは、自然なことなのかもしれません。
相手を大切に思うということ。この気持ちが同じであれば、世間的にはどうであれ、ふたりはハッピーなのでしょうし、恋愛はもっと自由であってもいいのかもしれません。しかしここで障害になってくるのが須磨には好きな男子の存在があるという設定。恭子の想いは、成就することができるのでしょうか……。
この他にもいくつもの複雑な恋を描いたオムニバスストーリー集の『回転銀河』。心が動かされること請け合いです。
海野つなみの言わずと知れた代表作『逃げるは恥だが役に立つ』。主人公は、京都大学出身のシステムエンジニア津崎平匡(36歳)と、大学院卒という高学歴でありながら正社員として就職ができず、さらには派遣切りにあってしまった森山みくり(25歳)。36歳で女性経験0の平匡とみくりは、雇用主と従業員という関係で契約結婚をするのでした。
普段の妄想をネタ出しのために担当編集者に話している時に生まれた話だという本作。現代の闇を映し出したといっても過言ではない作品です。
- 著者
- 海野 つなみ
- 出版日
- 2013-06-13
今や非正規雇用で働いている人口の割合は、4割を越えるといいます。中にはライフスタイルに合わせ、自ら選んで派遣社員として働いている人もいることでしょう。
しかしみくり同様、本人の希望ではなく、仕方なく派遣という選択をしている人が多く存在しているという現実もあります。
そんなとき、苦しい現状から逃げるため「早く結婚したいな」「結婚さえしてしまえば楽になるのに」と考える方もいるかもしれません。みくりはそんな一般女子の考えを代弁してくれます。
「結婚という名の永久就職したら
この職探しスパイラルから解放されるのかしら」
(『逃げるは恥だが役に立つ』より引用)
平匡との契約結婚は、こんなみくりの現実逃避から始まった結婚生活でした。
契約結婚という形で、あくまで雇用主としてみくりを雇った平匡。しかし一緒に生活するうちに、みくりに対して恋心を抱くようになります。普段は無表情なだけに、そんな彼のデレの様子は読者をきゅんとさせます。
「気が緩むとにやけた顔になってしまう
みくりさんが帰ってきてどんだけ嬉しいんだ俺は」
(『逃げるは恥だが役に立つ』より引用)
この物語の面白いところは、平匡が36歳の立派な大人でありながら恋愛経験0であるという点です。平匡が少しでも女性慣れしているような男性だったら、この物語は成立しません。そもそもそんな男性だったらわざわざ契約結婚せずとも、36歳にもなれば、普通に恋愛して結婚しているのではないでしょうか。
平匡は、初めての恋を、結婚してから経験するのです。その姿が中学生男子のようで、なんとも可愛らしい。先ほどの発言にもそんな魅力が現れています。
一方のみくりも、いつしか平匡に対し、淡い恋心を抱くように。しかしあくまで雇用主である平匡に素直に「抱きしめて欲しい」とは言えず……。
じれったいとやきもきしながらも、もうとっくに成人した大人が、結婚してひとつ屋根の下に暮らしながら、まるで中学生のような可愛い恋愛をする姿には、ほのぼのとすることでしょう。契約結婚から始まった2人の関係は、一体どのような終末を迎えるのでしょうか。
また、妄想壁があるみくりの妄想劇場も見どころのひとつである本作。契約結婚という難しそうなテーマであり、確かに読んでいると考えさせられることの多い内容なのですが、とっつきやすい雰囲気になっています。
読んだ後に誰かと感想を言い合いたくなる面白くて、なおかつ考えさせられるという傑作です。
センセーショナルな作品を多く描いている海野つなみ。彼女は、自分自身が漫画家であることを近所の人にも内緒にして過ごしているそうです。自身が独身であることから、大ヒット作『逃げ恥』もすべて想像で描いたとのこと。
もしかしたら海野自身、『逃げるは恥だが役に立つ』の主人公であるみくり同様、かなりの妄想癖の持ち主なのかもしれません。デリケートなテーマを扱った作品もありますが、どれも彼女独特のギャグセンスが所々に散りばめられているため、すらすらと読めてしまいます。共感したり、「これはちょっと違うんじゃないの」と反感を感じたりしながら、あなたも一度、海野に心を揺さぶられてみてはいかがでしょうか。