ジョン・レノンPlayboyインタビュー
1981年03月10日
解散後の1974年に意識的に聴き始めてから、もう40年以上が過ぎた。最初はメンバーの顔も名前ももちろん知らない。でも、レコードは言うに及ばず、「ビートルズ」と名のつくものならありとあらゆる本を買った甲斐があってか、誰がどの曲を書き、誰が歌っているのか、そのほとんど区別できるようになった。さらに記者会見での当意即妙なやりとりなどを見て、如才ないポールより、毒舌で皮肉屋のジョンとジョージがいいなとか、性格の違いもわかるようになった。今回は、4人の素顔が覗ける自伝やインタビュー集などを紹介します。
何がイイって、本書がアメリカから世界へと人気を広げていく前の、63年11月から64年2月にかけての激動の時期に書かれたドキュメンタリーであること。ビートルズがまだ「歴史」になっていないぶん、信憑性も高いのだ。だからこそジョンは「ぼくらをありのままに、つまりロクでなしとして描いた」真実の本だと賞賛したのだろう。デッカのオーディションが1回ではなかったことを匂わせるジョンの発言なんて、その後どの本でもお目にかかったことがない。63年後半のイギリスにタイムスリップした気分でぜひ。
- 著者
- マイケル・ブラウン
- 出版日
- 2012-09-24
なにより横尾忠則氏による装丁が素晴らしい。メガネをかけたジョンの写真を1枚手渡され、「表紙のデザインを」と依頼されても、ふつうは中面にあるように、重ねて使おうとは思わないだろう。表紙本体のコート系のツヤツヤピカピカな見た目と手触りもいい。もちろん中身も抜群。聞き手のデイヴィッド シェフの発言に覆いかぶさるように、熱く鋭く毒舌皮肉愛情ユーモアその他をごちゃまぜにしたジョンの当意即妙な発言は、抱腹絶倒の面白さ。「どの曲を自分が書いたか」という詳細な「解説」でのジョンの思い込みの強さも最低で最高だ。ジョン・レノンPlayboyインタビュー
1981年03月10日
その最たる例が「イン・マイ・ライフ」。「中間部はポールが手伝ってくれた」と言うジョンに対し、ポールは「ジョンのメロトロンで30分くらいで書き上げた」と返す。記憶力のいいポールが、事実を捻じ曲げてまで自己主張をするわけがない。ということで、その曲は「作詞=ジョン/作曲=ポール」という珍しい共作曲なのだと思う。他にもたとえば『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の時期に録音された未発表曲「カーニヴァル・オブ・ライト」の詳細が初めて明かされたり、ジョンと口論してポールがスタジオを飛び出してしまったために「シー・セッド・シー・セッド」のベースはジョージが弾いたことなど、興味深い話が満載されている。ポール・マッカートニー―メニー・イヤーズ・フロム・ナウ
1998年12月16日
その自伝を読んで『Playboy』誌のインタビューで怒りをぶちまけたのがジョン・レノン、その人。10代の頃の3学年違いは大人と子供の差ぐらいあり、ジョージを弟分というより、間違いなく手下のように扱っていたジョンは、本書に自分への感謝の記述がなく、「どうでもいいセッション・ミュージシャン」ばかり褒め称えていることに頭にきたのだった。高い初版本はジョンが亡くなる半年前に刊行されたので、その後二人が和解したのかどうかはわからないが、亡くなる寸前には誤解が解けた、なんていう話もあったから、それはホントの話として受け取っておこうと思う。ビートルズ時代から長年書き貯めていた手書きの歌詞と、それぞれの曲についての回想が、本書の価値を最大限に高めている。
- 著者
- ジョージ ハリスン
- 出版日
- 2002-11-30
その曲の原題を書名にしたリンゴの本は、これもまた豪華で高価なGenesis Publicationsから2500部限定(直筆サイン入りで最初の350部は革製)で発売され、さらにこれもまた普通の人でも手がまあ出せるハード・カヴァーの洋書が出た。ジョージが手書きの歌詞を掲載するなら、おいら(『アニメ・ザ・ビートルズ』調)は写真を集めよう。と思ったかどうかはわからないけど、幼少からビートルズ時代も含め、文字通りリンゴの「想い出のフォトグラフ」の数々が楽しめるノスタルジックな内容である。とくにビートルズ加入以前のバンド写真は見たことのないものが多い。おとぼけキャラのように見えて、あごひげを生やしたリンゴはワイルドでカワイイ。
- 著者
- Ringo Starr
- 出版日
- 2015-09-21
本と音楽
バンドマンやソロ・アーティスト、民族楽器奏者や音楽雑誌編集者など音楽に関連するひとびとが、本好きのコンシェルジュとして、おすすめの本を紹介します。小説に漫画、写真集にビジネス書、自然科学書やスピリチュアル本も。幅広い本と出会えます。インタビューも。