ジョン・レノンPlayboyインタビュー
1981年03月10日

解散後の1974年に意識的に聴き始めてから、もう40年以上が過ぎた。最初はメンバーの顔も名前ももちろん知らない。でも、レコードは言うに及ばず、「ビートルズ」と名のつくものならありとあらゆる本を買った甲斐があってか、誰がどの曲を書き、誰が歌っているのか、そのほとんど区別できるようになった。さらに記者会見での当意即妙なやりとりなどを見て、如才ないポールより、毒舌で皮肉屋のジョンとジョージがいいなとか、性格の違いもわかるようになった。今回は、4人の素顔が覗ける自伝やインタビュー集などを紹介します。
なにより横尾忠則氏による装丁が素晴らしい。メガネをかけたジョンの写真を1枚手渡され、「表紙のデザインを」と依頼されても、ふつうは中面にあるように、重ねて使おうとは思わないだろう。表紙本体のコート系のツヤツヤピカピカな見た目と手触りもいい。もちろん中身も抜群。聞き手のデイヴィッド シェフの発言に覆いかぶさるように、熱く鋭く毒舌皮肉愛情ユーモアその他をごちゃまぜにしたジョンの当意即妙な発言は、抱腹絶倒の面白さ。「どの曲を自分が書いたか」という詳細な「解説」でのジョンの思い込みの強さも最低で最高だ。ジョン・レノンPlayboyインタビュー
1981年03月10日![]()
その最たる例が「イン・マイ・ライフ」。「中間部はポールが手伝ってくれた」と言うジョンに対し、ポールは「ジョンのメロトロンで30分くらいで書き上げた」と返す。記憶力のいいポールが、事実を捻じ曲げてまで自己主張をするわけがない。ということで、その曲は「作詞=ジョン/作曲=ポール」という珍しい共作曲なのだと思う。他にもたとえば『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の時期に録音された未発表曲「カーニヴァル・オブ・ライト」の詳細が初めて明かされたり、ジョンと口論してポールがスタジオを飛び出してしまったために「シー・セッド・シー・セッド」のベースはジョージが弾いたことなど、興味深い話が満載されている。ポール・マッカートニー―メニー・イヤーズ・フロム・ナウ
1998年12月16日![]()
本と音楽
バンドマンやソロ・アーティスト、民族楽器奏者や音楽雑誌編集者など音楽に関連するひとびとが、本好きのコンシェルジュとして、おすすめの本を紹介します。小説に漫画、写真集にビジネス書、自然科学書やスピリチュアル本も。幅広い本と出会えます。インタビューも。