謎のお面漫画家、桜玉吉。初期はファミコンゲームのパロディ漫画で人気を博し、自身の近況にギャグを織り交ぜながらも、シビアな現実を描く「漫玉日記」シリーズなどで寡作ながらも活躍しています。日記漫画を描いたら日本一であろう桜玉吉の魅力に迫ります。
桜玉吉は1961年生まれ、東京都出身の漫画家です。多摩美術大学在学中からイラストレーターとして活動していましたが、1986年から『ファミコン通信』(現在の『ファミ通』)で連載が始まった『しあわせのかたち』で漫画家としてデビューしました。
『しあわせのかたち』は当初、ゲーム雑誌掲載作らしくファミコンゲームのパロディ漫画でした。しかししばらくすると、漫画の導入部や末尾などに数コマ、ゲームとは関係がない漫画や玉吉自身の日常を描いた漫画が現れ始めたのです。日常を描いた部分には当然、桜玉吉本人が登場。しかし漫画の中の「玉吉」はいつも黄色いお面をつけた青年の姿で登場し、『ファミコン通信』誌上に写真で登場するときも、漫画を模した黄色いお面をつけていました。どうやら本名と素顔は非公表とするのが方針のようです。
黄色いお面の「玉吉」が登場する「数コマ」は次第に増えていき、パロディの方が少なくなっていきます。やがてパロディはなくなってしまいましたが、ゲーム雑誌にあってゲームを描かないにも関わらず『しあわせのかたち』は読者アンケートで上位に入るという快挙を成し遂げてしまいます。こうして桜のデビュー作『しあわせのかたち』は、ゲーム漫画から日記漫画へと変貌を遂げたのです。連載8年間のうちの約半分は日記漫画として連載され、これがのちの「漫玉日記」シリーズの礎となりました。
同作連載中に桜は一度、体調不良のため数ヶ月間休載をしました。『しあわせのかたち』終了後はいくつかの作品を手掛けたのち、「漫玉日記」シリーズの第1作である『防衛漫玉日記』の連載を開始。しかし私生活の混乱と体調不良のため、前身作である『トル玉の大冒険』の開始から起算して2年余の連載を終了し、休筆期間に入ります。
実は『しあわせのかたち』連載中に桜は、妻とすれ違い生活になっていたこともありましたが、妻以外の女性との関わりを持ちました。そういった諸々が絡み合った結果、離婚することになるのですが、これが先に述べた「私生活の混乱」の一つです。そのときに関わりがあった女性が『幽玄漫玉日記』や『御緩漫玉日記』に登場する、ぱそみちゃんであり白鳥さんでありトク子さんである、という風に言われることもありますが、一方で彼女等は桜の「脳内彼女」に過ぎない、という説もあります。「漫玉日記」に記されたことについてどこまでが実際の出来事なのか、それは恐らく桜本人にしか判らないことなのでしょう。
いずれにせよ、妻との行き違いや離婚を経験した桜は、その後うつ病によって体調を崩してしまいます。そして漫画家という孤独な職業に端を発すると考え、一度はペンを置く決意するのです。しかしこれを当時の担当編集者が説得して思いとどまらせ、桜は今後の活動のためにと休筆期間中に「有限会社玉屋」を設立しました。『防衛漫玉日記』に続く『幽玄漫玉日記』では当初「玉屋」の設立や運営について描かれていましたが、再びうつ症状が現れ、それによって前衛的表現や独白的内容が顕著になります。そしてこの作風が次作の『御緩漫玉日記』へと繋がっていったのです。
「日記漫画」ではあれど、虚実が入り混じり、更には桜自身の精神世界をも描き出している「漫玉日記」シリーズ。最早「漫画」という領域を逸脱しようとしているのかもしれません。殊(こと)に『幽玄漫玉日記』終盤以降の作風に、つげ義春作品との共通点を見出す読者は少なくはないようです。2度目の復帰後も桜はたびたび不調を来し、『御緩漫玉日記』終了後は4コマ漫画を月に数本描くだけの長い休筆に入ります。
長い休筆の間、ファンは親しみを込めて「玉吉」「玉さん」と呼ぶ桜を心配していました。その存在が失われないだろうかという心配もありましたが、ファンは常に生命があるなら生活資金はどうなのだろうという心配をしていたのです。だからこそ、5年の空白ののちに『漫喫漫玉日記 深夜便』が発売されたときにファンたちは「単行本を買って玉吉に印税を送ろう!」とそれぞれにSNSなどを通じて単行本の発売を知らせ合ったのでしょう。
2012年に『漫喫漫玉日記 深夜便』、続いて『漫喫漫玉日記 四コマ便』を発売します。翌年には『週刊文春』で『日々我人間(ヒビワレニンゲン)』の連載が始まりました。2017年には『伊豆漫玉日記』が刊行されています。
今回はそんな桜玉吉のおすすめ漫画を5作品、ランキング形式でご紹介していきます。
4コマ漫画で広告を描かせたら、桜玉吉の右に出る者はいないかもしれません。様々なジャンルの広告漫画を手掛けてきた桜が特によく描いたのはエンターブレイン(旧アスキー)の雑誌の広告です。『漫喫漫玉日記 四コマ便』は、2009年の終盤から2013年にかけてエンターブレイン発行の『月刊コミックビーム』の広告として描かれ、同じ出版社の『ファミ通』に掲載された4コマ漫画が収められています。
- 著者
- 桜 玉吉
- 出版日
- 2013-12-24
桜玉吉という人は随分以前から広告4コマ漫画を描いています。旧くは高須クリニックの広告なども描いていますが、その頃から描かれているどの広告4コマにも共通点があります。それは、広告する「商品」についてはまったく描かれないということ。『漫喫漫玉日記 四コマ便』も、そんな広告4コマ漫画を収録した単行本となっています。ゲーム雑誌『ファミ通』に不定期連載されている月刊漫画誌『コミックビーム』の広告漫画「読もう!コミックビーム」掲載分に未掲載原稿をプラスしたものが本書なのです。
最初の数ページを読んだだけでわかる通り、掲載されている4コマ漫画は「読もう!コミックビーム」と題されていながら1本たりとも『コミックビーム』については描かれていません。それで広告として機能しているのかというと、そこは巧妙につくられています。4コマ目の下の部分には大きなギザギザの吹き出しがついていて、4コマ漫画の内容を踏まえたコメントとそれに託(かこ)つけた「読もう!コミックビーム」という定型の文言が入っているのです。「かろうじて広告」といった体でしょうか。実際には5コマあると考えた方がいいのかもしれません。
4コマ漫画の内容は、桜が日々の生活から拾い出した小さな出来事をネタとしたものです。つまり、4コマ漫画というかたちを取りながらもやはり「日記漫画」なのです。そのネタは「雨の日にすべって転んだところ通りすがりの女性に大丈夫かと問われたが、50年も生きていながら碌(ろく)なことを答えられなかった」とか「飲食店のカウンター席にあるやたら背の高い椅子にすわって前方に椅子を寄せようとしたら腰を痛めてしまって、そのまま2週間が過ぎた」とか、私的で些細なことばかり。このような些末なことをきちんと起承転結で整えて、お終いの吹き出し部分に入れたコメントで落ちをつけるという手法は、桜以外の人の作品には見られないもので、匠の技と呼んでいいでしょう。
『御緩漫玉日記』終了後はずっと休筆していた桜ですが、「読もう!コミックビーム」は不定期連載ながら休筆中も描き続けていました。『幽玄漫玉日記』終盤から『御緩漫玉日記』にかけては多少殺伐とした内容でしたが、その後に描かれた本書に収録されているものは同じ日記漫画でもその雰囲気はなく、むしろ『しあわせのかたち』の頃に近いゆるい作風に仕上がっています。
また、4コマ漫画だけではなく、それ等を描いていた頃の桜玉吉についての本人へのインタビュー記事も同時収録されています。聞き手は『コミックビーム』総編集長のO村氏。インタビューと言うよりは対談で、「あの頃のあなたはこうだったね」などといった風な語りで長かった休筆期間を振り返っていくのです。
桜という漫画家の人生に思いを馳せながら読むもよし、まったく何も考えずにぼんやり読むもよし。「漫玉日記」シリーズにはじめて触れようという人にはよい入口となる1冊です。
本作には表題の通り、漫喫――漫画喫茶で描かれた作品が収録されています。『御緩漫玉日記』終了後の長い休筆期間中に描きためられた11編の短編漫画です。漫画喫茶に寝泊まりして生活する中で体験したこと、発見したことなどを、うつ状態から脱しつつある桜が淡々と、しかし秀逸なギャグを織り交ぜて描き出します。休筆期間を終え満を持して発売された単行本で、さあ社会復帰か?!
- 著者
- 桜玉吉
- 出版日
- 2013-11-25
『漫喫漫玉日記 深夜便』に収録された短編漫画は、2012年から2013年にかけて不定期に『コミックビーム』誌上で発表されたものです。巻頭に掲載されているのは「3・11金曜日」。東日本大震災が発生したあの日、桜は東京都内の漫画喫茶にいたのです。
自宅のインターネット回線を解約してしまっていた桜は、休筆中も描いていた月数本の4コマ漫画の原稿データを編集部に送信するために漫画喫茶に向かいます。データ入稿を理由に自宅から外へ出ることで持病のうつが悪化しないようにしていた彼は、その日も滞りなくデータを送り終え、インターネットを利用して動画を見ようとします。そしてドリンクを調達にブースを出たときに気付くのです。
「ゆ、ゆれてる?」(『3・11金曜日』から引用)
そう口に出した次の瞬間、巨大な揺れが襲ったのです。棚からこぼれ出て頭上に降り注ぐ漫画本。床に散らばった本を除けて道をつくりながらブースへ戻ると落ちてくるパソコン。揺れが治まった後に訪れた日常と非日常がないまぜになった光景。巨大な長い揺れの中で桜玉吉は死を予感したと言います。この日を境に桜は思考が活発になり、外出の機会が増え、やがて本格的に漫画に復帰して本書に収録されている作品群を描くようになったのです。
日々のよしなしごと(つまらない言葉)を漫画家の視点で見つめてほんの少し思想を絡め、そして桜生来のものだという「おマヌケさ」を混ぜ込んで仕上がった短編は、どれも独特の風味と滋味に溢れています。派手な演出もはっきりとした物語性もありませんが、じわじわと染み出すような味わいがあるこの作風は、もしかしたら若い人には少しつまらないかもしれません。
何気ない風景や季節の移ろいにふと心が動いたりするような年頃になった人には一度当たってほしい、そんなしみじみと読める、しかし笑えてしまうギャグ漫画です。些細なことに感情を激しく波立たせていたあの頃よりは、自分も少しは大人になったかも……。そんな風に思える人は、本作にトライしてみてはいかがでしょうか。
「漫玉日記」シリーズ最新刊でもある本作は表題通り、かねてより桜が移住したいと考えていた伊豆での生活を中心に描かれています。本書では、伊豆の山中に買った中古家屋に一人住み、傍若無人に現れる虫や猿と戦ったり戦わなかったりしながら漫画を描く桜の55歳の現在を楽しむことができます。
- 著者
- 桜 玉吉
- 出版日
- 2017-01-25
本作は『漫喫漫玉日記 深夜便』に続く6冊目の「漫玉日記」です。『コミックビーム』に不定期に掲載された短編漫画が10本と、同時期に発表された「読もう!コミックビーム」が収録されています。沢山の「読もう!コミックビーム」の合間に短編が挟まっていると言った方が適切でしょうか。
漫画喫茶に半ば住んで漫画を描き、描かないときは伊豆の山中に買った家に帰るという生活を送る桜。デビュー作『しあわせのかたち』登場時には黄色いまる顔のお面をかぶった姿で描かれていましたが、次第にその容貌は変遷し、「漫玉日記」シリーズではとんがった天辺に毛が3本、鼻の下に髭を生やした頭部を持つ男の姿で描かれ、「お面」の片鱗はありません。
他の登場人物たちが普通の人間の姿で描かれている中に、桜だけがとんがり頭の漫画的な容貌なのですが、それが奇異に感じられないのは、読者が慣れてしまったせいばかりではありません。その姿の「桜玉吉」は作者の姿としてではなく、既にキャラクターとして確立されているのです。そしてこれは、虚実入り乱れる「漫玉日記」の毒を和らげ味わいを深くさせ、「漫玉日記」が醸す味のベースとなる「おマヌケさ」を引き立たせているのです。
伊豆の家での生活は、なかなかワイルド。ベランダに捨てられていたオレンジの皮を残した犯人である野猿が邸内に侵入しないようにヘルメットや木刀で武装して一ト晩中待ち伏せたり、そこより上には人家がないという自宅の玄関先を日々欠かさず掃き掃除をしても毎朝虫の死骸が散らばっていたり、ときには不意に現れるムカデに噛まれたり……。
大きな事件が起こるわけではありません。けれども桜の日々は淡々と語られながら決して単調ではなく、お終いには必ずクスッと笑ってしまう小さな物語があります。ときに人知れず立腹したり、ときに自らを恥じたり、そんな桜に読者は笑ったり共感したりできて、それがまた愉しいのです。
淡々とゆったりとしたテンポでできごとが語られる短編と、私生活から題材を得て描かれる日記漫画でありながらスピーディな展開を見せる「読もう!コミックビーム」のパートとが交互に収録されていて、それが読者にとっての心地よい緩急を生み出しています。以前の作品のような危うさはありませんが、それだけに安心して読める1冊でもあります。まさに「心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば(心に浮かんでは消えていくなんともないことを書き記す、という意味)」といった風の本作は、漫画による現代の徒然草ともいえるでしょう。
デビュー作である本作は、1986年から1994年の間に『ファミ通』(連載開始時は『ファミコン通信』)に連載されていました。連載初期は1話完結型のファミコンゲームのパロディ、中期は「例の3人組」が中心のギャグストーリー、後期は日記漫画という変遷を辿った桜の代表作であり、漫画家としての方向性を決定づけた作品でもあります。1990年にはアニメ化もされました。
- 著者
- 桜 玉吉
- 出版日
ファミコン雑誌に連載されていた『しあわせのかたち』は、当初は当然の如くファミコンゲームを題材にした漫画でした。ただその形態は、左開き(横書き)のA4変形版の見開きでフルカラーという幾分めずらしいもの。更に連載が始まってからすぐの3本を除いては、5段組でコマを割るというスタイルが確立されています。つまり見開き2ページの中に細かい絵を沢山描くことになるスタイルです。連載開始からしばらくは、隔週に1本2ページを描くペースでしたが、次第に人気が出て、3ページ、4ページと増ページされていきました。
『ファミコン通信』が『ファミ通』として新たに生まれ変わったときには、編集部は真面目に「倍の8ページに増ページ」と言い出したそうですが、実際には連載開始時と同じ2ページでの連載となりました。本作の中で桜自身が毎週1本描かねばならないことを考えると賢明な判断であると言っています。
連載中期までは様々なファミコンゲームのパロディが描かれました。転機となったのは「ドラゴンクエストⅡ」(単行本ではメーカーからのクレームのため『ゆうめいRPGⅡ』)です。それまではパロディ化される題材のゲームが変わるたびにキャラクターを設定して描かれていました。しかし「ドラゴンクエストⅡ」の3人の主人公、ローレシアの王子おまえ、サマルトリアの王子コイツ、ムーンブルクの王女べるのの3人が登場してからは、他のゲームのパロディもこの3人組が主人公となって物語が展開されました。桜が「例の3人組」と呼ぶのは、この3人のことです。
「例の3人組」は1980年代の終わりにかなりの人気者になり、本作は3人を中心にオーディオドラマやアニメーションになりました。オーディオドラマCDは3枚、OVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)は4巻も出るという人気振りです。この人気をきっかけに、エンターブレイン(当時のアスキー漫画部門)が設立されたといわれています。そしてエンターブレインがあってこそ、のちの桜が漫画家として生きる道が残されたのです。
『ファミコン通信』が『ファミ通』に改まると「例の3人組」によるゲームパロディは描かれなくなり、それまで「漫画内漫画」として数コマずつ描かれていた日記漫画が『しあわせのかたち』の主体となります。「例の3人組」の登場もゲームのパロディも突然まったくなくなった訳ではありませんでしたが、登場頻度は徐々に減っていき、やがて日記漫画となっていくのです。
本書にはたびたび「漫画内漫画」が描かれます。4コマ程度の漫画が1話のうちに1本か、ときには数本描かれることもありました。その中でも日記漫画に移行してからの『しあわせのかたち』を語る上で外せない漫画内漫画が2作あります。1作は「ラブラブROUTE21」、もう1作は「しあわせのそねみ」です。
「ラブラブROUTE21」は作者自ら「本格暗黒舞踏同棲漫画」と銘打った奇態な漫画でした。最初は煙草を題材に取ったナンセンスな4コマ漫画だったのですが、桜が気に入ったらしく、毎回少しずつコマ数を増やしていき、遂には本来2ページしか与えられていない『しあわせのかたち』の枠内に3ページ描かれることになってしまいます。
本作の登場人物でもある、桜の担当編集者は「ラブラブROUTE21」を「一般誌みたいなマンガ」と呼びましたが、決してそうではありませんでした。奇妙な登場人物たちが織りなす奇妙な物語が純愛を形作るという前衛的な、端的に言うと「よくわからない」漫画です。しかしその「よくわからなさ」こそが「ラブラブROUTE21」の魅力であるといえるでしょう。
ゲーム雑誌に掲載されていながら内容はゲームとはまったく関係がなく、しかも「私TVゲーム大っ嫌いなんです」と臆面もなく言い切る人物が主要キャラクターとして登場する「ラブラブROUTE21」ですが、『ファミ通』読者アンケートでは上位3位に入るという事態が起こってしまいます。当時の『ファミ通』読者、また桜ファンには忘れ難い1件でしょう。
もう1作の「しあわせのそねみ」は、『しあわせのかたち』連載終盤に描かれた陰気な漫画です。日記漫画の体裁を取ってはいるのですが、「そねみ」を描くときには「桜ひねきち」を名乗っていた通り、作中人物の物事の捉え方や感情の動きなどがとにかくひねくれており、常に何かを表題通りねたんでいます。絵も半ばリアリズムタッチでかつ厭な印象を与える風に描かれていて、読んでいてあまり気持ちのいい作風ではありませんでした。描いていた桜自身も初回の枠外にこう書いています。
「このキャラクター続けたら読者も人脈も仕事もなくしそうだからもうやめる」(『しあわせのかたち』第5巻から引用)
しかし桜玉吉自身は読者の反応を怖れながらもこの作風を愉しんでいたらしく、その次の回も「しあわせのそねみ」は続きました。3回目の枠外にはまたこのように書かれます。
「この作品が嫌な者は一週間以内に葉書で『嫌』と伝えてくれまいか? 嫌葉書50通来たらば考え直す所存也」(『しあわせのかたち』第5巻から引用)
結果、153通の「嫌葉書」が届いて「しあわせのそねみ」は終わるのですが、その一方「良葉書」も数通あったことが明かされます。全部で8回描かれ、読者の意見によって終了した「しあわせのそねみ」ですが、この作風がのちの桜を体現することになる「漫玉日記」シリーズの基礎となったのでした。その意味で、この漫画内漫画は桜を語る上で決して外すことができない作品なのです。
桜という漫画家の始まりと現在の基礎が詰まった本作は、桜を語るためには決して欠くことのできない漫画です。
単行本のほとんどがエンターブレインから出ている桜が突然『週刊文春』に起用され、描き始めた本作。休載や不定期連載が続いた後だけに、隔週連載とはいえ続けられるのかと心配された本作ですが、間もなく毎週連載に切り替わり、休むことなく3年続き、更には無事単行本が出る運びとなったのです。なんとめでたい作品なのでしょうか!
- 著者
- 桜 玉吉
- 出版日
- 2016-11-28
なんの前ぶれもなく「『週刊文春』で桜玉吉の連載がはじまります」とアナウンスされた『日々我人間』。なぜ桜玉吉が文春で?!と思う人は、少なくはなかったでしょう。『週刊文春』は桜にどんな漫画を要求したのか、心配されたものです。
しかし2013年9月から3年で連載150回を達成し、無事に単行本となりました。『週刊文春』の2分の1ページの、短い漫画です。内容はやはり日記漫画。日々の些細なできごとをピックアップして、体験や思いやギャグを混ぜてオチをつけたりつけなかったりの作風です。
では「漫玉日記」シリーズと同じなのかというと、そうではありません。「漫玉日記」シリーズの休筆直前辺り、『幽玄漫玉日記』や『御緩漫玉日記』などは粗いタッチや実験的な表現などが目立ち、鬼気迫るものがありました。長い休筆期間が明けて刊行された『漫喫漫玉日記 深夜便』や『伊豆漫玉日記』は、作風はともかくペンタッチに落ち着きがなく、不安定でした。
前作たちと比較してみると本作『日々我人間』は、絵柄もペンタッチも整って落ち着いて、内容も極端にハッピーなものではないにせよ、決して鬱々としたものでもなく軽やかで、読みやすい仕上がりです。休筆期間とリハビリテーションが終わり、桜は本格的に復帰したのかなと思える穏やかさがあるのです。
「漏電ブレーカー」という言葉から「ローデン」という音を抜き出して、「ローハイド」の替え歌を歌ってしまうというような「おじさんあるある」的なネタや、その展開の仕方などに55歳という年令が出てしまうのは仕方がないことですが、それが『週刊文春』の読者層と合致しているのかもしれません。大人が読んでクスリと笑える小品となっています。
ちなみに各回によってコマの割り方は異なりますが、基本的には横長の枠の中を右から左へと読む構成になっていますので、単行本は横型の本になっています。横長の長方形の短辺が綴じられている形で、縦に書棚に収めるように紙製のカバーケースが付いて販売されているのですが、この仕様には賛否あるようです。読むとき片付けるときにいちいちケースから出したり収め直したりしなくてはいけないのは確かに面倒ですね。しかし、誌面を更に読みやすくまとめるためには、この判型が最善だったのかもしれません。表1~表4にまで漫画が印刷されていたりもして、本としての造りもまた愉しみどころのひとつなのでしょう。
前半は漫画喫茶生活が描かれた「東京・漫喫編」、後半は伊豆の山荘での生活が描かれた「伊豆編」です。近い時期に描かれた『伊豆漫玉日記』と読み比べるのもおもしろいかもしれません。円熟味を増した味わいに、しみじみとさせられることでしょう。
人生のアクシデントや精神の病いに悩まされながら、日々の糧のために必死に生きる己の姿を描く姿を見せ続けた桜玉吉。その作品からは渦中にあるからこその激しさと、苦境を通り過ぎたからこその穏やかさが読み取れます。
桜の個性であり、最大の長所であろう「おマヌケさ」が、人は苦しんでもがきながらも、それを通り過ぎた後もやはり生きていくのだと、そしてそれは決して悪くはないことだということが各作品に通奏低音のように漂います。
桜作品でクスッと笑いながら、少し人生を考えてみませんか?