「変わらない」ために「変わる」―人との繋がりを考えるための3冊

更新:2021.12.1

「自分を変えたい」と思う瞬間、それはきっと他人とのコミュニケーションを通じて感じることが多いのではないでしょうか? 変えたいのは「自分」なのか「環境」なのか、それによって違った選択肢が出てくるかと思います。ですが、なんだかんだいってそんな簡単に自分も環境を変えることってできないんですよね。というよりも、やっぱり変わりたくないなと思ってしまう自分もいたりするんです。今回は「変わりたい、けど変えたくない」、そういう形容しがたい状態とどう折り合いをつけていくかを教えてくれている本を3冊紹介します。

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「自分を変えたい」と思う瞬間、それはきっと他人とのコミュニケーションを通じて感じることが多いのではないでしょうか? 変えたいのは「自分」なのか「環境」なのか、それによって違った選択肢が出てくるかと思います。ですが、なんだかんだいってそんな簡単に自分も環境を変えることってできないんですよね。というよりも、やっぱり変わりたくないなと思ってしまう自分もいたりするんです。今回は「変わりたい、けど変えたくない」、そういう形容しがたい状態とどう折り合いをつけていくかを教えてくれている本を3冊紹介します。

「だからこそ、ぼくにとっては学ぶことが重要だったんだ。そうすればひとがぼくを好いてくれるとおもった。友だちができるとおもった」

「知らなければよかった」という出来事に直面した経験はきっと生きているうちに何度かあるかと思います。ですが、一時的にはそう思っても、長い目で見れば「知っておいてよかった」となる場合の方が多いのかもしれません。

著者
ダニエル・キイス
出版日
2015-03-13

『アルジャーノンに花束を』は、1950年代のアメリカ・ニューヨークを舞台に、主人公・チャーリイ・ゴードン自身の視点から見た世界が描かれています。知的障害をもったチャーリイはある日、知能指数を高める脳手術を受けることになり、IQが68から185まで上昇していきます。初めて知ること、感じることがたくさん増え、葛藤しつつも充実した日々を送るようになっていくのですが……。

チャーリイの知能の変化と比例するかたちで文章のスタイルも変化していくのですが、それだけでなく、まるで人が変わったかのように性格も真反対になってしまいます。それは、単純に知能指数が上がったからだけではなく、自分が今までどのような扱いを受けてきたか、世の中で起こっていることの理不尽さを知ってしまうからです。とはいえ、チャーリイは一貫して「人間として扱ってほしい」という願いを抱き続けます。それは口調や性格が変わっても変化することのない唯一の本心です。

知能指数が低い状態から高い状態へ、誰からも理解されない状態を経験したチャーリイは、とても孤独だったと思います。しかし、彼は「知らなければよかった」経験を通して、自分にとって何が大切なものなのかを知るようになります。清濁併せ呑む。そんなことを感じる一冊です。

「わたしたちはみんな、なんらかのかたちで、狂ってるのよ」

他人と関わり合っていくなかで、なんだかんだいってよく見られたい、好かれたいと思ってしまうことの方が多いのではないでしょうか? しかし、それを続けていくうちに「ちょっと息苦しいな」「これってなんか自分じゃないな」というなんとも形容しがたい感情が蓄積していきます。他人に好かれようと思うのは決して悪いことではありません。ですが、もっと自己中心的に、ワガママに、狂ったように自由に生きてみたいって思うこともありますよね。

著者
パウロ コエーリョ
出版日
2003-04-25

『ベロニカは死ぬことにした』の主人公・ベロニカは、若さ、美しさ、安定した仕事、ボーイフレンド、愛してくれる家族、不自由のない生活をしていましたが、なんとなく続く日々に嫌気がさして自殺を図るも失敗。その後遺症で余命一週間と告げられます。彼女が収容された精神病院にはいわゆる「狂人」(多重人格者やパニック障害者、鬱病患者)しかいません。しかし、彼らと接してきくうちに、人生の価値とは何か、幸せとは何かを模索していくようになり、初めて「生きる」ことを求めます。

精神病院と外の世界、極端に離れた世界を描くことによって、一般的に言われている「正常」と「狂気」を再定義しているこの作品。なんとなく心が消費されてしまっているな、と思っている人に読んでもらいたいです。

「知っているんだよ、こいつは。どんなに頑張っても、人は人の悲しみや苦しみのすべてを共有出来ないってことを」

「共有」「繋がり」という言葉がなんとなく蔓延し、数字として見せつけられている昨今、本当に感情や経験を「共有」したり「繋が」っている友人はどれくらいいるのでしょうか? そもそも、本当に他人と感情や経験を「共有」したり「繋がる」ことはできるのでしょうか?

著者
嶽本 野ばら
出版日

『下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん』は、茨城県下妻市を舞台とした孤高のロリータ・竜ケ崎桃子とちょっとお馬鹿なヤンキーの白百合イチゴ(イチコ)の二人の間に芽生える友情を描いた青春物語です。以前嶽本野ばら氏の作品をいくつか紹介しましたが、それらとは例外的にだいぶ砕けた文体になっています。2004年に映画化もされ、「友情」を軸とした青春映画として紹介されることが多いのですが、小説はどちらかというと「人との繋がれなさ」とどう向き合っていくか、というところにテーマが集約されています。

桃子絡みのとある出来事がきっかけで、イチゴが自分の所属しているレディースから「オトシマエ」をつけて抜けざるを得なくなったとき、こんなセリフを仲間たちに言います。長くなってしまうのですが、とても印象的なセリフです。人と繋がるって面倒くさい。でも、その面倒くささがコミュニケーションの根本なのだと思わされます。

「抜けさせて貰うよ、こんな仲良しクラブ。こっちから願い下げさ。人は最期は一人なんだよ。徹夜で語り合って、手を絡いで抱き合って眠っても、違う夢を見るんだよ。だからこそ、人は人に影響を受けたり、人を大切に思ったり、その人間の生き様を尊重出来るじゃねーのか。―こいつはよ、あたいが一番辛い時、傍にずっと一緒にいてくれた。でもこいつはあたいに、優しい言葉を何一つ掛けてこなかった。あんたらなら、適当な言葉を掛けてくるだろ―な。でもその言葉はあたいのことを想って掛けているんじゃない。そこには、自分はお前を心配してるんだ、味方なんだよということを主張して、だから私のことも見捨てないでくれよっていう損得勘定しかね―んだよ。損得勘定がしたいなら、真面目に学校で数学のお勉強でもしていなよ。大学行って、経済学でも専攻しなよ。―知っているんだよ、こいつは。どんなに頑張っても、人は人の悲しみや苦しみのすべてを共有出来ないってことを。その全てを肩代わりするなんて出来ないってことをよ」(292~293ページ)

今回はちょっとずつ違う「人との繋がり方」を提示している作品を3つ紹介しました。生きているうちは良くも悪くも人と関わっていかなければなりません。でも、そのなかで自分をどう保っていくかは重要なことだと思います。変化するのか、しないのか、はたまた変わらないために変わるのか。今回のタイトルにも使っている「『変わらない』ために『変わる』」というのは、「自分の矜持(プライド)を保ち続けるために変えるべきものは変える」、というスタンスを指しています。自分がどう人と向き合っていくか、年末年始を通してちょっと考えてみてはいかがでしょうか?

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