フランシスコ・ザビエルの生涯とその活動を簡単に紹介!おすすめ本も!

更新:2021.12.17

フランシスコ・ザビエルといえば、歴史の授業には必ず登場する宣教師としてお馴染みですが、その詳しい経歴や日本に及ぼした影響はあまり語られてはいません。この記事では、彼の経歴や活動内容、そしておすすめの関連本を5冊ご紹介します。

ブックカルテ リンク

フランシスコ・ザビエルはそもそも何人?イエズス会設立までの活動は。

 

ザビエルは、1506年4月7日、ナバラ王国というヨーロッパの南西に位置する半島でバスク人の両親のもとに生まれました。地方貴族の末っ子として成長します。

ナバラ王国は小国で、長い間独立を保ってきましたが、フランスとスペインの紛争地となり、1515年にスペインに併合。父のフアンは激動の時代のなか亡くなります。

その後彼は19歳でパリ大学に留学。この頃、イグナチオ・デ・ロヨラやピエール・ファーヴルといった修道士、司祭と知己を得ます。1529年に母を、1533年に女子修道院長だった姉を亡くしたこともあり、聖職者を志すことになりました。

そして1534年、6人の仲間とともに、パリのモンマルトル聖堂で神に生涯をささげる誓いを立て、イエズス会を設立します。

 

フランシスコ・ザビエルについて。来日以降の活動

イエズス会は設立当初から世界宣教がテーマ。ポルトガル国王からの依頼でポルトガル領だったインド西海岸へ宣教の旅へ出発します。1541年にリスボンを出発。1542年5月に目的地であるゴアに到着しました。インド各地で宣教を行ったザビエルは、1547年マラッカで鹿児島県出身の弥次郎と出会います。

1548年、洗礼を受けた弥次郎を含む3人の日本人らとともに、ゴアを出発。明の上川島(中国広東省江門市)を経由し、薩摩半島の坊津に上陸、1549年には鹿児島市祇園之洲町へ入ります。

同年、薩摩国の守護大名だった島津貴久に謁見し、宣教の許しを得ます。ザビエルは薩摩を中心に宣教を開始しますが、貴久がキリスト教を禁教とする方向へ傾き始めたため、京都へ向かうことを決意。肥前国平戸、周防国山口と宣教をしながら京を目指し、岩国から堺へ海路でたどり着きました。

1551年、堺の豪商だった日比屋了珪(ひびやりょうけい)と知己を得たことで、小西隆佐らの歓待を受けますが、献上品を持ってきていなかったがために天皇や将軍への謁見をすることができませんでした。

当時京都は室町幕府の権威が失墜しており、荒廃した様子も見られたことから、ザビエルは京都を去り、平戸へ戻ります。大内義隆に献上品の一部を渡し宣教の許可を得た彼は、山口を中心に宣教を開始。大友義鎮(後の宗麟)が治める豊後国でも宣教をおこないます。

日本に滞在して2年が過ぎたころ、インドからの知らせが無いことを気にかけ、インドに戻ることを決意。ベルナルド、マテオら日本人4名を連れ、1552年にインドに戻りました。

日本に滞在中、中国からの影響を強く感じたザビエルは、中国での布教を決意。1552年に上川島に到着しますが宣教は思うようにいかず、病を患った彼は、1552年12月3日に志半ばの46歳でこの世を去りました。

遺体は現在のマレーシア、マラッカに運ばれ、多くの人が彼の死を悼みました。1614年に切断した遺体から鮮血がほとばしるという奇跡が起こったことで、右腕はローマのジエズ協会に安置。現在もゴアのボン・ジェス協会のほか、マカオ、リスボン、ポルト、東京にその遺体の一部が保存されています。

 

フランシスコ・ザビエルの日本に対する評価

 

ザビエルが日本に来て驚いたことのひとつに、キリスト教では禁忌とされていた男性同士の同性愛関係が日本で認められていたことが挙げられます。

しかし彼は日本人のことを、悪意がなくて善良で、さらに他の何よりも名誉を重んじる人々だと高く評価しました。これはその後のヨーロッパやアメリカでの日本人観にも大きく影響を与えたといわれています。

ザビエルが日本で宣教活動をおこなって以降、イエズス会士が来日するようになりました。宣教活動以外にも西洋の知識や技術など多くを伝え、日本も変化していくことになりました。

 

日本でキリスト教を広めたフランシスコ・ザビエル、その生涯と戦いとは?

日本人は、神道、仏教、キリスト教など、様々な宗教からもたらされた習慣の中で生きています。日本古来の宗教は、神道。中国より仏教が伝わり、はるか遠くヨーロッパよりキリスト教を伝えたのが、フランシスコ・ザビエルです。

本書は、ザビエルの生涯を追いながら、日本での宣教の意味や歴史、当時のカトリック教会の事情を解説。作者の浅見雅一はキリシタン史を研究する学者です。

 

著者
浅見 雅一
出版日


カトリックの教会や聖職者のシステムについて日本人はあまり知り得る機会はありませんが、本書ではザビエルの生涯を追うと同時に、当時の教会のシステムを解説。彼は聖職者にはなりましたが、修道士という立場になったことで、高位の聖職者となる道を絶っています。

宗教に情熱を注ぐという意識が薄い日本人からすると、自身の出世をなげうち、長い旅路を乗り越えてでもキリストの教えを世界に布教したい、という純粋な熱意を持つザビエルに対し、驚きを隠せないという方も多いかもしれません。

イエズス会は「教皇の精鋭部隊」という軍隊的な呼び名を持っていましたが、ザビエルは強引に教えを説くわけではなく、日本人の宗教観に合わせた布教を試みようと苦心しました。そんな彼の宣教という戦いの歴史が語られています。

書簡から読み解くザビエルの目から見た日本の姿とは?

日本をはじめてヨーロッパに伝えたのはマルコ・ポーロと言われていますが、日本人と話をし、その人となりや文化、思想に触れたうえで、それを他者に伝える文書として残している人は少ないでしょう。ザビエルは一般の農民のほか、商人や大名といった、多くの立場の日本人と触れ合った、稀有な歴史的人物だといえます。

ピーター・ミルワード『ザビエルの見た日本人』は、彼が本国へ送った書簡を基に構成されており、実際に見聞きし、感じたことが記されています。作者のピーター・ミルワードはイギリス出身のイエズス会司祭。自身も宣教師として1954年に来日し、代々木ゼミナールや上智大学公開講座で英作文などの授業を行いながら、英語やキリスト教、イギリス文学についての執筆を行っています。

 

著者
["ピーター・ミルワード", "Peter Milward", "松本 たま"]
出版日
1998-11-10


本作は7~8割をザビエルの手紙で占められており、他に用語の解説や、作者の考察などが占められています。教養人だと思われた彼ですが、実はものすごく優秀な人物だからこそ宣教師になったというわけではないようです。加えてイエズス会は体育会系組織のようである、と感じられる部分が多く、実際の彼の人物像やイエズス会の姿が浮かび上がってきます。

文化や言葉、宗教間の違いなど、様々な壁に突き当たったザビエルですが、キリスト教に対する不屈の信仰心でこれらを乗り越えていきました。そんな中にも、全くの異文化を持った日本人という人種に純粋な興味を持っていると伝わる部分も多く、厳格な内容の文面から好奇心が覗いているようにも思えます。

宣教師という立場上、宗教の話もふんだんに盛り込まれていますが、キリスト教は彼を知るうえでは欠かせない要素。キリスト教を信じ、その教えを広めようという情熱のまま訪れた日本の様子に、自身が異国の人のようになった気持ちを味わえる1作です。

ジャーナリストが400年前の日本へ?ザビエルの謎を解き明かすミステリー!

宗教に関わらず、聖職者や偉人の遺体や遺骨が所縁のある地に分納されることがあります。ザビエルは奇跡を起こしたことで、世界各地に埋葬され、東京にもその遺体の一部が保存されています。

その首が鹿児島で発見され、彼の目を見てしまったジャーナリストの主人公、修平が、意識だけ400年前にタイムトリップ。彼の周辺の人に憑依し、そこで起こった殺人事件を解決しながら、その人物の謎を解明していくSFミステリーが『サビエルの首』です。

作者は『ジョーカー・ゲーム』のヒットも気興に新しい、推理小説家の柳広司。本作は歴史の謎を解いていくエンタメ作品に仕上がっています。

 

著者
柳 広司
出版日
2008-08-12


4つの時代と事件が書かれる連作短編集で、本人に憑依するわけではなく、彼の周囲の人間に成り代わった状態で物語が進められます。1599年の鹿児島、1542年のゴア、1533年のパリ、1514年のザビエル城と、物語が進むごとにザビエルは若返っていき、彼自身の考え方や成長を感じながら、物語を読み進めていくことができます。

作者独自の宗教観を交えながらも、殺人事件が発生する、ミステリーエンタメ作品という体裁が崩されることはありません。最後には、なぜ修平がザビエルに呼ばれるのか、その理由と仕掛けに驚愕。物語を楽しみながら、彼は一体何者だったのかを、エンターテイメントとして楽しみながら知ることができる作品です。

フランシスコ・ザビエルの布教活動を、スペイン人作家の目から描く異色の歴史小説!

今でこそキリスト教は日本でもメジャーな宗教となりましたが、徳川の治世では弾劾を受けた歴史もあります。日本にキリスト教をもたらしたザビエルの布教活動は、果たして成功だったのか、失敗だったのか。外国人の目から彼を描く異色の歴史小説が『侍とキリスト―ザビエル日本航海記』です。

作者のラモン・ビラロは、東京に在住経験のあるスペイン人ジャーナリスト。資料を基に、作者なりの想像が加えられており、日本人では表現できない、外国人から見た様子や宣教の様子が克明に描写されています。

 

著者
ラモン・ビラロ
出版日
2011-06-16


テーマからすると重厚そうに感じられますが、意外と行き当たりばったりな宣教の様子が、コミカルに伝わってにやりとする場面が多めです。ザビエルは経験実直ながら、せっかちな性格だったらしく、情熱を持って走り回る姿には、笑いながらもつい感心してしまいます。宗教間の違いから生まれる不遜さは、御愛嬌。それすらも、文化の違いや両者の理解の及ばなさを感じることができます。

聖人ではなく、ひとりの宣教師としての彼の姿が見える本作は、宗教も文化も異なる国の作者が描くからこそ表現できるものなのでしょう。より異国人らしい彼の特徴が感じられる作品だといえます。

フランシスコ・ザビエルはなぜ日本人を優れていると評価したのか?考えの一端を知る書簡集

ザビエルは、その生涯の半分ほどを異国で過ごし、生涯を終えました。彼は頻繁にイエズス会へ書簡を送り、不況の状況や他国の様子を描き記しています1535年から1552年まで書かれた彼の手紙46通の書簡を集めたのが、『聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄』です。

 

著者
フランシスコ・ザビエル
出版日


この書簡集には日本滞在時期のものも含まれていますが、インドや中国での布教活動の様子も知ることができます。ザビエルが日本へ来日したのは、インドで弥次郎という人物と出会ったことがきっかけ。インドや中国での苦戦が、日本での布教活動を後押しし、また日本人への高評価へとつながったのではないか、と感じられます。

とはいえ、日本人に唯一神の教えを説くことは想像以上に難しく、彼が試行錯誤する様子が伝わってきます。それと同時に日本人の持つ清貧さ、名誉を重んじるという性質に興味を惹かれていくのが、言葉の端々から伝わってきます。

各地での布教の様子に加え、イエズス教会内部の勢力争いといった側面も綴られた手紙が登場。ザビエルも悩み多い人だったのでは、といささか同情的な気持ちもわいてきます。純粋な驚きや興味のほかに、日本人に対する苛立ちも書かれた、リアルな彼の姿がそこにあります。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る