札幌を舞台にしたハードボイルド小説を書き続けてきた作家、東直己。彼の多数の著書の中から、おすすめ本を5冊ピックアップしました。
東直己(あずまなおみ)は、1956年生まれの作家です。札幌に生まれ、札幌で育ちました。
東直己は職を転々としてきた人です。大学中退後、土木公務員、ポスター貼り、カラオケ屋店員、タウン誌編集などの仕事をしてきたそうです。札幌の町、とくに夜の街ススキノに潜り込むようにして若い時を送りました。この経験が、彼の小説のススキノにリアリティと輝きを与えています。
1992年に『探偵はバーにいる』で小説家デビュー。以降、精力的に小説を発表してゆきます。東直己の作品は、ほぼ全てがハードボイルド作品で、札幌を舞台にしています。また北海道のテレビ番組では長年コメンテーターも務めています。これからますますの活躍が期待される、故郷と酒を愛する正統派ハードボイルド作家といえるでしょう。
東直己の代表作としてよくあげられる作品に、日本推理作家協会賞を受賞した『残光』があります。あとで紹介する「ススキノ探偵」シリーズなど多数のシリーズ物の人物が集まるオールスター的作品ですが、ここでは『残光』は紹介しません。何故かというと、まずシリーズ第一作のこの『フリージア』を読んでほしいから、そしてこれを読めば、自動的に『残光』も読みたくなるに違いないからです!
榊原健三は元ヤクザ。それも、人を闇から闇に葬る仕事をしていた殺し屋でした。恋人のためにヤクザから足を洗いましたが、彼女とは別れて山奥でひっそり暮らしています。そこにヤクザ時代の兄貴分が訪ねてきて、結婚して幸せに暮らす元恋人が札幌のヤクザ抗争に巻き込まれそうだと脅し半分に伝えてくる……というのが、物語の始まりです。
- 著者
- 東 直己
- 出版日
本作品の魅力は、主人公の榊原健三に尽きるのではないでしょうか。たとえるならば、現代に蘇った60年代侠客(きょうかく)ものの高倉健です。強い、折れない、容赦ないの三拍子。元恋人の幸せを脅かすヤクザたちを、どんどん殺してゆきます。しかし決して殺人マシンではありません。コロシはイヤだとつぶやきながら、それでも守るべきもののためならためらわない、その一途さが渋いのです。
夜を走る健三のカッコよさに加え、札幌の描写の上手さとヤクザたちの愚かさと、裏世界に生きる者の悲哀も描き出されます。読めば必ず『残光』、そしてシリーズ3作目の『疾走』も読みたくなることでしょう。
次に紹介する作品は、東直己のキャリアの中でも異色作である『沈黙の橋』です。設定も思い切ったユニークなもので、第二次世界大戦後、ソビエトに侵略された北海道の中で、札幌の西部分だけが連合国側として分割統治される、というものです。
- 著者
- 東 直己
- 出版日
札幌がベルリンのようになるというだけでも興味深いのですが、札幌を誰よりも知る東直己は、西札幌と東札幌の違いを詳細に描いていきます。同じ町なのに西と東で全く文化が違ってくるところや、人物たちの駆け引きなど、引き込まれる部分がたくさんあります。なにより、日本で分割統治が起きるということを、リアルに描ける力量が素晴らしいですね。スパイ小説という東直己の新たな側面を見せてくれる作品です。
東直己には珍しい短編集『ライダー定食』。デビュー前の作品を中心に集めたもので、表題作など6編が収められています。
- 著者
- 東 直己
- 出版日
- 2008-02-07
表題作「ライダー定食」は、誰からも愛されない孤独な女性彰子が、会社をやめて北海道にバイクツーリングに行く話です。バイク仲間からも嫌われる彰子は、ようやく居心地のいいカフェを見つけ、そこに居着いて心の平安を得ますが……と、これ以上は書けません。というのは、とんでもないオチに驚愕していただきたいからです。
他にも箸がしゃべり出し論争を繰り広げる「納豆箸牧山鉄斎」や、蝿が主人公の「間柴慎悟伝」など、独特な発想の短編がずらりと並んでいます。そんな本作の全体を貫くものは、ブラックユーモア。粋でカッコいいハードボイルドを書く作家になる前に、こんな試行錯誤をしていたんだとびっくりさせられることでしょう。刺激を求める読者には、ぴったりの1冊ですよ。
東直己の代表的なシリーズといえば最後に紹介する「ススキノ探偵」シリーズと、これから紹介する「探偵・畝原」シリーズでしょう。本作『待っていた女・渇き』は、「探偵・畝原」シリーズの記念すべき第1作目です。
- 著者
- 東 直己
- 出版日
畝原は元新聞記者で、取材に熱心すぎたため暴力団にハメられて退職。いまは私立探偵をしています。このシリーズの最大の特徴は、畝原が娘の冴香と二人暮らし、ということです。妻には逃げられたのに、父親を信じて残ってくれた娘。その娘を守らなくてはということが、畝原の頭からつねに離れません。
「探偵・畝原」シリーズの面白さは、畝原が娘のことを考えていつも葛藤しているところにあります。娘が一人で残されないように、自分は安易に死ぬわけにも捕まるわけにもいかないと思う畝原は、ハードボイルド探偵にしては慎重で、常識的な性格にならざるをえないのです。また畝原の性格と境遇は強く結びついており、著者のキャラ作りの上手さに感動してしまうはずです。
しかしそんな畝原はよりにもよって、ややこしく残虐な猟奇事件に巻き込まれてしまいます。被害者と娘を重ねてしまうからこそ、深くなる畝原の憤り。これには読者も思わず共感してしまうことでしょう。
畝原シリーズは2017年3月現在8冊刊行されていて、娘の冴香が少しずつ成長していく点もシリーズの楽しみの一つとなっています。ハマったら抜けられない、純正札幌ハードボイルドである本作を、ぜひ一度お手に取ってみてください。
最後に東直己といえばこれ!という1冊『探偵はバーにいる』を紹介したいと思います。誰が言ったか「軽ハードボイルド」なんて呼ばれたりもしました。どこか軽く、飄々とした雰囲気が印象的な探偵小説を楽しめますよ。
- 著者
- 東 直己
- 出版日
主人公は「俺」。名前は出てきません。北海道・ススキノのバーに居続けながら、やってきた客の依頼を受ける探偵です。減らず口が得意で、アル中気味で、束縛されるのが大嫌いで、気まぐれで、低空を舞う凧のような28歳の男。そんな「俺」のもとへ、失踪した女子大生を探してほしいという依頼が来て……。
やはり驚くべきは、夜の街ススキノの描写がリアルで精彩にあふれていること。それも、舞台になる時代を1980年代ときっちり設定していて、その時代の性風俗や若い女性の考え方などが正確に描写されていきます。さすがは札幌を知り尽くす作家です。
また主人公を取り巻く、札幌に住む脇役たちもみんないい味を出していて、読んでいると思わず主人公になりかわりたくなることでしょう。そして作中に出てくる美味しそうな酒……。本作は、ハードボイルドに求められる要素であろう憎めない主人公と美味そうな酒、そして軽妙な会話を全て兼ね備えた作品なのです。人気シリーズで、ぜひ主人公とともにススキノをさまよってみてください。
日本のハードボイルド小説を支える作家の一人である東直己。その小説は魅力的な街描写と、きっちり練られた物語で読者の期待を裏切りません。ぜひ一度、手に取ってみてくださいね。