藤原伊織は『テロリストのパラソル』で史上初の江戸川乱歩賞と直木賞のダブル受賞を果たした推理作家です。惜しまれながらも、享年59歳でこの世を去りましたが、今も根強い人気があります。今回はそんな藤原伊織作品を6作品紹介します。
大阪出身の藤原伊織は、東京大学文学部を卒業後、広告代理店として有名な電通に入社します。入社後しばらく経った頃に部署を異動になりましたが、その部署がそれほど忙しい職場ではなかったこともあり、電通に勤務する傍ら執筆活動を開始します。
1970年頃の新宿を舞台にした恋愛小説『踊りつかれて』が野性時代新人文学賞佳作を受賞。その後、「ダックスフントのワープ」ですばる文学賞を受賞します。
しかし、藤原は面倒な事を嫌い、受賞後原稿依頼が舞い込んで来ても、断り続けているうちに依頼が来なくなり、作品の発表が滞ってしまいます。その間、藤原は本業の電通での仕事をこなしながら、ギャンブルにものめり込むように。
藤原のギャンブル好きは熱狂的で、麻雀では賭けのレイトが高過ぎた為、内輪では相手が見つからず、プロと勝負していたそうです。さらに、仕事のため海外に出張すれば、経費をカジノに使いこみ、挙句上司から怒号が飛んだこともあるほど。
それほどギャンブルにのめり込む気質であったため、1000万円を返済しないと命を取られかねないような状態にまで追い詰められます。その借金を返済するため再び筆を執る事に。
そして、1995年『テロリストのパラソル』で江戸川乱歩賞を受賞、賞金1000万円を獲得します。藤原の凄いところは、同じ『テロリストのパラソル』で翌年1996年に直木賞を受賞したことです。江戸川乱歩賞と直木賞をダブル受賞した作品が発表されたのは史上初の事でした。
2002年に電通を退社し、作品の執筆活動に専念するも、2005年に食道癌を患っていることを公表、2007年5月に病院でこの世を去りました。
藤原の生き方を辿っていると、なんとも言えぬ男くささが漂ってきます。そんな生き様が映し出されるように、藤原が描いた主人公達もまた男くさく魅力的な人物ばかりです。
今回は深みと危険な魅力のある藤原伊織作品を紹介します。
この作品は、妻に先立たれたドーナッツを愛する甘党であり、「つるつるのプラスチックみたいに平板な生活」を送っている男性が主人公です。ある日、主人公の前に昔勤めていた会社の先輩がお金を処分していほしいと訪ねてきて、最初は断ったのですが、断りきれずにギャンブル場へと足を運ぶことになります。そこで、亡き妻によく似た女性を見つけるのです。その時から主人公は後にゴッホが描いたひまわりにまつわる事件に巻き込まれることになります。
- 著者
- 藤原 伊織
- 出版日
- 2000-06-15
500ページ超とページ数が多いですが、登場人物の会話が中心に執筆されているので、すんなりと読むことができます。魅力をあげるならば、登場人物1人、1人の台詞に藤原伊織の熱がこもっているところ。たとえば、主人公の妻が学生時代に主人公に向けた台詞で
「私、秋山さんと結婚するんです。そしてこの残酷な生活から世界から守るの。静かな生活で守るの。」
(『ひまわりの祝祭』より引用)
恋愛小説なら書かれていそうな台詞ですが、緊張が走るミステリーの世界の中で藤原伊織がくれた一瞬気持ちが温かくなり、気が休まるプレゼントのようです。このようなちょっとした優しさも魅力的です。
銀座でギャラリーを開いていた画家の宇佐美。その評価は世界に名を馳せるほどです。ある時事件が起きます。それは、ギャラリーの義父を描いた肖像画が刃物で切り裂かれ、その挙句硫酸をかけられるというものでした。その事件が起きてから間もなく、若い女性から電話があり、自分が肖像画を汚した事、これは予行練習にすぎない事を告げられます。作品を汚した意図は、本当にその女性が犯人なのでしょうか。(表題作「ダナエ」より)
- 著者
- 藤原 伊織
- 出版日
- 2009-05-08
もう償えない、そこまで重い過去を背負って生きている人はそんなに多くはないかもしれませんが、表題作「ダナエ」の主人公宇佐美はそんな償いきれない過去を背負った人物です。若気の至りで傷つけてしまった相手の面影を今も抱えて生きています。
そういった過ちから目を逸らしたり、向き合ったりしながら日々生活しているのが人間なのだなと思わされる作品です。後半で犯人が分かった時、その業を感じずにはいられない事でしょう。
甘いだけではない大人の心情に触れたい方におすすめです。
大手広告代理店の営業副部長を務める辰村祐介。彼は幼少期を大阪で過ごしており、育った家庭は貧しい環境でした。しかし、父親が営んでいた絵画教室に明子と勝哉という幼馴染がいて、裕福ではありませんでしたが、それなりに充実した日々を過ごしました。あの出来事が起こるまでは……。
それから25年が経ち、各々が自身の人生を歩んでいましたが、明子のもとに過去の秘密をネタにした脅迫状が届きます。それを機に再び動き出す三人の過去。脅迫してきた犯人は誰で、その目的は何なのでしょうか。
- 著者
- 藤原 伊織
- 出版日
主人公の辰村は仕事ができますが、出世欲はありません。私生活では酒、煙草、競馬とゴロツキのような面もあり、なんとも言えぬ男くささが漂うところに魅力を感じます。そして、辰村を取り巻く登場人物は、皆胸の内に何かを抱えている人物ばかりです。
そんな悩みを持った人々の人間模様を垣間見ながら、過去と現在が交錯し明らかになっていくのを読み解いていく感覚がたまらない作品です。
母を殺したのはあなたですね……。会社で気心のしれた同期である高橋の息子から志村のもとに送られてきたメール。
高橋の妻陽子はかつて志村が思いを寄せた女性でした。しかし、雪が降った日、陽子が運転する車が雪道でスリップ事故に遭い、そのまま帰らぬ人となります。事故後、陽子が綴ったEメールが高橋の息子によって見つかり、志村と陽子の関係が知られてしまい……。(表題作「雪が降る」より)
- 著者
- 藤原 伊織
- 出版日
- 2001-06-15
好きになってはいけない人を好きになる時ほど、苦しいものはありません。一瞬の安らぎはあっても、お互いに思い悩む運命だからです。表題作「雪が降る」の恋愛事情はそんな悩ましさを感じとれ、だからこそ思いを寄せる相手への純粋な気持ちが伝わってきます。自分の本当の気持ちに気づいた陽子が、次に雪が降った時に再び会うことを宣言する場面などは、そんな純粋さが上手く表現されているシーンです。そこに陽子の死が絡まることで、なお切ない気持ちにさせます。
藤原作品に漂ているハードボイルドという作風から離れ、繊細で純粋な恋愛模様を描いています。著者の意外な一面を感じ取れる一作です。
飲料会社宣伝部の課長である堀江。経営状態が思わしくないこともあり、彼は早期退職を1カ月後に控えていました。そんなある日、会長の石崎から会長室に呼ばれ、あるホームビデオを見せられる事に。ビデオに映っていたのは、子供が高層マンションから落下し、その子供を受けとめる一人の男の姿。石崎はその映像を会社のCMとして使えないかと提案します。しかし、堀江がそのビデオを検証した結果、それは合成された映像だと判明。その事を告げた夜、石崎は自らの命を絶ってしまいます。
石崎が自ら命を絶った理由とは?20年前の会長の恩に報いるため、堀江が真相究明に乗り出します。
- 著者
- 藤原 伊織
- 出版日
主人公の堀江には、実は元ヤクザという過去があります。その彼がどうして堅気の世界に戻れたのかは、会長にまつわる疑問にも繋がっていて、読み進めていくうちにモヤが晴れていくそんな爽快感と面白さがあります。しかも、後半はアクションもあり、全体がエンターテイメントとして成立している作品です。ハードボイルド作品に浸りたい方におすすめです。
老夫婦が営み、時が静止したようなもの懐かしさを感じさせるような古い佇まいのバーでバーテンダーをしている島村。ある晴れた日にいつもと同じように公園でウィスキーをあおっていると、唐突に爆発が起きました。
その爆破事件により、多数の死傷者が出る事に。犠牲者の中には若き日に学生運動で共に戦った同胞の名がありました。爆破テロを起こした犯人は、昔共に戦った同胞はどうなったのでしょうか。
爆破事件をきっかけに島村の運命が再び回り始めます。
- 著者
- 藤原 伊織
- 出版日
- 2014-11-07
学生運動に加担した過去のある島村が、その時の傷を今も抱え、しかも爆破事件に巻き込まれる事で、自分の過去と対峙していくようなスタイルで物語は進んでいきます。島村はアルコール中毒であり、バーテンダーで生計は立てているものの、その生活ぶりは荒んでいますが、胸の内には確固とした信念があり、謎の解明にあたって発生する障害を粘り強く乗り越えていきます。
張り込みや聞き込み、尾行など探偵要素があちらこちらに散りばめられており、ページを捲る手が止まらなくること請け合いです。
この作品は史上初となる江戸川乱歩賞と直木賞を受賞した藤原伊織の代表作と呼べる作品です。歴史に残るような大作で、他に類を見ない謎解きとアクションを楽しんでみてはいかがでしょうか。
藤原伊織の作品は、どこかくたびれていたり、諦観したりしている中年が主人公となる場合が多いですが、実は有能で、たくましさを感じる人物ばかりです。そんな主人公達が、謎解きに機転を利かせ、アクティブに真相に迫っていく姿は躍動的で読み手の心をつかみます。