ありきたりじゃないビートルズの写真集5冊[Part.1]

ありきたりじゃないビートルズの写真集5冊[Part.1]

更新:2021.12.12

僅か1年でこんなに顔が変わるのか。そんな風に思ってしまう程、ビートルズの4人の顔の変化は音楽同様激しい。その積み重ねが、“赤盤”“青盤”の愛称で長年親しまれてきたベスト盤のジャケットに集約されている。僅か7年であそこまで“老成”しちゃう程の変化を見せた彼らは、それでもまだ20代だった。被写体としても面白い存在だったそんな4人の写真集は、だからこそ全世界で数えきれない程発売されている。オフィシャルカメラマンも多い。そんな中から、時代の空気も詰めこまれた写真集を、年代順に3回に分けて紹介します。

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マイク片手に19歳のジョンが歌う

『アンソロジー』シリーズで初めて公にされた未発表音源はたくさんあったけれど、未発表写真はどうか。ビートルズ解散後は、74年のジョン・レノンとポール・マッカートニーのツーショットに最も驚かされたが、写真集としての物量も含めて最も衝撃を受けたのが、書名のとおり、「ビートルズ」になる過程を写真とともに追った本書だった。ブライアン・エプスタインのマネージャー就任1週間後(1961年12月17日)のフォト・セッションをあしらった表紙がその理由じゃない。60年5月10日、まだシルヴァー・ビートルズを名乗っていた時代に、イギリスで人気のあったビリー・フューリーのバック・バンドのオーディションを受けた時の写真が多数掲載されていたからだ。

ハウ・ゼイ・ビケイム・ザ・ビートルズ/誰も知らなかったビートルズ・ヒストリー

1989年12月31日
ガレス・L.ポロウスキー
竹書房
後ろ向きに演奏するスチュアート・サトクリフ、マイクのみでプレスリー風に歌うジョン、遅れて到着したトミー・ムーア(ドラマー)との演奏風景など、まさに歴史的な写真が満載なのだ。休憩時にビリー・フューリーにサインをねだるジョンや、その後のブリティッシュ・ビート・シーンを盛り上げるジェリー・マースデンの演奏写真も含め、よくぞ残しておいてくれたものだ。上記61年12月17日の写真も計16点。「ラヴ・ミー・ドゥ」でレコード・デビューするまで、というよりもピート・ベストに代わってリンゴ・スターが加わるまでの流れを写真で知ることができるマニア必携の1冊だろう。

ポールの弟は名カメラマン

ウイングスも含め、ポールのソロ・アルバムのジャケット・デザインは、良し悪しがはっきり分かれるものが多い(と個人的に思う)。そんな中で、『バンド・オン・ザ・ラン』(73年)などと並び久しぶりに印象深かったのが『ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード』(2005年)だった。アルバム・タイトルに引っかけた、デビュー直前の20歳のポールが自宅の裏庭でギターを爪弾くモノクロ写真。そのジャケット写真を撮影したのが、ポールの実弟マイケルだった。「マッカートニー」を避け、マイク・マッギアの名前でスッキャッフォルドの一員として活躍したのはファンには周知のとおりだ。

Mike Mac’s White And Blacks

1986年11月03日
Mike McCartney
Aurum Press
プロのカメラマンではなかったが、12歳の太っちょポールや、ポールに出会ってまもない10代前半のジョージ・ハリスン(ビートルズ時代と顔が同じ)をはじめ、62年6月11日のBBCラジオ出演時の演奏写真や、同年7月1日にキャヴァーン・クラブで撮影された、ジョンとポールの肩に手をかけるジーン・ヴィンセントの写真、ポールの自宅でジョンと二人でアコースティック・ギターをかき鳴らす様子など、身内の“特権”を生かした、デビュー前のビートルズのあどけない熱気に満ちた写真を数多く残している。写真集としては本書が最適だが、文章ともども楽しみたい方は『素顔のマッカートニー』(82年)や『リメンバー/ビートルズ誕生の軌跡』(96年)をどうぞ。

ハンブルクのロックンローラーの生態

ビートルズ・デビュー前のジョンの親友はポールではなく、同じ年のスチュアート・サトクリフだったというのは、たとえば映画『バック・ビート』を観れば明らかだが、もうひとり親友がいる。『リボルバー』のジャケット・デザインを手掛けたクラウス・フォアマンや、スチュの恋人だったアストリット・キルヒヘアと同じくハンブルクでの下積み時代に知り合ったドイツの写真家ユルゲン・フォルマーだ。ジョンは、アルバム『ロックン・ロール』のジャケットに本書の表紙にもあしらわれている写真を使ったほど、彼の写真を気に入っていた。

ROCK’N’ ROLL TIMES

1983年09月21日
Jurgen Vollmer
Overlook Books
序文でジョンは、ユルゲンは「ビートルズの美と精神」をカメラに収めた最初の人物で、その後、彼のようなカメラマンは出てこなかったと記しているが、ジョンがそこまで称えるのは、ユルゲン自身のロックンロールへの愛着の強さを感じていたからだと思う。ビートルズが一切出てこない、ハンブルクでロックンロールに熱狂する若者たちの日常をとらえた本書の後半には、そんなユルゲンの想いが凝縮されている。手元にあるのは、ほんの一部だけデザインの異なる81年の初版本(Google Plex刊)だが、83年の再版本も同じく、雑誌感覚でパラパラとページをめくれるチープさがいい。おなじみイギリスのGenesis Publicationsから97年に出た1750部限定の豪華で高価な写真集『From Hamburg To Hollywood』よりもこっち、である。

まるでシングルB面の味わい

ビートルズのデビュー前後のカメラマンとして知名度が高いのは、モップトップ(おかっぱ頭)を考案したと言われるアストリット・キルヒヘアと、初期の日本盤シングルのジャケットに写真が使われたデゾ・ホフマンだろう。でもこの二人、写真集はあるにはあるが、アストリットは高くて手が出ないものが多く、手が出る『Yesterday:The Beatles Once Upon A Time』(2007年)は、64年の映画 『ハード・デイズ・ナイト』撮影時の写真を収めたものだ。デゾはといえば、『デゾ・ホフマン未公開写真集』(76年)も『ウィズ・ザ・ビートルズ/ビートルズ、その青春の日々』(83年)も、申し訳ないけれど、普通のスナップ写真程度の仕上がりなのだ。

BEATLES IN LIVERPOOL/日本未公開写真集!!

1988年02月11日
ピーター・ケイ
大陸書房
そんな中で、まるでシングルB面曲の味わい(褒め言葉)を持つカメラマンがいる。デビュー時(62年9月)の4人を追っかけたピーター・ケイだ。たとえば9月10日にリヴァプールの楽器店でアコースティック・ギター(ギブソン J-160E)を購入するジョンとジョージを収めたり、9月後半には、同僚のレス・チャドウィックと二人でリヴァプールのアルバート・ドックやロイヤル・リヴァービル周辺で撮影を行なっている。ポンコツ車をバックに移る4人を見るたびに、もっといいロケ地はなかったのかと思うが、それもまた当時のリヴァプールの良さであり、無名の4人だからこそ成しえた縁でもある。本書の邦題の「!!」も最高。

熱意こそすべて

ロバート・フリーマンは、2作目の『ウィズ・ザ・ビートルズ』(63年)から6作目の『ラバー・ソウル』(65年)までのジャケット写真を手掛けたほか、7作目の『リボルバー』(66年)のジャケットにも写真が使われるなど、前期(63~66年)の代表的なカメラマンとして知られている。『Yesterday/ビートルズ写真集』(84年)や『The Beatles:A Private View』(2003年)など、手の出しやすく装丁の良い写真集もあるので、ここではそれを5冊目に、と思ったが、昨年に出たマニアックな本書を紹介することにした。これまでにはほとんど明らかにされていない『ヘルプ!』の貴重な撮影現場を大量に収めた写真集であるからだ。
著者
エミリオ・ラーリ
出版日
2015-09-18
とはいえ、エミリオ・ラーリと聞いても、マニアでさえピンと来る人は少ないかもしれない。ビートルズ初の主演映画『ハード・デイズ・ナイト』の監督リチャード・レスターに自分を売り込み、熱意にほだされたレスターにオープニングのメリルボーン駅での同行を許可され、その時に撮った写真をニュース通信社に売り込み、2作目の映画『ヘルプ!』撮影時にスチール撮影の依頼をレスターの事務所から受ける――。運も味方にビートルズを引き寄せた手腕は、撮影の合間に見せる4人のふとした表情を切り取るセンスの良さに表われている。ドラッグでラリッた様子もとらえた「ありのまま」のビートルズは、映画以上に天真爛漫。

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