「嫉妬」というものはいつの時代も存在し、性別も業界も関係なく、まさに人間が集う場には「いつでもどこでも」ついてまわるもののようです。それこそドイツだろうが日本だろうが関係ありません。 ただ、どんなに親しい友達同士であっても「嫉妬」というテーマについて本音で語り合うことは中々難しかったりします。それだけ「嫉妬」とはデリケートな問題なのですね。
昔は、会社など人が多く集まる場において「嫉妬」が発生する有様を筆者(サンドラ)はよく観察したものですが、最近はこの「嫉妬」という感情と筆者も向かい合わなければいけない機会が増えました。それは嫉妬される側の人間として、そして嫉妬をする側の人間として。なかなか人と話しづらい「嫉妬」という感情について、こちらの4冊がたくさん教えてくれました。
『嫉妬をとめられない人』では、歴史上に起こったこと、またここ数年ニュースをにぎわせているあんな事件もこんな事件も、トラブルの発端は「嫉妬」にあったのだ! ということが分かり、深く考えさせられます。
たとえば、2014年のSTAP細胞論文事件に関しては、コトの発端はIPS細胞でノーベル賞を受賞した山中教授に対する笹井教授の嫉妬がひとつの原因だったようです。
順調に出世街道を歩んでいた笹井教授が、山中教授のノーベル賞受賞により、いわば研究者として「先をこされてしまった」と感じたこと、そしてそこから発生した焦りが「なにがなんでもSTAP細胞が『ある』ことにしたい」という思考につながり、その結果、小保方氏の論文を深くチェックすることなく、不正のある論文をそのまま通してしまったのではないか……。そんな可能性について書かれています。
同書では、作家・村上春樹氏の書籍化されていない原稿が本人の許可なく古本屋さんなどに売り払われていた事件についても取り上げています。この「原稿流出事件」は2006年春ごろにマスコミで報道されましたが、簡単にいうと、村上春樹氏のかつての担当編集者の「嫉妬」が原因で起きた事件だと見られています。なんでも担当編集者は自分も秘かに小説家を目指していたのですが、目が出ず、ある時期から突如、村上春樹氏のことを「批判ばかりするようになった」のだとか。
さて、この「批判」ですが、批判も一部は「批判する側の人間」による「批判される側の人間」に対する嫉妬が原因のことも多いのだとか。「嫉妬」は多くの場合、「正義をふりかざす形」でおもてに出るというのも、なかなか興味深い話ではないでしょうか。
- 著者
- 片田 珠美
- 出版日
- 2015-10-01
そんなこんなで、まさに世の中は大げさではなく「全ては嫉妬に始まり嫉妬に終わる」といえるぐらい、嫉妬という感情は「人間そのもの」だということがわかります。
雑誌やテレビ、インターネットでニュースになるような事件でなくても、身近な人間関係に嫉妬は潜んでいます。それは勤めている会社だったり、ママ友の世界だったり、夫婦間だったり、親子間だったり。
『「ドロドロした嫉妬」がスーッと消える本』には二種類の嫉妬が紹介されています。
1)「愛情関連の嫉妬」、つまり今まで自分に向いていた愛情が第三者の登場によって奪われそうになる時の嫉妬です。例として紹介されているのは、今まで一人っ子だった子供に弟か妹ができると、親が下の子に愛情を向けるので、それによる「上の子」の「下の子」への両親の愛をめぐる嫉妬です。
そして2)「優劣関連の嫉妬」。自分より能力が優れた人に対する嫉妬ですね。同書では「今までクラスで一番の成績だった子供が、成績のみならずスポーツも優秀な転校生の登場により、今までの「クラス一番」という地位を奪われそうになった際の転校生への嫉妬」を紹介しています。
上記の2点とも分かりやすい例です。そして残念ながら「嫉妬」という感情に全く接することなく一生を終える人はほとんどいないかと思われます。嫉妬は、嫉妬をする当事者として、または嫉妬をされる側の人間として、まさに「いつの時代のどんな人でも」向き合わされるものです。
ただ本を4冊読み終えて筆者が個人的に思ったことは……嫉妬はするほうも、されるほうも「わりに合わない」ということです。なぜわりに合わないかというと、「嫉妬をするほうも、されるほうも非常に苦しく」、どちらにもポジティブな効果をもたらさないからにほかなりません。全体的な傾向として、嫉妬をすることで、嫉妬をする側も、される側も、双方が力を上手く発揮できなくなってしまうことのほうが多いです。
そうはいっても、嫉妬とは人間の本質的な感情でもありますから、避けて通れないとなると、せめて対処法を考えたいところです。
嫉妬をしてしまった時、そして嫉妬をされてしまった時、どのように心の平常を保つか、嫉妬という厄介な感情に対してどのような対処方法があるかは本(ご紹介しているた4冊)をお読みいただくとして、一つだけネタをバラしてしまうと……人から「嫉妬の黒い影」がしのびよってきそう……と感じたら、上手いタイミングで自虐ネタで笑いをとるのも一つの方法。これは「へりくだること」に意味があるのではなく、「一緒に笑うこと」が効果的なのだそうです。
「嫉妬されやすい」状態とは主に以下のようなケースですので、頭の片隅に入れておくと、早めの対処ができるかもしれません。1)相手より立場が「下」だと思われている人が活躍すると嫉妬をされやすい。2)同じ立場で同じ夢を見ていた者同士、その後、片方だけ夢が叶うと、その人はやっぱり嫉妬されやすい。3)「衝撃」が嫉妬を煽る。
この3番の「衝撃」というのはまさに近年のSNSが当てはまります。なにげな~くSNSを見ていたら、誰々さんの予期していなかった幸せな投稿……そういったものが結果として「衝撃」になり嫉妬につながるのだというのです。
『他人の不幸を願う人』にも書かれていますが、嫉妬はいつの時代にもあったとはいえ、近年のSNSが人々の嫉妬の感情に拍車をかけいるといいます。他人と自分を必要以上に比べてしまうのもSNSの厄介なところ。
- 著者
- 片田 珠美
- 出版日
- 2015-06-10
- 著者
- 香山 リカ
- 出版日
- 2014-06-18
- 著者
- 水島 広子
- 出版日
- 2014-01-16
どの本も共通しているのは嫉妬という感情を「悪い」ととらえるのではなく、嫉妬を人間の自然な感情としてとらえた上で、あくまでも対処法が大事だとしているところ。筆者も自分の経験からこれには同感です。というのも筆者自身も友達関係において次のような経験をしたからです。
ある女友達と話していたら、「あれ? 今もしかしたら、(筆者に)嫉妬しているのかな?」と感じるようなことがありました。しかし、その友人はその後も筆者に意地悪をすることはなく、むしろ自分の中の「嫉妬」の部分と闘っているように見えました。その時、ああこの人はこういうシチュエーションにおいても本当にいい人なんだなあ……と以前よりももっとその友人が好きになりました。
今でもその人とは友人ですが、とても優秀な人であるため、筆者がその人に対して嫉妬(上に書かれた「優劣関連の嫉妬」です)をしてしまうこともあります。けど、人格者である彼女に意地悪をしようとか嫌味を言おう、という気にはなれず、自分の嫉妬という感情とはあくまでも自分の中で向き合おうと思うのでした。
「嫉妬」は人間の最も本質的な部分であるため、「嫉妬をしてはいけない」という話ではなく、あくまでも「嫉妬とどう向き合うか」が大事なのだと感じます。
これらの本を読んでそんなことを考えさせられました。嫉妬をしない人なんていないのだから、人間関係においても「あの人は嫉妬をするから嫌!」と考えるのではなく、その人が嫉妬という感情と「どう向き合っているか」……これからはそんなところを見ていきたいなと思いました。
「嫉妬」という感情にかられたときこそ、その人の「人間力」の見せ場なのかもしれません。