書名にある「キャリバン」とは「カニバル」のアナグラム(綴りの並び替え)で、シェイクスピアの『テンペスト』に登場する化け物のこと。カニバルとは「人喰い」のことで、ヨーロッパでは異文化に対する恐怖と偏見があるところに頻出する要素でした。本書では植民地主義や資本主義がこれまでの歴史の中で、異文化の人々や、もともとは自分たちの文化を分け合っていた女性たちを、どのようにして迫害し従属的な位置に追いやってきたのかを辿っていきます。
- 著者
- シルヴィア・フェデリーチ
- 出版日
- 2017-02-01
日本人も、かつて「黄色い猿」「黄禍」と呼ばれヨーロッパから敵視されてきました。また、いわゆる江戸時代から明治時代への転換期以来、日本は国際政治の中で欧米列強に利用されまいと抗ってきた国(また、たびたび譲歩させられてきた国)でもあります。そんな日本の読者にとって、本書は「同じ人間」であるはずなのに西洋中心的な考え方からは周縁に位置付けられ、ともすれば下に見られてしまう心性を理解する手助けになる1冊でもあります。
『ハリーポッター』の成功によって、現代では広く世界中で魔法は少なくとも表向きは市民権を得ましたが、周知の通りキリスト教の支配が苛烈であった時代(苛烈である地域)においては、教会の教理にそぐわない行いは異端として断罪されwitchと呼ばれました。日本ではwitchは「魔女」と翻訳されますが、この語が生物学的な意味で女性だけを指すという限定はありません。
『キャリバンと魔女』は、15,16世紀のヨーロッパでキャリバンや魔女の「実在」が歴史に登場したことを明らかにします。大昔のことなので、ある種の迷信としてそんなこともあるだろうな、と思う読者もいるかも知れませんが、迷信というのは恐ろしいもので何百年も生き延びてしまうことがあります。人種主義や性差別のように現代でも根強く残る迷信の出どころを探り、文字通り「辿る」本書の営みは、ウンザリしてうっちゃっておきたくなる身近な差別に対してその根拠になっている知識や考え方が「迷信」に基づいたものに過ぎないことを指摘しうるという点で心強いものだと言えるでしょう。
なお本書のタイトルである『キャリバンと魔女』ですが、これは乱暴に現代語に翻案するなら『バンドマンとバンギャ』です。いずれも資本主義を実際に動かしているとは見做されない、グータラで非道徳的で、時には反社会的で非生産的な存在だと考えられています。いろんなバンドマンがいて、いろんなバンギャがいるように、キャリバンや魔女と呼ばれた人たちにもそれぞれの個性があった筈ですが、それは取るに足らないものとして黙殺されてきました。本書はこの暗く根深い問題を掘り起こそうとしているのです。
なお、本書はフェミニズムの理論書であり、女性への攻撃がたびたび問題にされています。しかしこれをもって俗流フェミニストによる男性嫌悪の垂れ流しと混同するのは早計に過ぎるということは書き加えておきます。本書の著者フェデリーチはかつて「家事労働に賃金を」という世界的に広まった運動を主導した1人です。この「家事労働に賃金を」というのは、夫が働いて妻は家事や育児を(賃金なしで)するのが当然だという社会における女性の役割を問い直そうとした運動でした。
訳者解題にわかりやすく書かれている通り、この「家事労働に賃金を」は、文字通りの「賃労働として家事をやらせろ」という運動ではありません。むしろ「なぜ家事労働には賃金が支払われないのか」という問いをたてることで、資本主義社会そのものの構造に疑問を投げかける、ある種の革命だったのです。