恋愛にタブーは必要不可欠?三島由紀夫が織りなす聖と生と性の世界

更新:2021.12.12

恋愛って中高生くらいまでは純粋に相手のことが好きであればそれだけで成り立っていたのに、20代30代になるにつれて変に複雑化してしまう傾向があるような気がします。それは「道徳」や「倫理」、「常識」といった、どこからともなく湧いてきた価値観を知れば知るほど複雑に考えざるを得なくなっているのかもしれません。最近何かと世間を賑わせている男女の「常識」から外れた恋愛模様。その是非を問うわけではありませんが、今回はそんな「常識」から外れた恋愛を描いたちょっとアダルトな三島由紀夫の作品3冊をご紹介します。

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女が一等惚れる羽目になるのは、自分に一等苦手な男相手でございますね。

「自分のことは自分が一番よく知っている」なんて言いますが、果たしてそうなのでしょうか?自分は一体何が好きで何が嫌いなのか、そしてそれを教えてくれるものは一体何なのか。前回紹介した本にも少し関わってきますが、やはり他者とのかかわりによって自分というものの輪郭を掴んでいくのではないでしょうか。それを「道徳」から離れた形で獲得した女性の話が『美徳のよろめき』です。

著者
三島 由紀夫
出版日
1960-11-08

官能的な事柄に興味のある育ちの良い夫人・節子が、結婚前にたった一度接吻を交わした若くて魅力的な肉体を持つ男性・土屋と関係を持ち、妊娠・中絶を繰り返した苦しみの末に、別れを決心するまでの一年間を描いた物語です。

節子は一見すると思い込みの強い自分勝手な女性ではあるものの、彼女の持っている美徳は一貫しています。不道徳な行為に手を染めても心の高貴さを失わない節子は、三島作品にしばしば登場する女性像です。

「生れも躾もいい、およそものの裏側を見ることをしらない、天性幼児のように真率で無垢な魂」(189ページ)を持つ節子にとって、遊びだった土屋との関係が段々と深まっていくに連れて、身も心も板挟み状態になっていきます。

そんななか、明治の花柳界(芸者や遊女の社会)出身の老婦人と言葉をかわし、こんなことを告げられます。

「奥様、よくしたもので、女は一等惚れる羽目になるのは、自分に一等苦手な男相手でございますね。あなたばかりではありません。誰もそうしたものです。そのおかげで私たちは自分の欠点、自分という人間の足りないところを、よくよく知るようになるのでございます。女は女の鑑にはなれません。いつも殿方が女の鑑になってくれるのですね。それもつれない殿方が。」(140~141ページ)

もっとも、老婦人の言葉すらピンとこなかった節子ですが、特に今まで悩みという悩みをしてこなかった彼女を揺るがす土屋の存在はきっと彼女の欠点をうつす鑑だったのではないでしょうか。

ちょうど『金閣寺』のあとに発表されたこの作品。世間が消費したがるようなゴシップネタ要素を組み合わせつつも、ただの不倫小説になっていないのが三島のバランス感覚の良さを表していると思います。

神聖なものほど猥褻だ。だから恋愛より結婚のはうがずつと猥褻だ。

お次は女性が男性の鏡となった作品を紹介します。しばしば『美徳のよろめき』の節子と並んで評される気高さを持った女性・鏡子です。彼女のもとに集まる年齢も職業も何もかも違う4人の青年たち。彼らは彼女に何を求めていたのでしょうか?

著者
三島 由紀夫
出版日
1964-10-07

名門の資産家の令嬢・鏡子の家にしばしば集まる4人の男性――世界の崩壊を信じる貿易会社のエリート社員・杉本清一郎、私立大学の拳闘の選手・深井峻吉、天分ゆたかな童貞の日本画家・山形夏雄、美貌の無名俳優・舟木収――は、各々が持つ「美」を追究しているゆえに他人の干渉を許しません。そんな4人の青年たちと彼らにかかわる女性たちの生の軌跡を、「戦後は終わった」とされた昭和30年前後の「時代」を生きた若者たちのニヒリズムを描いた作品です。

この作品は特定の主人公は存在せず、同格の主人公同士が絡み合うことなく並行的(「メリーゴーラウンド方式」)に4人の青年たちそれぞれの栄枯盛衰を描くことによって物語が成立していきます。ヒロインである鏡子も彼らの「運命」に影響を与えませんが、各々が自分の今の立ち位置を確認するために見る鏡の役割として存在しています。

それぞれがそれぞれに「そんなバカな」と思ってしまうほど波乱万丈な「運命」を歩んでいきますが、読み進めるうちになんとなくその「運命」は必然だったのだと妙に納得してしまいます。また、今から見るとこの4人の青年たちは三島の分身であるかのようにも思えてしまいます。

肝心の恋愛についてですが、主人公の数だけありとあらゆる愛の形が描かれているので、これはもう読んでみてのお楽しみということにしましょう。

一瞬の直感から、女が攻撃態勢をとるときには、男の論理なんかほとんど役に立たないと 言つていい。

人間には無意識の過程が存在し、人の行動は無意識によって左右されるそうです。これは精神分析の基本的な仮説です。精神分析の祖であるジークムント・フロイトは、ヒステリーの治療をしていくなかで、人は意識することが苦痛であるような欲望を無意識に抑圧することがあることに気づきます。そして、それが形を変えて神経症などの症状という形で表出されると考えました。つまり、抑圧している葛藤の内容を自覚、表面化、意識させることによって、症状が解消しうるのではないか、という治療仮説を立てました。

ちょっと小難しいことを書き並べてしまいましたが、人の隠れた恋愛における欲望と抑圧のシーソーゲームを三島流に描いたのが『音楽』という作品です。

著者
三島 由紀夫
出版日
1970-02-20

精神分析医・汐見のもとに、不感症で「音楽が聞こえない」と悩む一人の女性患者・麗子がやってきます。その原因を突き止めようとするも、嘘と真実を巧みに交錯させる彼女の言動に汐見は翻弄されてしまいます。冷静さを保ちながらもヒロインに翻弄される汐見=読者となり、作品が進むにつれて彼女の闇へと導かれていきます。

簡単に言ってしまえば、麗子の治療を通して彼女の深層心理の謎を探っていく物語なのですが、澁澤龍彦はこの作品を「あたかも推理小説のごときサスペンスをもたせて、一女性の深層心理にひそむ怖ろしい人間性の謎が、ついに白日のもとに暴き出されるまでの過程がじっくり描かれているエンターテイメントとして上出来の作品」(257ページ)と評しています。

作品の中盤までは汐見と麗子の腹の探り合いが続きますが、終盤になっていくにつれて明らかになっていく麗子の深層心理にはちょっとした畏れの念を覚えます。理論だけでは割り切れない、人間(この作品では女性)の持つ不条理さや性を描き出そうとした作品です。

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