五十音・文庫の旅「タ行」高橋源一郎、戸部新十郎 etc.

五十音・文庫の旅「タ行」高橋源一郎、戸部新十郎 etc.

更新:2021.12.6

本を読みたいけれど何を読んだらいいかわからない。なにより今自分が何を読みたいのかわからない。なんて悩んでるあなたのための「五十音・文庫の旅」。己の直感・独断・偏見・本能でもって選んだア行からワ行までの作家さんの作品を己の直感・独断・偏見・本能でもってここへご紹介するという寸法だ。今回は「タ行」。なぜ文庫なのかというと安くて軽くて小さいからです。

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「さようなら、ギャングたち」

著者
高橋 源一郎
出版日
1997-04-10
「た」高橋源一郎。
以前から友人に薦められていた一冊。ちょっとお高い文芸文庫版を購入。まったく衝撃だった。打ちのめされた。人々は親からもらった名前を捨て、自分で自分に名前をつけるようになり、しばしば名前との間に諍いが起こりだした。そして今では恋人たちが互いに名前をつけ合うだけになっていた。

主人公の「わたし」は恋人に「中島みゆきソングブック」通称S・Bという名前を与え、彼女は「わたし」に「さようなら、ギャングたち」という名前を与え、「詩の学校」で働きながら共に生活している。ギャングたちのいる世界で。この作品は書き手(=主人公)である「わたし」がこれまでの人生と生きている世界を語る第一部、言葉の問題をテーマに置いた第二部、そして書き手と世界の関係、政治と文学をテーマに置いた第三部で成り立っている。

読み始めはまるで長い詩集かと思わせられたが、読み進めていくうちにかなり観念的かつハードボイルドな映画を観ている気分にさせられ、はたまたこれはもしや童話的な作品なのかもしれないと思っているとまた映画的感覚が甦ってきて、混乱した。しかしその混乱は不快なものではなく、寧ろ快楽に近かった。快楽的混乱。初めての体験だった。

そして、詩集、映画、童話の感覚を経た後、これは紛れもなく「小説」だということがわかった。「こんなこと小説でやっていいのか?」と思わせるほど実験的な要素の組み込まれた内容だが、なぜだろうか、頁を捲る手が止まらなかった。

搾り出したようなぎりぎりの言葉で綴られた文章があるかと思えば、突如力なく水面に石を放ったようなある種の諦観を感じさせる文章が出現したり、このリズム感はまったく奇妙で未体験のはずなのに、どうしてか心の底で懐かしさを感じてしまった。綴られた言葉に原生的なリズムを感じたからか。言葉一つひとつが「裸」だからか。読後、俺はこの小説の「物語」にではなく「世界」に感動していた。

ここまで書くと奇をてらったトリッキーな作品だと思われるかもしれないが決してそんなことはない。凄い作品だ。何度も読み返したいと思う。ちなみにもし手にとって読む気が起きたのなら、解説までしっかり読んでみて欲しい。より一層深くこの作品の世界に浸かれると思う。

「魚神」

著者
千早 茜
出版日
2012-01-20
「ち」千早茜。タ行の女性作家。
外界から隔離されたような電気も通らない孤島に美しい姉弟・白亜とスケキヨは互いのみ信頼して生きていた。時が経ち、成長した二人は離れ離れに売られてしまう。島随一の遊女になった白亜は身近にスケキヨの気配を感じながらも強く惹かれ合う故に拒絶を恐れ再会しようとはしない。二人の運命が島に伝わる「雷魚伝説」と交錯しだす。

二人の生い立ちの回想から始まるこの作品、オリジナリティのある表現がふんだんに盛り込まれており情景描写も幻想的で深みがあるが、台詞の言葉遣いが中途半端なので感情移入もし辛かった。しかし、回想終了後から徐々に文章がすっきりしていく。白亜の友人である新笠の明るいキャラクターが躍動感を生み出し、物語に新鮮な空気が流れる。

そして、後半の息つく間もない怒濤の展開は素晴らしい。いつの間にか熱中して読んでいた。前半の味の濃い回想は後半に気配でしか登場しないスケキヨの輪郭を作るためのものだったのだと気づき思わず唸った。ただ、後半の畳み掛けが凄かったわりに結末が少々もったいなかった。とはいえ十分おすすめできる一冊。

「海峡の光」

著者
辻 仁成
出版日
2000-02-29
「つ」辻仁成。
そういえば読んだことなかったなあと思い手に取る。芥川賞受賞作。少年時代、残酷ないじめを受けていた函館少年刑務所看守の主人公・斉藤の前に、いじめの主犯であった花井修が囚人として現れる。かつてそうだったように優等生の仮面を被り周囲の人々を手なずけ、刑務所内で地位を築いていく花井を監視する斉藤は、その思惑に絡め取られていく。

よく研がれた刀剣のような端麗さのある文章。キレッキレだ。しかし、不思議と心にザラリとした質感が残る。それは恐ろしく巧みな心理描写から来るものだろうか。読んでいると鼓動が早くなってしまうほどの凄味がある。登場人物に細やかな説明はないが、どうしてここまで鮮明に目の前に感じとれるのか。とにかく花井修が不気味。最終的に不気味を通り越して神々しさまで発揮する。

主人公・斉藤は監視・監理できる立場にいながら、囚人である花井に真意のわからぬまま振り回され続ける。読んでる俺も振り回され続ける。不安になる。文章でここまで動揺させられるなんて。えげつないなあ。そして淡々と進んでいく物語だが、真意が判明するクライマックスの流れが素晴らしい。静かな筆致の凄味。かなりおすすめの一冊。

「包帯クラブ」

著者
天童 荒太
出版日
2013-06-10
「て」天童荒太。
心に傷を負った高校生たちの「戦わない戦い」を描いた作品。「包帯クラブ」の活動報告書。主人公・“ワラ”こと笑美子と“ディノ”こと井出埜辰耶が病院の屋上で出会うところから始まる。

「傷だらけになって、生きているのがしんどい。今この場所にも血が流れていてしんどい。死のうと思う。」というディノにワラは「だったらまず、血をとめてみたら?」と何気なく返す。ディノは腑に落ちた様子で自分の座っていたベンチや屋上の金網に包帯を巻き、「これで血が止まった」と笑う。何もなかった空間なのに包帯が巻かれたことによって、確かに手当てされたように見える。

この冒頭の流れが鮮烈。病院の屋上に翻る包帯。見事な導入のシーンだ。文章自体は主人公・ワラの語り口調で書かれている。実はこの手の書き方の小説は苦手だったのだが、大袈裟に若者臭さを出していない分、割と素直に読めた。心地良い情熱がある。物語の途中途中で挟まれる大人になったクラブのメンバーたちの報告書が、小気味良い奥行きを演出している。薄口のエンタメ性があるおかげで長ったらしさを感じない。

簡単そうに見えるが、実は高度なテクニックを駆使して、登場人物一人ひとりの個性も巧みに棲み分けがされている。今の社会を生き難いと思っているすべての人たちへ……と重そうなテーマを掲げているが、かなり軽やかで読みやすくきっちり心に響く作品だと思う。一読あれ。

「秘剣花車」

著者
戸部 新十郎
出版日
「と」戸部新十郎。
久しぶりに時代物、それも剣豪ものを読みたくなって手に取る。剣術に取り憑かれた男たちが描かれた全十編からなる短編集。一話一話のサイズ感が凄く良い。手頃だ。そしてどれも良作だがやはり印象深いのは表題作「花車」。

豊臣秀吉の養子である兵法数寄者の秀次は桜の花が散り舞うある日、二人の剣術の名人に「花に埋もれて死ぬる」を趣意とする死の秘太刀「花車」のことを聞き、寝ても覚めても忘れられなくなる。「花車」の至極に達した剣士は天下に一人。果たしてどのような剣なのか……。これだけでわくわくする。

三十頁ほどの短い物語だが、登場人物がとても鮮明に描かれていて驚いた。たった数行で人となりを全て描き切る、その場に現出させる名人芸。剽悍な文章と桜花舞い散る舞台とが相まって幻想的な雰囲気さえ醸し出している。ああ、やっぱり俺は時代小説が好きなんだなあ、と改めて思わせてくれた一冊。

時代物と聞くと難しく捉えられがちだけれどそんなことはない。現代社会と関わっていくなかで失ったものに気づけたり、足りないものが見つけられたりするかもしれない。癒しの一冊だった。

というわけで、タ行の五冊。今回は『さようなら、ギャングたち』という言葉の価値観を揺るがす素晴らしい作品に出会えたのが大きかった。一読あれ。では、また来月。

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