柏木ハルコはストレートな性描写で有名な作家です。確かにそれはセンセーショナルな題材ですが、柏木の本質は性も含んだ人間の表裏を余さず描く心理描写にあります。今回はそんな柏木ハルコ作品ベスト5をご紹介しましょう。
柏木ハルコ(かしわぎハルコ)、本名・大田晴子(おおたはるこ)は1961年11月7日生まれ。千葉県出身の漫画家です。
幼少期に読んだ手塚治虫『火の鳥』、『アドルフに告ぐ』に影響されて、大学時代から漫画家を目指すようになりました。1992年、アフタヌーン四季賞秋のコンテストで準入選。1993年、「ヤングサンデー増刊」に読み切り漫画「8月のタエコ」が掲載され、1995年の「週刊ヤングサンデー」誌上で始めた『いぬ』で連載デビュー。
柏木ハルコと言えば、キャラの心理描写と女性のあけすけな性描写がまず挙げられます。しかし、直近の話題作『健康で文化的な最低限度の生活』では性の描写は控え気味。
『いぬ』の強烈な性描写インパクトで勘違いされがちですが、『いぬ』のあとがきによると、どうやらデビュー前はそのような作品を描く予定はなかったそうです。読み切り掲載後しばらくして、「本誌にエロ系漫画がないから」と担当の勧めで描いてみたところ、これがヒットしたというのが真相のようです。
生活保護問題に取り組んだ『健康で文化的な最低限度の生活』はメディアでも話題となり、「このマンガがすごい! 2015」オトコ編第10位にランクインしました。
時は平安時代中期。文明から隔絶された絶海の孤島、鬼島にも日本人が住んでいました。島の子供、トラゴとククリが年上のタナと海岸で散策していると、1艘の船を見付けました。子供達はその船で無邪気に遊びますが、ククリの不注意から船が流されてしまい、タナは行方不明になります。子供心にも、深い負い目を感じる2人。
数年後、逞しく育ったトラゴとククリは夫婦となりました。そんな時、海岸に1人の女が打ち上げられているのが発見されます。2人よりも若いその女は、行方不明になったタナそっくりでした。一方、島には異変の前兆が……。
- 著者
- 柏木 ハルコ
- 出版日
本作は2002年から「ビッグコミックスピリッツ」誌上で連載された青年漫画です。孤島という閉ざされた未開社会を舞台に、柏木特有の人間心理、人間関係がある種グロテスクに描かれた意欲作。
話の中心となるのは謎の女、マナメ。島外からやってきた彼女は、不吉の象徴として島民から忌避されます。当初マナメの味方だったのは、彼女にタナを重ねて見るトラゴとククリのみ。マナメは排除の手をかいくぐって、島の女にはない手練手管を駆使し、徐々に島の男を虜にしていきます。やがて島民は2派に分裂。
そうする間に島では不漁不作が続きますが、それが実は島の火山が噴火する前兆でした。相争う島民に噴火の危機が刻々と迫ります。
主人公となるトラゴをはじめ、島の女性はほとんどがトップレスの出で立ち。昔ながらの海女さんか、南洋の原住民を想像していただければわかりやすいでしょう。骨太、肉厚な姿からはエロスよりも力強さが感じられます。
舞台となる時代こそ異なるものの、原始社会であること、物語に火山が関わることなどから、この辺りの設定には手塚治虫『火の鳥』黎明編の影響が窺えます。
物語の時代は平安期、寛仁年間。平安時代でも地方の庶民の生活は縄文時代と大差なかったそうです。文明と隔絶した離島ならばなおのこと、本編中に描かれるような原始生活に近いものだったのではないでしょうか。
そして鬼島は伊豆諸島の火山島「青ヶ島」がモデル。劇中で起こる火山の噴火、住民の避難などは1785年に起こった天明の大噴火をモチーフとしたのでしょう。当時の青ヶ島島民は避難し、島は半世紀ほど無人になったそうです。
異邦者の存在で揺れる鬼島の小さなムラ社会。そこに訪れる未曾有の危機。それはかつて行方不明となったタナ、そのタナに似たマナメが招いた凶事なのか? トラゴとククリ、島の人々の運命や如何に。
2016年、素粒子加速器研究所の一角に、タイムマシンを開発しているチームがいました。キュリー夫人に憧れてノーベル賞を目指す春日琴理と、彼女の夢に惹かれる竜ヶ崎邦衛の2人です。
時空通過システムのプロトタイプがついに完成、チームは実験を行おうとします。ところが、実験用ぬいぐるみを琴理が装置にセットしようとした時、システムに不調が発生しました。勝手に動き出した装置が琴理を乗せたままワームホールに飛び込み……再び出現した装置には、黒焦げとなった琴理の姿がありました。
しかし、琴理は死んだわけではありません。実験は一部成功し、意識だけが3年後の未来にタイムスリップしてしまったのです。未来に転移した琴理の意識は、なんと実験動物のモルモットに宿っていました。
- 著者
- 柏木 ハルコ
- 出版日
- 2007-06-30
本作は2007年から「ビッグコミックスピリッツ」誌上で連載されたSFラブコメ漫画です。柏木作品には人間心理を描くためか、象徴的な肉体関係としてセックスが頻出しますが、本作ではそれが控えられています。これは恐らく、本作が精神的な繋がりをテーマとしているためでしょう。
ヒロインの琴理は、キュリー夫人に憧れることを除けばごく普通の女性。眼鏡をかけた野暮ったい三十路女子です。結婚願望があるようで、研究パートナーの竜ヶ崎には積極的にアタックしていますが、物語冒頭ではまるで脈なし。
一方の竜ヶ崎は、なんでもそつなくこなすが何にも夢中になれないという性格の男です。そのため夢に燃える琴理には感化されますが、女性としては意識出来ていません。実世界視点では琴理が亡くなった事故を機に、後悔から自暴自棄になっています。
作中登場するワームホール理論は、ウラシマ効果を利用した理論上実現可能なタイムトラベルです。ただし、実現するための技術が確立していないため机上の空論扱い。意識だけの時間跳躍と言えば、古くは高畑京一郎の『タイム・リープ』、最近では『Steins;Gate』のメカニズムとして有名でしょうか。
このように設定は非常にハードなSFなのですが、それほどシリアスにはなりません。それは琴理が憑依して奮闘することになるモルモットのおかげでしょう。コメディタッチで描かれるため、本来陰鬱になる雰囲気が緩和されています。
本作のタイトルの意味するところとはなんなのでしょうか。地平線とは恐らく「事象の地平線」のことでしょう。我々の存在する宇宙から観測不可能になるギリギリの領域。その観測不可能領域を行き来して、様々なモノに憑依して奮闘する琴理の姿をダンスに例えたのだと思います。
果たして琴理は、彼女本来の時間と体に戻ることが出来るのでしょうか?
主人公の高木清美は一見清楚な女子大生です。数々のイケメン学生に言い寄られるほどの黒髪美女。ある時、まったく冴えない男子学生、中島は高嶺の花である清美に声をかけました。中島は清美に誕生日プレゼントを贈ろうと考えていましたが、真面目に尋ねることが出来ずに「口にチュー」などとおどけてしまいました。すると清美は、
「下の口じゃだめ……?」(『いぬ』より引用)
清美は見た目とは裏腹に、とんでもない性欲の権化だったのです。
- 著者
- 柏木 ハルコ
- 出版日
本作は柏木の連載デビュー作です。1995年から「週刊ヤングサンデー」に掲載されました。女性のストレートな性欲を赤裸々に映し出した衝撃のコメディです。軽いタッチながら、ほぼ全編にわたってセックスや自慰行為の滑稽な面を強調した作品。
物語冒頭で、清美は唐突に愛犬ビリーを亡くします。愛犬の喪失というと飼い主にとってつらい出来事ですが、そのビリーの死因というのが糖尿病。なんとそれは、清美は女性器にバターを塗ってはビリーに舐めさせ、自慰行為を繰り返していたせいでした。清美は傷心の反面、性欲解消の手段を失って悶々とした日常を過ごすことになります。
性欲過多の一方で、清美は恋愛に非常に高い理想を持っていました。美人の清美はイケメンの彼氏には事欠きませんが、それはあくまで普通のお付き合い。清美は強い性欲を持ちながらも、性的行為を間抜けで汚らわしいものだと捉えており、理想の美形彼氏を性欲の対象とすることが出来ませんでした。
そしてそこへ現れたのが中島です。清美にとって彼はどうでもいい存在で、だからこそ幻想を抱くことがなく、存分に滑稽な性的行為を楽しめる対象となり得るのでした。清美にとって中島とは、都合の良い性的欲求解消の道具、亡きビリーの代替ペットでしかありません。
もちろん中島の方は別です。彼は本気で清美に恋をしていました。それでも健康な男性の性欲は抑えきれず、彼氏でもなく、友人でもなく、ペットとしての地位に甘んじることに……。
清美の旺盛な性欲と恋愛観、哀れなバター犬と化した中島くん、そして清美の本性を知らないイケメン男子達。ともすれば禁忌とされがちな性をおおっぴらに絡めた、おバカコメディです。
愛しさが募って、自分をコントロール出来ない。感情の振れ幅が大きくて、怒った直後に泣いて追い縋ってしまう。ストーカー1歩手前の女、猪狩(いかり)。「別れる」
婚約者を突然亡くした喪失感も覚めやらぬまま、彼女がつけていた日記を見つける男、平野太郎。「DIARY」
そんな、失恋をテーマにした6つの短編が収録されています。
- 著者
- 柏木 ハルコ
- 出版日
- 2013-05-08
本作は女性向け漫画誌「FEEL YOUNG」に掲載された柏木作品を1つにまとめた短編集です。オムニバス形式で、それぞれのエピソードに関連性はなく、共通点するのは各エピソードの主要人物の失恋。そのため、本作は基本的にハッピーエンドを迎えません。
人間の心の内を描くことに長けた柏木ハルコですが、本作は失恋をテーマにしてるだけあって、特に心を抉ります。話の目線は愛する側、恋する側のキャラなので、どうしてもそちらに感情移入してしまいます。彼らはこんなにも想っているのに、悲しい結末に至ってしまう。読者は失恋の感覚を疑似体験することになります。
特に切ないのは第1話に位置付けられる「別れる」でしょうか。あらすじとして挙げたように、思い余ってストーカー気質になった女性の話です。このまま関係を続けても、お互い肉体的にも精神的にも傷つけ合ってしまう。
そこで、SF的なガジェットとして恋愛感情抑制剤が登場します。飲めば気持ちを全て忘れてしまうという新開発の薬。悲壮な決意で薬を飲む彼女と、すでに彼女から気持ちの離れた彼の内心の葛藤は、やはり柏木ハルコならではの感情表現でしょう。
「あと少しでアンタのこと忘れんだから。でも、今くらいいいでしょ。私にやさしくしてくれても」(『失恋日記』より引用)
薬の効き目が本物なら、もうすぐ消えてしまう感情。しかし、この瞬間には確実にある彼を愛する気持ち。彼女の一途な想いが強いだけに、つらさ、切なさが胸に沁みます。
区役所に就職した主人公の義経(よしつね)えみるは、福祉事務所生活課に配属されました。生活保護の最前線です。先輩職員の半田に任されたえみるの担当は、なんと110世帯分。自他共に認める鈍感なえみるは、四苦八苦しながら業務を覚えていきました。
半田に付き添われて、初めての生活保護世帯訪問を終えて疲弊したえみるに、1本の電話がかかってきます。それは自殺を予告するものでした。放言を繰り返す有名な受給者で、彼を知る周囲は軽い反応をし、えみるもそれ以上深く考えることはしませんでした。
翌日、出勤したえみるに電話の主、平川が自殺したことが告げられます。担当が1人減って負担が軽くなったと思えばいい――同僚に諭されたえみるは、平川の自宅を訪れて、その考えを改めました。
「この人……生活の工夫して生きてる。してるよ……生きる努力……110ケースあろうが……国民の血税だろうが……ダメだ。それ……言っちゃあ、何か大切なものを失う……」(『健康で文化的な最低限度の生活』より引用)
- 著者
- 柏木 ハルコ
- 出版日
- 2014-08-29
日本国憲法第25条、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
本作は2014年から「ビッグコミックスピリッツ」誌上で連載中の青年漫画です。生活保護受給世帯の増加と保護費負担の高騰、及びそれらに付随する不正受給問題等が取り沙汰される昨今。本作は生活保護を監督する、いわゆるケースワーカーの新人えみるの直面する問題を通じて、生活保護問題に真っ正面から取り組んだ意欲作です。
えみるは自他共に認めるトロい性格で、これまで他人の心中を上手く察せませんでした。生活保護を担当するに当たっても右往左往、四苦八苦業務を覚えていきます。同僚の勧めもあって一時は仕事と割切ろうともしました。しかし、初担当で上手く対応出来ず、自殺者を出してしまったことを機に、変わろうとし始めます。
110ケース、110世帯がえみるの受け持ち。しかし実際には、それぞれのケースで数字以上に数多くの人々が関係することにえみるは気づきます。そしてその中の1人として同じ人間はいません。様々な事情から生活保護を受けざるを得ない人達。生活保護は文字通り彼らの生命線なのです。
複雑な事情を担当するのはえみるだけではありません。淡々と業務をこなす栗橋千奈、職務熱心ながら空回りする七条竜一など、えみると同期の新人ケースワーカーにも難しい問題が立ち塞がります。
柏木ハルコは本作執筆に当たって入念な取材を行ったようです。本編に描かれる社会福祉の実情は真に迫るものがあり、前職現職を問わずケースワーカーからは、そのあまりにリアルな描写に驚きの声が聞かれます。
人が生きる以上、この手の問題を完全に解決することは難しいでしょう。それでも敢えて社会福祉問題に切り込んだこの社会派作品を、柏木ハルコベスト1位に推したいと思います。
いかがでしたか? 柏木ハルコの語り口は超1流、読者の心に何かを訴えかける作品ばかりです。今回ご紹介した漫画以外にも優れた作品はあるので、興味の湧いた方は是非とも一度柏木漫画を手に取って頂きたいです。