三味線の音色、花魁の嬌声、流れる涙。花街の世界にようこそ

更新:2021.12.12

「女による女のためのR-18 文学賞」という文学賞があることをご存知でしょうか。 新潮社主催の文学賞ですが、少々縛りがあることが特徴です。まず、応募できるのは女性だけ 。そして、「R-18」指定、つまり性をテーマにした大人が楽しめる作品が対象です。「花街」というテーマでおすすめな本を考えたとき、この文学賞の受賞作の中に、最適な作品がひとつありました。

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宮木あや子作「花宵道中(はなよいどうちゅう)」

主人公は吉原の女郎、朝霧(あさぎり)です。吉原が火事で全焼したため、深川八幡前の仮宅が舞台となっています。あるとき、朝霧は妹女郎と一緒に八幡様の縁日に出かけます。そこで、運命の男に出会います。男は朝霧を女郎と知っても蔑まず、脱げた草履を人込みから探し出してくれます。そして、草履の鼻緒に使われていた青い牡丹の花を見て言います。
「この鼻緒の友禅。俺が染めたんだ、京都で」

自分の草履の鼻緒が、目の前にいる親切な男の手によるものという運命的な偶然 。男の指が朝霧の指に絡みつくと、朝霧は恋に落ちてしまいます。しかし、朝霧は女郎です。仕事として好きでもない男の宴会に出ることになります。馴染みのお大尽吉田様の宴会に出ると、なんとそこに運命の男が同席していました。

好きな男の目の前で、好きでもない男におもちゃにされる朝霧。実は彼女は、酒が入ると肌に花が咲くという体質なのです。吉田屋はその珍しい花を、染め物職人の男に見せるため、朝霧の合わせを開きます 。そこには、羞恥心に苦しむ朝霧がいます。それを面白がる吉田屋のえげつなさ。

その後、吉原の掟を破って、男と逢うことになります。朝霧の夢だった花魁道中の真似ごとをしてくれた男。そして、木にもたれかかって身を任せる朝霧。吉田屋様の時とは大違いの積極的な性愛シーンは、読みごたえがあります。

鮮烈な官能描写、それも女性の立場での感覚表現にどきどきしました。



 

著者
斉木久美子
出版日

さて、「花宵道中」は平成の作家さんに書かれた小説ですが、本物の花魁が書いた日記もあります。 
 

森光子作「吉原花魁日記」

花魁をテーマとしたフィクションは数知れずありますが、実話にはなかなかお目にかかれません。一気に読み終え、読み終えたと同時にまた最初から読み返してしまいました。それほどの衝撃でした。

どんなふうに騙されて身売りされるのか、商売内容を知らず吉原で暮らす日々。そして、いよいよ水揚げ。

この本の中にはいくつか黒塗りの部分があります。
例えば、十九歳の春駒が商売内容を十分把握することなく、初めての客をとる場面。

「客が部屋へ連れて行ってくれと言うけれどもどうしたらよいのでしょう?」
おばあさんは、「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」と言った。
ここのおばあさんのセリフ、三行が黒塗りです。おばあさんは何と言ったのか、なぜ黒塗りにしなくてはならないのか。今の時代の私には想像することもできません。 

前述の「花宵道中」の女郎は一夜に一人を相手にする設定でしたが、「春駒」は一夜に何人もの男の床に、何度も入ってゆかねばならず、夜は眠ることを許されません。実際の吉原女郎は、恋に燃える暇も体力もない過酷な労働現場だったことがわかります。 
 

著者
森 光子
出版日
2010-01-08

次に紹介するのは古い作品です。

西口克己作「廓(くるわ)」

京都伏見の貫銀楼という遊廓を舞台に、明治から昭和の風俗が描かれています。

廓にはいつも貧しい女性が売られてくるのですが、時代の変遷とともに女性たちも廓主も考え方が変わっていきます。飢饉で食べ物がなくなった貧しい村の娘が、仕事内容を知らされず騙されて売られた明治時代。しかし昭和に入ると 、法律の改正で女性を借金で縛ることができなくなり、この商売は女性が行う自由業という建前になっていきます。

それでも、身を売るしか食べる方法のない女性が廓に自らやってくるのです。それは、未開放部落の人や原子爆弾で身体が不自由になった人など、時代が反映されています。日本人女性による従軍慰安婦の実態も書かれています。戦争の時代は、経済的に貧しい人も豊かな人も、平等に人を苦しめました。わたしたちの祖父母がどんな苦しみを乗り越えてきたのか、遊廓という舞台を通して想像することができるのです 。


 

著者
西口 克己
出版日

さて、時代を巻き戻して江戸時代です。
江戸時代には女郎や花魁(おいらん)と芸者とは、きっちり棲み分けていたようです。女郎・花魁は春を売り、芸者は芸を売るものでした。このような事実の知的好奇心を満たしてくれるのは、田中優子作「芸者と遊び~日本的サロン文化の盛衰」、そして相原恭子作「京都舞妓と芸者の奥座敷」の2冊です。

 

田中優子作「芸者と遊び~日本的サロン文化の盛衰」

江戸時代の初期に流行った女歌舞伎とは、どのようなものだったのでしょう。小説のなかから一部を引用してみます。 

「16歳ばかりの遊女5・60人が伽羅を焚きしめた豪華な着物の袖や裾を翻して踊る。そのたびに劇場は異国情緒豊かな香りが立ち込め、動き入り乱れ袖が舞い踊った。遊女たちは床几に腰をかけて三味線を弾いた。鼓や笛にまじって何丁もの三味線の音が響き、『夢の浮世にただくるへ、とどろとどろと鳴るは雷も、君とわれとの仲をばさけじ』と歌い踊るのだった。それを見る者たちは『今生の夢の浮世なり。命もをしからじ。財宝もをしからじ』と心狂ったという。」

少女が数十人で恋の歌を歌って踊る様子、それを見る観客が心酔する様子は平成アイドルのステージのよう ですね。それに売色がセットにされていたとしたら、命もお金も惜しくないと思う男性も現れるのでしょう。

この女歌舞伎が人心を惑わすため、幕府は危険と考え禁止します。禁止後、芸能と売色を分離して、官許の吉原遊郭を設立したのです。

売色は吉原に吸収されましたが、芸能は庶民の娘に引き継がれました。大名や旗本など経済力のある武士は三味線を弾く芸能人を宴会に招きました。唄や踊りの達者な娘は武家に奉公できるということで、親たちは娘を三味線や踊りの師匠につかせたのです。これが芸者の下地となっていきました。そして、宝暦の始めから寛政7年くらいまでが芸者の最盛期となり、「みめよき娘はみな芸者になる」と言われ たそうです。
 

著者
田中 優子
出版日

江戸から明治までの江戸・東京を舞台にした「遊び」について知りたい方は、この作品をぜひどうぞ。

 

相原恭子作「京都舞妓と芸者の奥座敷」

一方こちらの作品では、京都の花街について詳しく知ることができます。普通の女の子が、京都で舞妓・芸者になるとします。一体どのように仕込まれていくのでしょうか。これまで花街を舞台にした本を読んできて、「それが知りたかったんだ!」と思うことを教えてくれます 。

例えば、10代前半のおぼこい舞妓さんも、数年を経ればおねえさんらしくなります。そうすると、「髷かえ」といって髪型を変えます。また、「襟かえ」をして、華やかな赤い襟をすっきりとした白襟にします。昔はこの「髷かえ」や「襟かえ」の儀式に「水揚げ」が入り、芸者は経済的後ろ盾になる自分の旦那をもったようです。しかし、今の時代は職業としての舞妓や芸者であり旦那制度はなくなったようです。

芸者さんの使う言葉や季節の行事を知ると、幕末の志士を支えた芸者さんの考えていたことや大事にしたことを想像できます。 新撰組のメンバーや、坂本龍馬・木戸孝允、伊藤博文もこの世界に遊んだのでしょう。時代を変えた彼らの後ろにいた女性の姿。それはとても興味深いです。 
 

著者
相原 恭子
出版日

京都に遊びに行く前に一読をお勧めします。

関連して楽しめる作品があります。伊藤博文から援助を受け、芸者から女優に転身した貞奴を描いた山口玲子作「女優貞奴」です。 

 

山口玲子作「女優貞奴」

さて、突然ですが、豆知識です。1000円札で見慣れている伊藤博文は、幕末に下関で芸者見習いだった「お梅」を妻としています。武家出身の正妻おすみと離縁しての結婚でした。

明治になって伊藤は梅子や子ども達と東京で暮らします。そして、初代総理大臣など政治の中心で仕事をします。政界に生きる者の暗殺が行われることも何度もあり、政治的批判の凄まじい時代でしたが、伊藤は「ほうき」とあだ名をつけられました。それは、「女が掃いて捨てるほどいる」という意味です。芸者遊びを楽しみ、多くの芸者と馴染みになり、子を産ませたのです。伊藤には5人の子どもがいます。嫡男は養子である親友井上馨の甥、博邦。そして、梅子の産んだ娘、生子。その他の3人は、全て母の違う子ども達です。

伊藤の実の娘生子が18歳の時、この本の主人公である貞奴は15歳でした。芸者として伊藤に水揚げされます。伊藤が神奈川県の夏島に憲法の草案を創りに行く時も側にいて、海水浴などしています。貞奴は乗馬に水泳、伊藤の勧める遊びは何でもこなし上達しました。そして、伊藤に身受けされ自由になって、川上音二郎の妻となります。そして、演劇の世界に入ります。それから、とんでもない苦労をしていくのです。

ひとりの女性の「ひゃー、ありえない」という生きざまが、小説でなくノンフィクションとして書かれた作品。あまりにも刺激的な人生です。のんびりとした穏やかな生活をされている方は、これを読むとアドレナリンが大量分泌されて元気になってしまうかも。
 

著者
山口 玲子
出版日

最後に紹介するのは、横浜の外国人相手の遊廓「岩亀楼」を舞台にした作品です。

有吉佐和子作「ふるあめりかに袖はぬらさじ」

演劇として何度も上演されている有名な作品です。ペリーの通商条約以降、横浜には外国の商人が駐在し日本との商売をしていました。その外国人相手の廓がありました。有名なのは岩亀楼(がんきろう)です。今も横浜ドームの庭園の中に、「岩亀楼」と書かれた石灯籠があります。

外国人を相手に色を売る女郎を洋妾(らしゃめん)と呼んでいました。当時の女郎達は外国人を相手にすることを望んでいなかったため、容姿の劣る女性が高い値段で外国人の客を取るという意味です。

病気の女郎亀遊(かめゆう)は通訳の藤吉と恋に落ちます。藤吉の持ってきてくれた薬と恋の力で元気になり、また客を取ることになります。しかし、アメリカ人イリウスが洋妾の女は気に入らず、日本人相手に客を取るはずだった亀遊を気に入ります。亀遊は好きな藤吉の前で、客を取る話が進むのに耐えられず、別室で自害してしまいます。

人のうわさも75日と言いますが、75日たった後で攘夷党の志士たちが岩亀楼を訪れます。彼らは一枚の瓦版を持っていました。「異人嫌いの亀遊、懐剣で見事な最期。水茎のあと麗しき辞世一首」とのこと、藤吉が恋しくて剃刀で自害したはずが、「異人に身を汚されるのが嫌で、家に伝わる懐剣で喉をひとつき」したことになっており、字も読めなかったはずが、達筆で「辞世の歌を詠んだ」ことになっていました。

「露をだに、 いとふ倭(やまと)の女郎花(おみなえし)、 ふるあめりかに袖はぬらさじ」
この一首 がその歌だというのです。

岩亀楼の主人や芸者のお園が商売や保身のために便乗して、亀遊を攘夷女郎として持ち上げて行きます。その変わり身の早さが面白くて、にやりと笑ってしまいました。さすが、有吉佐和子先生。脱帽です。





 

著者
有吉 佐和子
出版日
2012-09-21

岩亀楼の主人や芸者のお園が商売や保身のために便乗して、亀遊を攘夷女郎として持ち上げて行きます。その変わり身の早さが面白くて、にやりと笑ってしまいました。さすが、有吉佐和子先生。脱帽です。
 

三味線の音色、花魁の嬌声、流れる涙。花街の世界を楽しんでいただける本をご紹介してきました。 
いつの日か、瀬戸りん子の芸者さん小説を読んでいただける日がきますように。

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