水上勉のおすすめ代表作6選。『雁の寺』で直木賞受賞

更新:2021.12.18

水上勉は福井県出身の直木賞作家です。社会派と呼ばれ人間を描き続けた作家で、その文章は真に迫ります。魅力は苦労人でもある彼の生み出す独特の雰囲気。常に対象と向き合い、じっくりと本質を描きだす筆致は多くの人を魅了しています。

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水上勉は福井出身の直木賞受賞作家

水上勉は福井県の棺桶職人の元に生まれました。生家は貧しく、9歳になった水上は京都にある臨済宗の寺に預けられ、小僧として修業することとなりました。しかしその寺の住職は妻と映画や観劇にばかり出かけ、水上勉は家事や子供の世話をさせられることに。過酷さに耐えかねた水上は寺を抜け出し逃げ出します。その後、寺に連れ戻され、他の寺に移されるのですが、この時に募らせた寺の腐敗への憎しみはのちの作品へも大きな影響を与えます。

10代のうちに寺を出た水上勉は小説を書きながら、なんと31種もの職業を転々としますが、なかなか評価されませんでした。しかも複数回の結婚と離婚の経験、長男(作家の窪島誠一郎)と離れ離れになる等、家庭環境にも恵まれているとは言えませんでした。

その後行商をしていた時期に松本清張の『点と線』に出会い、推理小説へと傾倒していきます。そして水上勉は社会派推理作家として目覚め、日本探偵作家クラブ賞を受賞しますが、推理小説に行き詰まりを感じ、次第に「人間を描きたい」と強く思うようになります。

ありのままの人間を貶めず、また誇張したりせずに描ききる文体が特徴的です。水上勉の文に影響を与えたであろう、こんなエピソードがあります。水上の娘は足が不自由で、骨盤の手術を受けなければなりませんでした。麻酔で眠る娘を見つめていた水上は、娘がうわごとのようにある人物の名前を呼ぶ姿を目にするのです。その人物とは、娘が幼い時分から献身的に世話をしてくれていたお手伝いの名前でした。それを聞いた水上勉は親の愛を超える愛を知り、軽々しく愛という言葉を使わないようにしようと思ったと書いています。

哀しい人の心理を丁寧に描き切った水上勉の小説

直木賞を受賞した「雁の寺」。

京の寺の住職慈海は、友達の絵師の遺言で、妾の里子を自分の妾にし、愛欲三昧の生活を送ります。その寺の小坊主慈念は気にしていない様子で生活をしていました。しかし、慈念の生い立ちを知った里子が慈念と交わった時からすべての歯車が狂っていきます。

京都の寺で見習いの小僧が和尚に憎悪を抱き、殺人へ身を落としていく様が悲しく描かれています。この憎悪の描写ですが、少年時代に京都で小僧として勤めていた水上の体験をベースに書かれているので、堕落した寺への鬱積した思いが非常に丁寧に表現されていて恐ろしくも感じるでしょう。

ある種、水上勉の仕返しのような小説で、映画化もされているのですが、当時、お寺の関係者からかなり批判されました。しかしこれだけ生々しく描かれていれば納得してしまう内容なので、トリックの斬新さも合わせておすすめです。

著者
水上 勉
出版日
1969-03-24

「越前竹人形」も映画やドラマで好評を博した小説です。

村で竹細工を作っている男と遊郭で働いていた女性、この2人が懸命に幸せをつかもうとしますが、過去の過ちや人の悪意が次々と立ちはだかります。望まぬ妊娠をし苦悩する女性を男はどう受け入れるのでしょうか。

テーマは重いです。その分、人の生き方まで考えさせてくれるのは、この物語を覆う悲しい美しさが悲恋の哀しさを越えているからでしょう。何もかも受け入れて幸福になろうとする2人と、ラストに満ちた無常感が何とも言えない余韻を生んでいて、このあたりが水上勉節というところでしょう。

辛い目にばかりあう2人ですが、文章の端々から作者による2人への愛情があふれていますし、人間の罪深さや美しい生き様を読み手に投げかけてくれることでしょう。

犯罪から社会を見る。社会派の真骨頂

『飢餓海峡』は実際に起こった海難事故をテーマに書かれた作品です。

海難事故による遺体を整理しているとき、身元が分からない2つの遺体が発見されます。警察は犬飼という男が2つの遺体と関係があると見ますが、犬飼の施しを受けて好意を持った八重の嘘で捜査は難航。

そんな中、八重は新聞の写真で犬飼に似た実業家を見つけます。その男が本当に犬飼なのかどうか、遺体と犬飼の関係性、警察の捜査はどう進むのかなど、物語が進むにつれて謎はどんどん深まっていく展開がスリル満点です。

この時の、八重が犬飼を追って東京で生活をする話が中心となって展開していきますが、特に戦後の東京の切迫した生活がリアルに描かれています。ですので、当時の風俗に興味のある人には大変参考になるでしょう。

著者
水上 勉
出版日
1990-04-08

水上勉の書く社会派推理小説の最高傑作であるこの作品は、社会の問題に鋭く切り込んでいます。貧困の為、娼婦になるしかなかった女性や食べる物に困る民、服役後社会復帰できない受刑者たち。そんな社会的弱者たちに寄り添い、励ます水上勉の声が聞こえてくるような筆致が魅力的です。

犯罪者を通して社会を見つめるこの展開のさせ方は松本清張と並び称された水上作品の大きな特徴です。トリックの突飛さこそ本格ミステリにはかないませんが、心の奥底をじんわりと動かされる社会派ミステリの旨味が味わえることは間違いなしでしょう。

現代に生きる我々に昔の人々の力強さを伝えてくれる『飢餓海峡』は推理小説としての面白さも兼ね備えた、必読の水上勉作品です。

これぞ人間、破天荒な僧の伝記文学

水上勉自身と似通った人生を歩んだ一休が生まれるところから、まさに亡くなるところまで、逸話を交えながら紐解いていくのが本作『一休』です。

78歳の時に30歳の盲目の女と女色に耽る話など、特に性のテーマに水上勉は着目しており、解説や引用をしながら生涯を眺める流れが批判的なユーモアに溢れています。この辺りからも水上の茶目っ気がうかがえますね。

あの有名な一休の話ですが、一休は僧侶でありながら肉を食い、酒は飲み、男色や女色に手を出すなどの衝撃的な逸話を残した人物ですが、最近ではそういった一面も多く語られ、有名かもしれません。

著者
水上 勉
出版日

実は一休の生きた時代は武家が力を持ち始め、あちこちで農民一揆が起きるという動乱の時代なんです。この世の地獄で一休の選んだ生き様は確固たる信念に覆われ、読み手を圧倒するでしょう。

一休はただ単に修行をし、お経を読むだけでなく、動乱の世で生きる同じ時代の人々を見つめたのではないかと考えられます。ともに飯を食い、ともに酒も飲む。このようないちばん近いところで人間を見つめる一休の生き方を、水上勉は見つめたのでした。そうして完成した本作は、人間をひたすらに描いてきた水上が一休という人間を通して書いた哲学書の様でもあります。

放火犯の人生をたどる!ノンフィクション大作

水上勉の本作は『飢餓海峡』と同様に実際の事件をモデルにして書かれています。

事件を要約すると、1950年に金閣寺から出火。寺の見習い坊主だった林養賢が行方不明になり、捜索の結果、山の中で自殺を図ろうとして倒れていた養賢を発見、逮捕されるというもので、知っている方は多いかもしれませんね。

『金閣炎上』は舞鶴にある村の寺の子として生まれた養賢の出生から家庭環境、事件発生、決着までを終始事細かに記した内容で、事件資料としても相当優秀な仕上がりなのです。

というのもこの作品は事件後に水上勉が綿密な調査を行い、20年かけて書き上げた大作。犯人に寄り添うように書かれた文章はリアリティにあふれ、読み手は彼の人生を追体験することになるでしょう。

著者
水上 勉
出版日
1986-02-27

なぜ一人の坊主が寺に火を放つようなことをしたのか。水上勉は犯人の人生を丁寧に描くことで温かく思いやりながら紐解いていくのですが、その中で犯人の養賢とその母の墓を探し、最後には見つけます。そして犯人の人生に寄り添うかのように以下の一文を記しているのです。

「帰りに村人にきいてみると、母子の墓には、僧形の墓参者はひとりとてないとのことだった。 」(『金閣炎上』より引用)

犯罪者は犯罪者と、切って捨てられてしまう無常感を湧き起こされる気がしませんか?犯罪が悪いことなのは当然。しかしなぜ犯罪が起きるのか、我々にできることはないのかという所まで突っ込んだ水上勉の博愛を思い知らされた気がしました。

当時の日本社会の厳しさ、そして時代に揉まれた親子の生き様を、決して目をそらさず表現したこの作品は、いまの日本に生きる人にこそおすすめしたい本です。

日本人の心 人生が大切に思える名作

傷ついた桜を保護したり、後世へと保存したりする仕事、桜守。そんな桜守の桜を守りたいという温もりと情熱にあふれる作品です。

丹波の山村に生まれ、京都の植木屋で修行をした後、亡くなる時まで、桜の保護に人生を捧げた庭師弥吉の物語が綴られており、随所に散りばめられた桜のエピソードが素晴らしく、桜の景色が目に浮かぶ文章が美しい!

物語はそんな美しい情景を交えながら弥吉の視点で桜守の竹部の生き方を見つめ進みます。ダムの底に沈む桜を村人たちの熱心な願いに負けて移動させることを決めた竹部の考え方には、文明の発展と自然との付き合い方についての深い考察を感じ取ることができるはずです。

著者
水上 勉
出版日
1976-05-04

淡々と綴られているようで実は水上勉の人間への大きな愛情が込められた人間賛歌のように思います。

人間はどのように生きてきて、どのように生きるべきなのか。大きなテーマに挑戦していて素晴らしく、そのテーマもわかりやすく書かれています。大きなことは出来ないかもしれないけれど、それでも人々は想いを積み重ねて生きていく。そういった想いを桜守という人々を通して描いており、人生に迷いを抱いた人に読んでほしい水上勉の一冊です。

水上勉が書き上げた異色の精進料理エッセイ

少年時代、京都の禅寺にて養育されていたという著者。その時教え込まれた精進料理の数々は、読み手の側も思わず涎を垂らしそうになる一品ばかりです。

小かぶらの山椒味噌かけ、うどのあえもの、しめじ飯。土を喰う、というタイトルにもある通り、作中で紹介される料理はどれも大地の作物を調理したものばかりで、肉や魚の類、いわゆる生臭いものは一切使用されていません。丁寧に作りこまれているからこそ、素材に一切妥協を許さないというわけです。

それでいてタンパク質等の栄養源もしっかり確保できているところは、まさに昔からの積み重ねの賜物であり、工夫の勝利であると言えるでしょう。

また、個々の料理にまつわるエピソードも本作における見どころの一つです。例えば高野豆腐のエピソードでは、水上宅を訪れたイギリス人客に振舞ってみたところ、当のイギリス人がスープと勘違いして最後まで譲らなかった、というくだりがあります。

普段何気なく食べている料理でも、外国人の目から見ると思わぬものに見えている。なぜ高野豆腐をスープと勘違いしたのかはさておき、こうしたやり取りも本作を読み進めて行く上で見逃せないところです。

著者
水上 勉
出版日
1982-08-27

現代社会において、精進料理は独特の立場にある料理です。ファストフード、コンビニ弁当のような手軽さはなく、一流レストランや高級料亭の三ツ星料理のような高級感とも縁遠い。一般家庭で実演するにはあまりに手間がかかり、現代の飽食に慣れ切った人ほど異質に思える。そんな料理です。

ですが、そうした今だからこそ口にしてみる価値があるのではないでしょうか。「土を喰らう」ことで日々生きる糧を成し、数百年の時を重ねてなお絶えることなく積み重ねられてきた精進料理。

是非、この『土を喰う日々』を読んでその片鱗に触れてみて下さい。

水上勉の文章は人々を慈しむ心がたくさん詰まっています。苦難に満ちた人生を送った彼だからこそ持つことができた優しさがそうさせるのだと思います。美しく綴られた言葉から彼の見た人の生き方をのぞいてみませんか。

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