芥川賞受賞作品『僕って何』や『いちご同盟』で知られる三田誠広の作品からおすすめ作品を5冊選んでご紹介します。若者の心の動きを追いながら、自分の内面に目を向けてみる時間なんていかがでしょうか。
1948年大阪市生まれの三田誠広は小説のみならず、評論の本も多数世に送り出してきました。その源となっているのが、高校2年生の時に1年間休学して読書に没頭したことです。文系、理系問わず膨大な知識を得るのと同時に、「自分とは何か」といった内の世界についても思いを巡らせました。この時期に処女作『Mの世界』を書いて、文藝学生小説コンクール佳作に入選しています。
更に、大学時代が学生運動の真っ只中であったことも、作品に影響を与えてきたようです。早稲田大学第一文学部演劇専修を卒業し、4年間の取材記者の仕事を経て、1977年『僕って何』を発表しました。この作品で芥川賞を受賞し、プロの作家となったのです。
三田誠広のデビュー作であり、芥川賞受賞作品です。
東京の大学へ進学するために上京した「僕」は一人暮らしを始めます。知り合いはおらず、人と会話することなく過ぎていく孤独な大学生活。しかし学生運動に誘われて、他の学生と行動を共にするようになってから自分の居場所を手にした気がしました。心の安らぎも感じ始めていた矢先、自分の所属する派閥の暴力を目の当たりにします。
学生運動の渦中で「自分」を見失いそうになりながら必死にこらえる「僕」の日々が描かれた作品です。
- 著者
- 三田 誠広
- 出版日
- 2008-09-04
この作品を読むとまず、三田誠広自身も身を置いた学生運動の激しさに驚かれると思います。文の調子は淡々として穏やかなのですが、学生たちの行動が過激で、向こう見ずなエネルギーが充満しています。例えば次のような調子です。
「反A派のセクトの学生たちが乱入し大学側が機動隊を導入した。その小ぜりあいの際、たまたま付近に居合わせた一般学生に怪我人が出たことから、一般学生の間に大学側に対する不信感が広がり、闘争はA派の闘争方針をのりこえて急速にもりあがっていった。」(『僕って何』から引用)
読者を圧倒する学生運動の様子もさながら、作品の焦点となるのは、タイトルそのもの「僕って何」です。大学という未知の領域に足を踏み入れた若者の、自分への自信のなさと不安がひしひしと伝わってきます。ただでさえ脆いアイデンティティがぐらつくことに、痛々しさと愛おしさを感じるのは、誰もが通る道だからでしょうか。
最終的にたどりつく結末には意外にも温かさと切なさがあり、しんみりします。
主人公は都内の有名私立大学に通う4年生、水上亜紀です。亜紀の困難な就職活動を中心に、彼女の家族や友人それぞれの恋愛や人生が交錯します。ひたすら楽しく読める一方で、結構悲しいことも多々ある作品です。
- 著者
- 三田 誠広
- 出版日
軽快な会話が多く、ユーモア溢れる作品。読み始めたら一気に最後まで読みたくなるほど、テンポの良さが光ります。就職活動において未来を模索する女子の苦悩には、共感する部分が多いと思います。一例を挙げると、次のような亜紀の問いかけです。
「就職して、仕事をもちたいとは思っている。けれども、仕事だけが人生の喜びだとは思えない。では、人生の喜びとは何だろうか。」(『恋する家族』から引用)
また、タイトルに「家族」とあるように、家族の在り方についても考えさせられます。亜紀の家族は両親と兄とで構成されていますが、一癖も二癖もある面白いけれど厄介な人たちです。そんな家族が最終的には、一つにまとまるのか、あるいは、ばらばらになってしまうのか、是非読んでお確かめください。
仏教の思想を三田誠広が分かりやすく、やさしく解説した一冊です。仏教の考え方に、「なるほど!」と発見の連続です。日々悩みを抱えて暮らすあなたに生きるヒントをそっと与えてくれるかもしれません。
- 著者
- 三田 誠広
- 出版日
みなさんは、「十牛図」をご存知でしょうか?中国の宋朝時代に作られた「禅」の教科書で、10枚の牛の絵と短い解説文から成り立っています。
例えば1枚目は、一人の若者が山の中で牛を探している様子の絵です。この絵のタイトルは「尋牛」すなわち「牛を尋ねる」というもの。牛は「本当の自分」を表現しています。つまり、「十牛図」とは、「本当の自分」を探し、見つけて、手にする過程を10の段階にわたって説いたものなのです。
馴染みの薄いこの「十牛図」を三田誠広が一枚一枚丁寧に解説してくれます。時に、科学の概念を用いて斬新な解釈も披露しています。私たちが普段仏教を意識するのは、お彼岸やお盆、お葬式といった行事の場ではないでしょうか。しかしそんな「儀式」としての仏教が「興味の対象」と変わるきっかけをもたらしてくれそうな作品です。
中学生の北沢良一がある日いつものように学校の音楽室でピアノを弾いていると、突然現れた野球部のエース羽根木徹也から自分の野球の試合をビデオに撮ってくれと頼まれます。今まで口もきいたことがなかった徹也の申し出を、北沢は音楽のレッスンを口実に最初は断るのですが、「人の命がかかっている」という徹也の言葉が気にかかり引き受けることにしました。徹也は高校からスカウトされるほどの選手で学校では知らない者のいない有名人だったので、きっとプライドの高い嫌な奴だろうと勝手に想像していた北沢でしたが、初めて言葉を交わした徹也に好感を持ちます。
約束通り野球の試合を録画した北沢は、徹也からそのテープをもって病院に来るように言われ、そこで入院している直美という徹也の幼馴染の少女を紹介されます。徹也は直美に自分が野球をしている姿を見せたかったのでした。
直美は病魔に蝕まれすでに片足を切除されていましたが、弱々しさを感じさせず傲慢ですらあり、初対面から北沢を挑発するような言葉を投げつけてきます。北沢はそんな直美に戸惑いつつも惹かれていき、直美も北沢に特別な感情を示すようになるのです。しかし北沢は徹也の直美への気持ちを知っているため病院から遠ざかるようにするのですが、徹也は北沢にもっと直美に会いに行くよう頼むのでした。
- 著者
- 三田 誠広
- 出版日
- 1991-10-18
北沢の母は自宅でピアノ教師をしているのですが息子には教えようとせず、知人の教室に通わせています。北沢はそんな母に音楽高校に進学したいことを言い出せずにいました。母は最低限の家事をこなした後は生徒の指導にかかりきり、有名中学に進学した弟は勉強のため部屋にこもりきり、父は一家の稼ぎ手の地位を母に奪われたことから存在感をなくし、北沢の家族はいつの間にか会話することがほとんどなくなっていたのです。
それまでの北沢は、男子中学生が飛び降り自殺をしたという団地に行ってみたり、若くして自殺した作家の著書を選んで読んだりするような少年で、漠然と死というものに引き寄せられていました。ピアノを学びながらも本気で音楽学校に進みたいのか普通の高校に行くための受験勉強が嫌なのか、自分でも曖昧な状態で母への反発心を募らせていましたが、死に直面しながら毎日を生きている直美と接した事により北沢の中の何かが変わりはじめます。
直美の状態は悪化の一途をたどりますが、それでも直美の眼光は輝きを失わず真っ直ぐに力強く北沢を見つめるのでした。
15歳の北沢と徹也は、同じ歳で死んでしまう直美のために1つの約束を交わします。それはやがて別れてゆく少年たちの人生の共通の指針となり、支えとなるものでした。
少年たちの純粋な心の葛藤と決意が、切なくも清々しく心に残ります。
主人公の遠山直樹は幼い頃からバイオリンを弾いてきた高校2年生。音楽を愛していますが、音楽高校ではなく普通の公立高校を選びました。幼馴染の同級生のことが気になっていた直樹は、あるきっかけで、大人のピアニストの女性と出会います。2人の女性の間で揺れる中、直樹の両親の問題も絡んできて、17歳の日常が大きく変化を見せ始めます。
繊細で気丈な主人公の成長を音楽が彩ります。
- 著者
- 三田 誠広
- 出版日
『春のソナタ』という優しい響きのイメージとは異なり、なかなかドラマチックで濃厚な展開が待ち受けています。そんな筋書きにも劣らない魅力が、随所に散りばめられた様々な音楽の描写です。音楽というのは、表現の仕方が特に難しいものだと思いますが、三田誠広は見事に描いています。例えば、直樹がバイオリンを弾く場面。
「弓にかけるわずかな力の加減で、自分の気持ちが、音色の中に融け込んでいく。心臓の鼓動が、そのまま楽器に伝わり、弦と胴が切なげに振動する。音と、気持ちとが、いったいになる。」(『春のソナタ―純愛 高校編』から引用)
バイオリンを手にしたことがない人でも、その感覚が分かるような錯覚を覚えてしまいそうです。バイオリンという楽器の優雅な繊細さと力強さは、直樹のキャラクターに通ずるものがあります。直樹の演奏に気持ちを高ぶらせて、衝撃的な結末を見守ってほしいと思います。