教養

構造主義の父、クロード・レヴィ=ストロースのおすすめ本3選!

更新:2020.12.2 作成:2017.4.7

「親族関係の構造分析」や「未開社会の知性の再発見」など多くの仕事を手がけ、20世紀最大の人類学者とも呼ばれる文化人類学者・神話学者のクロード・レヴィ=ストロース。 構造主義の父とも言われる彼の思想を、その著作からご紹介します!

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レヴィ=ストロースの生涯と思想的背景

クロード・レヴィ=ストロースは1908年にベルギーのブリュッセルにて、ユダヤ人家系の両親の元に誕生しました。父親が画家であり、曽祖父が作曲家という芸術家一家の元に生を受けたレヴィ=ストロースは、幼少の頃より様々な芸術に触れて成長します。(ちなみに、この時フランスで流行していた日本の浮世絵にも親しんでおり、その経験から彼は日本の美術工芸に生涯関心を抱くようになったのです)

ソルボンヌ大学を卒業し、法学を学んだ傍らで哲学を学び、アグレガシオンというフランスで哲学の教授になる資格試験に合格しました。この資格の合格者たちによる教育実習の場で、レヴィ・ストロースはメルロ・ポンティやボーヴォワールと出会います。

その後2つのリセ(日本でいう高校〉にて哲学教師として教鞭をとりますが、大学時代の指導教官でもある社会学者セレスタン・ブーグレから「新しく開設されたブラジルのサンパウロ大学に社会学の教授として赴任しないか?」という打診を受けます。それを快諾したレヴィ・ストロースは、彼が当時興味を持ち始めていた民族学のフィールドワークを行えるという期待を胸にブラジルへと渡ったのでした。

ブラジル滞在中は、学生たちに社会学を教える傍ら、妻のリセと共にブラジル・サンパウロ州郊外を中心に民族学のフィールドワークに取り組みます。この時の様々な未開部族との接触やフィールドワークで得た体験が、後の彼の思想に大きな影響を与えることになるのです。

1940年にフランスに帰国後、兵士として召集されたレヴィ・ストロースは西部戦線に従軍しますが、フランスの敗戦により兵役解除となります。ナチスによるユダヤ人迫害から逃れるために一旦は南フランスの方へと避難しますが、その後アメリカへと亡命しました。

亡命先でもアメリカ先住民族の美術工芸品などの収集や調査などを行っていたレヴィ・ストロースは、ある時言語学者のロマン・ヤコブソンと出会います。言語学の中でも特に音声言語(話し言葉)における音素と呼ばれるものの言語構造学的な研究を行っていたヤコブソンから、言語構造学や音韻論の考え方を学んだことによって、ブラジルでのフィールドワークの際に発見した部族の親族関係を音韻論的な構造学によって説明する「親族構造論」という独創的なアイディアを考案することになるのです。

終戦後、多くの本を執筆

1950年にフランスに帰国したレヴィ・ストロースは『構造人類学』や『悲しき熱帯』など多くの著作や論考を発表し精力的に執筆活動を展開します。そして自身の生み出した方法論である「構造人類学」を世に広めていくのです。1959年にはフランス最高峰の学術機関コレージュ・ド・フランス(日本でいう東大のようなものですね)の教授に選出され、コレージュ・ド・フランスの歴史の中で初めて人類学系の講座として講義を行います。

コレージュ・ド・フランス教授就任と同時期に、レヴィ・ストロースの思想的関心は、未開社会の神話研究へと移り変わっています。1962年にはコレージュ・ド・フランスでの講義を元にした『今日のトーテミスム』や代表作の一つにも数えられる『野生の思考』などを発表し、近代西洋社会が「劣ったもの・野蛮なもの」として退けた未開社会の神話に見られる思想にも、近代西洋社会と同じくある一定の秩序や構造が見出せるとして再評価していくのです。

このように、社会構造や人間関係の構造の分析によって社会や人間のあり方を解明したレヴィ・ストロースの人類学は、これまでフランスで支配的だった、サルトルに代表されるような「実存主義」とは異なる世界観・人間観をもたらしました。事実、レヴィ・ストロースは『野生の思考』の中でサルトルの実存主義を厳しく批判し、人間の「実存」あるいは「主体」を中心に据えて展開される実存主義に事実上の死刑宣告を下すことになるのです。

これによって、フランスの思想界は従来のような実存のあり方を模索する方向から、あらゆるものの構造の分析から、世界の成り立ちや人間存在のあり方を思考するようになります。ですから、レヴィ・ストロースはまさに(決して本人は構造主義者と自称しませんでしたが)「構造主義の父」と呼ぶにふさわしい思想家だといえるでしょう。

世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。『悲しき熱帯』

1955年に発表された『悲しき熱帯』は、レヴィ・ストロースの人類学者としての原点とも言えるブラジルでの体験を綴った紀行文です。論文を基にして書かれた哲学書や思想書よりは遥かに読みやすく、エッセイ感覚で楽しむことができる一冊です。ですので、レヴィ・ストロースの著作に触れる入り口としてはこの一冊が最適なのではないでしょうか。

とはいえ、この『悲しき熱帯』においても彼の思想のエッセンスや未開社会に対する鋭い分析眼は随所で光っています。出版当時にも近代西洋中心主義を切れ味よく批判したことから話題を呼び、現在でも文化人類学や構造主義における最重要書物として高い評価を受けています。
著者
レヴィ=ストロース
出版日
『悲しき熱帯』は文化人類学や哲学の領域での評価だけではなく、優れた記録文学としても高く評価されています。本書が〈文学〉として高い評価を受けるのは、その暗喩的あるいは詩的な文体が影響しているのでしょう。 

日本における本書の訳者である川田順造氏の前書きにて

「観念の世界を描く著者の筆の、時に重苦しいまでの克明さにくらべて、可視的な世界の記述の、何としばしば具体性を欠いていることか。事物の時間・空間の中での位置や展開、物の作り方についての記述には、どれほど注意深く読んでも、私には結局解らなかったところが何箇所もある。」(『悲しき熱帯 Ⅰ』 p.22)

とも書かれていることからもわかるように、本書は実際にブラジルで体験した出来事を記録した紀行文でありながら、その体験を客観的な筆致で記録した書物ではありません。むしろレヴィ・ストロースの思考や分析によって一旦分解され、そして再構築された彼の体験が観念的な世界が記された書物だと言えます。読者である私たちは、いわばレヴィ・ストロースのまなざしを通して、ブラジルの未開社会を眺めることになるのです。

レヴィ・ストロースは『悲しき熱帯』の中でブラジルの未開社会についての記述を行いますが、その随所で旅とは何か?社会とは何か?近代性とは何か?といった省察を挿入しています。彼はブラジルの内陸部やアマゾン川付近に暮らす未開民族たちの生活や文化を克明に記録しながら、逆に「西洋文明とは一体何なのか?」「ある文化と別の文化を比較し、優劣を判断することが果たして可能なのだろうか?」といったことを内省するのです。

もちろん、これらの問いに対して本書の中でも簡単に回答が導き出されることはありません。なぜなら、レヴィ・ストロース自身が行ったような〈フィールドワーク〉という行為自体が、ある一つの社会・文化に依存した物差しに基づいて別の文化を推し量る行為に他なりませんし、そのような方法によって記述された異文化の記述は決してその文化や文明の「ありのままの姿」を描き出すことはないからです。

レヴィ・ストロースはこの矛盾に対して非常に自覚的であったことが本書からも伺い知れますし、そのことがむしろ後の彼の「ある社会の持つ構造を分析することで社会の有り様を記述する」という方法論をより強固にしているといえるでしょう。

『悲しき熱帯』は以下のような言葉で締められています。

「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。制度、風俗、慣習など、それらの目録を作り、それらを理解すべく私が自分の人生を過ごしてきたものは、一つの創造のつかの間の開花であり、それらのものは、この創造との関係において人類がそこで自分の役割を演じることを可能にするという意味を除いては、恐らく何の意味も持っていない。」(『悲しき熱帯Ⅱ』p.425)

レヴィ・ストロースはブラジルでの旅の紀行文を最終的には「人間とは何か」という深い洞察によって締めくくっています。世界の有り様は人間の有る無しに関係がないという彼の考えは、後に人間中心主義的な実存主義を批判し、その思想に終止符を打つことを彷彿とさせます。

『悲しき熱帯』はブラジルでのフィールドワークの記録というレヴィ・ストロースの人類学者としての原点を知ることができると同時に、後の彼の思想の萌芽とも言える「近代とは?西洋とは?未開とは?」という問いや「人間とは何か?」という問いに対する思索の痕跡をたどることができる一冊なのです。

人間本来の「知」は残り物チャーハンである?『野生の思考』

パンジー(三色スミレ)の絵が表紙の可憐な一冊が、1962年に発表されたレヴィ・ストロースの代表作『野生の思考』です。表紙のパンジーはフランス語の「思考(pensée)」と「パンジー(pensée)」の綴りが同じというところから来ています。『野生の思考』は多くの国で翻訳、出版されていますが、どの国の本の表紙にもパンジーが描かれています。
著者
クロード・レヴィ=ストロース
出版日
1976-03-30
レヴィ・ストロースは『野生の思考』の中で、人間の〈知〉についての考察を行っています。中でも自身が調査を行ったブラジルの先住民たちをはじめとした未開民族の持つ〈知〉や〈思考の方法〉に注目しました。

先に見たように、言語学者のヤコブソンから構造主義の考え方を学んだレヴィ・ストロースは、ブラジルで出会った未開民族たちの暮らしぶりや儀礼、彼らの中で語り継がれている伝説や神話などが、決して野蛮かつ未熟なものではなく、むしろ極めて明晰な論理的思考に基づいているものであることに気づくのです。レヴィ・ストロースはこの未開民族の持つ知や思考を〈野生の思考〉と名付けました。

『野生の思考』が執筆された頃の西洋近代社会においては、科学に基づく合理的思考こそが正しく、先進的な物の考え方であるという考えが支配的であり、未開民族の習俗や彼らの持つ神話的世界観などは、非合理的で非論理的なもので、未開社会は西洋近代社会に比べて未熟で劣っていると考えられていました。レヴィ・ストロースは、そのような考えを「科学至上主義」に陥った西洋近代社会の一方的な偏見でしかない、と厳しく批判するのです。

では、レヴィ・ストロースは未開民族がもつ〈野生の思考〉のどのようなところに構造や論理的な思考を見出したのでしょうか。ここはレヴィ・ストロース自身が提出した〈ブリコラージュ〉という概念を考えてみると理解が易しいでしょう。

〈ブリコラージュ〉は、例えるならば冷蔵庫の残りで料理を作るようなものです。「コラージュ」という語が含まれていることからも伺い知れるように、〈ブリコラージュ〉とはあり合わせの素材を組み合わせて一つの新しいものを作り出すことを言います。

つまり、わざわざ材料を買って料理を作るのではなく、冷蔵庫の残り物を組み合わせてチャーハンを作るのが〈ブリコラージュ〉というわけですね。未開民族の暮らしには、近代社会にあるようなあるものを作り出すためだけの部品というものは存在しません。彼らは手近に落ちている木の枝で火を起こし、寝床を作ります。もし木の枝がなければ別のもので同じことをするでしょう。神話なども、彼らの生活の身近にいる動物や経験した気候などを組み合わせて世界の成り立ちを説明したものだと言えます。

このように目の前のあるモノに対して別のモノとの関係性を考え(雨が降ると洪水が起こる)、さらにその関係性と類似する別の関係性を連想して(雨が降ると蛇が出る)、再構成し(雨が降って蛇が出ると洪水が起きる)、それらの事象に異なる意味を与えることで(蛇は水の神である)、新しい「構造」(=神話)が生まれます。これこそが〈野生の思考〉です。

〈野生の思考〉の特徴は具体的な記号を用いることだとレヴィ・ストロースは言います。部族間の人間関係から神の存在、世界の成り立ちに至るまで〈野生の思考〉においては自然界にある動物や植物などを当てはめて記号とするのです。

例えば私たちは親族関係を「叔父・叔母・甥・姪」などのような抽象的な概念によって区別しますが、未開社会においては具体的な動物の関係と親族の関係を当てはめて(例えば狩りをする生き物であるライオンを叔父、狩られるシマウマを姪という風に)区別します。(この時の動物をトーテムと言います)

西洋近代社会が抽象的な「概念」を用いて世界を構造化するのに対し、未開社会は具体的な「記号」を用いるという相違こそあるものの、理論と仮説によって新しい構造を生み出す点については両者は同一でありそこに優劣はない、というのがレヴィ・ストロースの主張になります。

むしろレヴィ・ストロースは、理性と感性を切り離さない豊かな思考の可能性を〈野生の思考〉に見出したのです。その眼差しこそ、レヴィ・ストロースが20世紀最大の人類学者と呼ばれる所以なのでしょう。

人間社会の本質は贈与である『火あぶりにされたサンタクロース』

最後にレヴィ・ストロースの著作の中でも少し変わった一冊『火あぶりにされたサンタクロース』をご紹介します。この本の元になった論文は1952年にサルトルの依頼を受けて「レ・タン・モデルヌ」という雑誌に掲載されました。

この著作の中でレヴィ・ストロースは1951年にディジョンという街で起きた、キリスト原理主義的な聖職者や信者たちの手によって子供たちの眼の前でサンタクロース(の像)が火あぶりの刑で処刑されてしまうというショッキングな事件を取り上げ、ユニークなクリスマス論を展開しています。
著者
クロード・レヴィ=ストロース
出版日
2016-11-25
クリスマスというお祭りは今でこそキリスト教のお祭りとして知られていますが、元々は古代ローマやケルトの異教の祭りがベースとなっています。

12月(冬至)の頃は、太陽の力が最も弱まるため、古代ローマやケルトの「異教の民」たちにとって最も危険な季節でありました。昼が短く夜が長くなり昼と夜のバランスが大きく崩れるこの季節には、生者と死者の世界のバランスも崩れ、生者の世界に死者たちが侵入してくると信じられたのです。

そのため、冬至の頃に行われる冬至祭りには死者に扮した者たちが登場し、人々はその死者の霊たちに贈り物を与えてご機嫌をとることで、彼らのもたらす災いから逃れ世界のバランスを取り戻そうとします。この時の死者役には、まだ生者の世界にやってきて日の浅い(=死者の世界に近い)子どもが担いました。祭りの夜、子どもたちは死者に扮して家々を回り、供物を集めて歩きます。

このようにして、死者の霊や異形の者を表す存在に贈り物をし、親切にすると災いから逃れられるという信仰が生まれたのです。この異教の祭りをキリスト教は巧みにイエス・キリストの生誕祭であるクリスマスに取り込みました。ですので、クリスマスの前には十二夜の祭りとして、死者の霊(に扮した子供達)が夜の街を跋扈する祭りが行われていたのです。

ところが19世紀ごろになると、クリスマスの前段であるこの十二夜の祭りが公序良俗に反するとして問題視されるようになります。子供達が夜の街を練り歩くことが問題とされたのですね。そこで、新たに十二夜の祭りの夜に子どもたちが家の中でおとなしく「いい子」にしていると、「鞭打ち爺さん」がどこからともなく現れ子どもを脅しながらも贈り物を与えて去っていくという風に祭りが変化していきました。(鞭打ち爺さんが、子どもを脅すという悪霊色を残していたのは十二夜の名残ですね)

さらに鞭打ちじいさんも時代が下るにつれ悪霊色が薄まり、キリスト教の伝統において子供の守護聖人である「聖ニコラウス」に取って代わられるようになります。このようにして私たちが現在よく知っている優しい白ひげのおじいさんである、セント・ニコラウス、すなわちサンタクロースが誕生したのです。

冬至の祭りからも伺えるように、かつての古代社会では冬はギフトを互いに贈り合う「贈与の季節」であると考えられてきました。ですから冬至の祭りでは死者に扮した子供達に贈り物を贈り、クリスマスではサンタクロースがプレゼントを配ってくれるのも、古代社会の「冬は贈与の季節」という〈野生の思考〉の名残だと考えられるのです。

この「贈与の季節」という野生の思考は近代の資本主義ととても相性の良いものでした。なぜなら盛大な贈り物を贈与し合うという行為は、巨大な経済的な利潤を生み出すことになるからです(現在のクリスマス商戦を思い浮かべれば一目瞭然ですね)

近代において、クリスマスは巨大な商戦を繰り広げる祭りへと変貌しました。現在私たちがよく知る赤い服に白いひげの恰幅の良い老人というサンタクロース像を作り出したのが、近代資本主義の象徴であるコカ・コーラ社であることは非常に示唆的です。

最初に紹介したサンタクロースが火あぶりになった事件が起こった当時、フランスでもアメリカ式のいわゆるサンタクロースが一躍人気者となり、サンタクロースとともに近代的な消費文化が流れ込んできました。このような風潮に危機感を抱いたキリスト原理主義的な聖職者や信者たちは、サンタクロースが引き連れてきた消費文化(=贈与の季節)と共ににかつての異教が復活してきたと考え、サンタクロースを〈異教徒〉として処刑しようとしたのです。

レヴィ・ストロースはこの一連の過程から、消費文化におけるクリスマスという〈近代〉においても「贈与の季節」や「死者との(供物)の交換」といった〈野生の思考〉がその底流に今も脈々と息づいていることを鋭く指摘しました。〈野生の思考〉は現在でも私たちの生活の中に確かに根付いているものであり、決して過去の遺物でも遅れた不完全な思考でもないことが分かります。

未開社会の習俗や神話を構造的に分析することで、西洋近代社会の思考体系とは異なる〈野生の思考〉を見出すことに成功したレヴィ・ストロース。

彼の最大の功績は、その〈野生の思考〉が決して未熟なものでも劣ったものでもなく、むしろ近代化された社会においても〈野生の思考〉は確かに根ざしていることを再発見したことにあるのではないでしょうか。

そんなレヴィ・ストロースの発見した〈野生の思考〉は、社会構造が複雑化したり、科学技術が急速に発展してより科学偏重の思考が支配的になっている現代こそ顧みられるべきものなのかもしれません。