昭和天皇について知れる5冊の本。戦前戦後の日本の舞台裏をひも解く

更新:2021.12.18

昭和天皇は歴代天皇の中で最も長い64年も在位しており、世界大戦という大きな出来事のあった時代を務めた人でもありました。戦前戦後の天皇はどういう役割を果たしていたのか、どんな気持ちだったのかが分かる本をご紹介します。

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戦後、日本の象徴となった昭和天皇とは

昭和天皇は1901年、青山御所で後の大正天皇の第一皇男子として生まれました。称号は迪宮(みちのみや)、名を裕仁(ひろひと)と明治天皇に命名されています。1912年に明治天皇が崩御され、父親が大正天皇となり、皇太子となりました。

1921年、ヨーロッパ諸国を歴訪し、帰国後は大正天皇の病状が悪化していたために20歳で摂政となります。日本史上54年ぶりの摂政で、皇族としては1235年ぶりのことでした。1924年久邇宮邦彦王の第一王女である良子(ながこ)女王と結婚。1925年には第一女子・照宮成子内親王が誕生しています。

1926年大正天皇崩御に伴い、第124代天皇となり昭和と元号を改めます。4人の皇女誕生の後、1933年に第一皇子、明仁親王(平成天皇)が誕生し、待望の男子誕生に祝賀ムードとなりました。

1941年、天皇は対米英開戦を御前会議で決定します。しかし戦争を始めたものの敗戦は避けられない状況へ。1945年3月10日に東京大空襲が起こったことをきっかけに、ポツダム宣言を受け入れることとしました。8月10日に終戦の聖断を発表、8月15日には国民に終戦を知らせる玉音放送を行っています。

戦後1946年に日本国憲法が施行され、天皇は日本国、及び日本国民統合の象徴として位置付けられることとなりました。国際親善のため、1971年には皇后と共にヨーロッパ諸国へ、1975年にはアメリカを訪問しています。1976年に在位50周年記念で国営昭和記念公園が作られ、1986年には在位60周年記念式典が行われました。歴代天皇の中で在位期間が最も長い天皇となっています。

1987年から体調不良となり、1989年1月7日に87歳で崩御。昭和天皇と追号されました。海洋生物や植物の研究も余暇をみて行い、著作も数多く発表しています。相撲、武道、野球などスポーツも好み、多くの試合を観戦しました。

昭和天皇のあなたが知らない10のトリビア

1. 日本史史上最大領土の保有者

即位したのは1926年のことでした。当時、大日本帝国憲法の定義上、天皇が国の主権者でした(この仕組みを欽定憲法と言います)。

天皇が即位したのち、領土が拡大し、1942年に最大の面積となりました。最大領土面積は約7,400,000㎢。これは人類史上19番目に大きな領土です。 ちなみに人類史上最大の面積を保有していた国は大英帝国で、面積は約33,700,000㎢です。

当時の日本、つまり昭和天皇が保有する領土は、北はアッツ島、東はギルバート諸島、南はチモール島、西はアンダマン諸島まで拡大していました。 海洋面積が極めて広いのが特徴です。

2. 玉音放送はアナログレコード盤の再生放送

1945年、第二次世界大戦を終わらせる勅命(天皇の命令)が下されました。 天皇・元老・閣僚・軍部首脳が一堂に揃い、御前会議を開き、『大東亜戦争終結ノ詔書』という文章で、戦争の終結やその理由、今後の方針がまとめられました。

ただ、戦争終結に際し、大多数の国民に一度に内容を知らせるのは困難で、外地の兵隊などもおり、協議の結果『大東亜戦争終結ノ詔書』を昭和天皇が音読をし、ラジオで放送して国民や兵隊に伝えることが決まりました。

しかし、宮内庁側からラジオ局のマイクの前で直接お話をすることに対し、難色を示す声が上がりました。 そこで、皇居で録音し、それをレコード盤としてラジオ局に持ち帰り、録音を流すという形で放送されたのです。

それまで天皇の姿を一般市民は見ることができず、その声を聞いた人は政府要人など極めて限られていました。ですから、内容に加え、天皇が直接語りかけたラジオ放送に多くの国民は驚きました。

録音は二度行われたので、レコード盤は主と予備の二枚が存在。現在、レコード盤はNHK放送博物館に保存・展示されています。

3. 英語とフランス語が得意

海洋生物学の研究者で、フランス語と英語で論文を発表しています。また、当時の皇室では英語教育がなされていました。天皇は英語での日常会話ができるほど英語力が高く、フランス語は海洋生物研究の論文が執筆できるほどの能力を持っていました。

しかし、外交上の重要な海外の要人との会談では正確な意思疎通を行うために、通訳が同席しています。 例えば、終戦後の占領統治時代、天皇とGHQ(連合国総司令部)総司令官マッカーサーとの会談時などは日米の通訳が同席していました。

4. ロシアのプーチン大統領に昭和天皇即位時の刀が贈られた 
 

2016年9月2日、ロシアのプーチン大統領が来日し、日露首脳会談が行われました。 その際、日本の安倍首相がプーチン大統領に鎧と兜を贈りました。 プーチン大統領は、ロシアが所蔵していた、天皇が「即位の礼」で身につけた刀を安倍首相に贈りました。

昭和天皇の「即位の礼」は1928年です。オランダ経由でロシアに所蔵されたと言われています。

5. 愛刀は大元帥佩刀(大元帥刀、天皇佩刀)

天皇は第二次世界大戦中、軍の最高司令官の大元帥でした。 大日本憲法施政下の天皇は大元帥なので、明治天皇、大正天皇、昭和天皇の三名は軍の式典や戦争中は軍服型の御服を着用し、軍刀を持つのが慣例でした。

軍刀は明治時代初期の軍で佩刀する刀剣は西洋型のサーベルでした。 1934年に軍刀に関する法律が定められ、日本古来の刀剣の形状を元に作られた新軍刀が広く普及しました。 これ以降、サーベル型の軍刀は旧軍刀と呼称されます。

大元帥である昭和天皇の大元帥佩刀は二振りあり、それぞれ陸軍仕様、海軍仕様でした。 大元帥刀の外装(柄や鍔などの拵え)は陸海軍の軍刀剣類に準じており、陸軍式御服着用時は陸軍の刀を、海軍式御服を着用時は海軍の刀を佩用していました。

6. 日本国政府専用機は昭和天皇が由来

第二次大戦後の1954年、国民体育大会開会式から帰京する天皇と皇后のために、初の皇族向け特別機が千歳空港から羽田空港間で運航されました。これが皇室・政府専用機の始まりです。

当時、特別機として使用された機体は「ダグラス DC-4」というレシプロの小型機でした。 使用される特別機はチャーターでしたが、1991年には政府専用機のボーイング747という大型のジャンボジェット機を導入し、以降は政府専用機が専属機として活躍しています。

7. 皇太子時代には歩兵をしていた

天皇は皇太子時代、近衛歩兵第一連隊附の歩兵でした。これは当時の皇室教育の一環で、欧州のノブレス・オブリージュ(高貴なる者に伴う義務)の考えから、皇太子が歩兵を務めるのが慣例となっていたからです。

近衛歩兵第一連隊は十ある近衛部隊の中でも、際立ったエリート部隊で、所属することは大変な名誉とされていました。 この部隊は1874年に編隊され、元々は西郷隆盛が率いた御親兵が母体です。天皇の父である、大正天皇もこの近衛歩兵第一連隊に所属をしています。

8. 家庭教師は日露戦争の英雄、陸軍大将の乃木希典

多くの教育係、家庭教師がいましたが、中でも陸軍大将の乃木希典を教育者として尊敬していました。

例えば、乃木大将が「殿下はどうやって学校に来られますか?」との問いに、皇太子時代の昭和天皇は「馬車で来ます」と答えます。 しかし、乃木大将は「これからは雨の日でも歩いてきてください」と厳しく言いました。 その日からは皇太子時代の天皇は、どのような時も歩いて登校するようになりました。

このような質実剛健な教えは、天皇に深い感銘を与え、のちの記者会見の中でも度々紹介しています。 1912年、乃木大将は明治天皇の崩御を受け殉死します。 乃木大将を敬愛していた天皇は事件を知り、彼の辞世の歌にも接して涙を流し悲しみました。  
 

9. 昭和天皇の食事は驚くほど「普通」

現人神と言われるほど、普段の生活は隠されていました。しかし、実際の生活は質素で、特に食事は驚くほど「普通」でした。

朝はコーンフレークかオートミール、昼や夜はご飯にお吸い物、魚や奈良漬けなどの和食、オムレツなどの洋食と、三食は極めて庶民的です。天皇はお酒も飲まなかったことでも知られています。

10. イギリスの元帥も兼ねていた

天皇は当然、日本の大元帥です。しかし、同時にイギリス軍の元帥を兼ねていた時期もあります。 1921年には名誉陸軍大将(General)に任官、1930年には正規軍(Regular army)の陸軍元帥(Field marshal)に任官されました。

当時、イギリスでは平時に、海外の国の最高権威者に、儀礼称号として元帥を付与する慣例があました。 日本人では他に大正天皇、他国ではドイツ帝国のヴィルヘルム二世やロシア帝国のニコライ二世などがイギリス軍の元帥の称号を有しています。

昭和天皇の政治的考え方が分かる本

政治に関してどのような思いを持っていたのか、ということを多くの一次史料を使って論じていく本作。昭和天皇が出来上がっていく課程を知ることができる生い立ちから、第二次世界大戦中の役割、戦後の苦悩までその生涯を丁寧に追っていきます。天皇の実像を掴むことができる良書です。

著者
古川 隆久
出版日

昭和天皇は立憲君主制を理想とし、平和主義で全く戦争を望んではいませんでした。しかし軍も政府も開戦を推進し、とうとう国民全ての思想が戦争へと傾いてしまうのです。天皇自身は政治に関わるべきではないと考えていた天皇が、それを止めることができたでしょうか。本書を読み進めていると、国民一人一人に戦争責任があったのだとハッとさせられます。

しかし天皇は全く政治に口を出さなかったわけではなく、決断していることも多々ありました。だからこそ間違った判断もあったと著者は言います。天皇について平等な目で眺め、客観的に論じているので、どんな人にも読みやすく昭和史についても詳しくなることができます。天皇はどのような考えを持っていたのか、本書により少しは理解できることでしょう。

昭和天皇に戦争責任はあったのか

本作は敗戦の天皇責任について言及している本です。発売当時に話題となっていた『昭和天皇独白録』を資料としながらしっかり検証していきます。著者は、天皇は単なるお飾りではなく政治に口を出していたものの、戦争責任から逃れるために実権のない天皇だったという姿にねじ曲げられたというのです。天皇について改めて考えさせられます。

著者
吉田 裕
出版日
1992-12-21

『独白録』は、天皇の苦悩から生まれたものなのか、政治的に作られたものなのかということは、発見当時から意見が分かれていました。本書では明確な理由を述べながら、『独白録』は戦争責任回避のための政治的文書だとしています。

本書に描かれる敗戦時の軍部やGHQ、宮中の動きは、おそらくは表に出てこなかったことでしょう。天皇制という国の体制を必死に守ろうとする上層部を見ていると、国民のことを本当に考えてくれていたのだろうかと疑問に思ってしまうほどです。昭和天皇も積極的に関わっていたといいます。戦争責任は軍だけにあると思っている人にとっては、目から鱗の本となるでしょう。

戦後における政治的活動とは

本書では、2014年に公開された『昭和天皇実録』をベースに、戦後の日本において天皇がどのような役割を果たしていたのかということを検証していきます。天皇が象徴天皇であるがため、また共産主義の脅威から逃れるため、天皇は政治的介入を行っていたのです。今まで知り得なかったことを、知ることができる必読の書です。

著者
豊下 楢彦
出版日
2015-07-29

天皇制を守るためにマッカーサーに働きかけ、自らの戦争責任を回避し、さらに臣下にその責任の全てを押し付けたと書かれています。天皇とは象徴であるから、軍やGHQに言われるままだったと思っている人も多いかもしれません。しかしそれは作られた天皇像かもしれないのです。本当の昭和天皇は政治に積極的に動いていたと知り、驚くことでしょう。

本書は戦後の天皇の実像を明らかにしており、読者に日本についてもっと考えを巡らせることを促しているようです。

戦後に行われたトップ会談の内容とは

戦後、天皇とマッカーサーは11回の会談を行いました。その内容についてははっきりと分かっていないのですが、本書ではその会談の全貌に迫っています。多くの資料にあたり、戦前から戦後にかけての天皇の外交政治について論じていきます。

著者
豊下 楢彦
出版日
2008-07-16

本書では天皇の戦争責任、マッカーサーと共に象徴天皇という制度を作り上げたことなどに言及していきます。天皇に対する考え方はそれぞれ違うでしょうから、この本の内容は数ある意見の1つです。ただし信憑性のある資料をもとに検証しており、著者が述べる天皇の姿は1つの側面と言えるでしょう。

戦後直後の日本のことは、特に戦後に生まれた人たちにとっては未知の時代かもしれません。しかしだんだんと明らかになっていく真実の歴史について、日本に生きている私たちは知っておかなければならないはずです。本書は天皇の実像を知るためにも必読と言えるでしょう。

敗戦直後、昭和天皇の気持ちとは

本書は、1990年に『文芸春秋』で公表されたものを文庫化したものです。敗戦直後の1946年に、側近に対して5回に渡り、戦前から戦中のお気持ちを語りました。世界大戦の開戦と敗戦の理由は何だったのか、二二六事件について、日独伊三国同盟について、御前会議とはどんなものかなど、数多くの事件や出来事について天皇の考えていたことがまとめられています。

著者
["寺崎 英成", "マリコ・テラサキ・ミラー"]
出版日

当時戦争へと傾く論調の中、昭和天皇は冷静な目を持ち、平和的解決を模索していたことが分かります。多くの情報をきちんと把握し、政治的考えもしっかりしていました。しかし政治に口を出せば専制君主となってしまいます。

「開戦の際東条内閣の決定を私が裁可したのは立憲政治下に於ける立憲君主としてやむを得ぬ事である。もし己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、これは専制君主と何ら異なる所はない。」(『昭和天皇独白録』より引用)

このように立憲君主を目指していた天皇にとっては、開戦は避けられないものだったのです。天皇の苦悩する姿が浮かび上がり、人間らしさを目にすることができます。

この独白録が歴史上どのような位置付けになるのかということは、常に議論され続けています。巻末に4人の評者の意見も座談会として収録されていますので、参考にしつつ読むと良いでしょう。

昭和天皇について少しはイメージがまとまったでしょうか。天皇という外から見えない場所にいる人については、資料を参考にするしかありません。ぜひ様々な意見の書籍を読み、自分なりの考えをまとめてみてください。

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