『ブエノスアイレス午前零時』で芥川賞を受賞した藤沢周のおすすめ小説を、本文から引用しながらご紹介します。『アメトーーク!』でオードリーの若林正恭さんがおすすめしていた『オレンジ・アンド・タール』の見所もお伝えします。
藤沢周の出身は新潟県。法政大学文学部卒業し、翻訳、編集者などの仕事をした後、『ゾーンを左に曲がれ』(『死亡遊戯』と改題)で作家デビューします。
いくつかの作品を書いた後、藤沢周は『ブエノスアイレス午前零時』で芥川賞を受賞。また、2004年から法政大学で大学教授として教鞭を執り、「日本文化論」、「文章表現」などの授業もしています。趣味は剣道で、そこから『武曲』という剣道がテーマの小説もあります。
小説を書くにあたって、藤沢周自身としては「世界の実相を切り取る」ことを重視しているとのこと。読者は、場の流れ、雰囲気、空気感、そういったものに注意を払いながら楽しむといいのではないかと思います。
藤沢周が描く『オレンジ・アンド・タール』はスケボーにはまるカズキが主人公の小説です。
授業をまともに受けず、頭痛で保健室に行けばアスピリンを求めるカズキ。彼は江ノ島の弁天橋下で段ボール生活をしている伝説のスケートボーダー、トモロウを尊敬しています。そんなカズキですが、過去に同級生のキョウが校舎から飛び降りたことを今でも引きずった、何とも名状しがたい悶々とした日々を送っています。
- 著者
- 藤沢 周
- 出版日
- 2010-12-09
青春小説なので、青年に特有の悩みについても書かれていて、読んでいて昔の自分と重なり、共感できると思います。あんな大人にはなりたくないという嫌悪感、自分はこれからどうやって生きていけばいいのだろうか、どうしたら今の状態から一歩進んだ自分になれるのか、そんなことばかり考えていたあの時期。きっと過去の自分を思い返すと思います。
ここでは魅力の1つであるスケボーの描写をご紹介します。次の文章はカズキがスケボーの技を決めている時のものです
「静寂。宙で一瞬死ぬ。消滅。この世界から向こう側に消えたと思ったら、また、ものすごいエネルギーを体じゅうに吸いこんで持ち帰ってくるのだ。その時のウィールの音が雷鳴みたいで(以下略)」
(『オレンジ・アンド・タール』より引用)
テンポといい、表現といい、読めば読むほどのめり込んでいくとこ間違いなしの藤沢周作品です。
藤沢周の『箱崎ジャンクション』はタクシー運転手が主人公の小説です。
主人公の室田は、突然胸が苦しくなるなどの症状を呈するパニック性障害を隠し、それを抱えながら職務をこなす日々を過ごしていました。彼はタクシー運転手でありながらわざと渋滞が名物の箱崎ジャンクションにいつも入り込み、そこで精神安定剤を服用することを常としています。あるとき、川上という、同じくタクシー運転手の男を乗せてから彼の生活は動き始めます。
- 著者
- 藤沢 周
- 出版日
「ずっとアスファルトの上を走っているじゃないか。なんか、このゴーッていう振動音が腹の中に染みついて、どんな長距離の客を拾っても同じ所を走ってる感じがしないか、室田さんよ。」
(『箱崎ジャンクション』から引用)
川上が室田にしゃべりかけているシーンですが、タクシー運転手の苦悩、そしてどのような思いで走っているのかが直に伝わってくるような文章です。
このような感覚はタクシー運転手だけでなく、読者も日常の中で同じように感じることがあるでしょう。毎日同じ時間に起きて、同じ時間に家を出て、同じ時間だけ仕事をして、同じ時間に寝て、休日には寝だめをして……。日々は過ぎ去っていくのに、過ぎ去っているはずなのに、自分は何も変わっていない気がする。そんな風に読んでみると面白いのではないでしょうか。
文章はとても読みやすく、共感できる部分も多いですので、おすすめしたい小説です。
『焦痕』は気軽に読める短編集です。まずタイトルがどれも秀逸で、藤沢周のユーモアセンスが光っています。
- 著者
- 藤沢 周
- 出版日
まずは表題作である「焦痕」について紹介します。終電に乗り遅れてしまい、しかたなく新橋までタクシーにのり、そこから深夜バスに乗った男。今日はついていないといったようなところで、新たに乗ってきた男は、実は幼少期を一緒に過ごした幼なじみだったのです。
2人で過去を振り返る場面では、内容的には割と重たいはずなのですが、相手の男のとぼけたような感じがそれを中和していて面白く読めます。雰囲気を出すために、実際にバスに乗っている最中に読むのもいいのではないでしょうか。
次に紹介するのは「腹が痛い」という、なんともタイトルが気になる藤沢周の短編小説。
ある日、かつて共に会社で働き、社内恋愛の末、結婚した女から夫が不倫をしているのではとの電話が入ります。まさかあの男がそんなことをするはずがない、と思いつつも探りを入れる主人公。
ここからあのタイトルとどうつながっていくのか、そんなことを考えながら読むと、一種のミステリーになります。最後のオチは必見ですよ。
これまたタイトルが気になる「ぷちぷち」ですが、今回の主人公は珍しく佐久間という女性。デザイナーの井原に催促の電話をするところから始まり、そこからさまざまな出来事に対しての内情がこまかく挟み込まれます。
「殺すわよ、あんたッ。」「あんた達も、殺すよッ。」
(『焦痕』より引用)
これらは佐久間がイラッときたときに出てくるフレーズですが、このような言葉が出てくるたびに、笑えてきて、読んでいて痛快です。藤沢周のおすすめ短編小説集、ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
『雨月』はラブホテルが舞台のちょっと変わった藤沢周の犯罪小説です。
茨城にあるゴルフ場が閉鎖され、それに乗じて鶯谷にある古いラブホテル「雨月」で働くことになった男。ここで淡々と働き、仕事にも慣れてきてようやく1年が過ぎた頃、北海道からきたという謎の女性田中裕子がやってきます。ある日、裕子は泊まっていた雨月の一室で鏡に知らない人間が映っていると言い始めると、そこから事件が起こり始めるのです。
- 著者
- 藤沢 周
- 出版日
- 2005-02-10
作中では4人の女性、田中、畠山、佐々木、杉原といった人たちが登場します。これだけの数の女性を、それぞれの個性をうまく出しつつ、描き分けていくのは非常に難しいと思うのですが、藤沢周は緻密な描写、その他諸々の技術を駆使して見事に描ききっています。
また、この作品は舞台設定からも察せられるように、かなりエンターテインメント的な要素が多分に含まれていて、普段芥川賞作家の本を読まないという方にはぜひともおすすめしたい1冊。官能的な場面があり、ホラーもあり、サスペンスも含まれています。藤沢周は純文学、エンターテインメント、そんな分野を股にかける人物であることが認識できます。
『武曲』は藤沢周が手がける剣道をテーマにした長編小説で、2017年に映画化もされます。
ラップ好きの高校生、羽田融はちょっとした諍いがきっかけで、大切にしていたiPhoneを剣道部の部員に持って行かれてしまいます。その後剣道部のもとへ向かうと、なぜか防具を無理矢理つけされられて、勝負をする羽目に。剣道などしたこともなく、右も左も分からないような状態の融。そんな中で融はなぜか勝ってしまい、コーチの矢田部に才能を見込まれ、剣道をしていくことになります。
- 著者
- 藤沢 周
- 出版日
- 2015-03-10
あらすじだけ見ると、なんということはない青春小説ですが、やはり芥川賞作家の藤沢周の作品なだけあり、設定や描写はひと味違います。例えば、冒頭の部分を見てみると……。
「雪の一片でも、桜の花片でも、突かねばならぬ。斬るのではない。不規則に揺れながら闇に散る桜の花びらに息を凝らしてみて、このがんじがらめの居突きがすでに駄目なのだ。残像の揺らめきは確実に追えるのに、その今まさに動いている新しい一点に攻めの気持ちが届かない。」
(『武曲』から引用)
まず入り方が秀逸。かなり手が込んでいて、一気にこの小説に引き込まれていきそうな、そんな力強さがあります。
また、設定に関しては、高校の剣道部のコーチである矢田部と彼の父親との関係性。矢田部はかつて、自身の父親を剣で打ち負かしてしまい、父親は入院、寝たきりを余儀なくされています。この親子関係に羽田がどう関係していくのか、そこも見所だと思います。
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いかがだったでしょうか?どれもおすすめの小説ですので、藤沢周の描き出す空気感を味わいながら読んでみてくださいね。