杉田玄白の逸話6選!専門は性病!?『解体新書』の翻訳や前野良沢との関係も

更新:2017.4.22

杉田玄白は『解体新書』の翻訳者として有名です。当時辞書などもない中で、どれだけ苦労して翻訳を成し遂げたのでしょうか。翻訳の様子、他の蘭学者との関わりがよく分かる本を集めましたので、ぜひ読んでみてください。

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『解体新書』で日本医学を進歩させた杉田玄白とは。

杉田玄白は江戸時代の蘭学者、蘭方医です。オランダ語の医学書『解体新書』を翻訳し、蘭学と医学の発展に貢献しました。この苦労の様子を書いた『蘭学事始』のほか、著作も多くあります。

杉田玄白は、1733年に若狭国小浜藩医の子として生まれました。家業であった医学の他、漢学も学びながら成長。1752年には小浜藩医となりました。このとき若干19歳です。

そして1757年、25歳の時に江戸で開業し、平賀源内や中川淳庵と知り合い、他の蘭学者との交流がはじまります。その以前、1754年に行われた山脇東洋による人体解剖にも大きな興味を持ちました。

1765年にオランダ商館長やオランダ通詞らが江戸へ来た時に、オランダ語の難しさを教えられ、学ぶことを断念するということもありました。1769年には父が死亡したために、家督と侍医の職を継いでいます。

1771年、杉田玄白はオランダ語の医学書『ターヘル・アナトミア』を入手。文字は読めませんでしたが、図版の解剖図が正確であることに驚き、これを和訳しようとします。そして、前野良沢らとともに3年間試行錯誤を繰り返し、『解体新書』を完成させました。

1776年には藩を出て再び開業し、「天真楼」という医学塾も開きました。優秀な医師として多くの外科手術を行っています。その後、1817年、83歳にて死去しました。

杉田玄白にまつわる逸話。専門は解剖学ではなく性病!

1:幼少期は勉強嫌いだった

偉大な功績がある杉田玄白ですが、生まれた時から才能に恵まれた人間だったのかというとそういうわけではありません。

小浜藩の医師の子として生まれた玄白は、当然のように幼少期から医学を学ばされていました。しかし当時の彼は医学書を読んでもいまいち理解することができず、自分がその道に進もうなどとは思っていなかったようです。

医学を勉強するようになった理由は、2人の兄が早世したり他家に養子に出てしまったりしたことで、仕方なくということでした。

2:幕臣、間宮林蔵とは遠戚だった

武家は地縁血縁でつながっていることが多いのが特徴ですが、玄白もそのひとりで、同時期に活躍し、オホーツク海峡やシベリアを探検した幕臣の間宮林蔵と祖先が同じでした。

杉田家は元々戦国大名後北条家に仕えた武将ですが、当時は間宮と名乗っていました。この時代にいた間宮康俊という人物は北条綱成の一族に代々仕え、豊臣秀吉の小田原攻めの際に戦死しています。この康俊の子孫が徳川家康に仕えて、それが間宮林蔵にまでつながるといわれているのです。

康俊の弟も北条滅亡後に家康に仕えてから笹下中里陣屋を領地としてもらいます。これが杉田という場所で、この子孫が杉田玄白です。

杉田家は本来は武家でしたが、玄白の祖父の代から医者となり、彼で3代目でした。

3:本来の専門は解剖学ではなく梅毒だった

梅毒は有名な性病ですが、日本では戦国時代からずっと蔓延していて問題となっていました。江戸時代になると医者たちは梅毒を根絶するために研究を開始します。玄白も医者としてあらゆる病を診てきましたが、通常業務のなかでもっとも関心があったのが梅毒治療でした。

元々日本にはなかった病であるといいますが、いわゆる鎖国という江戸幕府の貿易制限政策は、大陸からもたらされる病原体やウィルス蔓延を防ぐという意味もあったのかもしれません。

4:五臓六腑に疑問を持ち蘭学と出会った

当時の医学の常識では、中国の陰陽五行説に従って五臓六腑という消化器系と共に精・気をつかさどる器官があるとされてきました。しかし山脇東洋という医者は、カワウソや死刑囚の解剖をおこなうことで、これに疑問を呈していました。

彼の功績によってそれまで人体解剖を禁止されていた日本でも解剖学が認められるようになったのですが、玄白もこれをきっかけにそれまで信じられていた根拠無き学問に疑問を持つようになりました。

杉田玄白の『解体新書』にまつわる逸話。前野良沢との関係は?

1:死をも辞さない覚悟でオランダ語を翻訳した

玄白がオランダ語の習得を諦めたのは有名ですが、それでも『ターヘル・アナトミア』の翻訳を諦められなかった彼は、死をも辞さない覚悟で取り組むことになります。

しかし当時はオランダ語の辞書もろくにない時代。それに玄白自身も語学に精通しているわけではなく、日々徹夜の過酷な作業であったのは想像に難くありません。3年かかってようやくひと通りの翻訳が終わり、1774年に幕府に献上されました。

この時の玄白は「人はいつ死ぬかわからない。私はもう若くないし、あちこち調子も悪い。のんびりやっていたら、草葉の陰(あの世)で翻訳の完成を見ることになる。」と心境を語っており、非常に焦っていたと考えられています。

2:前野良沢の名を隠した

『ターヘル・アナトミア』の翻訳は、杉田玄白・前野良沢・大槻玄沢の3人が中心となっていました。しかし実際は玄白も玄沢もまったくオランダ語が読めなかったので、翻訳作業自体はほぼ良沢がおこなっていたといいます。

しかし良沢とて、決して語学が完全なわけではありません。そのため最初の翻訳は誤訳が多く、その後何度か修正されています。

本来なら良沢の名で出版されるべき『解体新書』ですが、彼は完璧主義者で、最初に幕府に献上した時点でも本当ならまだ見せられる段階ではないとしていました。これに対し玄白は、病気がちでいつ自分が死ぬともわからない不安から、まずは幕府に知ってもらうことが先だと言って結局献上することとします。

すると良沢はこれに同意する代わりに、自分の名は伏せてくれとお願いするのです。

後世、あたかも玄白ひとりの功績であるような言われ方をする『解体新書』ですが、実際は前野良沢の貢献度も大きかったのです。
 

杉田玄白の汗と涙の結晶!文庫版でどうぞ

杉田玄白といえば、まず思い浮かぶのがこの『解体新書』でしょう。江戸時代であった1774年、オランダ語の医学書『ターヘル・アナトミア』を、杉田玄白と前野良沢らで翻訳したものです。

蘭語を学んでいたものの、読み書きはまったくできなかった玄白たちが、苦労しながら3年もの期間をかけて完成させたこの本。医学関係だけではなく、蘭学の発展にも役立ったといわれています。

著者
出版日
1998-08-10

医学書というのは専門用語が多く、語学に長けているものでも翻訳は難しいものです。それを翻訳初心者がおこなうのですから、どれだけ時間がかかり、困難の多い作業であったことでしょう。

彼らは、創造力を駆使しながら、「門脈」「神経」「軟骨」「動脈」といった言葉を作り出しました。今でも使われている言葉もあり、彼らの才能には驚くばかりです。

目や鼻などの体の各部分から、血管、内蔵に至るまでを正確に解剖した原本に、玄白は感動し翻訳することを決意するのですが、私たちはその翻訳された書の完成度の高さに感動することでしょう。この講談社学術文庫は、小さいので図版が見にくいという欠点はあるかもしれませんが、手軽に入手でき手元に置いておくのにちょうどいい本としておすすめです。

杉田玄白が書き残した『解体新書』翻訳の苦労談

晩年に杉田玄白が書いた『蘭学事始』には、蘭学がどのように日本に入り広まっていったかというところから、オランダ語の研究、そして『解体新書』を翻訳したときの様子が詳しく書かれています。

臨場感に溢れた記述は、私たちに新たな知識と気付きを与えてくれることでしょう。玄白が「蘭東事始」として書いていたものを、古写本として手にした福沢諭吉らが『蘭学事始』として刊行しました。

著者
杉田 玄白
出版日
2000-01-07

本書の1番の読みどころは、やはり『解体新書』をめぐる場面です。玄白が実際の解剖を見て感じた驚き、外国の医学書に触れて思ったことなどが、本人の手で書かれているので、読者もまたその様子を実際に見聞きしているように感じます。そして苦労しながら翻訳を続ける姿に感動すること間違いありません。

『解体新書』には、翻訳者として前野良沢の名前が入っていないので、玄白が本書を発表するまで良沢が参加していたことは広く知られていませんでした。しかし実は良沢が中心人物であったことが本書を通してよく分かるのです。教科書では学べない解体新書にまつわる真実がここにあり、玄白の情熱や良沢の完璧主義の姿がひしひしと伝わってきます。

平賀源内を始めとした他の蘭学者のエピソードもおもしろく、当時の雰囲気が身近に感じられる一冊です。本書から、蘭学と医学の歴史を正しく学び取れることでしょう。

玄白と良沢、道が分かれた2人の人生とは

小説『冬の鷹』の主人公は、玄白と共に『解体新書』を書き上げた前野良沢です。良沢は、翻訳した仲間たちの中で唯一オランダ語を学んだことがある人物でした。

なぜ『解体新書』に良沢の名前は書かれなかったのか、玄白と良沢の人生はその後どう変わっていったのか、2人の生き方が描かれています。

著者
吉村昭
出版日
1976-12-02

明るく人気者で人付き合いも良かった杉田玄白。一方で学者肌で人を寄せ付けず、殻にこもっていた前野良沢。まったく対照的に思われる2人が、オランダ語の医学書を翻訳したいという点で同じ気持ちになり、一緒に作業を始めます。

オランダ語の翻訳作業は難しく、苦難の連続で、読んでいるだけでこちらまでくじけそうな気持ちになります。そんななかで諦めずに3年かけて完成させた2人の姿は、読者に感動を与えてくれることでしょう。

しかし研究成果で名声を得ることを良しとしない良沢は、玄白とは反目することとなり、結局『解体新書』に名を残すことはありませんでした。その後2人はまったく違う人生を歩みます。どちらが正しいとは言えない考え方に、読者それぞれの意見があることでしょう。現代の生き方の指針としても参考になるはずです。

子どもから大人まで読める!杉田玄白初心者におすすめの一冊

NHKの教育テレビで放送されていた「にんげん日本史」の内容をまとめ、書籍として出版されたものが『杉田玄白 ― 蘭学のとびらを開いた一冊の書物 』です。

小学6年生向けの番組だったこともあり、本書は子どもにも分かりやすく、読みやすいものとなっています。なおナビゲーターは、いっこく堂でした。

著者
小西 聖一
出版日

『蘭学事始』を元に話は進んでいきます。単に文章が並べてあるだけではなく、要所要所でいっこく堂からの質問やコメントが入るので、内容がすんなりと頭に入ってくるのです。重要なポイントがすぐに分かり、杉田玄白の業績を詳しく知ることができます。

玄白が翻訳に苦労した様子が手に取るように分かるので、目的に向かって努力することや物事を成し遂げることの大切さを子どもたちに教えることもできるでしょう。鎖国の日本にあって蘭学を学び、さらにその発展に貢献していく玄白の情熱や生き方がしっかりと伝わってきます。

もちろん子どもだけではなく、大人の方にも手にとって欲しいおすすめの一冊。特に玄白についてほとんど知識がない人にぴったりです。

玄白について新たな知識を発見することはできましたか?大変な苦労をして成し遂げた『解体新書』は、日本の医学を劇的に発展させました。その後の日本に大きな影響を与えることができる人物というのはやはり偉大ですね。ぜひその心に触れてみてください。

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