明治天皇は、明治維新を経て明治新政府と日本の近代化を引っ張っていった人物です。天皇なしでは、今の日本の天皇制度も、憲法も、近代国家もあり得ないことだったかもしれません。そんな明治天皇の生涯や人間性を知れる本を集めました。
明治天皇は、日本の第122代天皇で、名は睦仁(むつひと)、幼名は祐宮(さちのみや)です。質素な生活を送り、天皇の威厳保持に努めました。乗馬や蹴鞠、和歌を好み、和歌に関しては詠歌を約10万首も残しています。記憶力も良く、精力的に仕事をこなし、日本の変革期を率いた人物でした。
1852年11月3日に京都の中山邸で誕生。孝明天皇の第2皇子で、母親は中山慶子です。ただし孝明天皇の第1皇子は早世していたため、次期天皇としての教育を受けながら成長していきます。1867年に孝明天皇崩御のため、14歳という若さで122代天皇となりました。翌年一条美子を皇后に迎えています。
天皇に即位したころは、幕末の動乱の時期でした。1867年11月に、徳川慶喜が大政奉還を実施。形式上政権は朝廷に戻りましたが、はっきりと天皇中心の新政府を作るために、討幕派は「王政復古の大号令」を発しました。そして鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争を経て、新政府軍は旧幕府勢力を鎮圧したのです。
1868年、明治政府の基本方針を示した「五箇条の御誓文」と、新たな官制を定めた「政体書」を発布。また、一世一元と定めて明治と改元し、都を東京に遷しました。そして1869年には版籍奉還、1971年には廃藩置県を行い、近代国家・明治新政府を作り上げていきます。洋風の衣服や髪型が取り入れられたり、鉄道ができたりと文明開化が進みました。
1889年「大日本国憲法」を公布し、初めて天皇の権限が明記されました。これにより、立憲君主制の基礎が出来上がったと言えます。1894年日清戦争、1904年日露戦争では、明治天皇自らが大本営で指揮を執り、勝利。日英同盟も締結し、列強の仲間入りを果たしました。
1912年尿毒症が悪化し、61歳で崩御。神宮外苑で大喪の礼が執り行われ、陸軍大将であった乃木希典夫妻など、多くの人が殉死したと言われています。
1:無類の刀剣マニア
お気に入りの趣味の一つは「刀剣集め」でした。 帝のコレクションした刀剣は300振り以上あり、一期一振、菊一文字、正宗、小烏丸など名刀がズラリとありました。
そんな中、もっともお気に入りだった刀剣は「水龍剣」です。 これは1872年、正倉院を改装中に見学しに行った明治天皇が、無銘の直刀の刀身を見つけます。 その直刀に惚れ込んで持ち帰り、金の彫刻拵を造らせ「水龍剣」と自ら命名した特製剣です。以降、これを佩剣にしました。
佩剣は「水龍剣」ですが、御枕刀は備前長船、常用刀には正宗、軍刀には国広などと、場面に応じ、刀剣の使い分けもしており、秀でた刀剣の好事家であったことが伺えます。
2:海外で大人気
欧米を始め、世界各国で大人気です。 その知名度は他の歴代の天皇の中でも非常に高く、海外諸国からの勲章・栄典も多い天皇です。
明治天皇の時代、日本は鎖国から近代国家へと移り変わり、天皇を元首に、明治維新を成し遂げています。 天皇は世界史でも稀に見る、近代化を成功させた国家元首です。 ですから、明治維新の元首の明治天皇とその偉業は、今なお海外で高い評価と注目度があるのです。
例えば、トルコ共和国の初代大統領のケマル・パシャは寝室に明治天皇の肖像画を飾って尊敬していました。 オスマン帝国の皇帝、アブテュルハミト2世皇帝も親書で天皇を讃えています。
3:ハワイ王国の王女と縁談話
明治中頃、ハワイは独立したハワイ王国でした。 しかし、太平洋中央の島は立地が良く、列強諸国、特にアメリカの支配が強まります。 危機感を抱いたハワイ王国のカラカウア王が1881年に来日し、天皇と会談します。 そこでカラカウア王が「姪のカイウラニの婿として、日本の山階宮定麿親王を迎えたい」と、縁談話が持ち上がります。
これは日本とハワイ王国を血縁による同盟を結び、列強の脅威からハワイ王国の独立を守ろうと言う、ハワイ王国側の意図でした。山階宮定麿親王は13歳。カイウラニは5歳でした。 当時、日本は国を挙げての富国強兵の真只中です。天皇は国益を優先し、この縁談を断ります。
ただ、カラカウア王は「ではハワイに日本人移民を送り込んで欲しい」と持ちかけ、これを天皇は受けます。その後、一時期はハワイの全人口の40%を日本人移民が占めるまでに、日本人移民は増えました。
4:ヨーロッパの騎士団員
天皇がヨーロッパ諸国から受勲・栄典を受けることは珍しいことではありません。 しかし、明治天皇は極めて珍しく「騎士団員」の栄典を受けています。
例えば大英帝国の騎士団員の栄典を受けたのは、東アジア人では初です。これは日英同盟と言う国際関係上の理由がありました。 所属した騎士団は、主に以下のものがあります。
・大英帝国=ガーダー騎士団
・スペイン=金羊毛騎士団員
・スウェーデン王国=セラフィム騎士団
・イタリア王国=聖アヌンツィアータ騎士団
5:日本の艦船に人名を付けるのを禁止した
海外の艦船には、その国の歴史上の人名が付けられているものが多くあります。 しかし日本の旧帝国海軍、また現代の海上自衛隊の護衛艦まで、人名が付いた艦船はありません。
実は当時の旧帝国海軍上層部は戦艦に人名を付けようとしていました。当時、戦艦に命名するには天皇の勅命が必要でした。 明治天皇は艦船に人名付けるのは良くない、と同意していません。 天皇の命で、日本の艦船に人名を付けることは禁止されたのです。そこから現代に至るまで、日本の艦船名に人名はありません。
6:朝、起きる時間は8時
江戸城に引っ越して以降、天皇は「白羽二重」と言う伝統的な寝間着を着て、「御寝台」という、宮廷伝来の天蓋付きの寝具の上で毎日眠りました。 毎朝、起きる時間は朝の8時。 当時は女官が備えており、天皇の起床に合わせ、「お昼」と声を上げていました。その「お昼」の声が上がる時間=お目覚めの時間が8時だったのです。
7:2007年にセルビア共和国で肖像切手になった
写真嫌い、そして肖像嫌いでした。ですから、明治天皇の肖像の切手、貨幣、紙幣は一つもありません。 しかし2007年、「セルビア・日本相互関係125年」の記念切手の図柄の中に、関係樹立当時のセルビア国王ミラン1世と、明治天皇の肖像が描かれたものがあります。 これが世界で唯一の肖像切手です。
8:海の日は実は明治天皇の航海が由来
7月の第3月曜日は「海の日」の祝日です。 祝日化されたのは1995年ですが、それまでは「海の記念日」と呼ばれる記念日でした。 これは、1876年に天皇が東北地方巡幸の際、当時の戦艦ではなく、汽船の「明治丸」で航海し、7月20日の月曜日に横浜港に帰着したことにちなみます。 1941年に逓信大臣・村田省蔵の発案により、「海の記念日」として制定されました。
9:お食事は大皿でお酒が大好き
明治時代の宮中料理は「おおざら」と呼ばれる形式でした。 大きなお皿に目一杯お料理が乗って出てきます。その中から、明治天皇、皇后が食べる分を少し取り、大皿の残りの大半を臣下に分けていくのです。 これを「おすべり」と言います。 「おすべり」は古来宮廷作法の一種で、食べ物を通じ、帝と臣下が和気藹々とした食事を楽しむことが目的だったそうです。
また、天皇は大のお酒好きでした。帝はアルコールに強く、食事時にはお酒を飲み、盃を重ねるごとに陽気になったのだとか。 厳しい見た目とは裏腹に、茶目っ気とも言える性格で、お酒の場でご機嫌になると、よく冗談を言い、皇后、女官を笑わせていました。
著者、ドナルド・キーンは元アメリカ人ながら、日本文学・文化研究の第一人者です。そんな彼が描く明治天皇の生涯。全4巻で史実に忠実に語られていきます。どのように明治を率いていくことになったのか、皇室の役割とは何だったのかなど、多くのことを考えさせられることでしょう。日本人が知っておくべき歴史がここにあります。
- 著者
- ドナルド キーン
- 出版日
- 2007-02-28
1巻では天皇の幼少期が書かれているので、活躍しているのは父である孝明天皇です。しかし、2巻以降は、明治初期となり怒涛の展開が待ち受けます。廃藩置県から西南戦争、大久保利通暗殺、グラント将軍来訪、カラカウア王来訪、そして日清・日露戦争……。江戸時代の旧体制を捨て、新しい近代国家を作ろうとする明治天皇はじめ側近たちの姿に感動を抑えられません。外交が重要であったことがよく理解できます。
天皇が政治的な決断を行う場面も数多く登場します。改めて、明治時代を引っ張っていったのは天皇であったのだと再認識させられることでしょう。明治時代という激動の時代は、現代を生きる私たちの生活を形作った時代です。その時代と天皇について学ぶことは、今どのように生きていくべきかということにもつながるのではないでしょうか。ぜひ1度は手に取って欲しい大作です。
上で紹介した書籍を書いたドナルド・キーンが、平易な文章で明治天皇の人間性を中心にまとめたのが本書。上記作品のこぼれ話もありますが、未読でも全く問題なく、天皇の人柄を知ることができる良本です。10万首も詠んでいたと言われる和歌も、数多く紹介されており、それにまつわるエピソードにも興味が尽きません。
- 著者
- ドナルド キーン
- 出版日
- 2003-04-10
講演をベースにしていますので、読みやすく分かりやすい本となっています。明治天皇が政治を行うかたわら、どれほど国民のことを考えていたのかということに感銘を受けることでしょう。天皇自らが質素な生活を送り、軍人が家族と離れなければならないときには、天皇も家族と離れ軍人と共に過ごすなど、国民に寄り添う心は尽きません。
天皇として存分に力を発揮した明治天皇は、同時代の皇帝の中で最も優れていた人物だったと著者は言います。自ら政治決断も行いましたが、臣下に大きな信頼を置き、それを王権の威光で支援していくことが天皇の役目だと考えていました。本書は、明治天皇は「大帝」であったと思わせてくれ、私たち日本人に皇室の在り方について改めて考えるきっかけを与えてくれる本といえます。
明治天皇の生涯を追いながら、天皇が現実と理想との間でどれだけ苦悩していたかということに言及する本です。政治決断も多く行い、新政府と近代化を引っ張っていった人物として書かれることが多いですが、実は天皇は保守的であり、政府の意向とは異なる場面も数多くありました。明治天皇がどのような思いで、激動の時代を率いたかということがよく分かる本です。
- 著者
- 笠原 英彦
- 出版日
本書で描かれる明治天皇は、教育に関心を持ち、倫理道徳を大切にする保守的な人物です。政党政治にも不信感を持っており、それゆえに天皇として政府にどのように関わればよいかということに悩んでいました。しかし悩みつつも、ここぞという場面では決断し立憲君主制を作り上げ、近代化を進めた明治天皇は、やはり偉大な人物だと再認識することでしょう。
明治維新で活躍した大久保、岩倉、伊藤、西郷らが苦心して明治時代を作り上げようとしていく場面も読みごたえがあります。宮廷と政府との対立など問題が山積みだった新時代について、また違った角度で読み取ることができることでしょう。
宮中の堅苦しいしきたり、女官の仕事ぶり、皇后との関係など、明治天皇の日常を楽しく知ることができる本です。朝起きてから身支度をし、食事、政務、入浴、就寝までの動きが細かく記されており、人柄が分かるエピソードも豊富なので、興味深く読み進められることでしょう。
- 著者
- 米窪 明美
- 出版日
- 2006-06-16
宮中では決まりごとが多く、天皇の前には姿を現してはならない庭師や、天皇の前では立っていてはいけない女官など大変です。しかし、天皇もまた苦労していました。そんな庭師のために昼間はあまり庭をうろうろせず、女官が来そうなときには天皇自らが場所を移動したそうです。本書のこういった話からは、天皇の優しい人柄が伝わってきます。
天皇自身も煩わしいしきたりに囲まれていました。食べ始めるまでにかなりの時間がかかる三度の食事では、皇后と向かい合って同じテーブルで食べることもできなかったそうです。政務で忙しいにも関わらず、そういったしきたりにも従い、なおかつ臣下を気遣っていた天皇は、やはり器が大きい人物なのだと感じます。その後、大正から昭和、平成へと宮中の様子がどのような変遷を遂げたのかということも面白く学べることでしょう。
明治天皇は神格化され、大帝として描かれることも多いのですが、本書では天皇を一人の人間として捉え、その実像に迫ります。関連書籍や資料、天皇と関わった人が残した回顧録などを丁寧に検証し、もともと資料が少ないと言われる天皇の素顔を描き出そうとしているのです。西郷や大久保、乃木といった周囲の人物との逸話も多く、天皇がどういった人を好んでいたかということも分かります。明治天皇の人間性を改めて知れる本です。
- 著者
- 松本 健一
- 出版日
- 2014-08-28
明治天皇の人との関わり方から、天皇の本質を見ることができ、面白く読み進められることでしょう。
西郷隆盛への親しみ、伊藤博文への信頼、乃木希典への気持ちなど、近代国家を目指すうえで欠かせなかった人々への天皇の心が、本書では多くのエピソードを添えて描かれます。彼らが力を発揮できるように体制を整えたことこそ、天皇が成し遂げた素晴らしい成果だったのではないでしょうか。天皇に求められた役割を理解し果たしていった天皇について、ますます深めることができる評伝です。
明治天皇という、なかなか詳しく知ることができない人物についての本をご紹介しました。明治天皇なしでは今の日本はなかったのですね。ぜひ天皇の偉業とその人間性について学んでみてください。