人はなぜエイリアン神話を求めるのか
ジャック・ヴァレー博士は、映画『未知との遭遇』に出てくるフランス人科学者のモデルともなった人物。UFO界の有名人なので、あのウンモ星人からもアレンデ(!)からも手紙をもらっている。がそこは科学者、客観的目線で、少しでも胡散臭いと思われるものは容赦なくばっさりと切り捨てていく。
ウンモ星人の章。結論からいって、この騒動はある程度の学力を持った人物(グループ)が引き起こしたものだとしている。例えばウンモ星人からの手紙にあるテクノロジーにしても、過去のSF物の賢い推測の産物にしか過ぎない、哲学についても、カントの世界観の一変形である、等。
面白かったのは、彼らにインスピレーションを与えたのは、ボルヘスの著作『伝奇集』中の「トーレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」ではないかというくだり。確信を伴った幻想が現実を侵蝕していく大要だが、ウンモ事件とはこの小説をある富裕者が実地に試みたものではないのか……。
個人的にこの本の白眉なのは、ジェサップ博士を死に追いやったアレンデのその後。一言でいうなら、アレンデとはUFO界隈で小金を稼ごうとするペテン師である。ヴァレー博士の知人の前に姿を現わしたアレンデの写真が載っている。不穏なニヤニヤ笑いを浮かべていて、なんとも嫌な気分にさせる。UFO問題は、様々の人間を生み出す。
木村さんのリンゴ
奇跡のリンゴで有名な、木村さんの本である。木村さんはまた、UFOや宇宙人の遭遇者でもある。木村さんの話は映画化もされたらしいが、もちろんUFOネタは一切出てこない(それはそうだ)。がこちらは書籍ということで、不思議話がてんこ盛りである。
実際、木村さんは口を開けば、リンゴのことよりもUFOの話をするらしい。僕の義兄は青森の某企業に勤めているのだが、そこの会社主催で木村さんの講演会を催した時のこと。時間いっぱい、ほぼUFOの話題だけで終わったとか。
さて、本に収められている数々の不思議体験。舞台が僕の地元でもある青森県弘前市なので、一つ一つの情景がありありと目に浮かんでくる。木村さんは宇宙人から、地球の終わりのカレンダーを見せられている。「もうあまり時間がない」のだそうだ。だからこその、あの精力的活動なのだろう。
私見だが、地球が終わる正確な時間は実はあまり重要ではない。なぜなら、世界の終わりのメッセージを宇宙人から受け取り、救済活動を始めたものの期日を過ぎても何も起こらなかった、という事例は今までにも沢山あるわけで、重要なのはそこでいかに人類のために活動するかということだろう。
であればこそ、無農薬リンゴという奇跡を木村さんは成し遂げたのだ。そうして、そのような自然と人間にとって害をなさない奇跡を起こしていかなければ、いずれ本当に世界は滅んでしまうだろう。
キャッチされた宇宙人ヴォイス
ジョージ・ハント・ウィリアムソンは、アダムスキーが金星人と会見した折、近くまで同道した人物。その後アダムスキーとは袂を分かつが、ウィリアムソンはやがて訪れるニューエイジ、スピリチュアル、チャネリングの流れの嚆矢となった存在だろう。
アダムスキーがもしかして何らかの広告塔であったとするなら、ウィリアムソンはあくまで在野で真摯に、形而上的に宇宙存在を語った人。顔つきも沈鬱で、ある種の精神疾患特有の固さがないでもない。
本書は、まだチャネリングという概念すら存在しない頃に行なわれた、宇宙人との交信記録。宇宙探査以前の時代なので、会話する宇宙人は皆太陽系内の住人。(宇宙が多次元であるとするなら、別に金星に知的存在がいてもおかしくはないが)。交信方法はウイジャ盤、モールス信号による無線通信。
後に普及する多くの思想が、ここで語られている。例えば、宇宙には善と悪の存在がいること(オリオンは邪悪だ、等)。例えば、宇宙を放浪する魂、ワンダラーのこと。そしてやはり彼らは、物質文明への危惧と、人類は覚醒への途中にあると説く。
ウイジャ盤はやや胡散臭い気もするが、モールス信号はロマンがあっていい。深夜のラジオ放送にも通ずるというか。してみれば宇宙存在はロマンが好きなんだろうか。彼らからの交信がテレパシーによるチャネリングに形を変えてからこっち、スマホに宇宙人が電話を掛けて来たなんて話は聞かないもの。