石原莞爾は満州事変を起こした人物で、陸軍のなかでは変わり者だったと言われています。戦略家であり、戦争についての著作も持っている石原ですが、実際はどんな人物であるのか知らない人も多いかもしれません。今回はそんな彼の人物の実像に迫る本を集めました。
石原莞爾(いしわらかんじ)は陸軍軍人ですが、陸軍の異端児と呼ばれるほど変わり者でした。一方でカリスマ性もあり、多くの信奉者がいたようです。逸話も豊富に残され、軍事理論家として『最終戦争論』などの著書も出版されています。
石原は1889年、山形県の鶴岡市で生まれました。利発ですが乱暴な性格、その一方で病弱でもあったようです。小学生の頃から陸軍大将になると宣言し、1902年に仙台陸軍地方幼年学校に入学しました。そこでは常に1番の成績を維持していたそうです。
1905年に陸軍中央幼年学校、1907年に陸軍士官学校へ入学。学校の勉強以外にも、図書館で本を読むことで戦史や哲学、社会科学を学んでいます。
その後見習士官の教官として訓練をおこないましたが、1915年に連隊長命令で陸軍大学校へ入学しました。思想や宗教の勉強にも手を出し、1918年に次席で卒業しています。
1928年、関東軍作戦主任参謀として満州にわたりました。1931年には関東軍の作戦参謀として満州事変を実行し、占領。石原は満州を独立国にしようとしていました。1936年に起きた二・二六事件では、反乱軍の鎮圧の先頭に立って対処しています。
その後石原と関東軍は、満州に関する意見の違いから対立。彼は参謀本部の作戦部長でしたが、参謀本部をまとめることができず、関東軍の参謀副長へ左遷されました。
1937年、参謀副長として再び満州にわたりますが、この時の参謀長が東条英機です。石原と東条は性格が合わず、満州国に不干渉でありたいという石原の意見も取り入れられないため、2人の確執は深まっていきます。
石原は1938年に舞鶴要塞司令官、1939年に師団長、1941年には現役を退き予備役へ編入されました。これは東条の根回しにより、軍部での昇進を阻害されたと考えられています。
1941年、立命館大学で国防学講座の講師として軍事学を教えることとなりましたが、それも東条の圧力により辞職しました。この時の講義は1942年に『国防政治論』として出版されています。
石原は太平洋戦争に反対の意見を唱えていました。開戦しても負けるであろうと公言しています。しかし受け入れられることはありませんでした。
終戦後の軍事裁判において、満州事変の実行者であるにもかかわらず、彼は戦犯指名から除外されています。これには筆頭戦犯の東条英機と対立していたからという説や、人名の勘違いだったという説があるようです。
その後1949年に60歳で亡くなりました。
石原は幼いころから奇行ともいえる言動が多く、それゆえ彼にまつわるエピソードは面白おかしく脚色されているものも多いと言います。しかし、変わり者であることに違いはありません。ここでは彼のカリスマっぷりがわかる逸話を紹介します。
1:一切勉強しないのに、天才的に頭がよかった
1909年、石原は陸軍士官学校を卒業した後、陸軍の歩兵第65連隊に入隊します。そこで中尉にまで昇進した後、1915年に陸軍大学校に入学するのですが、実はこれは、石原自身の意思ではありませんでした。
この年、陸軍大学校に第65連隊から入学したものがひとりもおらず、それが不名誉だとして成績優秀だった彼を受験させることを連隊長が勝手に決めてしまったのです。
石原は合格する気はさらさら無く、一切勉強をせずに試験に臨みました。しかしその年に受験をした連隊からは、彼だけが合格しました。
2:形式にとらわれなかった
陸軍の連隊には、二年兵が満期除隊を迎えるのを見送る儀式がありました。彼が連隊長を務めていた時のことです。
ある中隊長が訓示をしていると、突然雨が降り出しました。しかし訓示をやめない中隊長に対し、彼は「中隊長のバカヤロー、紋付きは借り物であるぞ!」と怒鳴り、話をやめさせてしまったそうです。
また陸軍記念日の際には、通常は行進や訓示で3時間ほどかかる式典を5分程度で終わらせたことがあります。参加者はみな驚きましたが、兵士たちは早く休みになるため大喜びしたそうです。
『最終戦争論』は、1940年に石原莞爾が講演したものを、本として出版したものになります。「最終戦争」というのは、それが起こった後は世界平和が訪れる、という意味です。古代や中世、フランス革命といった昔の戦争について述べた後に、第一次欧州大戦、第二次欧州大戦とその概略を語っていきます。
そしてその後に訪れるであろう最終戦争。原爆を予想するような言葉が並びます。
短く読みやすい文章で、最後は質疑回答で締めくくられています。
- 著者
- 石原 莞爾
- 出版日
「最も弱い人々、最も大事な国家の施設が攻撃目標となります。」
「大阪も、東京も、北京も、上海も、廃墟になっておりましょう。すべてが吹き飛んでしまう……。」(『最終戦争論』より引用)
核兵器の記述に、読んでいて恐ろしさを感じてしまいます。石原はこれを数10年後に起こることと予測し、国家は防空対策や工場の地方分散をおこなわなければならないと説いているのです。
しかし実際には、原爆投下はこの講演の数年後に起こってしまいました。
もちろん当たっている予測もあれば、現実には起こっていないこともあります。しかしこのような考え方を持った人物がいたということ自体、驚くことではないでしょうか。
「最後の大決勝戦で世界の人口は半分になるかも知れないが、世界は政治的に一つになる。これは大きく見ると建設的であります。」(『最終戦争論』より引用)
武器が発達することによって戦争をすることができなくなる、戦争によって戦争がなくなる、という考え方には賛否両論があるでしょう。戦争について、国家について、考えさせられる本です。
『戦争史大観』は、1929年に石原莞爾が講話した内容をまとめたもので、先述した『最終戦争論』へ行きつく前の戦争に対する考え方が読み取れます。
彼が考える戦争は、武力で短時間で決着がつく「決戦戦争」と、武力以外のもので戦おうとする「持久戦争」の2種類です。そしてそれは交互に起こっており、次に訪れるであろう最後の戦争は「決戦戦争」だと予測して、その対処方法についても持論を述べています。
- 著者
- 石原 莞爾
- 出版日
本書が出版されるまでにどのような戦争が起こってきたのか、武力はどのように進化してきたのかについて、石原の考えがまとめてあります。そしてそこから導き出される戦争の意味や、今後の予測へと話が続いていくのです。
この時代に、これほどしっかりと戦争史について考えていた著者に驚いてしまうことでしょう。
戦争史を学ぶことは、戦争をしないことへと繋がるはずです。それを石原は分かっていたでしょうが、結局は太平洋戦争への流れを止めることはできませんでした。彼が何を考え、戦争というものに対峙していたのか、その思考に触れることができる作品です。
満州事変の首謀者であり、日本を戦争へと導いたのが石原莞爾だと考えると、彼が戦犯指定されなかったことは不思議としか言いようがありません。しかし彼は東京裁判へ呼ばれることもなかったのです。
ただ極東国際軍事裁判の酒田臨時法廷が用意され、そこで参考聴取されました。その時の様子を本書ではでは克明に記述しています。
- 著者
- 早瀬 利之
- 出版日
- 2016-08-04
裁判での石原の発言を見ると、その人物像が浮かび上がってきます。「自分は戦犯だから捕まえろ」、「A級戦犯は原爆投下を支持したトルーマンである」、「戦争の最初のきっかけであったペリーを呼べ」といった趣旨の言葉の数々は、誰も言うことができなかったけれど、多くの人が思っていることでした。
それを堂々と話す石原は、やはり普通とは違う人物であったと感じずにはいられません。
本書によると、日本が負けた理由は民主主義じゃなかったことだという理路整然とした発言には、敵国の人々も納得させられたようです。石原がどのような考えで満州事変を起こしたのか、戦争に対してどう思っていたのかを読み取ることができるでしょう。
本書では、石原の戦略面に注目して解説がされています。彼は稀代の戦略家であったとも言われていますが、どのように考えて満州事変を起こし、それが日中戦争、太平洋戦争へと繋がっていったのでしょうか。
また彼の著書である『最終戦争論』についても検証されており、当時の軍部へどんな影響を与えたのかを知ることができます。
- 著者
- 川田 稔
- 出版日
- 2016-03-31
満州事変を起こしたものの、次の戦争はまだ必要ないと考えていた石原。その戦略は、中国と満州と手を携え、来たるアメリカとの戦争に備えようとするものでした。本書ではそんな彼の戦略思想について詳しく学ぶことができ、そのうえで、なぜ日中戦争が起きてしまったのかを理解できます。
周りとの戦略の違いから陸軍を追い出されてしまった石原ですが、彼が軍に残っていれば、その後の戦争はどのように変わっていただろうかと考えずにはいられません。しかし結局は満州事変を勝手に起こしたことが、彼自分の首を絞めることになってしまったのです。
本書をとおして、戦争と軍の在り方について学ぶことができるでしょう。
本書は石原莞爾の生涯を描いた評伝で、彼を中心に見ながら昭和史を追っていきます。著者は石原に肯定的な考え方をしているので、もしかしたらそれに違和感を感じる方もいらっしゃるかもしれません。
満州事変を起こし、日本を戦争へと向かわせた軍部の判断は、紛れもなく石原の影響があります。本書を読んで昭和史を知ることで、自分なりの考えをまとめてみると良いでしょう。
- 著者
- 福田 和也
- 出版日
石原の生涯を追っていますが、本書の読みどころは優れた昭和史としての記述です。日本の政治、経済、軍事だけではなく、政界の情勢も詳細に述べていきます。欧米や中国との関係など、この時代に欠かせなかった他国との関わりは勉強になるものばかり。戦前の世界情勢が石原を形作っていったことも理解することができるでしょう。
この時代に石原だけが持っていた、戦争をとおして未来を予測する目。それは誰にも受け入れられず、ただただ上司に文句を言ったり、勝手に行動したりする変わり者と思われていました。
しかし本書をとおして戦争を考えることは、戦争を実体験として知らない世代の現代人にとって、とても意義深いものとなるでしょう。なぜ戦争をしなければならなかったのか、自分なりの答えを得ることができます。
いかがでしたでしょうか。石原莞爾はさまざまな書籍を読んでも、なかなか本質が見えてこない不思議な魅力のある人物です。戦争についても改めて考えさせられる本ばかりです。ぜひ自分なりの読み方で、昭和という時代を振り返ってみてください。