佐藤栄作は、総理大臣時代に沖縄返還を実現し、非核三原則を唱えるなど外交面でさまざまな業績を残し、退任後はノーベル平和賞も受賞しています。在任期間も長く、日本の経済発展に尽力しました。そんな佐藤にまつわるおすすめ本をご紹介します。
佐藤栄作は1901年に山口県にて生まれました。佐藤秀助の三男で、長男は海軍の佐藤市郎、次男は総理大臣を務めた岸信介です。1921年東京帝国大学法学部に入学。1923年には高等文官試験に合格し、1924年に同大学を卒業しています。
1924年には鉄道省に入省。1926年に従妹の寛子と結婚し、佐藤家本家の婿養子となっています。その後大阪鉄道局長として働いたのち、1948年に退官。民主自由党に入党しました。
遠縁であった吉田茂ともともと親交があった佐藤は、非議員でしたが1948年第2次吉田内閣に官房長官として入閣します。翌年総選挙で当選、池田勇人と並んで「吉田学校」の代表格としてキャリアを重ねました。自由民主党が結成された当初は参加を拒否していましたが、兄・岸信介を支えるために入党し、政務会長に就任。池田内閣になってからは、池田の高度成長政策に反対の立場をとっています。
1964年自民党総裁選挙に出馬し、池田が勝ったものの、病気退陣となり佐藤が内閣総理大臣に就任しました。在任中は、日韓基本条約の締結、沖縄返還の実現、日米安保条約自動延長、非核三原則の表明などを行っています。人を上手く使い「人事の佐藤」と呼ばれたり、情報収集が早かったために「早耳の佐藤」と言われたりしながら、7年8ヶ月の連続在任記録となりました。
佐藤は4期以降は立候補しないことを表明し、福田赳夫と田中角栄のポスト佐藤争いがし烈になりましたが、結局は田中が勝利します。1972年に佐藤は内閣総辞職し、退陣表明の記者会見では記者を同席させずカメラに向かって一人で語りました。
総理退任後、佐藤は1974年に日本人で初めてのノーベル平和賞を受賞。1975年宴席中に倒れ、脳溢血で死亡。享年74歳、大隈重信以来の国民葬が行われました。
1:栄作少年の失踪劇
少年時代、地元のお祭りの日に行方不明になったことがありました。 なんと、集落から集落へ渡り歩く祭りの神輿を1日中追いかけて歩いたそうです。 夜になっても帰らない佐藤を家族はさらわれたのではと大層心配したといいます。
2:底辺ギリギリからトップグループへの大躍進を果たした中学時代
1913年、佐藤は名門校である山口中学に入学します。 彼の入学時の成績は130番中127番というギリギリの順位でした。 しかし、第一学期末試験で佐藤は127番から18番に上がるという大躍進を見せました。 当時の一学期における記録的な躍進となりました。
3:蚕部屋で迎えた結婚初夜
1926年、門司(福岡県北九州市)で鉄道員をしている時、佐藤は許婚の寛子と結婚します。 このとき佐藤家は家業の酒造りをやめており、こうじやと呼ばれた家に住んでいました。 佐藤夫妻は、この家の物置のような暗く冷たい蚕部屋で結婚初夜を迎えます。 なぜか悲しくなって泣く寛子に佐藤は「なぜ泣く、俺がついている」と慰めたそうです。
4:賭け事が好きだった
賭け事が好きだったようで、門司に居た頃も麻雀やトランプで賭けをしていました。 それだけでなく、競馬や碁にやっており、多岐にわたっています。 しかし、大勝もせず大負けもしない堅実で程々な勝負をしていたといいます。
5:病床の寛子夫人を休まず見舞う
60年安保闘争真っ只中のある日、妻の寛子が倒れてしまいました。 全学連のデモ隊に襲撃されかねない佐藤を気負うばかり下血し倒れたといいます。 寛子は45日の入院生活となりましたが、佐藤は毎日お見舞いに行きました。 唯一行けなかった日は、兄・岸信介が襲撃された日のみだそうです。
6:入院するも脅威の回復
1966年、佐藤は身体の不調を訴え、軽井沢から東京へ戻り医師の診察を受けます。 結果は腎盂炎という病であり、入院を余儀なくされます。 前年、政界の実力者が次々に亡くなっており、佐藤もかと密かに囁かれていました。 しかし、わずか3日ほどで順調に回復し、入院から10日で退院をしています。
7:多忙の首相、写経を始める
首相になって3年の超多忙な時期に、佐藤は写経を始めています。 過去のワンマン政治の犯した過ちを省みた佐藤は、写経で心を保とうとしていました。 雑念や執着から脱し、そこにあるままの真実を掴まんとする佐藤の自省からきたものです。
8:大統領夫人と踊る
1973年、当時のアメリカの大統領ニクソンの就任祝賀会に夫婦で出席しました。 挨拶の後、ニクソン夫妻と佐藤夫妻がダンスを踊るというハプニングが起こりました。 実は、この時ニクソンから寛子にダンスの相手を申し込んでいました。 周りからの「チェンジ」の声もあり、佐藤はニクソン夫人に相手を申し込んだのです。
9:蒋介石との初対面は、蒋の「葬儀」
1974年4月5日に、台湾の蒋介石の訃報が佐藤の元に届きました。 佐藤は日中国交回復の際、台湾には礼を欠いてしまったという後悔がありました。 そのため、回復後に一度台湾へ行ってみたいと佐藤は願っていました。 蒋に会うがための台湾行きが、蒋の葬儀参列になるとは佐藤も思っていませんでした。
人物像について知りたければ、まずは本書を読むことをおすすめします。朝日新聞政治部の記者である著者は佐藤から信頼を得ていた人物でした。上巻では首相になるまでを、下巻では7年8ヶ月という長期に渡って勤めた首相時代と退官後を描きます。『佐藤栄作日記』や取材内容を元に佐藤の生涯を詳しく知ることができることでしょう。
- 著者
- 山田 栄三
- 出版日
兄・岸信介や、ライバルであり親友でもあった池田勇人との関係、その他の政治との人間模様など興味深く読み進めることができます。本書は門外不出と言われていた『佐藤栄作日記』で事実確認しながら書かれているということもあり、佐藤の人物像も明確に浮かび上がってくるのです。
国民に特に人気があったとも言えない佐藤が、長らく首相の地位を維持したのはなぜだったのでしょうか。人事面や情報収集力も優れ、平和を目指した外交を行い、幸運にも恵まれていたと言える佐藤について多くのことを知れる評伝です。
佐藤のすべてが記されていると言っても過言でもない『佐藤栄作日記』。1952年から24年間に渡って書かれた日記には、佐藤の考え、人物評価、家族への思いなどが書かれています。全6巻で佐藤の本音が分かる大作ですので、ぜひ目を通して佐藤の心を覗いてみましょう。
- 著者
- 佐藤 栄作
- 出版日
日記には法案に対する意見や、政治家に関する話題はもちろんのこと、週末のゴルフの話、夫人や息子、孫たちとの食事会の様子、好きな作家などプライベートに関することが多く書かれているので、とても面白く読むことができます。佐藤栄作という人物の姿が形を持って私たちの前に現れるようです。
人物に関してのコメントも的確で、「田中幹事長のおしゃべりには閉口」や「中曽根君が張り切りすぎて波紋」など、人事の佐藤と呼ばれた所以も分かるはずです。佐藤栄作の人生とその内面を知ることができる貴重な日記といえます。
日米安全保障条約について、その真実を検証する『仮面の日米同盟』を読むと、日米関係はなんと不安定なものだと驚くことでしょう。実はアメリカに都合の良いような条約にも関わらず、誤訳や誤解を繰り返して、アメリカがいつも日本を守ってくれるという誤った認識を国民にも与えているのです。
- 著者
- 春名 幹男
- 出版日
- 2015-11-20
佐藤栄作が成し遂げた外交の一つに沖縄返還があります。しかし沖縄返還についても著者は疑問を投げ掛けており、本当のところはどうだったのかを述べているのです。交渉の舞台裏を詳しく説明し、米軍基地を自由に使わせることや緊急時には核の持ち込みを許可することなどが条件であったことを明らかにします。
佐藤は核のない沖縄返還を実現させようとしていましたが、実際はどうだったのでしょうか?他にもニクソン・ショックを引き起こした繊維輸出問題も関係しています。このように本書では、日米関係とアメリカの思惑、日本の政治家の対応の真実を知ることができ、改めて読者に日米安保とは何なのかを問う作品になっているのです。
池田勇人は、経済成長政策を率先して行いました。佐藤栄作はそれを批判していたものの、佐藤政権となっても高度経済成長は池田時代以上に続いていきます。しかし経済は確かに発展することができましたが、その反動としての歪みもあったのです。『昭和の宰相 第6巻 佐藤栄作と高度成長』では、当時の日本の様子、佐藤政権の有り様を描きます。
- 著者
- 戸川 猪佐武
- 出版日
佐藤は、東京オリンピックの不況を受けて、戦後初の建設国債の発行を行いました。これにより日本の景気は回復しいざなぎ景気と呼ばれる好景気時代へと突入。経済成長は続き、佐藤は「経済大国」へと日本を導いたのですが、公害や環境破壊などの問題も起こってくることとなりました。
佐藤政権はこれに対しどのように対応していったのでしょうか。本書を読めば高度成長を続けながらも、諸問題に対応していった佐藤について詳しく知ることができます。外交面の業績が多く言われる佐藤ですが、国内での活動もさまざまです。佐藤の功績と逆に日本にもたらした弊害について、改めて学んでみてください。
『歴史劇画 大宰相 第4巻 池田勇人と佐藤栄作の激突』は戸川猪佐武の『小説吉田学校』を元に描かれた歴史漫画で、全10巻の大作です。その中の4巻目に当たる本作品は、首相・池田勇人の高度成長時代、佐藤栄作と池田との争い、佐藤政権が描かれています。漫画なので分かりやすく、戦後の政治家について学ぶことができるでしょう。
- 著者
- さいとう たかを
- 出版日
- 1999-08-19
佐藤と池田は吉田学校の代表格として共に成長してきましたが、池田の高度成長政策に反対するようになる佐藤は、自らの政権構想をつくっていきます。そして池田の3選を阻止するために総裁選へ立候補する佐藤ですが、結局は負けてしまうのでした。本書ではもともと友情があったはずの二人の政治的戦いを面白く読め、政治の流れをしっかり理解することができるはずです。
佐藤は批判していた経済成長政策ですが、その後も高度経済成長時代は続いていきます。佐藤がその成長に恩恵を受けた面も多かったことでしょう。ポスト佐藤を巡る田中角栄と福田赳夫の争い「角福戦争」も息をのむ展開で目が離せません。吉田学校メインの政治家を克明に知れるおすすめの巻です。
いかがでしたでしょうか。佐藤栄作は決して評判が良いわけではありませんでしたが、現在に残る偉業も多く、判断の難しい人物です。佐藤について知ることは日本の政治、経済発展を知ることにもつながります。ぜひいろいろな本を読んでみてくださいね。